講座・講演録

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2010.07.13
講座・講演録

 世界人権宣言大阪連絡会議は、2009年12月に出版された「アウシュビッツ国立博物館常設展示カタログ日本語版『ナチス体制下におけるスインティとロマの大量虐殺』」の翻訳を行った日本女子大学人間社会学部教授の金子マーティンさんをお招きして、2010年1月23日(金)に第313回国際人権規約連続学習会を開催しました。報告要旨は以下の通りです。(文責 事務局)

ナチス体制下のスィンティ・ ロマに対する虐殺について

金子マーティンさん (日本女子大学人間社会学部教授)

カタログ「ナチス体制下におけるスィンティとロマの大量虐殺」の発行にあたって

マーティンさんポーランド・オシヴェンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)の収容所跡地にあるアウシュヴィッツ国立博物館は、2001年8月2日より元基幹収容所第13ブロックにおいて常設展示『ナチス体制下におけるスィンティとロマの大量虐殺』を開始しました。この展示はドイツ・スィンティ・ロマ資料・文化センターが中心的役割を担い、ウクライナ、オーストリア、オランダ、セルビア、チェコ、ハンガリー、ポーランドの7カ国にあるロマ組織からの資料提供も得て、3年以上の準備期間を経て実現しました。
2003年8月にその展示内容を詳しく解説したカタログのドイツ語および英語版が完成しました。昨年、その日本語版が反差別国際運動日本委員会より発行され、私が翻訳をさせていただきました。ドイツ・スィンティ・ロマ資料文化センターが加盟する反差別国際運動の日本委員会より発行されたことに、被差別者の国際連帯の実現という観点から大きな意義を感じています。

ユダヤ人の陰に隠れたホロコースト被害者―ロマ

アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所は「基幹収容所」と、収容者に強制労働をさせることを目的にした「強制労働収容所」、収容者を殺すことを目的にした「絶滅収容所」および30を超える外郭収容所や付属収容所から成り立っていました。 
常設展示を開始した日の59年前、1944年8月2日に絶滅収容所のBⅡe区域に設置された「ジプシー家族収容所」で2897人ものスィンティを含むロマの人びとが毒ガスで殺されました。
皆さんはナチスのホロコースト(大量虐殺)と言うとユダヤ人への虐殺をイメージされるかもしれません。しかし多くのロマもユダヤ人と同様に、「劣等人種」という根拠で虐殺されていました。私は30年以上前から様々な機会を通じてその事実を訴えてきましたが、残念ながら世界的に浸透するには至っていません。その結果、ナチスの被害者として認識されるユダヤ人が戦後迫害されることがないのに対して、被害者として認識されていないロマの人々は現在も戦前を彷彿させるような迫害や襲撃を受けるという事態を生み出しています。

スィンティとロマ

日本ではかつては「ジプシー」と称されていたロマですが、実はロマという民族は多くのグループに分けることができ、スィンティもその中の1つのグループです。しかし残念ながらそれらの諸グループは全て仲が良いとは言えません。特にスィンティと他のロマのグループには伝統的な抗争があります。私の友人であるロマ活動家は「スィンティの、他のロマと比較して伝統をはるかに重んじ、相当に厳格な規則を守り続けている姿勢に対立が起因する」と言います。スィンティの中にも自分達をロマといわれることを非常に嫌う人は多く、他のロマのグループに対してとても強い嫌悪感を持つ人も多いようです。
とは言え、スィンティはロマの1グループに過ぎません。翻訳した立場でこのようなことをいうのも不適切かも知れませんが、今回のカタログは若干スィンティ中心主義かもしれません。編集されたロマニ・ローゼさんの住むドイツでは確かにスィンティがロマの多数を占めていますが、私の母国であるオーストリアでは約4万人のロマのうちスィンティは1000人位しかいません。世界中を見ても決してスィンティが多数派であるとは言えず、誤解を避けるためにカタログのタイトルも「ロマとスィンティに対する…」とすべきだったかもしれません。しかし、ドイツ「第三帝国」の時代、スィンティがロマの中でも非常に厳しい迫害を受けていたであろうことは十分に理解できます。
ロマニ・ローゼさんは1982年にそれまであったドイツ・スィンティ中央委員会という組織を解体して、ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会を設立しています。その際、他のロマと一緒になることに強く反発したスィンティも多く、彼が1982年に来日した際、私は通訳として同行しましたが、当時彼が自分と同じスィンティからの襲撃が何よりも恐ろしいと話していたことを覚えています。しかしこのような状況にあっても全体から見れば同じロマとして差別される者同士を連帯させたことは、人権の観点から非常に評価されることと言えます。

