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2009.02.19
講座・講演録
部落解放・人権入門2008(部落解放 増刊号 2008・592号)
第38回部落解放・人権夏期講座 より

全体講演2-3

非正規雇用とジェンダー

中野麻美(弁護士)


1 不安定雇用の増加と貧富の格差の拡大

 私に与えられましたテーマは「非正畢雇用とジェンダー」です。「格差」がここ数年の日本社会の大きな課題になってきています。OECD(経済協力開発棟構)2006年の報告書では、日本の中で貧困率が非常に高まっていると指摘され、このまま貧困化が進むと経済改革の大きな支障になるから格差を緩和するための社会政策を打つ必要があると問題提起をし、その格差の要因である労働市場における非正規雇用の拡大にふれています。日本の非正畢雇用は国際的に見れば、不安定低賃金雇用としての性質も著しく、法的な保護水準はきわめて劣悪です。したがって、この非正規雇用にしかるべき法的保護を拡大することによって、両者の格差を解消するという均等待遇政策が求められるわけですが、これが一筋縄ではいかない問題になっています。日本の政策では、労働分野においては規制を強化することより、規制を媛和して競争原理を持ち込むことが最優先課題とされており、むしろ非正現雇用の保護より、正規雇用の法的保護・既得権を緩和することによって格差を解消することのほうが重要視されているようです。

ニュージーランドの経験

 ここ10年ほどの日本は、競争政策が拡大強化されてきています。兢争を抑制する労働法や社会保障の分野では規制を緩和し、兢争を促進するための規制である独占禁止法など商取引分野においては規制を強化するという政策が進軋られてきました。

 そうした日本の規制改革が1つのお手本としたのがニュージーランドです。この国では、規制緩和や民営化がどんどんどんどん進められ、人びとの生活に深刻影響を及ぼしてきました。それを目のあたりにしたニュージーランドの国民は、規制緩和を進めるだけの政権では地域社会や人びとの生活は破壊されてしまうということで、1999年、新しい政治的な選択をし、もう一度働き手の政党である労働党・連合党に政治の舵取りを任せ、規制緩和政策に終止符を打ちました。

 規制緩和政策をどんどん推し進めてきたニュージーランドは、競争政策によって人びとの間に差別と人権侵害による矛盾が大きぐなるという恐れから、あらゆる生活の分野におけるあらゆる差別の禁止と撤廃、プライバシーの保護を徹底する法律(人権法とプライバシー法)を制定しています。規制緩和政策は貧困と差別を拡大し続け、社会における矛盾を激化させていくという性質をもちます。したがってニュージーランド社会は、大乱模な民営化と規制緩和政策を講じるにあたって、一方では、差別を排除するような仕組みを法制度として強化するという道を選択をしているわけです。人びとが差別をされて、低い労働条件の下におかれてしまうことがないよう、年齢や障害、性別、性的志向、人種、国籍、信条などあらゆる差別を禁止する法律を誕生させたわけです。

非正規雇用に対してもっと法的保護を

 一方、日本はあらゆる差別を禁止する立法などありません。せいぜい性による差別の禁止が、今度の2006年の男女雇用機会均等法改正によって実現しましたが、年齢差別はどうでしょうか、障害による差別はどうでしょうか。あるいは、家庭内でその労働者が占める位置によって差別をするということはどうでしょうか。家族手当などの差別が放置されて、男女間の格差を拡大するのに大きな役割をはたしてきました。ましてや非正規雇用、正規雇用を理由とした格差を、差別として是正していくという法制度には、ほど遠い。

今年(2007年)、自民党はパート法「改正」を国会に上程して法律案を通しました。だけれども蓋を開けてみたら、正社員と同じ位置づけのパートに対する差別の禁止ということにとどまっていました。正社員と位置づけが同じパートなんているのでしょうか。こういう状態ですから、日本の非正規雇用に対する法的な保護というのは、何もないというに等しいわけです。

 西欧諸国では、「雇用期間の定め」を置いた雇用、細切れの臨時雇用を採用するには、言葉の本来的な意味での臨時的・一時的な活用に限られ、それが合理的な理由であることを説明しなければなりません。ニュージーランドが新しく制定した雇用関係法では、そうした労働者保護がきめ細かに定められています。これに対して日本では、貸金を低く抑制するために、いつでも労働条件を不利益に変更したり雇用を奪ったりなどのリストラを目的として「雇用期間の定め」を置くことを禁止していません。この間共通の認識になってきた貧富の格差に挑んでいこうとするとき、非正規雇用に対してもっと法的保護を、これが最大の問題だと実感させられてきています。

