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2008.06.26
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世界人権宣言と公正な裁判


指宿 信(立命館大学法科大学院教授)


はじめに

指宿 信(立命館大学法科大学院教授) 今回は世界人権宣言と公正な裁判というテーマのもと、「刑事司法の透明性と説明責任を求めて」という観点から話を進めていきたいと思います。

世界人権宣言と公正な裁判

 世界人権宣言で今回のテーマに当てはまる条文としては、第10条「すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当たっては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する」と、第11条「犯罪の訴追を受けた者はすべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する」があります。

 条文から、世界人権宣言は公正な裁判に関して「公平な裁判所」、「公正な公開審理」そして「無罪推定の原則」の3つのキーワードを掲げていることがわかります。つまりこの3原則が守られていれば、公正に裁判が行われるという考え方です。

日本の憲法・刑事訴訟法と公正な裁判

 では我が国は公正な裁判のためにどのような規定があるでしょうか。まず憲法においては31条で適正な手続きの保障を、32条で裁判を受ける権利を、37条で公平な裁判所・迅速な公開裁判・証人喚問・弁護人依頼権を、82条で裁判の公開を規定しています。そして刑事訴訟法でも、336条で犯罪の証明の必要性を規定するなど、法的には整っています。このような規定がなされていることは法治国家として当然です。今日、私たちが考えなければならないのは、法律の規定に対して、現実はどうなっているのかという問題です。これから、我が国の刑事裁判の実情と問題点について、4つの段階に分けて、考えていきたいと思います。

日本の刑事裁判の実状と問題点―捜査段階

 まず、裁判に至る前の捜査段階ついて、取調べ・代用監獄・法的助言といった点から考えてみましょう。

<取調べの問題>

 実際に取調室ではどのようなことが起こっているのでしょうか。昨今、取調べでの問題がよく取りざたされています。昨年、その象徴的な事件が2つありました。1つは13名が公職選挙法違反で起訴され、12名が無罪(公判中1人死亡)を勝ち取った志布志事件です。これは捜査自体も酷いものでしたが、それ以上に、任意段階から、自白を強要するために、長時間の酷い取調べが行われていたことが問題になりました。もう1つは強姦事件で逮捕・起訴され、犯人とされた人が出所した後に真犯人が逮捕された富山事件です。これらの事件からは、取調べの「可視化」が必要であることが見えてきます。

 取調べの中で被疑者が供述したことを取調官が文章にまとめ、最後に被疑者が署名・押印して、その内容を認めたという形で調書という証拠が作られます。しかし、実際の裁判でそのような内容を供述した・していないという水掛け論が行われることがしばしばあります。取調べを可視化すれば、これらの問題は解決するのではないでしょうか。

 可視化の方法については第三者が立ち会うことが理想的ですが、それが難しいので、イギリスでは1984年から取調べ中の音声を録音することがスタートし、現在では当たり前の手法として世界中に広まっています。更にオーストラリアでは取調べの録画が行われており、録画されなかった自白は証拠から排除されなければならない、という最高裁判決も出されているのです。

 このように取調べの可視化は世界的には一般化してきているのですが、日本では検察庁が一部の事件に対して実施しているだけで、警察庁はこれまで一切行わない、という姿勢を取っていました。しかし与党が可視化を勧告するように動き出すと、警察庁も実施するようになりました。しかし警察庁が行う録画は取調べ中ではなく、取調べ後の調書の確認段階からだけに限定されています。先の志布志の人達が一部の実施では逆効果になると訴えているように、これで可視化されたとは言えないのではないでしょうか。

<代用監獄の問題>

 私達が警察に逮捕されると警察署に付設した留置場に連れていかれます。問題なのはこの留置場が代用監獄として使用されている点です。そもそも旧監獄法で被勾留者は国の施設である拘置所の監獄に勾留しなければならない、とされていますが、実際には拘置所の数が非常に少ないので、留置場を代用監獄として使用しているのです。これによって取り調べられる人と取り調べる人が常に近くにいることになり、取り調べられる人(被勾留者)が強いプレッシャーを受けることになります。また、近くにいることで、長時間の取調べも可能にしてしまっているのです。

