講座・講演録

部落問題・人権問題にかかわる講座情報、講演録を各カテゴリー毎にまとめました。

Home講座・講演録>本文
2008.10.17
講座・講演録

スリランカの平和構築と人権


第一部 講演 ニマルカ・フェルナンドさん(反差別国際運動(IMADR)理事長)
第二部 パネルディスカッション       中村尚司さん(パルシック代表理事)
武者小路公秀さん(反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)理事長)
ニマルカ・フェルナンドさん(反差別国際運動(IMADR)理事長)
コーディネータ:森原秀樹(反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)事務局長)

 2008年9月8日(月)、浪速人権文化センターにおいて第17回ヒュ-マンライツセミナーを開催、約480名が参加しました。
 今回はスリランカの平和構築と人権をテーマに、内戦の歴史的経緯と現地の実状が基調講演で発題された後、パネルディスカッションで報告者3名から現状の課題と今後の展望についてそれぞれ提案がなされました。基調講演とシンポジウムの概要については以下の通りです。 (文責 事務局)
◆◇基調講演◆◇

スリランカ内戦の現状と人権状況
―現地からの報告

ニマルカ・フェルナンド(IMADR理事長)

はじめに~スリランカと日本のつながり

このテーマでセミナーを開催していただいたことに感謝いたします。

スリランカの人口は2000万人で、その大多数がシンハラ人です。その次に多い民族がタミル人で、全体の約12%を占めています。タミルの人々は植民地時代にインドから連れてこられた人たちの子孫です。皆さんはスリランカが紅茶の産地として有名なことはご存じでしょう。現在も、紅茶のプランテーションでは多くのタミル人が働いています。また、人口比率は小さいのですが、ジャングルで狩猟生活を行っている先住民族もいます。

スリランカと日本はとても強い結びつきがあります。宗教的には同じ仏教徒が多く、考え方や文化に共通するものがあります。また、日本が国連安全保障理事会に立候補したとき、スリランカは強力な支援者として立ち回りました。そして現在、日本はスリランカの最大の支援国です。このような経緯から、2002年、停戦合意の時には、日本が仲介者の席に着きました。

スリランカ内戦までの経緯

1948年、スリランカはイギリスの植民地から独立しました。その直後、スリランカの政治リーダーが集まって、国旗のデザインを話し合った時からシンハラとタミルの間で緊張が始まりました。スリランカの国旗には剣を手にしたライオンが描かれています。ライオンはシンハラのコミュニティーを象徴しています。タミル系リーダーは、この絵はシンハラ人が力を見せつけることを表しているため、反対しました。しかし、シンハラ系リーダーは『現実にシンハラが多数派であり、人数の多い民族と少ない民族の間で平等はない』と主張し、あの国旗になったのです。

以降、シンハラ人がナショナリズムを推し進める運動を展開し、それに対抗する形でタミル人も同様の運動を展開し始めました。

タミル側の一番の要求は、タミル人の権利をシンハラ人と同等に認めることでした。特に独自の言語を使う権利を重要視しました。しかし1956年、政府がシンハラ語を国の唯一の言葉としたことから武力紛争が起こりました。1970年代に入るとタミル人は警察やバスを襲撃するなど、激しい直接行動に出ます。これに対して政府は武力で応えました。国会にはタミル人議員もいましたが、タミルの要求を一切認めないことに反発して、1978年に全員議会を去りました。

武装蜂起と停戦合意

1983年、ついに武装蜂起が起き、多くのタミル人が殺されました。家や建物が焼かれ、店舗が収奪されるといった混乱の中、多くのタミル人は北部に逃げて行きました。シンハラ人による暴挙が引き金となって、この年にタミル・イーラム解放の虎(LTTE)が結成され、タミル人の自治が宣言されます。この後LTTEと政府との間での対立が20年間続き、失踪者は6万4千人になったといわれています。その多くがタミル人です。同時に1万5千~2万人のシンハラ人兵士も亡くなりました。

和平の兆しが見えた時もありました。2002年、政府とLTTEの間で停戦協定が結ばれます。その際には日本政府やIMADRや部落解放同盟が平和のイニシエイターとして努力してくれました。この時、紛争の解決には戦争ではなく、平和的交渉が必要であると確認されたのです。