 格差という言葉は、あくまで中立的なニュアンスが強い言葉です。最近、政府は、貧困という言葉の中にある差別というニュアンスに配慮して、貧困という言葉を使わないようにしているということを聞いたことがありますが、本末転倒です。貧困は差別から生み出されます。ですから貧困と差別という言葉を使ってこの格差問題に真正面から向き合っていくことが政策を策定する本来の姿ではないかと思います。格差という言葉の中に隠蔽(いんぺい)されてしまった貧困と差別。その実態を詳(つまび)らかにして、そしてそれを解消していくということが、政策として必要になっているのではないかと思うわけです。

 格差といえば、日本の社会は、大きな男女間賃金格差にもう長い間向き合わされてきました。常用労働者で、男性を100として女性は六五・九ポイントにしかすぎません。常用のパートも含めて男女間の格差をみると、2006年には、男性を100として50.1ポイントです。社会総体の男女間の賃金格差は拡大し続けてきています。そして、150万円以下の所得で働く女性が45%です。働く女性の半分もいるわけです。

常用代替

 格差の問題が、男女の格差を中心として取り組み課題が認識されてきた時代から、労働分野における規制緩和が推し進められて、この10年ほど、非正規雇用が女性の労働市場に拡大し、男性、特に若い人たちにも拡大して、社会に非常に深刻な影響を与えるようになりました。

 1997年から2001年にかけての4年間に、なんと正規雇用が170万人削減され、非正規雇用は200万人増えました。さらに2004年までの間には、正規雇用は400万人削減され、非正親雇用は600万人増えました。正規雇用が削減されていくそのポストを、低賃金で細切れで働く非正規雇用が埋めていく「常用代替」という現象です。

2 若者を襲っている非正規雇用の実態

 ここ数年、非正規雇用の人たちからの相談が増えています。20年前にはまったく考えられないことですが、電機メーカーのオール夜勤で働いて、そして寮と工場との間を行き来して生活している女性は、寮としてあてがわれた2DKのマンションに4人で住んでいました。工場が昼夜二交代なら寮も昼夜二交代です。深夜勤務者と昼間勤務者とでペアを組んで、一部屋をシェアするということです。この寮のある付近では2DKのマンションだったら1カ月あたり月額6万円で借りることができます。しかし彼女が賃金から天引きされている寮費というのは5万円でした。4人が5万円ずつ。それで業者は20万円を得ることができ、原価は高くても7万円ですから、住む場所を提供しているというだけで23万円を利得できる。そして小さな空間を共有するということは、物がなくなったときに疑心暗鬼になってお互いを責める。そして喧嘩が絶えない空間でもあります。

 彼女は大きな電機メーカーの工場で働いています。けれども、その電機メーカーに雇用されているわけではありません。請負という形でラインの労働を請け負っている人材請負業者に雇用されて働いていました。契約の途中でオール深夜に変わってくれと言われて拒否すれば、正社員であればとても考えられないような解雇をしてしまう。非正規雇用で請負の下で働いていたってそんなことは現行の法制度では許されるわけもない。にもかかわらず、イエスと言わなければ生活の基盤を全部奪われてしまうという働き方です。そういう環境が若い人たちを襲っていること自体が大きな脅威です。

スポット派遣・日雇い派遣の現実

 そして、もっと大変な事鼠が社会の中で広がっていることを思い知らされたことがニュースで大々的に報道されている旦雇い・スポット派遣です。昨日グッドウィルという派遣会社を相手に提訴しましたが、1稼動ごとに200円を貸金から天引きしていたことに根拠がないということで、返還を求める訴訟です。このスポット派遣、旦雇い派遣という世界では、労働基準法のみならず、労働者派遣法も守られていません。建築現場や港湾運送などの派遣が禁止された業務で請負を偽装して実際には派遣としてユーザーに指揮命令させて働かせる、そうした「偽装請負」が当たり前になっています。

 スポット派遣というのは、その日その日、一稼動ごとに契約を結んでいきます。毎日働いて年間400稼動を上回る稼動をしたという人もいます。1年は365日なのに400稼動を上回る契約本数を持っているというのは、午前、午後、深夜といった形で1日何本もの契約を締結して働くわけです。ここまで雇用関係が細切れ化されると、もう、労働者の究極の商品化です。

 そこで起きていることは目も当てられないような違法労働でした。港湾運送、建設現場や警備、こういうのは労遡有派遣が禁止されている業務です。仕事を前日に電話で確定して翌朝指定された時刻と場所に集合し点呼確認します。マイクロバスに乗せられて現場まで行って、現場で廃材の処理や積荷の上げ下ろしをする。こういう働き方で毎日毎日仕事についていることがどれだけ過酷なことか、自分自身の人間性を捨て切らなければ働くことができません。

