講座・講演録

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2010.01.18
講座・講演録

グローバルコンパクトと企業
~日本の企業に求められているもの

江橋崇(法政大学現代法研究所 グローバル・コンパクト研究センター長)


社会貢献が流行りはじめた?

『フィガロ・ジャポン』や『ヴァンサンカン』といった高級女性誌を読んだことがありますか。これらはいわゆる"セレブ女性"を対象とした雑誌ですが、これらの雑誌が今年の夏、女性の社会貢献や社会的企業活動の特集を組みました。私も知らなかったのですが、例えばフェアトレード商品や人権に関する事業に携わることが格好良いとされる、つまり"社会貢献"が女性の間でちょっとしたブームになってきているようです。

CSR=企業の社会的責任経営

金融ジャーナル等の金融経済界の雑誌でも企業のCSRがしきりに取り上げられています。CSRは日本では専ら「企業の社会的責任」と訳されています。しかしこれは間違いで、CSRを提唱してきたEUでは「企業の社会的責任経営」の意味で用いられており、今回もこちらの意味で話しを進めてまいります。

CSRの普及は昨年のアメリカ経済の大暴落への反省もあるのでしょうが、いずれにしてもこれまでのマネー資本主義や金融資本主義だけではだめで、もっとソシアルビジネス(社会的企業)やマイクロクレジット(十分な資金のない起業家や、貧困のため商業銀行の融資を受けにくい人々が対象の小額融資)といった社会的に意義のある分野にも目を向けるべきだと経済界も考えるようになったのでしょう。従来、CSRといえば物づくりの分野で取り上げられることが多かったのですが、昨今ではそれが金融業界にも広がっていることは注目に値します。

CSRの拡がり ―EU・アメリカ・日本

CSRはEUにおける市場の進化があったからこそ発展しました。今でこそ日本でも環境に配慮した商品や、社会的意義を付加価値とした商品が売れるようになりましたが、あくまでも値段が同水準での話です。しかしEUでは、商品の社会的意義に賛同が得られれば、3割程度値段が高くても売れるというデータが出ています。1980年代の不況を脱したEUで市場はこのような進化を遂げ、その中でCSRも環境と労働者に対するガバナンスの面で発展・定着していきました。

例えばEUでは当時から企業が従業員を解雇する際には、次の就職につながる研修を離職前に行うことがCSRとして規定されていました。フランスでは現在、再就職先がないと解雇そのものができなくなっています。これ以外にも労働者が子どもと共に過ごせる時間を確保する等、日本では考えられないような、非常にヒューマンな企業統治が労働CSRとして取り組まれているのです。EUではこのような労働CSRと環境CSRが車輪の両輪となって機能していました。

一方そのころのアメリカでのCSRはフィランソロピィー(慈善活動)として定着しつつありました。当初は本来の企業活動とは無縁の事業にお金を出していたのですが、次第に将来の企業活動を見据えた「企業戦略としてのフィランソロピィー」へと発展していったのです。

日本でCSRが爆発的に口にされるようになったのは2003年にEUに調査団を派遣した経済同友会がCSR導入を提言してからです。それまでの日本企業はフィランソロフィーに近い考え方が普及していましたが、その後はCSR一色に染まってしまいました。

東アジアの「市場の進化」とCSR

欧米のCSRの流れはサミットやWTO等の国際会議で、アジアへの政治的な圧力となっています。しかし、それ以上にアジアの企業は商取引上の圧力に苦労されているのではないでしょうか。特にEU企業は、サプライチェーン(供給過程)におけるすべての取引企業に対して人権侵害や環境破壊を行っていないか等の報告を厳しく要求してきます。幸い日本でも大企業はこうした流れを前向きに捉えて自発的に取り組んでいるところも多いようですが、中小企業では半数程度が外部からの圧力だと感じているのでしょう。

新しい労働CSRのキーワード

EUのCSRで環境と労働が両輪となっていたのは社会・社会民主党系の政権が多かった頃の話で、保守系の政権が増えた今は状況が少し変わっています。環境問題はすでにどの国でも国策として取り組まれているのですが、労働CSRが少し後退気味になってしまっています。

しかし昨年のリーマンショック以降、日本も含めて世界が社会主義化する中で労働CSRも以前とは少し違う形で復活してきています。先日、長妻厚労大臣が日本の相対的貧困率を公表しました。これまでの絶対的貧困率では明らかにならなかった日本社会の貧困率、つまりは格差構造がこれによって初めて明らかになったのです。

その結果、日本の相対的貧困率は世界で第5位であり、フリーターやホームレスが増加する中、平均所得にも満たない人がどんどん増えていることが見えてきました。お金がない人は物が買えない、遊びにも行けない。このような所得のピラミッド構造の底辺に位置づけられた人々は社会から排除されているといっても過言ではないでしょう。

この「排除」という言葉が今後の労働CSRのキーワードになると思います。ヨーロッパでは1990年代後半から社会的排除をなくそうという動きが盛んですが、日本でも障害者や高齢者、フリーターなど社会から排除するのではなくインクルージョンする、そんな新しい労働CSRが必要だと思います。