平和交渉はなぜ挫折したのか

2005年、現政権が樹立したことによって、停戦協定は引き裂かれてしまいます。スリランカ現政権の背後には、アメリカのブッシュ政権も掲げている「テロとの戦い」という強いスローガンがあります。停戦決裂後の2年間の失踪者は2千5百人といわれています。政府はテロリストの容疑があれば、市民を簡単に拘束してしまい、その人の行方がいつの間にか分からなくなっています。

またこの2年間で14人のジャーナリストが殺されています。彼らはすべてタミル人です。現在のスリランカでは言論・報道の自由がまったくありません。今日の戦争状態は既に行きつくところまで行っているのです。その結果、14万人の国内避難民が発生しており、特にタミル人の住んでいた地域では、政府の妨害によって人道支援も届かなくなっています。国連のスタッフでさえこの地域には入ることが出来なくなっています。

スリランカ市民の人権を実現するために

私たちは国連に対してスリランカに調査団を派遣するよう要請しています。日本政府に対しても、スリランカ政府に対して和平のテーブルにつくよう呼びかけること、そしてスリランカ国内で何が起きているかを明らかにするよう要請することを求めています。

EUではこれまでEU企業がスリランカで受けてきた免税措置を見直そうという声が上がるなど、関心を持つ国が増えています。

スリランカは非常に厳しい状況に置かれています。皆さんにはぜひ、今申し上げた日本政府に対する要請の嘆願書に署名して、働きかけを行っていただきたいと思います。

◆◇パネルディスカッション◆◇

スリランカの平和構築と人権確立へ向けて
スリランカの内戦と日本の役割

中村尚司(パルシック代表理事)

スリランカと日本の関係

先程ニマルカさんから、日本とスリランカは仏教国としてつながりが深い、という説明がありましたが、はたして本当でしょうか。私は浄土真宗が設立した龍谷大学に籍を置いておりまして、スリランカとのつながりも結構あった方なのですが、仏教国としての交流は何もないと言って良いと思います。また、国連機関を通じた交流も、確かに日本が国連安全保障理事会の常任理事国になりたいと働き掛けを続けている間、スリランカは協力をしてくれましたが、なかなか成果を挙げていません。更に、スリランカ出身の国連事務次長が事務総長になるための応援を日本政府に要請されましたが、結局は韓国の潘基文さんが選ばれてしまいました。この点でも仏教国間の交流の成果があったとは言えないでしょう。

スリランカの最大援助国・日本

スリランカと日本の一番大きなつながりは、お金を通じた貢献に他ならないでしょう。ニマルカさんはスリランカが受ける海外援助の45%が日本からの支援だとおっしゃっていましたが、しかし実際にはもっと大きな経済援助を受けています。それは国連機関を通じた資金援助という形で行われています。例えばUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は難民支援のために様々な活動を展開していますが、この資金の大半は日本政府が出しています。またUNDP(国連開発計画)の資金もそうですし、世界銀行を通じた資金援助、アジア開発銀行を通じた資金援助も日本の拠出金が非常に大きい割合を占めています。これらを考えると日本からの援助は50%でもとても足りないのではないでしょうか。

これらの資金援助を日本国内で取り仕切っているのは、日本スリランカ協会という組織です。この協会の会長は福田康夫さんです。福田さんはスリランカに熱心な方で、15年以上、この会長職に就いておられましたが、官房長官や首相の時は空席にされておられます。首相を辞任されたので、また復帰されるでしょう。福田さんの前任の会長は野田聖子さんの祖父に当たる野田卯一さんで、こちらも自民党総裁選に何度も立候補した有力な国会議員でした。野田さん、福田さんともにスリランカとの交流に熱心に務めていらっしゃいましたが、果たして実際にスリランカの人たちとどこまで交流を深めてきたかについては少し疑問が残ります。

人的交流の必要性

大きな病院や橋梁、道路、発電所、港湾の建設など、日本とスリランカの間では莫大なお金が動いています。それと連動して、人々が交流してきたかといえば非常に心細い状況です。2002年にスリランカで停戦合意がなされた年、日本では生協運動の活動家を中心に「スリランカの象を日本に送って欲しい」という運動が展開されました。その運動が次第に大きくなり、国交樹立50周年の記念に2頭の象が日本に寄贈されることになりました。元防衛庁長官の野呂田さんを団長とする議員団がスリランカに赴き、贈呈式典に出席しています。しかし現在、この象がどこに行ったのか誰も知りません。というより、象の行方について、誰も関心を持っていないのです。これが日本とスリランカの関係についての象徴的な事件だと私は思います。