 そういう労働に、労働安全衛生法とか、労働基準法に基づく労働条件の最低基準もまったく守られないまま従事させている。それがスポット派遣の現実でした。日々雇用だから何でもいいといわんばかりに、安全確認も必要な装備も与えず、石綿がもうもうと舞っている中に、タオル1本鼻と口に巻いて入っていかなければならない状況に置いてしまうわけです。しかもスニーカーで。廃材の処理ですから五寸釘が出ているものもある。それを踏んで自分の足を貫いて、そういう労災にあったのに労災の手続きもしない。

 そのうえに、貸金からいろんな名目で天引きしていくわけです。天引きの項目の例としては、グッドウィルという会社は、「データー装備費」 の名目のもとに1稼動ごとに200円を徴収していました。グッドウィルは200円でしたけれども、1稼動あたりもっと高額なものが徴収されているケースもあります。この貸金からの天引きの結果として、私たちが改善を求めて取り組みを進める以前は、1時間あたりの賃金水準が最低賃金を下回ってしまうというのもありました。

 こういう労働の中で住むところを貸すという大家さんがいるのかどうかを考えてみてください。長期にわたって継続する契約を結ぶことができません。だから将来結婚して子どもを育てるという展望も出てきません。

 若い労働者が、こういった非正畢雇用の矛盾を抱えながら、産業社会の基盤を担っているのです。企業にとってみれば効率化が図れて、国際競争力がついて、いいことなんだと考えるのかもしれません。だけれども、産業社会というのは持続可能性を追求する理性によって支えられているはずです。明日はどうなってもいいんだということでは、この産業社会を支えている人間の未来がありません。人間が将来の展望をもてるような労働でなくて、何が企業なのか、ということです。

 少子化ということで、企業は将来労働力が減少することについて戦々恐々としています。少子化の問題というのは、将来の生活に展望がもてないから、だから結婚もできなければ、子どもも産めない、そういう社会の構造を変えないと、結局のところは社会の持続可能性そのものが失われてしまうという問題なのです。

職能の形成ができるのか

 派遣とか偽装請負とかスポット雇用という実態を前にして、こういう労働の中で持続的に自分自身を生れしていけるような職能の形成というのが可能だろうか、ということも痛感させられます。職能って何なのか。精神と肉体の統合的な有機的な統合体である人間としての私、その私に身についている、他人からは目に見えない技能です。この技能には、どんなことをしても差し押さえは効かないのです。物とか金とかは差し押さえが効くのだけれど、その人の身についてきたものというのは、差し押さえをしたくても、できない。だからその人が生きていく一番大事な宝になるんです。

 働き手が、時代が大きく変化する中でも職能を獲得して生きていけるという、そういう産業社会をつくらないといけない。細切れで働く、たとえば昨日は建築現場で、きょうは倉庫、そして明日は警備、そして明後日はまた廃材の処輿というような働き方の中で、1つの技能が身につくのか。私は、こういう状況を改善することが今の日本の社会の最大の課題だと思うわけです。

3 非正規雇用とは何か

 なぜこの非正畢雇用化が拍車をかけられてここまで進んできたのか。その要因を一口でいうならば、ジェンダーの格差、つまり差別を容認している社会の構造にあると申し上げなければいけないと思うのです。

 なぜ非正規雇用は低賃金なのか。スポット的にどこにでも行って働くことができ右、そして対応することができるというのは、ある意味では高額な賃金が保証されてもしかるべきだという考え方が成り立つはずです。しかし日本の社会は、そういう場合に非常に低い賃金しか支払わない。それはなぜなのかが問題になります。

非正規雇用の3つの要素

 正規雇用としての契約上の要素は3つです。

 1つは、「短時間」の契約であるということです。

 2つ目、「期間の定め」を置いていること。通常の雇用が定年までの雇用を保障していくことに対して、1年とか、あるいは6カ月とか3カ月とか、まあ最近は究極の午前午後契約というようなことになってきているわけですが、そういう「期間の定め」を置いている雇用であるということ。

 そして3つ目の特徴は、第三者の下で働くこと。これは間接雇用とも言っていますが、労働関係の中に、派遣元と派遣先、あるいは請負業者と発注業者、この間の商取引契約がそこに介在しているという働き方。

