実態調査に込めた思い
マイノリティ女性たちは、その属する集団のなかにおいても、女性であるということだけで、厳しい差別にさらされている。女性差別を自覚した女性たちはまず、自分の属する集団への差別と女性差別とを対立した関係として捉える。部落の女性でいえば、部落差別をなくすことがまず先決であると考える。部落差別の現実に直面していると、女性差別はたいしたことでないことと思えてくる。一方、なんとなく息苦しさを感じていても、女性差別については言わないほうが波風が立たないという直感がはたらくのも偽らざるところである。
私自身も1985年ごろまではそのように思っていた。部落差別をなくすことがまず先と考え、女性差別はその次の課題との認識であり、行動であった。そのころ部落解放同盟や地域のなかで女性差別を課題とするような状況ではなかったのも事実である。その後、私の問題意識は少しずつかわり、対立的に捉えるものでなく、同時に捉えるべきものとして考えなければならないと思うようになってきた。
1985年は、日本が女性差別撤廃条約を批准した年であり、「国連婦人の10年」ナイロビ会議が開催された年である。愛知県からの一般公募の派遣枠でナイロビ会議に参加してのさまざまな経験も私の意識を変える契機となった。部落解放同盟愛知県連合会女性部を結成したのもこの年である。
「部落の女性は、部落差別と女性差別の二重の抑圧を受けている」との認識が愛知県連合会第2回大会(1986年)議案書で方針化されている。愛知において「女性差別」の視点から書かれた初めての大会方針である。
北京女性会議NGOフォーラム (1995年)では、部落解放同盟中央女性対策部主催でワークショップを開催し、マイノリティ女性が少しずつつながっていった。
2003年、国連・女性差別撤廃委員会において日本政府第4次、第5次の報告書審査にあたり、日本政府報告書には日本におけるマイノリティ女性についての数値がまったく示されていなかった。この問題点を指摘する取り組みとして「IMADR-JCマイノリティ女性に対する複合差別プロジェクト」 の1員として中央女性対策部でもさまざまな団体と協力しあいながら、カウンターレポートを準備する作業を進め、中央女性対策部として初めて日本政府報告書に対するカウンターレポートを作成、提出した。
2003年、ニューヨークで開催された国連・女性差別撤廃委員会を傍聴。短い時間のなか、各委員に被差別部落女性の差別の実態を訴えてきた。こうした活動の成果として、女性差別撤廃委員会から日本政府に対して、次回報告(2006年)にマイノリティ女性の労働・雇用・健康・教育・暴力などの実態をデータとして出すよう勧告がだされた。この勧告を追い風としながら、国や自治体に実態調査実施の要求を迫るのはもちろんだが、今度は自分たちがどう勧告を生かしていくのかということが私の問題意識であった。
IMADR-JCとともに実態調査実施にむけて四者での会議を重ねていたが、実態調査について具体的にイメージできず、いろいろ迷っていた当時の私の背中を押したのは、ゆのまえ知子さんの「セクシュアルハラスメント1万人アンケート運動」(1989年)とDV全国アンケート調査(1991年)の体験を通したお話であった。日本で初めてのことを行うのになんで従来の枠で考えなければならないのか、もっと自由に考え、自分たちの思うように実施したらよいというゆのまえさんの話は、私の迷いを吹っ切るのに十分なものであった。
そのころ私は、女性政策の中に被差別部落女性の課題を入れたいとの思いから、名古屋市男女平等参画審議会の公募委員に応募し、審議委員に委嘱された。任期は2002年12月から2004年11月である。2004年11月5日、審議会は「男女平等参画先進都市をめざして」との答申を名古屋市長あてに出した。
答申項目は、以下のとおりである。
- 「女性の活躍」先進都市をめざして
- 「DV」根絶先進都市をめざして
- 見えない差別に目を向けるために
- 答申項目達成のための仕組みづくりのために
3項目の「見えない差別に目を向けるために」は私の知る限り、全国で初めてマイノリティ女性に光をあてた答申である。
マイノリティ女性の可視化を答申したのは自治体審議会答申として初めてである。この答申を後押ししたのも、国連・女性差別撤廃委員会の日本政府への勧告である。
このような過程を経て、実態調査について具体的に動き出した。
調査にいたるまでの議論と取り組んでよかったこと
中央女性対策部では実態調査について、実施にあたっての具体的方法の検討など、議論を積み上げていった。