シオニストが否定するロマの虐殺

スィンティとロマと同様に、ユダヤ人とロマも適切な関係とは言えません。ベルギーの学者シャーモーンは『ナチス犠牲者の競合』という著書の中で「連帯すべき立場にある犠牲者同士が、自分達以外の犠牲者への嫉妬心等から相互に執拗な闘いを繰り広げる現実がしばしば起きる」と述べていますが、これはユダヤ人とロマの間にも言えることでしょう。ただユダヤ人と言ってもユダヤ人全体ではなくシオニスト(パレスチナにユダヤ人国家を持つことを至上命題とするユダヤ民族主義(シオニスト)を支持する人)とロマとの関係と言うべきです。シオニストがナチスによるホロコーストの犠牲者はユダヤ人だけだとして、ロマを犠牲者と認めない為に、同じ犠牲者であるユダヤ人とロマの間に不平等な関係が成り立ってしまっているのです。
私達はシオニストの言動を批判すべきなのですが、反シオニズムはシオニストから「反ユダヤ主義」というレッテルを貼られてしまうため、非常に困難な状況です。シオニズムを批判することが反ユダヤ主義ではないということは多くの学者が定義していますが、残念ながら反シオニズム主義=反ユダヤ主義というデマが社会に浸透しているため、本来批判されるべき行動がまかり通っているのです。イスラエルのパレスチナへの軍事行動も同様です。アメリカの学者ギュンター・レヴィは「ジプシーそのものを殲滅する意図もなかったので、ジプシー迫害はジェノサイド(集団殺戮)に相当しない」と堂々と主張するなど、ホロコーストの犠牲者=ユダヤ人だと社会的に定着してしまいました。
その結果、ワシントンDCにあるホロコースト記念博物館ではロマに関する展示はほんの僅かしかなく、ベルリンのホロコースト記念碑にもロマの名が刻まれることはありませんせした。
しかしスィンティを含むロマもホロコーストの犠牲者であることは間違いありません。ナチスが絶滅させようとしたのは障害者とユダヤ人とロマです。障害者は障害があるから殺され、ユダヤ人とロマはどちらもナチスから見て「劣等民族」という同じ根拠で虐殺されたのだと主張する良心的ユダヤ系研究者も存在するのは救いと言えるでしょう。

酷似したナチス体制下のロマとユダヤ人の状況

ナチス体制下、ロマとユダヤ人はどれだけ酷似した経験をしたのでしょうか。ナチスは政権を掴んだ1933年に「アーリア人」以外の人間を公職から追放する法律を制定、更に1935年9月に「ニュルンベルク法」を制定して、ヨーロッパで異人種の血統に属するのはユダヤ人とロマだけであると定義付け、両者を労働市場、教育現場や「国防軍」等から排除しました。更に1941年にユダヤ人移住禁止令が発令され、翌年のワンゼ会議でユダヤ人の殲滅が決定されました。
ロマについては、当初ナチス政権は働かない怠け者や犯罪者集団として社会問題の範囲で問題を定義していましたが、1938年12月8日の「ジプシー禍の撲滅布告」以降、ロマの問題を人種問題として再定義します。ここでナチスが採用していた人種優生学に基づく非科学的な検査によってロマと認定された人々は、1939年10月17日の「収監通達」によって一切の移動が禁止され、「第三帝国」の各都市に開設された「ジプシー収容所」に順次収容されることになったのです。この時収容されたのはロマや混血ロマだけではなく、ロマ風放浪者(非ロマ)も含まれるなど、この検査は非常にいい加減なものでした。
この「ジプシー収容所」は単なる中継地点に過ぎず、1942年12月16日の「アウシュヴィッツ訓令」によって、各収容所のロマはビルケナウの絶滅収容所に送られ、殲滅計画が実行されることになったのです。因みにこのビルケナウの収容所は元々馬を52頭飼育できるバラックで、当初は400人程度の収容が計画されていたのですが、実際には1000人程度が詰込まれたと言われています。その結果、収容所内の衛生状態は非常に悪く、多くの人が疫病や飢餓で亡くなっています。
ユダヤ人とロマが同じような運命を辿ったことは、今回のカタログをご覧頂けば容易に理解していただけるでしょう。にもかかわらず、シオニストの反発によって両犠牲者が死後、平等に扱われていないことは非常に残念です。

