*パネルディスカッション*
川口泰司(山口県人権啓発センター事務局長)
喜久里康子(沖縄市民情報センター代表)
金朋央(在日コリアン青年連合共同代表)
コーディネーター 李嘉永(部落解放・人権研究所研究員)
李:今日、サイバースペースなどを足場としたマイノリティに対するバッシングが繰り返される一方、日常的な社会では差別が見えにくくなっています。そこで、部落、在日、沖縄の問題の当事者運動に携わっている若い人達の目線から差別の現状を考えていきたいと思います。
また、マイノリティ当事者運動は高齢化が進んでいると言われますが、人材育成の観点からも若手の思いを伝えること、若手の思いに触れることも今回の企画のもうひとつの目的です。
◆私自身のこと
川口:僕は愛媛県の被差別部落に生まれ、中学時代に同和教育に本気で取り組む教師との出会いから解放運動に取り組むようになりました。大阪の大学に進学しても人権サークルで活動し、卒業後は部落解放・人権研究所で働きながら、夜は部落の子どもたちの学習支援や青年部活動などに取り組んできました。
現在は山口県で、解放運動や人権啓発に取り組んでいます。特に講演活動などで各地に行く機会も多いので、今回は部落問題について、人権啓発の視点から発言していきたいと思います。
喜久里:私は沖縄県出身で、現在「琉球民族は先住民族である」という運動に10年間取り組んでいます。高校時代は沖縄の伝統工芸である織物の勉強をしていましたが、先生の勧めで東京の大学に進み、そこで国際人権法に出会い、国際人権の視点から沖縄の現状を分析してきました。
私は離島で育った環境もあり、沖縄のいわゆる反基地闘争などの大きな運動には関わる機会がありませんでした。今のところ、私たちの運動は沖縄ではまったくといって良いほど知られていません。
最近の活動の成果としては、去る10月30日に「琉球民族は先住民族」という国連の人権委員会における審査と認定がありました。人種差別、マイノリティの権利として「琉球民族」が明言されたのは初めてのことです。
今回は教科書検定の問題と、米軍基地による被害についてのレポートを作成し、審査をされる委員に提供しました。このことが沖縄で報道された時も、県民の中に戸惑いがあったようです。
これまでに関わった仲間は30人程度なので、今後は仲間をもっと増やしていかなければならないと痛感しています。
金:私の父方の祖父母が戦前に朝鮮半島から渡ってきて、母親はいわゆるニューカマーです。人によっては2.5世とも言いますが、世代的には3世ということになります。
私自身は昔から在日の問題に興味があったわけではありません。自分が韓国人であることは物心ついたときから自覚していましたが、それがどういうことかを考えたこともありませんでした。大学に入ってから「金朋央(キムブンアン)」を名乗るようになりました。
◆当事者運動にかかわるきっかけ
川口:愛媛の部落に住んでいる時は、ある意味「差別の現実」がよく見えていませんでした。でも、大学に進学して部落外に住んだことで初めて「差別する側」の現実を知りました。僕が部落出身者だと知らないから平気で『この辺りは部落だから気をつけて運転しろよ』など言われました。バイト先などで部落問題を話すと、一瞬にして空気が変わるのが分かりました。世間の人が部落をどういう「まなざし」でみているのを肌で感じてきました。
そんな世間の部落に対するマイナスの「まなざし」を内面化していくうちに、いつしか自分が部落出身であることを「隠す」ようになっていきました。友人など親しくなればなるほど、自分が部落出身でることを抜きには語れません。僕の中では「あるべき姿の自分」と「偽って生きている自分」の二つに引き裂かれていきました。だからこそ、そんな自分から早く解放されたいと、必死で本を読んだり、講演を聴いたり、あちこちに出かけてもがきました。そんな葛藤を乗り越えて、今は部落出身者として生きる道を、自分でもう一度「選び」、活動をするようになりました。
喜久里:日本青年会議所の来年度の会頭に沖縄の人が選出されました。経済的自立が厳しいといわれる沖縄で、とても成功した会社の人です。新聞等の記事ではご自身が「若者の励みになれば」と書いていましたが、私には、いよいよ沖縄が日本になってきたなあと考えさせられる出来事でした。
