はじめに
私は2歳の時に医療事故で失明し、それ以来、全盲の視覚障害者です。自らが「障害者」という社会から排除される存在であることに気づいたときは大変ショックを受けましたが、それでも「人間らしく生きたい」という思いで様々な問題に立ち向かい、どうにか自分の障害を受け入れられるようになりました。そのような私ですが、今でも挫折することはあります。
障害者の捉え方
障害者問題を考える切り口としては、次の2つが挙げられるでしょう。1つは高齢や病気によって誰もが障害者になる、あるいは家族が障害者になりうるということです。この点は皆さんにも理解しやすいと思います。もう1つ重要な切り口として障害者という人間を、人間としてどう捉えるかという点があります。これは個人の価値観の問題であり、障害者問題を自分の問題として考えることによって、その人個人の人間としての価値を問うテーマだといえるのではないでしょうか。
昨年の厚労省の障害者白書によると、日本には710万人の障害者がいるといわれています。その内訳は身体障害者が352万人(在宅者333万人、施設入所者19万人)、知的障害者55万人(在宅者42万人、施設入所者13万人)、精神障害者303万人(在宅者268万人、入院患者35万人)となっています。しかしこれはあくまでも政府が認めた数であって、これ以外にも未認定の障害者、あるいは認定されていても制度の対象外に置かれている人も多数存在しているのが実態です。
私がここで言う障害者とは、身体的・知的・精神的特徴によって社会的な困難を抱えており、何らかの支援が必要な人です。そのような人の中には、例えば人生の途中で病気になってしまい、生活に支障が出ているにもかかわらず、症状が固定され、障害者として認定されるまでに時間を要することがあります。また病気によっては、支援が必要であっても認定されない場合や、発達障害や学習障害等で支援が必要であるにもかかわらず、制度の対象外とされている人も数多く存在しています。これらの人々をすべて含めると日本には障害を持つ人が1000万人以上となり、約10人に1人が障害者となります。これだけ多くの人が直接関わるのだから、障害者問題は一部の特別な人の問題ではないといえるのではないでしょうか。
ネガティブな障害者観
障害者の権利条約について考える前に簡単に障害者に対する考え方を整理しておきたいと思います。私は障害者に対する考え方について大きく分けて6つの観点があると考えています。
6つの内の3つがネガティブな捉え方で、まず1つ目が宗教的障害者観です。すべての宗教ではありませんが、仏教を代表とする多くの宗教が、障害者を先祖の罪の結果だと捉えていることから発生している考え方です。
2つ目は社会ダーウィニズム。これはダーウィンの進化論を人間社会に置き換えて、優れた者が生き残り、そうでない者が消えていくという考え方です。さすがに現在このような考え方をあからさまに出すことはあまりありませんが、この考え方を最大限に活用したのがナチスのヒトラーです。彼らはゲルマン民族が最も優れた民族であり、ユダヤ人や有色人種、あるいは障害者は『美しい民族の花園を荒らす害虫』として社会から排除したのです。
そして3つ目は社会適用論で、社会の役に立つ人は大事にするけれど、役に立たない者は社会から排除しようという考え方です。
ポジティブな障害者観
続いてポジティブな捉え方では、まず4つ目の発達保障理論に基づく障害者観があります。この考え方は後に大きな議論になるもので、障害者の人権は尊重されていますが、その基本は障害の元となる病気や機能障害を克服・改善することに重きを置いています。そのため、リハビリテーションや施設での訓練を重視しており、その意味でメディカルモデルとも言われています。
5つ目は1960年代からスウェーデン等で始められたノーマライゼーションの理論に基づく障害者観です。これは先のメディカルモデルに対してソーシャルモデルと呼ばれていて、どんなに重い障害があっても、地域で生きる権利があり、社会的なバリアを無くしていくことこそが問題解決の近道だという考え方です。この考え方が1980年代以降、国連の障害者政策の基本となっており、日本でも1981年の国際障害者年の辺りから注目されるようになりました。
そして最後がディスアビリティ・スタディ(障害学)です。これは新しい考え方で、これまでのように障害者を健常者と近づけるだけではなく、障害者独自の文化を認める等によって、障害者自身のアイデンティティを大切にしようとする考え方です。この考え方を積極的に研究している広瀬浩二郎さんに言わせれば『めくら蛇に怖じず』は視覚障害者の特権で、目が見えない社会で得することもあるというのです。この障害者学という考え方は当事者の中で大変注目されており、今後盛んになってくるのではないでしょうか。
障害者権利宣言採択とその後の世界の動き
障害者の人権が国連で正式に取り上げられたのは1971年の「精神薄弱者の権利宣言」からで、より全体的な課題として内容が深まったのは1975年の「障害者の権利宣言」でした。これ以前の「世界人権宣言」や「国際人権規約」では、差別を禁止する要件として、人種や皮膚の色等の様々な項目を挙げていますが、障害の有無はまだ課題とされていなかったのです。1975年の権利宣言で初めて障害者に関する定義、差別の禁止、ノーマライゼーション理念等が明確に打ち出され、これを基礎として1981年の「国際障害者年」、1983~92年の「国連障害者の10年」等が取り組まれるようになりました。ここでは障害者問題の解決を、障害と環境との関係の問題として捉えることが近道だとしています。つまり社会的なバリアの除去が必要であると明確に指摘されているのです。
その後、「国連障害者の10年」は10年間の取り組みとして、各国政府に社会的なバリア除去の具体化が求めましたが、1990年にアメリカでいわゆる「障害をもつアメリカ人法(ADA法)」が制定された以外には特筆すべき成果は見られませんでした。そのため、それぞれの地域ごとに計画の更なる延長が国連で提起され、それを受けてアジア・太平洋のエリアでの1993年から2002年までの取り組みの延長が確認されました。