 代用監獄は世界中から非難されていますが、日本の警察はどうやら止める気はないようです。今後、取調べの可視化が進んだとしても、この点については紛糾が続くでしょう。なぜなら取調べの可視化だけが必要なのではなく、勾留手続全体の可視化が求められることになるからです。

<法的助言の必要性>

 またこれまで、捜査段階では法的な助言は十分に保障されていませんでした。日本では国選弁護人がつくのは起訴されてからで、取調べ段階では自費で雇わない限り、弁護士がつくことはありません。これに対して、弁護士がボランティアで逮捕後に1回、無料で接見する当番弁護士という取り組みが1991年くらいからはじまりました。そして今回の司法改革で、ようやく早い段階から国選弁護士がつけられるようになります。しかし、まだ重大な犯罪にしか適用されておらず、今後はその適用範囲の拡大が問題となってくるでしょう。

日本の刑事裁判の実状と問題点―起訴段階

<証拠開示の問題>

 次に起訴段階についてですが、日本では検察だけが起訴できる起訴独占主義を採っています。同時に、理由によっては起訴しない起訴便宜主義という考え方も認められています。このため、検察には多くの証拠が集められ、有罪を立証するために有利な証拠だけが裁判所に提出され、証拠調べ請求が行われるのです。しかし、裁判所に提出される証拠は検察が持っている証拠の一部であって、それ以外にも多くの証拠が存在しています。また警察からすべての証拠が検察に送られるとは限らず、審理の過程で表に出てこない証拠は数多く存在しているのです。

 検察には有罪の立証責任があるのですから、それに対して不利な情報を開示しないのは当然かもしれません。しかし、公正な裁判の観点から考えれば、それらの表に出てこない証拠の中に被告人にとって有利な情報があった場合、非常に大きな問題だと言えます。これが証拠開示の問題です。

 実際に、1995年に起こった一家4人殺害事件で、死刑判決が一審で確定した後、再審で裁判所に未提出の証拠が開示されて無罪判決が出された松山事件のように、証拠の開示という問題は、公正な裁判の観点から非常に重要な問題なのです。

 警察がすべての証拠を検察へ送るように義務付けたイギリスのように、日本でも、被告人に有利な証拠の開示、検察が被告人に有利と気付かなかった等という言い訳を認めない制度の確立などが必要になってくるでしょう。

<平等性の問題>

 起訴段階でもう1つ重要な問題は「公訴権の乱用」についてです。先述のとおり、日本では検察だけが起訴できるのですが、その起訴そのものに問題があった場合はどうなるのでしょうか。

 1972年に水俣病患者とチッソ社社員との間で小競り合いが起こり、チッソ社社員が怪我をし、患者の川本さんだけが起訴されたというチッソ川本事件をご存知ですか。この事件の裁判は一審では執行猶予付き罰金刑という異例の判決が出され、二審では「当時の水俣病問題という背景を無視して、被告人だけを訴追することは不公平である」として、有罪でも無罪でもない公訴棄却という裁判を打ち切る決定を下したのです。そして最高裁でも上告を棄却し、二審判決を支持するという判決が下され、結審しました。

 これによって検察の不公平な起訴、即ち公訴権の乱用は認めないという判例が示されたのですが、同時に、判決の中で公訴提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限って、公訴権乱用が認められるという見解が示されました。つまり検察官が賄賂を貰ったり、悪意を持って特定の人を起訴した場合に限り、公訴権の乱用を認めるという非常に狭い範囲に限定した見解を示したのです。これによって不公平感のある起訴を防止することは非常に難しくなりました。