日々、沖縄のヤマト化が進められる状況の中で、どのように訴えれば、ヤマトンチュ-に私たちが本来持っているはずの権利を奪われていることを分ってもらえるのかを考えています。
「先住民族」という言葉には、多くの方が違和感をお持ちではないでしょうか。私はこれまで様々な国の先住民族の人々と出会ってきました。国家の中に一方的に入れられた歴史を持つ、土地や資源を搾取されている、集中的に軍事基地を置かれている等、彼らの状況は沖縄の問題と非常に似ています。確かに私たちの世代は琉球民族の言葉は喋れないし、歴史も学校では教えてもらえません。でも、私はなぜ沖縄は日本なのか、沖縄に米軍基地があるのはなぜか、という根本に立ち戻って考えていきたいのです。
昨日、アメリカで米軍戦闘機が墜落したのですが、東京の新聞ではまったく報道されていませんでした。日本の上空でも飛んでいる戦闘機と同型のものです。これは、マジョリティのニーズに合わせた情報だけでは、直接、米軍基地から派生する事件・事故の被害を受けている人の声は、マジョリティの人々には届けられないということを示しています。強制的に、長期にわたり、差別的な状況を押し付けられている沖縄の問題を訴えることもできないということです。
私たちの先輩が、敗戦後64年間訴えてきてもなぜこれらの問題は解決しなかったのでしょうか。沖縄だから基地を置いても良いという、そのこと自体が差別であるということをなぜ分ってもらえないのでしょうか。
日本政府にいくら訴えても埒があかないと思いまして、私たちはその訴えを国連に持っていきました。日本の中では軽んじられている問題が、国連では多くの人に支持してもらえました。日本政府は今後も定期的に人権委員会の審査を受けるのですから、私たちもそれにあわせて沖縄レポートを出して行きたいと考えています。
金:高校生まで自分のルーツに対する劣等感はありませんでした。在日であることをほとんど意識することもなく生活していて、直接的な暴力とか悪口という形での民族差別は幸運にも受けなかったのです。
そんな私が大学に入ったのが1990年代初頭。日本の侵略戦争について、多くのアジアの人たちが日本の戦争責任を語り始めた頃でした。「従軍慰安婦」の問題や、傷痍軍属の人たちに対する補償問題等が社会的に取りざたされる中、そのような課題を同じ在日学生のグループで学ぶ機会がありました。
それまで私には社会運動をしようという意識はなく、恥ずかしながら沖縄や部落のことはまったく知りませんでした。しかしそこで知った「サハリンの問題」に大きな衝撃を受けました。戦前はサハリンの南半分が日本の領地で、石炭等の資源を求めて多くの人が働いていました。しかし敗戦を迎えると日本国籍を持つ人は帰還を果たせましたが、韓国人は米ソの協定の対象外となり、約4万人が韓ソ国交樹立までの40年間、帰国できなかったのです。
この事実に衝撃を受けて、そこから朝鮮半島における戦後補償問題を勉強していきました。そしてその中で自分が在日であって、朝鮮半島にルーツを持つことを抜きには考えられませんでした。それまで私はずっと日本名を名乗っていましたが、この頃から日本名と民族名のどちらを使うか迷い始めました。名前の問題は在日の若い人が一度は直面する、避けては通れない課題です。当時の私は日本名でも民族名でもどちらでも良いと思っていたのですが、民族名にしてみようと決めて大学に申し出ました。そこから民族名で呼ばれるようになったのですが、そうすると名前を呼ばれるたびに心臓のバクバク感を感じるようになりました。結局どちらでも良いと思ったのは嘘で、民族名を使うことに怯えていたのです。
◆運動を進める中で見えてきた課題
川口:若い世代では、部落に対して強烈な差別意識を持った人はかなり減っていると思います。逆に、部落問題に関しては「身近でない。昔の話」「自分は差別しないし、自分とは関係ない」という「無関心」の人の方が多いのではと思います。