 この3つの要素の1つ、または複数の組み合わせによって非正規雇用は成り立っているわけです。

 そして短時間という点ではパートということですが、パート的低賃金といわれるように、日本ではパートが低賃金と結びついています。パートは戦力化に戦力化を重ねてきましたが、時間単価でみても正社月との格差が拡大しつづけてきました。こうした低賃金について、企業からは、仕事と家庭あるいは仕事と生活の両立をめざす、企業との結びつきの弱い労働だといわれ、その結果としての格差は合理的だといわれます。それから、家族の生活をもっぱら支えるというのではない、家計補助的労働だと。しかも、課税最低限の範囲で調整して働くから低賃金ということになります。ですから低賃金で抑え込まれてしまうという傾向をもつ。私の友人もずっと大手のスーパーでパートとして働いてきました。この人がいつも言っていました。「私は3年単位で職場に回されてくる店長をいつも教えて1人前にして送り出していく。それなのに、教える私が店長の貸金の3分の1は悔しい」って。そしてこういう彼女が賃上げを要求すると、103万円の課税最低限で調整して働いて、年末の一時金はいらない、それ以上は働かない、賃上げなんかいらないという人がたくさんいるんだと言われて、賃金を改善させる、待遇を改善させることの壁にさせられてきたと言います。

 仕事と家庭の両立を図るから低い賃金で低い待遇でよいのだ、というのは何を意味するか。正社員には仕事と家庭の両立はないってことを意味するわけです。そのことを正社員はわかっていない。大体からして長時間にわたって働けるという孝え方そのものが、労働法で規制している労働時間規制の基本を損なっています。

人権としての「仕事と生活の調和」

 日本の労働基準法も1日8時間、一週40時間を超えて働かせてはいけないとなっています。これは労働者にどれだけ労働からの自由を確保できるかという、自由という人権を保障するためのキーワードなんです。その自由の時間を侵害するというのが時間外労働なのでありまして、侵害するのであれば割増貸金を制裁金として払わなければならないという制度にしているわけです。

 今から120年前にアメリカの労働者がゼネストを構えて、8時間労働制を要求しました。2日の8時間は収入のために、次の8時間は休息のために、そして残りの8時間は自分自身のために、と歌って街を練り歩いたのです。自分自身の時間がなければ、労働者は政治的に、あるいは文化的に、経済的に、発展することはできません。労働組合活動もできません。労働者の市民的で政治的な自由を獲得するためには、自由な時間が必要なのです。

 長時間働ける、仕事と家庭を両立させないで、それでこの高い賃金なんだということに、胸を張っていること自体が、人権がどっかに行ってしまっているということなのです。パートの低賃金を見逃してきたのは、女性碇対する差別、あるいはジェンダーという問題を見過してきたということだけではなくて、実は自分に対する差別を見逃しているということなのではないでしょうか。社会全体としてこういう問題に目をつむってきたのです。

自立できる賃金を

 こういうパートの低賃金がずっと放置されてきたわけですが、その貸金の水準は、自立してはとても生きられない低賃金であることにも問題があります。

 東京の一般的なパートの貸金は900円から1000円。だけど、たとえば離婚をして、子ども2人を育て、生計を維持しなければいけないシングルマザーたち。いま、生活保護給付というのは支給自体が水際作戦で厳しくなってきているということが社会問題になっていますが、育ち盛りの子どもたちを複数人育てている人に支給される生活保護給付(生活扶助に、教育・医療・住宅扶助を加えた金額) の合計は年間300万円ほどになっています。この300万円というぎりぎり憲法25条の健康で文化的な生活を営むため制度的に保障されているもの、この賃金を得るために、時給1000円のパートは3000時間働くのです。3000時間といったら過労死してしまう領域に入る長時間労働ですよ。

 自立して生きようとすれば、低賃金だから死ぬほど働かなければならない。この、働くことによって死んでしまうような労働、長時間労働の拡大を、放置しているということ自体が非常に大きな問題です。働くというのは生きることです、そして未来を展望することです。それなのに、今の生活を維持するためにどうして死に至らなきやいけないのか。これを労働組合も含めて放置してきたのです。そのつけが、今、こうやって回ってきているわけです。パート的低賃金に「期間の定め」を置く細切れ雇用が拡大してきたわけですが、この奥約の節目に労働条件を不利益に変更したり雇用調整の対象にしたりする。

労働は商品ではない

 そして第三者の下で働くという、請負とかあるいは派遣を通じて働くスタイルとなると、さらに重大で深刻な問題をかかえることになります。このトライアングルの労働関係は、労働者の貸金、雇用の期間、労働時間が、派遣元と派遣先、あるいは請負主と発注者、この間の商取引契約によって決まります。しかし労働は商品ではないんです。