 これに対して検察が起訴しなかった案件を起訴に持ち込むには2つの方法があります。1つは特別公務員暴行陵虐罪などに限ってのみ適用される制度として、裁判所に「付審判請求」を行い、裁判所がそれを認めた場合、弁護士を訴追官として起訴することを認める制度があります。しかし、この制度はラクダを針の穴に通すより難しい、と言われるほど実現は困難です。もう1つの方法として、市民から選ばれた委員で構成される検察審査会に審査請求するという方法もあります。審査会で起訴が妥当だと判断された場合、審査結果が検察に送られて、再度判断されることになるのです。

日本の刑事裁判の実状と問題点―公判段階

<事実認定の問題>

 次に公判段階から見た公正な裁判についてですが、ここで最も重要なのは適正な事実の認定がなされているかどうかです。日本ではこれまで、4件の死刑判決が再審で無罪となっていることからも分かるように、これは非常に重大な問題です。そもそも検察は適正な事実認定が行われるように、合理的な疑いを超えた証明を行わなければなりません。しかし、その証明に対して合理的な疑いを超えた不自然さがないかを判断するのは裁判官です。

 狭山事件再審請求特別抗告審の判断では「犯人の書いた脅迫文と、石川さんが書いた上申書の文字が一致しない」という鑑定結果が5件も出されているにも関わらず、最高裁は「文字を書いた心理状態の違いによって文字に違いが生じても不自然とは言えない」としているのです。果たしてこれが適正な事実認定と言えるでしょうか。また最近、最高裁は精神鑑定について、「専門家の鑑定結果を参考にするように」との判決を出していますが、その翌週には東京地裁で昨年起きた、いわゆる「セレブ妻殺人事件」の判決において、検察・弁護側双方から責任能力がないという鑑定書が出されているにも関わらず、有罪判決が下されています。

 決してすべての鑑定が正しいとは言いませんが、このような現状を見る限り、現在の裁判制度において適正な事実認定が行われているかは疑問を持たざるを得ません。

<裁判員裁判制度の意義>

 更にこのような状況の中で、裁判員裁判制度がスタートしようとしています。この制度については「餅は餅屋」的な発想から反対する声もありますが、先のような事例や、映画「それでも僕はやってない」に描かれている日本の裁判の実態を見て、職業裁判官だけでは十分ではない、ということをぜひ考えてください。

日本の刑事裁判の実状と問題点―救済段階

 最後に、救済段階における公正な裁判についてですが、まず考えなければいけないのが再審の問題です。日本の司法制度では、最高裁の判決をもって最終判決となっていますが、刑事訴訟法では万一に備えてもう一度裁判をやりなおすという再審制度が認められています。しかしこれには有罪判決を覆すだけの新証拠が必要とされています。最近では科学の発達によって、新鑑定で新証拠が出てくる事例もしばしばあります。また新証拠がない場合でも、検察による証拠開示がなされれば、再審への道が大きく開かれることになるでしょう。

 2つ目に補償の問題ですが、日本では刑事補償法によって不当な身体拘束への代償として1日1万円程度の補償が規定されています。更にこれ以外にも民事訴訟を起こして国家賠償を請求することもできるのですが、この場合には請求者が積極的なアクションを起こさなければなりません。

 また間違いの原因を探求する調査や、責任の所在を明らかにし、検察や警察に対する責任追及を行う制裁については、日本ではほとんど何もなされていません。しかしイギリスでは、迅速な再審決定を下せるように独立機関が設置されていたり、カナダでは誤審の原因を追究し再発を防止するために提言を行う委員会が設置されています。このように世界各国で説明責任と透明性を担保した公正な裁判の実現に向けて努力されているのです。

終わりに

 世界人権宣言や憲法に公正な裁判が規定されていても、それを実現するには様々な段階での努力や闘いが必要なのです。また、私達一般市民が今後、裁判員として法廷に参加することは、単純に有罪無罪を判断するだけではなく、司法の中に民主的な生命を吹き込むというもっと能動的な役割を担うものなのです。

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