この「無関心」が現在の差別問題を考える上で大きなネックとなっています。マイノリティがいくら声を上げても、多くの人たちが無関心であれば、その課題は政策課題として議論されません。少数者の問題よりも多数者の課題が優先されていくからです。
無関心な人に、いかにして関心を持ってもらえるような啓発をおこなっていくか、日々試行錯誤で取り組んでいます。
一方、部落の人は「昔と違って、人並みの生活もしているし」と格差是正が部落解放という認識を考え直す必要があると思います。確かに今の若い世代は、前の世代よりも同和対策事業によって生活は安定してきました。しかし、経済的に安定した若い世代でも「結婚はやっぱり不安」「友達には部落出身だとは言っていない」「いまさら言えない」など、「差別はもうない」といいながら、どこか不安を抱え続け生きている現状があります。
これまでの同和対策事業では、差別の結果の劣悪な住環境の改善や、学力保障、仕事保障など、格差是正には熱心に取り組んできましたが、部落出身者の肯定的なアイデンティティ(誇り)の確立、差別に悩む人への心理的なケア・サポートはまだまだ充分とはいえなかったと思います。今後はこれらの課題にも取り組んでいきたいです。
喜久里:沖縄の人は、沖縄の中に住んでいると自分が差別されていると感じることはあまりありません。しかし実際に差別は存在しており、そのことに沖縄の人自身が気づいていないことが重大な問題だと思います。また沖縄の差別実態を理解するために、上の世代の先輩方から話を聞きたいのですが、自分たちの中で整理がついていないためか、ご自身の被差別体験をあまり話していただけません。しかし、沖縄の外の地域で暮らしたことのある先輩方は、沖縄出身であることを隠して生きていた時代もあったのです。「あなたたちの世代は逆に羨ましがられていいね」と言われることもあります。確かに、昨今は「癒し」や「移住」というキーワードで沖縄ブームです。しかし、なぜ沖縄はこのように持ち上げられたり、貶められたりするのでしょうか。このこと自体を考えていきたいと思います。
金:在日3世は日本の生活習慣の中で育っているので自分自身が本当にどこに立っているのか、「在日的なもの」とは何かが十分に自覚できない場合が多いです。その結果、差別を受けるということだけでなく、在日として認めてもらえないという苦しさも結構あります。私たちも在日としてのルーツを大事にしたい。私たちの両親の世代はどんなに成功しても朝鮮人ということで差別をされてきましたが、私たちの世代は直接差別を受けることは少なくなってきました。しかし在日として生きていこうとしても、そのまま受け止めてもらえない。仮に「同じ日本人だ」と言われても、「同じ」ではない部分があるのです。しかしアイデンティティについては「日本人」としてカテゴライズされます。差別を受けないということだけでなく、世界人権宣言にも書かれているようにその人のルーツがきちんと認められなければならないはずです。
在日の中でもやはり、差別について「わざわざ言わなくていいじゃないか」という傾向が強まっていると感じます。また日本青年会議所の代表に沖縄の人がなられた話や、部落解放は格差是正ではないという話がありましたが、在日の中でも民族差別は頑張ればなくなるというような風潮も見受けられます。しかし現実には頑張れない人もいるのですから、頑張ればすべてクリアできるというようなことが当事者の中からも生まれていることに私も違和感を持っています。その考えを否定するわけではありませんが、それではすまない人もいます。だからこそ自分たちのことをきちんと知ってくれというのは、私たちマイノリティ自身の中でも意識する必要があるといえるでしょう。
◆マイノリティの運動として共通する課題
川口:部落でも「自分さえしっかりしていれば、差別されない」という考えはあります。一部の成功者だけを見て差別がないというのは間違いです。そういう人たちが、しんどい層のために運動することが当事者運動ではないか、ということを今回再度確認しました。
またお二人のお話を聞いて、アイデンティティやルーツということを考えさせられました。在日や沖縄の人は「私達の先祖にはこういう文化がある」と教えることができますが、部落の人は「私達は差別される存在だ。でも負けるな」というニュアンスで子どもに立場を伝えることが多いです。もっと、部落が担ってきた芸能や文化、人権獲得への運動史など、肯定的なアイデンディディを持てるような取り組みの必要性を再認識しました。