更に同じ1993年、ウィーンの「世界人権会議」で行動計画に更なる拘束力を与えるための障害者施策の論議が行われ、それを受けて第48回国連総会で「障害者の機会平等化に関する基準規則」が採択されています。これによって、障害者の社会参加の促進と、そのためのバリアの除去をめざす施策の充実の必要性を各国政府に促したのですが、やはりこれにも法的拘束力がなかったために具体的な成果は残せなかったのです。
障害者権利条約の制定と日本政府の対応
一方、民間団体の動きとしては障害を持つ当事者組織である「障害者インターナショナル(DPI)」が1998年にメキシコで世界総会を開催し、そこで「障害者の権利条約」の制定を求める強い意見を出しました。この経過を経て、メキシコ大統領は2001年国連総会において正式に条約制定と、そのための作業部会の設置を提案し、採択に至ります。その結果、2002年から8回に渡って国連のアドホック委員会が開催され、各国政府のみならず、当事者団体のメンバーも含めた活発な議論が繰り返されました。様々な修正と変更が加えられた後、ようやく2007年の条約採択にこぎつけます。因みに、アドホック委員会が設置された2002年に、札幌でDPIの世界総会が開催されています。実は日本政府はそれまで政府が認めた3つの団体以外には援助していなかったのですが、この総会の成功を機にDPI日本会議も援助を受けることができるようになり、国連のアドホック委員会にメンバーを送れるようになりました。
このようにして制定された「障害者権利条約」には日本政府も署名していますが、残念ながら批准には至っていません。それどころか条約の内容と国内法との整合性を確認する作業も障害者雇用促進法以外ではまったく行われていないのです。
障害者権利条約の内容
障害者権利条約は、1~8条が総論に当たります。ここでは条約の目的や定義づけが行われているのですが、特に差別の定義について、障害を理由に直接的に行う直接差別と、過去や未来の障害等を理由に行う間接差別以外にも、合理的配慮義務を怠ることも差別として定義していることが非常に注目されます。合理的配慮とは英語でreasonable accommodationと言いますが、これは例えば企業が経営する店の入り口に特に合理的な理由もなく、スロープを付けない等、企業側にとって実現可能で、障害者がアクセスする際に一般的に必要と考え得る配慮であって、その配慮義務を怠ることも障害者差別であると定義しています。
9から30条は各論となっています。中でも特に重要なのは9条の「設備や情報へのアクセス権」、13条「司法へのアクセス権」。また19条では「障害のある人が他の者との平等を基礎として、居住地及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること、並びに特定の生活様式で生活するよう義務付けられない」として、ノーマライゼーションに基づく、地域で暮らす権利が規定されています。
更に24条では「インクルーシブ教育」の確立が強調されています。日本では未だに文科省が分離教育を主張していますが、条約では「障害のある人が障害を理由として一般教育制度から排除されないこと、及び障害のある子どもが障害を理由として無償のかつ義務的な初等教育又は中等教育から排除されないこと」、「障害のある人が他の者との平等を基礎として、その生活地域社会においてインクルーシブで質の高い無償の初等教育及び中等教育にアクセスすることができること」と明記されています。 そして27条の労働及び雇用については、民間部門における障害のある人の雇用を促進し、それらの政策及び措置には積極的差別是正措置等を含め、職場において障害のある人に対する合理的配慮を確保することが求められているのです。
日本における条約履行の実態
以上のように評価できる点が多い条約でありますが、現在の日本の実態と比較するとどうでしょうか。例えば労働の分野では710万人いる障害者の中で働いている障害者は80万人。その内訳は5人以上の企業や行政組織で働く人は52万人(身体36万、知的11万、精神5万)、自営で働く人が10万人、臨時で働く人が5万人。残りの13万人が福祉的就労といわれる授産所や作業所での仕事で、その大半が給料1万円以下となっています。厚労省は150万人の障害者が就労可能だとしていますが、実態はその半分で、年金と給料を合わせても食べていける人は30万人位だといわれています。日本には障害者雇用促進法という法律もありますが、法定雇用率を満たしている企業は1.5%程度で、大企業でも6割以上がこれを満たしていないのです。
この実態の原因は企業が故意に障害者を採用しないだけでなく、人事の人が障害者に出会えてないという側面もあるのではないでしょうか。また働くための技術だけでなく、人間関係や生活レベルでの支援を行って、障害者が働きながら生活していけるような支援を行うジョブ・コーチやジョブ・サポーター制度(大阪府)等がありますが、まだその数や支援者のスキルも十分ではなく、障害者の就労定着支援の実現にはまだ至っていません。
これからの課題
条約が求める労働・雇用を実現するためには、企業の意識を高めるだけではなく、支援体制の充実や合理的配慮の確保を積極的に進めて行かなければなりません。これ以外にも教育や住宅問題、福祉の街づくりに根ざした交通機関の整備、誰もが安心して利用できる医療機関等、様々な分野において障害者権利条約の観点からの見直しを行っていかなければなりません。
こうした国内法整備の取り組みを全国各地から巻き起こし、「障害者権利条約」の完全批准を実現させることが私たちに早急に求められている課題なのです。
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