日本とスリランカの間で、なぜお金や物が大量に動くのか、納得のいく説明が未だになされていません。私の記憶ではスリランカの人口は2000万人だったはずですが、人口一人あたりの援助の受取額は日本のODAの中で恐らく際立った額になっているはずです。その半面、なぜ人間は交流を深めないのでしょうか、それが私たちの抱えている大きな課題です。

一見、スリランカにとって日本の存在は大きく見えますが、実際には積極的な役割を果たせていない理由はここにあります。事実、現スリランカ政権は日本の意向によって、内戦を話し合いの解決に進めようとしているかといえば、そのようなことはありません。お金やモノに比べ、人間の交流があまりにも弱くなってしまっている問題を皆さんに投げかけたいと思います。

紛争の解決に向けた対応を

武者小路公秀(IMADR-JC理事長)

スリランカ平和構築会議から

2007年9月にジュネーブで、IMADRやヨーロッパの人権団体、そしてニマルカさんをはじめスリランカで人権に関わる活動を現地で行っている市民活動家と世界各国で内戦の政治的解決を求めているスリランカ出身の在外タミル人の活動家が対話する、スリランカの平和構築に向けての会議が開催されました。

スリランカでは停戦が合意された時期に開かれた会議ですが、現在は宣戦布告がない戦争が再発して政府側の停戦破棄が続いている状態です。会議では、このような状況の中で民衆がどうすれば安心して暮らしていけるのかということを、開発と人権・人道の観点から取り上げました。

政府とLTTEの異なる主張

残念ながらここでまず明らかになったのは、政府もLTTEもこの戦争に勝つことを最重要としている点でした。戦争の結果発生している大量の国内避難民に対し、「その人たちの不安を少なくする形で戦闘を進めるべき」という主張がなされたのです。

更に海外のタミル人からは、「スリランカ国内で続いている国内戦争が、タミル人に対する政府のジェノサイド(大量殺戮)の問題であることをもっと重視すべき」という主張が強く出されました。確かに、彼らが、武力に勝るスリランカ政府が、武装していない民衆も含めて自分達を大量殺戮していると捉えても仕方ないでしょう。この大量殺戮を止めさせるのは日本を始め、国際社会の大きな義務です。

しかし、スリランカ政府側はこの戦争をジェノサイドでなく、米国主導の「反テロ」戦争の一環であるテロとの戦いと捉えています。政府側はテロを行うタミル人を武力で倒さなければならないと主張し、日本などのマスコミでもそういう主張が流布されています。その結果、軍事的な解決を考えた政府が停戦合意を破って、宣戦布告のない無制限な戦争になっているのです。

紛争下における援助のあり方

もう一つ明らかになった問題は、戦争状態下で日本など諸外国が人道援助を行う場合、慎重な配慮が必要であるということです。日本などの先進諸国がたとえば援助で道路を作ったりすることは決して悪い事ではありません。しかし、どの人達がそれによって利益を得るのかという問題がどうしても付いて回ります。特に政府間協定によって行われる援助は、スリランカ政府が支配している地域に手厚い形になってしまいます。するとタミル人の側には、「自分達を差別する援助だ」と映るのも当然でしょう。援助をどうすれば良いのかではなく、援助によってすべての人権が守られ、両側のすべての民衆の人間としての不安全をなくすにはどうすれば良いのかという問題が明らかになってきているのです。

これから必要な取り組み

では、私たちは何をするべきでしょうか。一つには、スリランカにいるすべての人の人権が守られるような国際協力を早急に行うことです。と同時に、将来、タミル人が自治権を獲得し、国内でシンハラ人と平和的に安心して過ごせるための信頼を醸成する必要があります。

その点から考えると、政府だけでなく企業や宗教者にも出来ることがかなりあるはずです。現在、日本企業はスリランカにあまり目を向けていないようですが、スリランカでは自動車のパーツの大部分が日本から輸入されていますし、小規模ですがスリランカからも日本に向けてエビなどの輸出が行われています。日本の生協がスリランカの生協の活動をささえることなどができます。すぐには難しいでしょうが、タミル人とシンハラ人が協力して日本企業と商売を行えるような環境つくりを進めていくことも重要でしょう。また日本の宗教者の方で、戦争を止めさせるためにスリランカ入りしている方もおられるので、そのような人々と、人権を守る仕組みづくりをしている人々とが提携する必要もあります。そして、スリランカ市民とLTTEの政治的な対話を見守りながら支援していくことで、紛争の軍事解決を阻止した政治解決に協力することが、今日の私たちに一番求められています。

