講座・講演録

部落問題・人権問題にかかわる講座情報、講演録を各カテゴリー毎にまとめました。

Home講座・講演録>本文
2008.10.10
講座・講演録
部落解放・人権入門2008(部落解放 増刊号 2008・592号)
第38回部落解放・人権夏期講座 より

インターネットと人権
デジタル・ネットワーク時代の企業活動


山田健太(専修大学文学部准教授)


1 企業にとっての人権問題

 今日は、企業にとってのネット社会における身の処し方ということでお話をさせていただくわけですが、その際に重要になってくる「人権」というものを、企業がどうとらえているかをまず考えてみます。なぜなら、はやり言葉にかけていうならば、「人権力」あるいは「人権度」によって、企業が評価される時代がやってきつつあるからです。

 以前にも「企業人権」ということが言われた時代がありました。「働きながら学べます」とか「女性にやさしい会社です」とか。ただ、これは優秀な働き手を確保するためのキャッチフレーズにすぎなかったと思います。そしていまでも「人権への配慮は企業の生産効率性の敵だ」と平気で言う人がいるのが現状です。

 しかし一方で、企業の社会的責任を示すCSRレポートでは、「環境」とともに「人権」のレポートを出す会社が徐々に増えてきています。たとえ、法律遵守のカテゴリーやうわべだけの理解であっても、ないよりはましでしょう。そこで最初はまず、どのような事項が企業活動にとっての「人権」問題になりうるのかを、確認しておきたいと思います。

 企業としての人権問題として、どのような事柄を気にする必要があるか考えていく場合、1つの参考になるのがCSR人権項目ガイドラインです。例として、私が関係しているJCLU(社団法人自由人権協会)の「企業活動と人権に関するガイドライン」から柱建てといくつかの具体的な条項を紹介します(資料参照)。最初から自分の活動の宣伝で申し訳ありませんが、NGOとしても、あるいは日本における人権項目のCSRガイドラインとしても、まだまとまったものが少ないだけにお許しいただけるのではないかと思い、ここで使わせていただきます。

 これは国連「グローバルコンパクト(GC)」10原則(04年6月追加)や、OECDが作成した「多国籍企業ガイドライン」改訂版(00年1月)、あるいは国連の人権促進保護小委員会が示した「経済的・社会的・文化的権利人権に関する多国籍企業および他の企業の責任に関する規範案」とその注釈(03年8月)を参考にして作成したものですが、そのほかの一般的な国際条約やILO関連の基本方針などに則って、企業のあるべき行動規範を求めているものであります。

 みていただいてわかるように、このガイドラインの珍しいもののひとつは腐敗防止の項目です。国連が定めるグローバルスタンダード(GC)の4領域の1つはまさに「腐敗防止」ですが、このガイドラインでは、政治家への利益提供・便宜提供の禁止、粉飾決算の防止のためのシステムづくりを求めており、企業が具体的に人権を考えるということは、これまでの社会慣習そのものを見直す時代になってきているというのが、おわかりいただけるのではないかと思います。

 そしてまた、項目の広がりをみていただくと、いまありとあらゆる領域で、企業の行動が試されていることもわかっていただけるはずです。今日のお話の中心テーマである情報分野は、その1つに過ぎないわけではありますが、その根底に流れる課題や解決の方向性は、多くの問題に共通します。

資料JCLU((社)自由人権協会)企業活動と人権に関するガイドライン(抜粋)

一般原則
  1. 国際的に確立された人権の尊重
     社内において人権問題を総合的に担当するセクションを設け、専従の担当者を任命し、その担当者には社内におけるあらゆる資料へのアクセスを保障し、経営者に対し人権問題に関して勧告する権限を付与すること(1-2)
  2. 人権侵害に加担しないこと
     戦争犯罪、人道に対する罪、大量殺戮、拷問などの人権・人道法違反行為を行わず、それらに加担せず、それらからの利益を享受しないこと(2-1)
     海外進出、取引先や下請などの選定にあたり、市民的自由、人種差別、両性の平等、児童労働などの人権問題の有無を考慮すること(2-2)