都市にある部落、農村にある部落、大規模部落、少数点在部落など被差別部落の形態は千差万別である。調査の実施主体となる都府県連・支部女性部の組織の力量の違いなどもあり、本格的な実態調査の実施には項目の検討など時間的に無理があることなどから、実態調査にむけたプレ調査として位置づけ、今回は、第50回という記念すべき集会でもあることから、第50回鳥取全女(部落解放全国女性集会)の1日目のアンケート調査として実施することを決定した。
中央女性対策部でのアンケート項目の作成にむけた議論では、あれもこれも知りたいということで、当初130近い項目になった。全体集会の会場で行うということを考慮にいれながら、2時間で行える内容で部落の女性の実態を明らかにするために調査項目を絞っていったが、これはなかなか大変な時間を要した。三者(北海道ウタリ協会、部落解放同盟、アプロ実態調査プロジェクト)による教育・雇用・健康・社会福祉・DV等の共通項目もあり、アンケート項目がおおよそまとまったところで、女性対策部で実際に実施し、項目の修正を行うということを何度も何度も繰り返した。非識字者を考慮にいれ、会場において1項目ずつ読み上げていくという形態をとることとした。女性部長会議での項目の議論、全国女性活動者会議において予行演習を行い、参加者からの意見を聞き項目を最終的に決定し、質問項目すべてにルビをいれた。一方で各都府県連の女性部でも、アンケート調査が当日スムーズに行えるよう、練習を重ねていった。
私たち自身が知りたいことを自分たちで項目として作り上げたことが、今振り返ると非常に大切なことであった。私たちは、今まで自分たちの現状を自分たちで明らかにするということをしてこなかった。今回取り組んでみて、今まで私たちはいつも、調査される側に立っていた存在だったということを改めて知ることとなった。今までの調査の大部分は、当事者である私たちは実施する側に入っていなかった。
この実態調査で得たことを組織に返していくことが大切である。
調査の結果
調査結果について、特徴的なことは、
1.生まれた部落に今も住んでいる女性が32.4%。通常今の女性の場合、結婚して親の家から出る女性が多いのに比べて、同じ地域に住み続けている女性が3割以上もいる。
2.調査に協力していただいた1405人の女性のうち、29.2%が結婚差別を体験をしている。
3.部落差別の被差別体験は、年齢に関係なく持っている。
4.40歳代以下の離婚率が高い。
5.母子家庭へのさまざまな制度を活用していない(手続きの煩雑さ、制度を知らない等)。
6.教育と識字では、奨学金制度の成果がはっきりと反映されている。50歳代半ば以上では、小学校・中学校の中退もしくは中学校卒という人が多い。50歳代前半から高校卒が5割を超えるが、しかしこれは2000年国勢調査、部落外女性と比較すると低い。50歳代前半で高校卒が増えるということは、奨学金制度が部落の中で、教育を受ける権利を得るうえで大きな役割を果たしていたということが、今回の調査でもみることができた。
部落の女性は高校までで短大・大学への進学は、各年代にわたって少ない。このあたりに、部落の女性の、部落の中での性差別の現状がある。
識字については、小学校・中学校中退とかいった状態の中で、識字教室の重要性を今回、改めて認識した。
7.女性の労働構造は、部落外の女性は、台形に近づいているというものの、M字型といわれている。しかし、部落の女性についていえばM字型になっていない。ずっと働き続けている。右肩上がりの労働構造も、わかった。
8.仕事のことでいえば、非正規労働者が多く、フルタイムで働いていても収入は200万円前後の女性が多い。休暇制度では、労働基準法で定められている有給休暇さえない職場で働いている女性が多い。
今回の調査対象が集会参加者(女性活動家)であるため、また鳥取県居住の女性が多いということもあり、被差別部落女性全体の実態を把握したことにはならないが、少なくとも部落解放運動をやっている40歳代以上の部落女性の実態が、かなり明らかになった調査だといえる。
その後、この調査に触発され、いくつかの府県連で実態調査、アンケート調査をやっていこうという動きが広がってきている。そういったことを積み重ね、部落解放同盟の女性が変わっていくことは、日本で一番変えることが困難な地域社会を変えていくことにつながっていく。地域が変わっていくことは、日本で女性の地位が変わっていくことに、遠からずつながっていくことの自信と確信を持っている。
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