◆◇質疑応答◆◇
Q:スリランカの差別、特にカースト制度の実状を教えてください。

ニマルカ:私はシンハラ人のキリスト教徒です。スリランカにおいて民族的には多数派に属していますが、宗教的にはマイノリティに属しています。同じく宗教的マイノリティであるヒンドゥー教徒もたくさんいます。ヒンドゥー教徒が多数を占めているのがタミル社会で、そこではカーストに基づく差別が存在しています。現在、戦争状況に置かれているので大きな問題にはなっていませんが、社会的な付き合いや結婚に際して、カースト差別が存在します。しかし、封建的なカースト慣行が存在するタミル社会の一部以外では、教育が功を奏したせいか、不可触制は行われていません。また、紅茶農園ではインドから来たタミルの人々がたくさん働いていて、その人たちの多くはインドのダリットコミュニティに属していた人たちといわれています。そのため、農園で働くタミルの人々の生活は貧しく、様々な形で社会的な力を奪われています。この点を変えていくことが今後重要となるでしょう。

Qスリランカにおける平和に向けた取り組みを教えてください。

ニマルカ:これまで15年以上、民族の壁を越えて女性たちが「戦争が解決ではない」と訴えてきました。政府とLTTEはずっと武力を解決策として選んできたわけですが、それによって最も大きな負担を強いられてきたのが女性です。夫や子どもを戦争に奪われ、避難民となった女性こそが、戦争が解決にならないということを誰よりも強く実感しています。そこで、女性たちは連帯して、国連に対して戦争の連鎖を止めるように行動を起こしました。しかし、砲撃が続き、民族間の対立が深まると、異なる民族の女性たちは離れた所に追いやられてしまい、お互いを疑うようになり、連帯が壊されてきています。

人権活動家として、平和を訴える者として、女性として、一人の人間として、皆さんにお伝えしたいのは、問題を解決するのは戦争ではなく、公正で、平等で、公平な環境を作ることだということです。テロリストとして捕まえて殺してしまうことは簡単です。しかしそれは殺戮の連鎖を生むだけで、集団が心に培ってきた憎悪を決してなくすことはできません。タミル人を殺しても、その心は殺せないのです。平和と人権の尊重だけが事態を解決すると私は確信しています。

Q:IMADRは政府とLTTEのどちらを支持しますか。

武者小路:IMADRはマイノリティの権利保障を大切に考えていますが、その立場から、スリランカにおいては、紛争に巻き込まれ国内難民になっているマイノリティとくに女性などの不安全を少しでもへらすことと、政府とLTTEとが軍事解決を断念して、和解のための交渉・対話の準備をすることが何よりも重要だと考えています。そこで紛争解決に向けて、次の二点を指摘します。

一つは、現在のスリランカには民族間の相互信頼がないという最大の問題です。それゆえに、一緒に生活できない状況になっています。この不信感の原因は、脅威を力で抑え込むと相手側もその力を脅威と受けとめ、脅威が脅威を生み出す悪循環から生じています。平和学で指摘されている通り、人間の安全保障を実現するためには、それぞれの立場の人びとの間に「共通の安全保障」(コモン・セキュリティ)を実現する必要があります。シンハラ人の安全を確保するためには、タミル人の安全も確保されなければなりません。またその逆も保証されなければならないのです。そのような状況を実現するためには、戦争状態にあっても、その中で人権という基準を明確にしていく事が必要です。そしてそれを実現しようとしている市民の活動を、私たちが外からどう手伝っていくのかということがこれから重要となるでしょう。

もう一つ重要な点として世界の紛争を比較研究すると、紛争というものには大きな波があることが明らかになってきています。つまり、紛争というものは上り坂でどんどん度合いを増していきますが、ある程度上り詰めてどうしようもなく行き詰ってしまい、熱は一旦下がっていくのです。この勢いが下がりつつあるとき、谷に下りたとうとしている状態にあるときに停戦を呼びかけ、仲裁する地点にたどり着けば、紛争は終結に向かうのです。残念ながら、現在は停戦してしばらく谷に落ち着きそうになっていたのに、その地点を過ぎて紛争がまた上り坂にある状態にあります。この状態では相互信頼を作る事はとても難しくなってしまっています。