労働

  1. 雇用機会均等と差別の撤廃
     日本国内において、採用にあたり本籍地を示すよう求めること、地名総鑑を購入するなど、部落差別につながる行為を行わないこと。自らの事業活動の及ぶ範囲内において差別が撤廃されるよう努めること(3-3)
     日本国内において、在日韓国・朝鮮人など特別永住権を有する旧植民地出身者とその子孫について、新規採用を含む雇用全般において日本国籍を有する者と完全に平等な取扱を行うこと(3-5)
  2. 組合結成の自由と団体交渉権の保障
  3. 強制労働の排除
  4. 児童労働の排除
  5. 労働環境
     労働者の有給休暇を完全消化させること。そのため、各年度の始めに全ての労働者における有給休暇の計画を立て、完全消化を可能にする人員配置などの体制を実施すること(7-6)

先住民族

  1. 先住民族

腐敗防止

  1. 賄賂の禁止
  2. 政治献金のあり方
     企業としての政治献金(政党・政治家に対するあらゆる金銭的・物的・人的支援を含む。以下同じ)は、次の方法によるもの以外は廃止すること。
     直近の国政選挙における得票率にしたがって各政党に献金を配分する方法
    (10-l)
     上記の方法以外の政治献金を行っている場合は、その献金先、金額・内容および献金先を選択した理由を毎年公表すること(10-2)

消費者保護と公正な取引

  1. 消費者保護
  2. 個人情報保護
  3. 公正な取引
  4. 法令遵守、企業倫理

社会貢献

  1. 被害者支援

ジェンダー

  1. 職場における性差別の解消
  2. セクシャル・ハラスメントの防止
  3. 積極的差別是正措置
     在籍社員の男女割合に偏りがある場合には、新規採用時の一定割合を少ない割合の側の性にするか、または成績が同じ場合には少ない割合の側の性を優先するよう努めること(18-2)
  4. 育児・家庭責任への配慮
  5. その他
     性差別を助長し、または女性を性の対象として強調する広告・宣伝をしないこと(20-4)

2 デジタル・ネットワーク化の特性

 いうまでもなく、インターネットはもうすでに、ビジネスに必要不可欠な存在です。これからお話しするとは、情報のデジタル化・ネットワーク化の環境の中で、どのように人権政策を進めていくかということです。最初に、改めてインターネットの特徴を俯瞰(ふかん)し、どのような法制あるいは倫理があるのかをみていきます。必要最小限の知識や感覚をもって対応していくことで、人権感覚を持って企業責任が果たせるということになると思うからです。

 はじめに情報のデジタル化・ネットワーク化の特性です。デジタル化の大きな特性は、複製、蓄積、検索がきわめて簡単にできることです。それによって膨大な個人データの収集・加工・利用や一元集中管理が、いま進んでいます。人や組織には、一カ所に集めたがる、あるいは、集まったものを使いたくなるという習性があります。これはデジタル化のメディア特性を考える場合に注意をしておくべき点です。

 そのような状況で、データの無断利用や剽窃(ひょうせつ)、無断の引用や変更が進んできています。しかもそれが、故意だけではなく、過失、あるいは無意識のうちに行われている。この無意識という問題は、「精神的結界の崩壊」の結果だといえるでしょう。要は、簡単にコピペ(コピー&ペースト)ができて、いま目の前で扱っている情報すら、自分のモノか他人のモノか、秘密の情報かオープン情報か、わからなくなってきて、「やっちゃいけないんだ」という意識が薄れていっているわけです。個人情報被害の深刻化はまさに、こうしたデジタル化・ネットワーク化によって生じてしまっているといえるでしょう。

 デジタル化のもう1つの大きな特色は、マルチ・メディア化です。文字や映像や音声の間を自由に行き来できるようになった。すなわち、新聞とか本、あるいはテレビ、ビデオ、パソコンとか、そういうようなメディア間の差がなくなってきた。それによって、特に企業の場合にはクロスメディアを活用した企業活動ができる状況になってきた。

