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2008.07.10
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世界人権宣言と部落問題

友永 健三(部落解放・人権研究所所長)


はじめに

 世界人権宣言の中で部落問題と直接関係する条文は二つあります。まず、第2条第1項「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」。そして、第7条「すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する」です。

 部落問題とは第2条に挙げられている社会的出身あるいは門地による差別にあたります。部落問題を世界人権宣言から考えた時、宣言に定められた権利が、部落に住む人々や出身者にすべて保障されているか否かが問題になります。

今日の部落をとりまく4つの条件

 今日の部落の状況を整理する為に4つの条件を考えていく必要があります。

 まず1つ目に、1969年から施行されてきた同和対策事業特別措置法が2002年に終了したということが上げられます。大阪の場合、比較的早い段階から一般施策への移行を進めていましたが、それが出来ていなかった地域においては、受け皿となる特別措置法の廃止によって、部落の状態はかなり厳しいものになっています。

 2つ目の条件は、社会全体の格差の拡大による貧困の深刻化です。これは、問題をより厳しい状況にしています。そして3つ目の条件には、国権主義、反人権主義の台頭が上げられます。教育基本法を改正して愛国心教育を掲げている事や、未だに人権侵害救済法が成立していない事からわかるように十分注意していかなければならない条件だと言えるでしょう。

 そして4つ目の条件は、2006年の飛鳥会問題以降の、部落解放運動や人権・同和行政に対するマイナスイメージの拡大が挙げられます。私が部落解放運動に携わって40年以上が経ちますが、かつてこれほどまで部落問題がメディアに取り上げられた事はありませんでした。残念なことに部落問題に対する理解を深める事とまったく逆の方向に大きく進んでしまいました。

データが示す部落の生活実態

 以上のように、今日の部落問題は非常に厳しい局面を迎えています。では、それが部落の生活実態に、どのような影響を及ぼしているのかがわかるデータを紹介します。

 まず2005年に実施された鳥取県同和地区生活実態調査によると、同和地区における生活保護世帯の比率が1993年では14.7%、2000年16.0%に対し、2005年では19.7%に及んでいます。同年、報告市町村全体では6.4%ということからもわかるように、部落の生活実態は非常に厳しいと言えます。就労形態については、2005年の常勤雇用の県平均が68.3%に対して、同和地区では55.6%になっています。さらに臨時雇用13.6%、日雇い雇用7.5%の合計21.1%が不安定雇用であって、県平均11.0%の約2倍になります。さらに有業者の年収については200万円未満が県平均39.8%に対して、同和地区では45.4%になっています。

 この調査を行った鳥取大学名誉教授の國歳眞臣さんが「現代日本は格差社会だといわれている。しかし、部落の場合には、生活困窮層に集中している」と指摘しておられる通り、部落の貧困の実態は明らかです。

 また2006年に実施された三重県桑名市の生活状況把握調査では、仕事をしたいと思っているが働いていない人の比率が、同和地区では1995年には2.9%であったのが、2005年では6.2%と約2倍になっています。さらに収入と深く関係する勤め先の規模については1-4人の零細企業の比率が1990年7.3%、1995年6.7%、2005年16.5%と上昇しています。反対に、おそらく公務員が多いと思われますが、1000人以上の規模では1990年15.6%、1995年16.5%、2005年8.0%と激減しています。これは追跡調査を行う必要がありますが、かつて同和地域の仕事保障として公務員に採用されていた人たちが定年退職してきていることに対して、若い世代の採用が減っていることが理由ではないかと推測されます。

 さらに世帯収入を見ると100万円未満の世帯が前回12.3%、今回が17.1%。100-200万円未満の世帯が前回の13.3%から15.6%と上昇しています。それに対して、300万円以上の収入のある世帯は前回の調査より比率は下回っているのです。

 このような生活実態は子どもの教育にも影響を及ぼしており、高等学校以上の中退率は9.9%になっています。さらに中退理由のうち、経済的理由の比率が1990年8.7%、1995年11.9%、2005年12.7%と徐々に上昇していることが注目されます。また小中学生の子育ての不安に対しては経済的に不安があるとの回答比率が前回2.1%に対して、今回は18.9%と約9倍に跳ね上がっており、多くの人が近い将来へ経済面での不安を抱いていることが明らかになっています。

 これに対して調査を行った三重大学教授の長谷川健二さんは「同和対策事業特別措置法の実施によって、住環境の改善が進んだが、不安定な生活基盤そのものは、ほとんど変化しなかったと言ってもよい」とコメントしていますが、私はむしろ悪くなっているのではないかと評価しています。