従って、その紛争がどういう段階にあるかを慎重に見極め、どのような対策を取るかを考える必要があります。具体的には経済制裁などが挙げられますが、これはただの処罰でしかなく、相互信頼の構築には寄与しません。制裁よりも、むしろ経済協力の中身をどうするか、どうみんなに平等に届くかといったことが重要ではないでしょうか。つまり経済協力が軍事的にではなく、市民の生活に直接役立つものであるかどうか、届け先が本来届けられるべき所にちゃんと届いているかどうかの検証が必要なのです。

現在のスリランカにEUのような主権国家体系で問題を解決することは不可能です。しかし将来的には連邦的に、すべての民族のアイデンティティを尊重する仕組みを構想していくことも重要になってくるでしょう。確かに今すぐには無理かもしれませんが、今の段階からそういった議論を政府、企業、市民の間で進めることは可能でしょう。このように、私たちにできることはいくらでもあるのです。

Q:日本のODAは日本企業の利益に結びつくなど、問題があるのではないですか。

中村:ODAのコンサルタント業務ではだいたい日本の大手会社がそろっています。建設では鹿島、熊谷組、三井建設等、海外での建設に携わっている土木建設会社は名前を連ねています。確かにそれらが事業に参加すれば日本の利益になります。しかしそれだけが目的で援助が行われているかといえば、そうでもないでしょう。

どの分野でも継続的に人が交流できていないという問題があります。スリランカには先の建設会社やNGO、領事館、あるいは青年海外協力隊員を通じて、いろいろな人が入ってきていますが、その多くが2、3年で交替してしまうために、どうしても継続的な交流が難しくなっています。津波のときには多くの人がスリランカを訪れましたが、これもまた2、3年で引き上げてしまいます。パルシックという私たちの団体も、現在はスリランカに事務所を置いていますが、いつまで維持できるかはわかりません。それくらい日本のNGOは弱小でお金がないのです。責任者である私がこんなことは言いたくないのですが、本当に現在の資金状況では活動を続けることは難しいと言わざるをえません。

Q軍事政権に資金援助するのは問題があるのではないか。

中村:スリランカ政府は、軍事政権だといえません。国会議員は選挙で選ばれています。直接選挙で選ばれたラージャパクサ大統領も、元は人権活動家でした。ただ現政権が軍に多くの面で依存しているために今日のような結果を招いているのです。

Q私たちは何をする事ができるでしょうか。

中村:繰り返しになりますが私はやはり人の長期的な交流が必要だと思っています。その点で特に活用したいのが、タミル人社会に定着している生活協同組合運動です。現在は戦争に利用されてしまっていますが、組織的にも十分確立されています。日本の生協の人々が先の象2頭の話にだけ熱中してしまったことが残念ですが、生協運動を活用して、市民レベルでの交流を行っていければ良いと思っています。ほかにもスリランカで初めて、女性で大学の学長になった人に対して、福岡市が学術文化賞を贈りましたし、大阪の堺市が国際貢献賞をスリランカのジハン・ペレーラ氏に贈ることになりました。このような自治体も含めた市民レベルでの交流が、今後も継続的に行われることが何よりも大事なことではないでしょうか。

スリランカでは今日、多くの人が苦しい生活を強いられています。それはスリランカ国内にとどまらず、女性を中心に多くの人が海外に出稼ぎに行き、酷い仕打ちに合っています。

日本の入管当局に難民申請するタミル人は最近格段に増えているそうです。しかし日本政府は、スリランカ人に対する難民認定をたった一人として行っていないことを、最後にご報告いたします。

会場内からも、スリランカ名誉領事館のスタッフが日本とスリランカの前向きな関係構築に関する発言が行われるなど、意義深いセミナーとなりました。パネルディスカッション終了後、「スリランカにおける平和構築と人権確立を求める要望書」が満場の拍手で採択されました。

9月10日、ニマルカ・フェルナンドIMADR理事長が東京の明石康・スリランカ平和構築及び復旧・復興担当日本政府代表を訪れ、要請文を直接手渡しました。


10月6日、スリランカ北部でLTTEによるとみられる自爆攻撃があり、多くの死傷者が出たという発表がありました。改めて、混迷が続くスリランカに平和構築と人権の確立が求められます。


当日資料として配布された「IMADR-JCブックレット13 スリランカの内戦と人権」(定価1,000円+税)を販売しています。ニマルカ・フェルナンドさん、中村尚司さんを始め、スリランカの紛争解決や人権確立に取組む方々が執筆されています。お問い合わせはIMADR-JC(〒106-0032東京都港区六本木3-5-11 TEL03-3568-7709 FAX03-3586-7448 Email:imadrjc@imadr.org)まで

関連書籍