 次に、ネットワーク化の特性です。ネットワークは、アクセスが簡単にでき瞬時に世界中に情報が行きわたるという特徴がありますし、国境や距離、あるいはその情報の信頼度や発信者の規模に関係なく、みんな同じレベルにみえるといった状況が進んでいます。ボーダレス性とかフラット性といわれるものです。あるいはまた、インターネットの世界での双方向性や匿名性がこのネットワーク化の大きな特色であることは、ここで改めて述べるまでもありません。

 ただしこれらは、メリット・デメリットが、利用者と被利用者の立場で大きく変わってくるわけで、企業あるいは行政が、ネット上の加害者であると同時に被害者でもありえます。なおかつその両者の立場は、常に動いている。1日1日、1分1秒の単位でそれが逆転する状況です。

 実際このようなインターネットを企業・行政は社内イントラや対外的ネットなどさまざまな形で活用しています。そうした中で使い手であるユーザーの意識や行動にもずいぶん変化が出てきています。これは最近一般的に言われている話でありますが、世代によって使うメディアが異なっています。いま、私が大学で教えている世代は「ケータイ世代」のはしりです。ちなみに、ケータイ世代の中心はおそらく、モバゲイやケータイ小説に夢中になっている15歳前後の中高生だと思います。

 彼らは決まった場所とか決まった時間に拘束されるということを極端に嫌がる傾向があります。また、匿名社会を善しとして、たとえば大学のゼミですら自分の住所は教えない、卒業すれば線を切るという社会ができあがってきています。だからこそ逆に、ネット上でミクシイなどのソーシャルネットワーク(SNS)をつくることを好む世代ともいえるでしょう。それはもっと進むと、セカンドライフのようなバーチャル空間における別人格の自分の生活にハマる生活になるかもしれませんが、いずれにせよリアル社会ではなくバーチャル世界ではじめて自分をさらけ出すことができる時代が近づいているということを、頭の片隅において日常のお仕事をされる必要があると思います。

3 インターネットをめぐる法と倫理

 そのようなネットの特性や受け手の意識変化の中で、いま、どのような法制度がつくられようとしているのか、特に行政がネット社会をどう規律するのか、あるいはしているのかを次にお話しします。これは大きく分けると、コンテンツとアクセスの両面から考えることができます。

 コンテンツ(内容)については、誰もが気持ちよく利用できる環境づくりが、非常に大きな柱です。そこで行き過ぎた表現の排除、万が一そういうことが起きた場合には、なるべく早くしかも被害者の負担が少ない形で救済するという制度をつくることが、この最近の行政、立法の流れであり、目標でもあります。

 一方、アクセスに関しては、ネットワークインフラ(社会基盤)をどう整備するかということです。もちろんこれは安定的な通信環境や、電子決済に代表されるような、安全なビジネスモデルのインフラをつくっていくということです。

<1>憲法原則とコンテンツ・アクセス規制

 これは両方合わせると「安心・安全環境の整備」ということがいえると思います。この「安心・安全」を確保しようと思うと、違法なコンテンツ、あるいは違法なアクセスを取り締まるだけでは不十分です。そこで、違法の少し外側、有害なコンテンツ(有害情報)や、あるいは不正なアクセスまで含めて規制をしようというのが、この3-4年の大きな流れです。すなわちグレーゾーンを規制するということです。

 そうなってくると非常に難しいのが「表現の自由」との調整です。すなわち、子どもにとって悪影響を与えるといわれる猥褒(わいせつ)あるいは暴力表現をほうっておいてよいのか、名誉やプライバシー、あるいは著作権といった人格権を侵害された被害者の救済と、表現の自由の確保をどうバランスをとっていくのか。大変に悩ましい問題が、ネットを舞台に起きています。

 これまで日本は、ある種の性善説に立って、表現の自由を厚く、あえていえば絶対的に保障する国でした。悪しき表現は自然淘汰<とうた>されるのだから、むしろだからこそ表現の内容については原則自由を貫こうという考え方といえます。