グローバル・コンパクト

グローバル・コンパクト10原則

《人権》

原則1企業は、国際的に宣言されている人権の保護を支持、尊重し、

原則2自らが人権侵害に間接的に加担することのないように確保する。

《労働基準》

原則3企業は、組合結成の自由と団体交渉の権利の実効的な承認を支持し、

原則4あらゆる形態の強制労働の撤廃を支持し、

原則5児童労働の実効的な廃止を支持し、

原則6雇用と職業における差別の撤廃を支持する。

《環境》

原則7企業は、環境問題への予防的な取組みを支持し、

原則8自ら率先してより大きな環境上の責任を引き受け、

原則9環境に優しい技術の開発と普及を奨励する。

《腐敗防止》

原則10企業は、強要と贈収賄を含むあらゆる形態の腐敗の防止に取り組む

国連は1999年に当時のアナン事務総長とジョン・ラギィー現人権理事会特別代表が組んで、企業のあり方を定めた「グローバル・コンパクト(以下GC)10原則」を策定しました。この原則に沿って企業活動することを国連に約束した企業は、国連からGC企業として認証をもらえる仕組みになっています。当初は名目だけだったのですが、最近は企業の評価基準としての実効性も出てきたようです。2008年、ジョン・ラギィーは企業と人権の関係として3つの原則を提唱しています。それは政府の人権保護責任、企業自身による人権の尊重、個別の人権侵害に対する救済制度の確立です。これは今日の国際人権を考える上でも重要なポイントだといえるでしょう。

日本におけるグローバル・コンパクトの取り組み

現在GCに加盟している団体は世界で約7000、大半が企業です。日本で最初に加盟したのはキッコーマンで、現在では約100団体が加盟しています。これは喜ばしいことではありますが、日本はまだ欧米に比べて社会問題に自発的に取り組む姿勢に欠けているようにも思えます。つまり理念がないのです。社長の指示で取り組むのではなく、経営者や社員が個人の感性や経験で捉えた社会問題を企業全体として取り組む。そんな姿勢が今後の日本企業には必要ではないでしょうか。

GCに参加すると毎年国連に進展報告書を提出しなければなりません。これはCSR報告書でも代用できます。GCだけでなくCSR報告書にも共通して言えますが、日本企業の取り組みは力点が環境問題に偏りすぎていて、人権に関する項目は「GCに加盟した」「社内に保育室を設置した」「アフリカの病院建設に協力した」等のエピソードが紹介されているだけです。これらは素晴らしい取り組みではありますが、環境への取り組みの結果が細かな数値まで報告されているのに対して、人権分野については、取り組みの結果に対する記載がありません。保育室設置による女性の労働環境の変化等を具体的な数字にして公表することが大切だと思います。

東アジアにおけるグローバル・コンパクト

私は東アジアの平和構築に関しても、GCに注目していています。鳩山首相の登場で東アジア共同体構想が一躍脚光を浴びていますが、これはEUやNAFTAの成功に対抗すべく、以前から進められていました。しかし東アジアでは政治的統合は難しいので、まずは経済的統合から話が進展して、すでにいくつもの細かな経済協力協定ができています。EUも経済面での統合から始まり、同時進行で地域間での不戦の誓いをさせました。東アジアの平和と非核化を目指す過程においても同様のことが必要ではないでしょうか。

経済的統合を目指す上でもう一つ必要なものがあります。それは各国の企業が守るべき共通のモラルです。かつて日本を含めた東アジアで共有していた、中国の儒学に基づく「町人道」が失われた現代では最大の中立機関である国連が定めたGCこそが各国政府が納得できる基準です。東アジアの各国が人権、労働基準、環境、腐敗防止について国連と約束することで生まれる共通のモラル、これを基礎にして、より良い東アジア共同体ができることに期待しています。

11月にソウルで初めて日中韓のGCに関係する企業とCSRの研究者によるミーティングが開催されます。私も参加する予定です。

企業と人権 ‐今、動いていること

GCに対してILOはディーセント・ワーク(自由、公平、保障、人間としての尊厳が確保された仕事)の普及に努めていますし、ISOでもこの考え方を取り入れた、あらゆる組織の社会的責任に関するガイダンス規格であるISO26000が完成間近だといわれています。

ミレニアム開発目標

ゴール1極度の貧困と飢餓の撲滅、

ゴール2初等教育の完全普及の達成、

ゴール3ジェンダー平等推進と女性の地位向上、

ゴール4乳幼児死亡率の削減、

ゴール5妊産婦の健康の改善、

ゴール6 HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止、

ゴール7環境の持続可能性確保、

ゴール8開発のためのグローバルなパートナーシップの推進

話は国連に戻りますが、昨年は国連が定めたミレニアム開発目標の中間年でした2。ミレニアム開発目標は、2015年をゴ-ルに設定していますが、しかし昨年国連が総括してみると、その年に目標を達成できる状況にないことが分かりました。中国の発展がめざましい東アジアは大丈夫なのですが、アフリカ南部はすべての面において深刻な状況にあります。開発目標に対して日本人の関心が非常に低いことも大きな問題です。当時の森首相が日本はミレニアム開発目標に積極的に取り組むことを宣言しているのですから、もっと政府はお金を出すべきですし市民ももっと関心を持つべきです。国連中心外交を打ち出している民主党政権に今後は期待したいと思います。

国際社会の企業への期待

一昨年から世界の著名な企業約100社がミレニアム開発目標達成のために立ち上がりました。現在ODA(政府開発援助)の総額が350億ドルなのに対して企業の直接投資が2500億ドルになっていることからも、この流れが必然といえるでしょう。この企業の中に、日本からは住友化学と三井物産が参加しています。

ミレニアム開発目標、GC、ディーセント・ワーク、すべてが企業の取り組みに掛かっています。国際社会は人権や排除の問題解決に向けて、企業自らの努力に多くの期待を寄せているのです。今こそ、日本社会にもっと人権尊重の企業文化を創っていこうではありませんか。

著書