データが示す部落問題に関する意識

 部落問題に関する意識についても、明らかに後退しています。これを示すデータとして、2005年に行われた人権問題に関する大阪府民意識調査の結果を紹介します。

 まず、結婚相手を決める時に家柄を気にするかどうかの問いに対して、「当然の事/自分だけ反対しても仕方がない」と回答した人が前回(2000年)32.4%に対して、今回は38.7%となっています。また、結婚相手について「相手が同和地区出身者かどうか気になる」との回答が、前回の18.1%に対して今回は20.2%。「子どもの結婚相手が同和地区出身者かどうか気になる」との回答が、前回20.6%に対して今回は23.2%と上昇しているのです。

 「同和地区」という言葉のイメージも、前回調査よりも明らかに「下品」や「怖い」などといった、マイナスのイメージが増えています。付け加えるならば、この調査は飛鳥会問題発覚以前の調査なので、現在はもっと厳しい状況にあることが予測されます。

 差別解決の将来展望については、「就職差別は将来なくす事ができる」とした回答比率は、前回74.8%に対して今回は69.4%。「結婚差別を将来なくす事ができる」とした回答は、前回68.1%に対して今回63.9%と減少しています。また、差別的発言に対する態度については、前回18.7%の人が「指摘して話し合う」としていましたが、今回は14.6%。「何もせずに黙っている」という人が前回19.2%に対して今回は22.8%になっています。さらに差別に対する考え方についても、「人間として最も恥ずべき行為だ」と捉えた人が前回86.6%に対して、今回は80.4%になっているのです。

 これらの調査結果に対して、調査委員会の座長である大阪大学名誉教授の元木健さんは「同和問題に対するイメージや態度、忌避意識、差別解消に対する意識などは、むしろ後退しているように見える結果が記されている。府の機関である同和問題解決推進審議会委員の中で、法失効後『同和問題は終わった』とする状況が府内にみられるのを危惧する声があったことを裏付けていると見ることもできる」と指摘されています。元木さんの指摘通り、『同和問題は終了した』という認識によって、同和問題に対する教育・啓発が弱まったことが、意識の後退を招いたと言えるでしょう。

後を絶たない悪質な差別事件<1>-戸籍等不正入手事件

 次に、差別事件の実態に触れていきます。これについては、毎年発行される『全国のあいつぐ差別事件』(部落解放・人権政策確立要求中央実行委員会編)という資料をご覧になればわかります。その中で、最近最も深刻な状況にあるのが行政書士などによる戸籍謄本等の不正入手事件が後を絶たないことでしょう。

 このような事件は以前からありましたが、最近改めて取りざたされるようになったきっかけは、まず2003年に京都で起こった司法書士による不正入手事件でした。この事件は司法書士が息子の結婚相手の身元を調査するために、相手の戸籍を不正に入手し、それが結婚差別事件に発展したというケースでした。

 この問題が発覚し、取り組みが展開されている最中、今度は2004年に兵庫県で行政書士による不正入手事件が発覚しました。この事件はより深刻で、正当な業務だけでは生活ができなかった行政書士が、興信所などの調査機関へ営業をかけて注文を取り、不正に戸籍を入手して、手数料を得ていたのです。この事件だけで全国で600件を超す不正入手が発覚しており、この実態を重視した部落解放同盟中央本部の調査によって、全国で同様の事件が相次いで起こっていることが発覚しました。

戸籍法の問題

 このような事実を踏まえ、部落解放同盟大阪府連合会前委員長の松岡参議院議員が中心となって、戸籍法の改正に向けた取り組みが進められ、2008年5月より改正戸籍法が施行されることになりました。

 今回の改正のポイントは、戸籍が原則非公開となり、本人と一定の親族、または弁護士などの八業士だけが請求できるとされている点です。また八業士が請求する場合でも本人確認と請求理由の明記が必要となり、この法律に違反した場合、従来の行政罰ではなく、刑事罰が科せられるようになったのです。

 このように規制は強化されましたが、これでも違反事例が後を絶たず、先ごろも三重県で行政書士が摘発されています。そのような実態に対して、私は戸籍制度を存続させるのであれば、謄本等が取られた際に、本人に通知される制度の導入が必要だと訴え続けています。パスポートを申請する際に、本人に通知が送られてくる制度を応用すれば良いのです。このようにしなければ、どれだけ規制が強化されても、本人が知らない所で戸籍が取られたとしても、私たち自身がそれに気づく事はありません。つまり、最も重要な個人情報が記載された戸籍に対して、個人情報保護法の基礎となる本人の同意という原則が適用されていないという事が最大の欠陥なのです。