金:朝鮮半島に住んでいる人と在日は少し違うとは言え、私たちは共に朝鮮半島にルーツを持つ存在です。一方、部落は違うものではなかったのに、違うとして区別し差別されてきた。これをどう解釈したらいいのでしょうか。しかし最終的に「同じ」になれば消えるのかといえば、そうではありません。そこには被差別の歴史があるからです。差別される存在は継承されてはなりませんが、部落の人々はそれを強いられてきたのです。その意味で部落民は民族ではありませんが、一つのグループだといえるでしょう。
在日にも似たような定義があります。1990年代中盤まで在日の組織は両親ともコリアンの人がほとんどでしたが、最近では日本人とコリアンのダブルが圧倒的に多くなっています。つまり『私たちは日本人ではない、ルーツは朝鮮半島だ』というのが今は通用しなくなっているのです。これからは日本にルーツがある人のことも尊重しなければなりません。
喜久里:アイヌ民族が作るウタリ協会の会員資格は血統ではありません。北海道にはアイヌ民族に育てられた日本人がたくさんいて、アイヌの人が日本人と結婚することも多く、どちらの場合も会員として認められています。つまりどのような人を自分たちのコミュニティの構成員とするかは先住民族自身が決めるということです。国連も誰が先住民かは定めないと結論づけています。
ただ部落同様、アイヌ民族の中でも、北海道内の人と外の人の権利問題についての分析が重要になっているようです。沖縄の外に住むウチナーンチュの権利についても、同じ視点からの分析が必要だと思います。
ルーツやアイデンティティを大切にするのと同時に、沖縄人自身の人権意識を高めることも急務です。かつて、「復帰国会」の頃、『にんげん』という人権の副読本に沖縄問題が掲載されるとなったときに、沖縄の国会議員が「沖縄問題と部落問題を一緒にするな」と申入れたことがありました。これは沖縄の人が、差別者としての自分を客観視できていないという問題を象徴する事件です。自分自身が差別者、加害者にならないためにどう行動するのかを自覚して、簡単にはヤマトに同化せず、次世代につなげていきたいと思います。
◆今後の展望
川口:部落の若い人たちも、どんどん外に出ていて、その人たちをどう組織化するかは部落解放運動の大きな課題です。またマジョリティの人たちに対しては、マイノリティの問題をマジョリティが考えることが、自分たちにとってもメリットになるということを訴えていきたいと思っています。
喜久里:私たちの運動自体が、沖縄ではマイノリティです。国連の人権委員会の審査や報告を受けても、日本政府からは、『沖縄の人の総意ではない』と答弁されました。
しかし、沖縄県民の総意であるはずの沖縄県議会や県知事の「米軍基地の整理縮小」という主張までもが軽んじられている不正義を、本日の参加者の方を始め、多くの方に是非考えて頂きたいです。
また、世界人権宣言の前文に記されているように、「人々が専制と圧制に対して最後の手段として反抗に訴えざることを得ないことがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要」なのです。世界人権宣言をはじめとする国際人権法を国内法に具体化していく努力が必要だと思います。
金:だれでも基本的には自分の所属する社会に対して、責任を持つことが必要だと思います。在日である私は在日社会を良くするために活動していきたいと思っています。不況の話が連日のように報道されていますが、在日ブラジル人の状況は非常に酷いです。こうした在日外国人としての問題についても取組みたいと思っていますし、皆さんにも是非考えて頂きたいと思います。
李:ありがとうございました。本日のような交流を深めることで、マイノリティ間の連帯、また主流社会の変容を促すことにつながっていけばと願います。
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