 そして、新聞とか雑誌といった活字メディアについては、一切の規制なしがルールであるという原則をもっていました。すなわち、表現内容も事業も規制しないということです。これに対して放送メディアは、どちらも一定の規制を認めるというものでした。事業は放送免許という形で規制をかけ、内容については放送法(や電波法)を通じて総務省が目を光らせるという構図です。

 もう一方の、通信メディアについては、事業を行うにあたっては緩やかな規制がありますが、表現については原則自由、というよりもむしろ、「通信の秘密」が憲法でも規定されていて、第三者の表現内容介入を認めないという非常に強い保障を持っていた法体系でした。

 通信メディアというのはもともと、郵便や電話という一対一のパーソナルコミュニケーションを前提にしたものでした。そこに、インターネットという不特定多数を対象にするコミュニケーション形態が生まれて、いま、若干混乱をしているわけです。インターネットの通信の秘密を字句どおり解釈すると、どうしても矛盾を抱え込むということが起きるわけです。

 そして、この「安心・安全環境の整備」というインターネット上の目標というのは、偶然にも現実社会の安心・安全志向とも合致して、その傾向が強まっているのです。安心・安全のための制度づくりが、リアル社会(現実社会)でもネット社会(バーチャル社会)でも進んでいる、ということです。

<2>プロバイダーによる被害者救済とページ削除

 ネット上の違法情報排除の新ルールとして、ポイントは3つあります。1つには、いままでは何か問題があった場合には、表現者を処罰する、注意をするというのがルールでした。本や出版物に問題があれば、その著者や出版社が問題にされ、書店や印刷会社が注意や罰を受けるということはありませんでした。それに対して、通信の場合には、情報の媒介者であるプロバイダー(インターネット接続業者やサイトの主宰者)の手助けで被害者を救済しましょう、というものです。

 具体的には、情報の流通過程の担い手である中間的なプロバイダーの判断によって「送信を防止する」ことをできるようにしました。問題のページを削除したり、あるいは閉鎖したりするという措置が取れるようにする、というものです。同時にもう1つ、被害者が表現者を訴えたい、あるいは直接交渉をしたいといった場合に、憲法原則である通信の秘密の例外として、プロバイダーが発信元情報(書き込みをした表現者が誰であるか)を被害者に教える制度を作ったことが挙げられます。つまり、発信者情報を開示することによって、被害者が名誉毀損やプライバシー侵害で訴訟を起こせるということです。

 しかし一方で、発信者側からすると、開設していたウェブサイトの中に差別表現があった、あるいは著作権違反があったという理由で、該当ページを含むサイトすべてがある日突然、一方的に削除・閉鎖される事態も発生しています。しかも、いったん削除された情報は、完全に世の中から消えてしまって、あとで復活できない実態も報告されています。

 いま、プロバイダーが「一方的に」と言いましたが、法律上は一方的にはできません。その表現者に通知をして、一定期間返事が返ってこないと削除してもいいという約款(やっかん)になっているので、その契約どおり削除をしたという体裁をとります。つまり、国の法律や行政と、民間の自主規制の二人三脚によって、結果として非常に幅広い表現規制が実行される仕組みになっているということです。

 一番おおもとのプロバイダー責任法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制度及び発信者情報の開示に関する法律)と呼ばれる法律と、そのもとでの行政指導あるいは行政ガイドラインによって、「通信の秘密」の例外として情報流通の中間的な人が内容をチェックすることができるようになりました。そして、本来はこの新しいルールの対象は「違法」な情報ではあるものの、実際には世間の「期待」に応えるかたちで、「不当・有害」な情報も含めグレーゾーン規制に活用されているということになります。

 具体的には、総務省の判断基準(2006年夏に出された違法有害情報への対応に関する研究会の報告書)に基づき、プロバイダーの事業者団体が「インターネット上の違法な情報への対応に関するガイドライン」(2006・11・27)をつくり、そうしたグレーゾーン情報についてどう対応するかを決めています。