ユダヤ人よりも高いロマの犠牲者の比率

日本のマスコミも真実を理解し報道することが出来ていません。残念ながら最近の新聞記事でも「ホロコースト(ユダヤ人虐殺)」と当たり前のように掲載されていますし、ビルケナウの絶滅収容所について書いた記事にもロマに関する記述は一切ありません。それどころか日本のある社会学者は「600万人ものユダヤ人が殺されているのに対してスィンティは50万人程度で、数の上では両者の違いは歴然としている」と主張しています。しかし、アメリカの学者で「ナチは50万人ものジプシーを組織的に殺害しているが、これは比率の上ではユダヤ人殺害とほぼ匹敵する数である」と主張している人もいます。
ナチス政権下のドイツ、オーストリア、チェコには約86万人のユダヤ人が暮らしていたのに対して、ロマの人口は4万人強。そしてニュルンベルグ裁判で600万人のユダヤ人が虐殺されたということが明らかになっている点と、先の2人の学者が50万人のロマが虐殺されたと指摘していることを考えると、犠牲者の比率はロマの方が遥かに高いと言えます。数字から見るとこんなに簡単なことが、なぜ社会に定着しないのでしょう。きっと多くの人の頭にユダヤ人がホロコーストの犠牲者であるということが既に焼き付けられていて、そこへロマのことを加えるのが難しいのでしょう。しかし現実には、ナチス時代を生き延びたユダヤ人は全体の3分の2であるのに対して、ロマは3分の1以下。私の母国、オーストリアのロマの生還率は20%以下であったことは皆さんにはぜひ記憶に留めて欲しいと思います。

現在も残るロマへの差別の解消に、カタログの活用を

しかし、私が最も主張したいことはシオニストに自分達だけが犠牲者であるという考えをいい加減に改めて欲しいということです。シオニストによってロマもホロコースト犠牲者であるという歴史認識が世界中で欠如させられた結果、今日、EU圏内でロマに対する厳しい差別が横行しています。イタリアではロマにだけ指紋押捺を義務付けたのに、EUは何も抗議しません。イタリアではルーマニア人にロマが多いという誤解があるらしく、それがルーマニア人の難民施設への放火事件へ発展しています。更に社会的に厳しい状況にある旧社会主義圏のハンガリーやチェコでは、国民の不満が政府に向かうのではなく、ネオナチや超国家主義的組織へと結実して、それらが罪もないロマを襲撃しているのです。ユダヤ人が襲撃されることはほとんどないのに、ロマに対しては戦前と同様の差別・迫害が残っています。この違いの根底にはユダヤ人はホロコーストの犠牲者であるという歴史的認識が社会的に定着しているのに対して、同じ境遇にありながらもロマの史実が伝えられていないことがあるに他なりません。
このような状況を少しでも改善するために今回のカタログは非常に意味があります。チェコ語版も出ているそうです。日本でも正しい歴史認識の構築に活用していただきたいと思います。

「ナチス体制下におけるスィンティとロマの大量虐殺」

〔アウシュヴィッツ国立博物館常設展示カタログ・日本語版〕
ロマニ・ローゼ編
金子マーティン訳
発行 
反差別国際運動日本委員会
(IMADR-JC)
定価4,000円
*大阪連絡会議でも取扱っております


*質疑応答*

Q.ロマとはどのような民族なのですか?

A.ロマの起源には諸説がありますが、私はインド起源説の立場をとっています。これは今から約千年前に数百年の期間をかけてインドからいくつもの少数グループがヨーロッパ各地に移住して現在のロマに至ったという考え方です。ロマの人々が他のヨーロッパ人と比べて非常にアジア的であること、方言があるにせよロマニ語という共通の言語や文化があること等からこの説を支持しています。かつてロマはグループ毎に得意とする生業がありました。宗教的には、ヨーロッパではカトリック教徒が、イスラム圏ではイスラム教徒が多いようです。少しでも迫害を避けるために移住先に同化したためと思われます。

Q.アーリア人についてもう少し教えてください。

A.実際のアーリア人とはインドに起源を持つ民族という説が有力で、ナチスもそのように考えていたようです。ただそれではロマもアーリア人になってしまうため、ロマは移動する過程で他の民族と混血したため、「劣等民族」になったとナチスは主張していました。したがって私はナチスのいうアーリア人は人類学上の根拠はない、思想的に作り上げられたイデオロギー的な概念だと考えています。第2次世界大戦中に日本が作り出した「大和民族」のようなものでしょう。