後を絶たない悪質な差別事件<2>-新たな「地名総鑑」事件

 また、最近の差別事件でもう一つ注意しなければならないのが「部落地名総鑑」差別事件です。地名総鑑事件は既に終わったものと思われている人もいらっしゃるかもしれませんが、近年新たな地名総鑑が発見されています。

 先の兵庫県での行政書士による不正入手事件の調査の過程で、複数の興信所から3冊の地名総鑑が回収されました。このうちの1冊は、これまでに確認されている「第8番目の地名総鑑」のコピーでしたが、他の2冊はそれぞれ新種のものだったのです。また2006年9月にはフロッピーに入力された地名総鑑も回収されており、未だ多くの興信所が何らかの地名総鑑を所有していると想像されます。

 さらに2006年10月には、インターネットの掲示板に地名総鑑の内容が流されるという事件も発覚しています。ここで流された情報には、実際は部落ではない所を部落として記載しているなど、でたらめな情報も多く含まれていました。これによって実際に部落でない地域が新たに差別されるようになるような「新しい部落差別」が出てくるのではないかと心配しています。

 これ以外にも部落解放同盟員に脅迫ハガキを送付して、犯人が脅迫罪で逮捕されるという事件や、インターネットの2ちゃんねる掲示板で、目を覆いたくなるばかりの内容の差別宣伝・差別扇動などが行われているということが、昨今の差別事件の特徴といえます。

国際的な今後の課題

 今回のテーマである世界人権宣言とは国際社会の人権に対する決意表明です。これに法的拘束力を持たせたものが、国際人権規約に代表される、国際人権諸条約で、日本も様々な条約を締結しており、それらの条約委員会より部落問題に関して様々な勧告がなされています。

 まず1998年、自由権規約委員会から「同和問題に関し、委員会は、教育、所得、効果的救済制度に関し部落の人々(Buraku minority)に対する差別が続いている事実を締約国が認めていることを認識する。委員会は、締約国がこのような差別を終結させるための措置をとること」が勧告されています。そして2001年には社会権規約委員会から「締約国が現在、ウトロ地区に住む在日韓国・朝鮮の人々と協議中であるということに留意する一方、未解決の状況を考慮し、委員会は、締約国に対し、部落の人々、沖縄の人々、先住性のあるアイヌの人々を含む日本社会におけるすべての少数者集団に対する、法律上及び事実上の差別、特に雇用、住宅及び教育の分野における差別をなくすために、引き続き必要な措置をとること」が勧告されました。

 日本政府は人種差別撤廃条約の第一条に規定されている「世系」に、部落民は当てはまらないという解釈を示していましたが、2001年に人種差別撤廃委員会から「本条約第1条に定める人種差別の定義の解釈については、委員会は、締約国とは反対に、『世系(descent)』の語はそれ独自の意味を持っており、人種や種族的又は民族的出身と混同されるべきではないと考えている。したがって、委員会は、締約国に対し、部落民を含む全ての集団について、差別から保護されること、本条約第5条に定める市民的、政治的、経済的、社会的及び文化的権利が、完全に享受されることを確保するよう勧告」され、「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律及び同法律が2002年に終了した後に、部落民に対する差別を撤廃する為に考えられている戦略、その影響に関する更なる情報を提供するよう求める」とも言われているのです。

 今後、日本政府はこれらに対して政府としての正式な回答を示していくことになります。私たちも世界人権宣言と部落問題という視点から、注目していきたいと思います。

国内における今後の課題

 今後、何より求められなければならないのが、1993年以降行われていない、国レベルでの部落差別の実態調査の実施です。概況調査、生活実態調査、意識調査を行い、差別の実態を明らかにすることが早急に求められます。

 そしてその結果も踏まえて、<1>人を死にも追いやる犯罪的な行為として、差別を法的に禁止、<2>人権委員会や人権侵害救済法を中心とした人権侵害被害者の効果的救済、<3>一般施策では対応しきれない劣悪な実態の「特別措置」による改善(ただし特別措置は実態が改善すれば廃止し、普遍性のある施策については一般化が必要)、<4>差別観念は自然になくなることはないという視点に立った教育・啓発による差別観念の払拭、<5>隔離や排除あるいは同化ではなく「人権のまちづくり」を中心とした、違いを認め、共生する社会の創造、<6>戸籍制度に代表される、差別撤廃や人権確立を妨げている法制度の改革を、今後の課題として進めていかなければならないでしょう。

おわりに

 同和対策審議会答申が示すと通り、部落問題の解決は国の責務であると同時に、国民的な課題でもあります。そして同時に国際人権諸条約が求めているように、その解決は国際的課題でもあるのです。

 この点を確認した上で世界人権宣言60周年にあたる今年、改めて世界人権宣言の基本精神に立ち返り、その実現に向けた取り組みを強めていきたいと思います。

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