4 公権力はほどほどに

<1>2010年をゴールに―日本政府の目標

 おおよそこのような法体系が21世紀に入って徐々に整備されてきて、仮のゴールを2010年として動いています。u-Japan策もその1つで、「世界最先端のICT(Information and Communication Technology)国家にする」という日本国政府の大目標があって、もともとはe-Japanいわれていたものです。2000年以降内閣が政府方針として電子政府を五年以内につくるということでやってきています。ブロードバンドの問題などさまざまな問題がありましたが、e-Japan戦略が徐々に進んで、さらにIT新改草戦略という形で第3段階に入ってきています。

 IT戦略とかe-Japanという日本政府、内閣の大戦略に合わせる形で、総務省が打ち出しているのがu-Japan政策で、2010年までにユビキタスネット社会を実現するというものです。具体的には、ブロードバンド整備、あるいは行政分職化、利用環境の整備をするというものです。

 ここで人権に関係するのは「安心・安全21戦略」で、2004年の最終報告書に、ユビキタスネット社会の「影」が10分野100課題として出てきます。つまり、デメリットがあるんだ、これを解決しなければならない、と。この10の「影」の課題には、プライバシー保護、セキュリティ、電子商取引、違法有害コンテンツ、知的財産権、社会規範定着、リテラシーの浸透、ディバイドの克服、地球環境の配慮、サイバー対応整備、ということが書かれています。また「ユビキタスネット社会憲章」が制定されました。この憲章においても、プライバシー、情報倫理という項目を置いて、安心・安全のためのコンテンツ規制、人権配慮ということを具体的な戦略として謳(うた)っています。

<2>放送・通信融合時代の情報通信法

 e-Japanそしてu-Japan政策という大きな流れと同時に、いままたもう1つ、2010年のICT国家社会の完成点をめざして、情報通信法スキーム(法律枠組み)が発表されました(2007年12月6日公表の総務省「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」最終報告書を参照ください)。この「情報通信法」というのは、放送通信融合時代の総合的な法体系をつくるというものです。

 いままでのメディア法体系は、活字、放送、通信のメディア別に法律をつくっていました。しかし、日本では新聞社が紙の新聞も出せば、ネット上でも情報を流します。同じことは放送局にも言えます。その時代にメディア別に法体系をもっていては、とても不便がある、あるいは、事業も拡大できないということもあって、この通信放送の法体系を全面的に抜本的に変更するということです。

 この情報通信法の一番大きなポイントは、「レイヤー区分」という方法によって、通信法体系をつくることです。現行法体系では通信と放送は別です。というより、無線なのか有線なのか、テレビなのかネットなのか、それぞれの情報がのっかっているメデイアごとに異なった法律で規律しています。

 それに対して「情報通信法」では、コンテンツ、そして伝送インフラという、2つに分けて考える。それによって世界最先端の通信法制体系をつくるというわけです。これはコンテンツ分野で国際競争力が発揮できる業界に転換しようということですし、同時に表現内容については共通ルールを実施して、それによって「安心・安全」環境を確保しようという話になっています。

 この法体系ができることによって、これまでのメディアや表現をめぐる基本的な考え方が変更されることがいくつかあります。その1つには、表現の自由の担い手であるマスメディアは原則自由ではなく、その性格上何らかの規制を受けるものがあるという「部分規制」の考え方を中心に据えることになりました。

 それから、「放送」という概念はなくし、社会的影響力があるメディアとないメディアといった分け方に変更することが2つめです。これにも多少関係しますが3つめは、ハード(情報を送る装置)とソフト(情報の中身・内容)を分離するということになります。

 これらの変更は今後、さまざまな人権政策を考えていくうえでも、わりあい大きなポイントになるでしょう。たとえばテレビ局は、自分が作った番組を全国に責任もってきちんと放送するという社会的責任を負っており、それがために市民からの厳しい批判も受けてきたのですが、今後はそうした情報の流れ方や流し方が変わってくるということになり、また地方の放送局の位置づけも変わってくるでしょう。