 一般の商品は、値崩れし始めたとき、生産あるいは在庫を調整して、市場に放出する量を調整することができる。ところが人間の労働はそういうわけにはいかない。その日その日を生きてかなきゃいけない。値が下がり始めたからといって冬眠して売らないというわけにはいかない、その日その日を生きるために不利な契約でも結ばなければならないという特徴をもつわけです。ですから商品よりも、市場原理にさらしたときに値崩れしやすいから、競争を抑制するという法律によるルールをはたらかせないと、産業の基盤は損なわれてしまうわけです。これが労働法のもっとも重要な原則です。

 ところが第三者が、労働を供給していくという商取引契約をする。業者間でのこの商取引契約で労働者の賃金、雇用期間などが決まってしまう。商取引契約には労働法の競争抑制的な原理がはたらかないのです。むしろ、商取引契約にはただひたすら競争を促進させていくという独占禁止法の適用がありまして、むしろ競争しなきやいけないんですね。

労働者派遣や請負においては、この競争促進的な、談合するな、カルテルするな、そしてよりよい質のサービスを1円でも安くという、競争入札ぼりの兢争の中で労働条件を決めていくということがまかり通るようになります。そのおかげで、1件あたりの派遣料金と、派遣労働者にわたる賃金は、下落に下落を重ねてまいりました。

 こういう実態の中で、日々雇いあるいは一稼動あたりの契約を締結しながら、賃金からも天引きされて企業の利益に回されていくという、究極の商品化が進んできているわけです。ここまでくると、いったい非正規雇用っていうのは未来をつくるのか、と問わなければならない。その存在自体を変えていかなければ、差別をなくすという視点を盛り込んでいかなくては、この形態で働いている人たちだけでなくて、正規雇用で働いている人たちにもとんでもない権利侵害が起きてくる。これが今の職場の実態です。

4 働き方モデルの転換と均等待遇

 非正規雇用で働いている人たちは、賃金が低いなりに気持ちを整理して働かなきやいけない。現実の差別というものをまざまざと見せつけられることに対する拒絶反応があって、傷つけられトラウマになってしまう。ある人は、正規職員のボーナス支給日には、出勤できない、ほんとうに足が向かなくなってしまうというトラウマを語っています。

 そして正規雇用の人はというと、そういう非正規雇用の人から賃金が自分たちよりいいのに働いていないのではないかなんていう非難を浴びながら、しかし非常に責任を重く被せられて、そして死ぬほど働いてます。

 非正規雇用も正規雇用も、どちらも働いて死ななきゃいけない。こういう究極の人権侵害のらせん階段を地獄に向かって突き進んでいくということにかつてしまっている。この連鎖を断ち切るためには、この構造を断ち切るということです。職場の中でもそのことを主流に据えながら、1人ひとりが自分が生きてきて良かった、この職場で働いて良かったと思えるような、雇用や労働条件というものを、築き上げていかなければいけないんじゃないかと思うんです。

 私は、差別されている者の視点で現状のこの社会の構造を組みなおすということ、そういうスタンスに立つことが必要だと思います。今の状況を変えるためには、差別され続けてきた女性の視点に立つこと、そして、仕事も家庭も、あるいは仕事も生活も、というのは男性にも保障されるべきです。

 女性だからということで優しさが求められたり、一歩下がって何がしかの配慮が求められたり、リーダーシップを発揮することに対して背後に追いやられていく女性に対する差別がある反面、男性は泣いちゃいけない、強くなきやいけない、とされてきました。女性に対する差別的な風土があるということは、男性に対する差別、そして男性の人間性を奪っている現実があるわけです。

 戦後経済社会が生み出した今日における最大の弊害である大きな男女賃金格差と男性の滅私奉公的な働き方。これらの弊害は「男は仕事、女は家庭」という性役割を土台とし、人権保障を二の次にして経済的な効率を優先する「企業中心主義」によってもたらされました。

 男性であるがゆえに、労働基準法36条による三六協定(時間外労働協定)さえ結べば青天井の残業が可能になるというような制度のもとで働くことを誇りにし、結果として、男性たちは家族の中に参加する権利を奪われ、定年退職後は自分の自由な時間を手にすることができても、「濡れ落ち葉」のようだと言われて、何をしたらいいのかわからない。あなたがたも差別されているんだと私は言っているのです。

 やっぱり人生トータルに命を閉じる一瞬まで人間として生きる、自分自身の歩みを止めない。そしてこの社会に生まれてきて良かったなって思うことができる社会をつくるためには、雇用におけるジェンダー格差をなくす。その最たるものが男女間の格差ですけれども、それが形を変えて正規雇用、非正規雇用、働き方と所得における格差をつくってきています。この格差というものを断ち切るということ、そのための政策を講じるということの重要性を改めて強調したいと思います。

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