 それからもう1つ大きな特徴は、メディアの違いによらず全体を通しての「共通ルール」を決めて、人権侵害や差別言動などについては、法的規制をしようという考え方が示されています。いままで、こうした包括的な表現規制法がなかったわけですから、とても大きな転換であり、差別表現をなくしていく面にはメリットがあると思われる一方、マイノリティ表現が規制される可能性が高まるといったデメリットも想定され、今後、慎重な議論が求められます。

 ほかに、いままではさまざまな省庁によってメディアや通信は管轄されていましたが、それを全部、総務省によって包括的に面倒を見ようとする、権益拡張の狙いがあるのではないか、との穿(うが)った見方もでています。

<3>情報通信法やu-Japan政策の落とし穴

 このような情報通信法体系やu-Japan政策にどのような落とし穴があるかということについてお話をしていきたいと思います。

 大きな問題は、法律依存、あるいは行政依存の問題です。もちろん法律や行政依存にしたほうがいい分野もあるでしょう。私はそれを否定しませんが、人権政策についていうならば、安易に法律や行政に依存する体質というのは、社会の自立、その社会の回復力、あるいは推進力自体を弱くしていくだろうと思います。民間の自立性と判断力を弱体化させる可能性があるということです。

 それはたとえば、現在の放送業界をみてもその兆候はある。放送業界はこの40年間、法律規制がそれほど強くないにしろ、行政依存によって、いわゆる総務省(旧郵政省)の管轄下で放送を行ってきたわけですが、だんだん自主性が弱まってきているように思えて仕方ありません。だれかに依存すれば目先の解決はするけども、抜本的な解決に結びつかずに、また同じような間違いが再発する可能性が消えません。

 すなわち、法依存や行政依存では、きょう一番最初にお話しした「人権度」が担保されない、「人権力」がつかない、と思うのです。しかも、民間で自律的に人権政策を行っていくほうが「法経済学的にコスト的に見合うものがいっぱいあるはずです。人権コストとして検討する価値もあるはずなのです。

 こうした面からみた場合、この通信放送行政の人権政策が、最先端とか最強とかいうことについては、ちょっと問題があるのではないかと思います。もちろん、事業が最高、最新、ナンバーワンをめざすというのは当たり前だと思います。けれども役所や行政官が、人権問題たとえば表現の自由の問題について、最先端、最強といった時には、ちょっと危ない。むしろ、公権力の人権政策については、「ほどほど」がいいと思います。ほどほどの公権力・法制度の枠組みの中で、いかに民間がそれぞれ自分たちの力で「人権力」をつけていくのか、そのための仕組みをつくっていくことが求められているんだと思います。

 今日の直接のテーマではありませんが、国や地方のレベルでさまざまな形の国内人権委員会構想があります。これなども、さっき言った「ほどほどの政策」として取り得る選択肢だと思うのです。法規制とかあるいはどこかの省庁が直裁(ちょくさい)的に行政指導をしていくというような最強の法システム、行政システムでなくて、ほどほどのシステムとしてNGOなどの力を借りながら運営していくシステムを考えたほうがいい。ですから人権委員会の例でいえば、ほどほどのためには法務省の下で行うのは良くないし、強い強制力をもつことも反対です。社会全体の人権力を伸ばすかたちで運営されなければならないと思います。

<4>業界の自主規制機関

 同じことは、インターネットの世界でもいえると思います。いま、主には4つの関連事業者団体がありますが、これは業界団体としての働きはしていますが、権利救済の団体ではありませんし、行政と一線を画して自由や権利を守る、というふうにはなっていない。表現の担い手として、社会的責任を果たすためのコストを各企業が負うこと、業界としての当事者意識がなくてはならないと思います。

 さらには、先ほどの情報通信法がもしできれば、これまでの通信・放送・活字という3つの縦割りの法体系を変えてしまうということが想定されていますから、コンテンツ全般を通した自主自律の活動組織が必要な時代が来るかもしれません。

 つい先日も、大手出版社から刊行された本が法務省から勧告を受けました。同時に裁判所からも抗議を受けています(その後、関連して情報を漏らした罪で作家や出版社が強制捜査を受けたり、漏らしたとされる医者が逮捕される事態に発展しています)。作家や出版社は国から、再版の禁止を事実上言い渡され、被害者に対して謝罪を求められたわけです。もちろんこの法務省の勧告に強制力はありません。ですから、謝罪や再版禁止の勧告を無視してもかまわないわけです。しかし、国がその出版物は誤りであるというお触れを出すと、本屋や図書館などにも影響が出て、情報の流れが止まることは過去の例でもみられました。

 いうまでもなく、国の力というのは強大です。そして1回そういうことが起きてしまうと、同じ表現行為ができなくなってしまう。あるいは、ある書店が販売をやめればどんどん広がる、悪いほうへ悪いほうへ広がっていくという状況がある。そういう状況を考えた場合に、国任せではなく、業界の中での自主的な取り組みが大事になるということです。そうしないと、どんどん息苦しい世の中になっていき、なにか「問題だ」と思うようなことがあっても、会社の中でも日常の生活の中でも声を出しづらくなると思います。そうすると問題は隠蔽(いんぺい)され、結局、そのツケは僕たち自身、あるいは企業そのものに降りかかってくることになると思います。

5 「人権」を企業活動の判断基準にする

 最近、企業・行政を見る目はすごくシビアです。批判的というよりもむしろ過激的、あるいは否定的であります。「ほとぼり冷めればそのうち……」という時代が終わっていることは明らかです。

 それは、特に学生の意識の変化の中で非常に見て取れます。現在、企業あるいは社会では年功序列や終身雇用制度が終わり、社会制度が崩壊しつつあります。学生たちは、それによる格差社会や貧困への不安に直面しています。また、貧困とか格差社会はいつでも自分の身に降りかかる可能性があることも彼らはわかっています。

 その中で、企業・行政の側が抽象的な理念で「人権を守りましょう」と言っていてもだめです。より具体的なアクションプランを示していく必要がある。一昔前の「やむをえず」とか「悪いことはしません」といった後ろ向きの人権政策をやっている限りは、彼らには見透かされてしまいます。人権啓発や「人にやさしい会社づくり」は、まだずいぶん前向きですが、その程度ではまだ彼らには不安です。本当にこれで自分たちの将来は確保されるのか、自分の社会人人生が確保されるのか、人権が守られるのか、あるいはインターネット社会で自分だけがばかをみることはないのか。

 これらに応えるためには、各企業が人権を企業活動の判断基準にする、このことをより具体的に示していく、ということが求められていると思います。そうした積極的人権政策、より前向きな人権政策の具体的なかたちとして、人権項目を1つひとつきちんと数字で、文面で、そして具体的な行動として示していくことが求められるわけです。最初に紹介したガイドラインも、その1つの例といえます。

 それはインターネット上の表現行為をどうするのかという場合にも同じです。「法律に頼ります」「法令遵守をします」というだけではなくて、もう一歩進めて、企業内で、業界の中で、具体的な組織や制度をつくっていくことを検討し実行していただきたい。それがまさに企業活動に人権意識を組み込むということになると思います。

 人権意識とは、これは企業の品位の問題だと思います。最近のことばで言うと品格でしょうか。この品位を具体的なアクションプランの中でどう実現するのか。コミュニケーションという分野でいうならば、いかにきちんと情報開示をし説明責任を果たしていくのかが、消費者、顧客、市民、そして従業員に対する「思いやり」や「正直さ」のあらわれでもあります。

 インターネット上のさまざまな情報の扱い方を企業や行政が考える場合、大きな流れは「安心・安全な環境」です。「安心・安全な環境」を最も手軽にするのは法律や行政に頼ることであります。けれどもそれでは、ほんとうに安心・安全な、そして1つの物差しとして、いまの若者に見透かされないで「よくやっているな」「きちんと僕らのこと考えてくれているな」と思ってもらえるような人権政策にはならないということを、最後にもう一度くりかえして、話をおしまいにいたします。

著書