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2012.03.02
講座・講演録

第42回部落解放・人権夏期講座 課題別講演1-①
部落問題入門 ~ 自らの体験と学びから

村井 茂((財)大阪府人権協会副理事長)

1 部落問題とは何か
①どういうことなんだろう?
  この時間は、みなさんが「初めて部落問題について聞く」という前提でお話ししていきたいと思います。部落問題をどう考えるべきなのか、現在どのような実態があるのか。そして今後、部落問題にどのような点に重点を置いて取り組んでいくべきなのかということについて話していきたいと思います。歴史的な部落間題の経過・運動史については、時間の関係上省かせていただきます。
  私が初めて、自分の暮らしている地域が差別を受けている地域だとしっかりと知りましたのは中学生の頃でした。自分の親やまわりの人たちが目に見えるようなストレートな出来事がなくても何か外側から排除されているということを聞かされて、非常に驚いてショックを受けました。けれども、しかしその差別が何なのかよくわからなかった。当事者でありながら。それは当事者だけじゃなく、みなさんも、部落問題について、なぜこういう差別があるのかなくわかりにくいなあとまず思われると思います。私も部落差別ってどういうことなんだろう、という感じでした。
②被差別部落(「同和地区」)とは? 部落民とは?
  戦後、部落問題解決への国の基本姿勢を確立する重要性は次第に自覚され、国策樹立を求める声は高まり、1958(昭33)年には地方自治体関係者を含めて1,000人が集まり、国策樹立要請全国会議が開催されるなどしました。こうした情勢を無視できなくなった政府が、1961(昭和36)年に同和対策審議会を発足させ、実態調査の実施や多くの会議ののち4年がかりでようやく、1965(昭和40)年に内閣同和対策審議会答申が出されました。
  そのときの答申に、同和問題とはいったい何かということが、簡潔に書かれています。
  「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、曰本国民の一部の集団が……基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障きれていないという、もっとも深刻にして重要な社会問題である。その特徴は、……一定地域に共同体的集落を形成して……その伝統的集落の出身なるがゆえに陰に陽に身分的差別のあつかいを受けている。……現在でも「未解放部落」または「部落」などとよばれ、明らかな差別の対象となっているのである」
  このようにのべられています。
  部落差別というのは、日本の社会の歴史的発展の過程で形成きれていった身分差別の特徴を持ち、長い歴史を持つ差別なんだといっているわけです。その人が個人的な困難を抱えているというような問題じゃなく、伝統的集落の出身者であるということによって差別を受けるということが、現代社会においても残っている。するとまさにこの部落差別のことをしっかりと知ろうと思ったら、どういうふうに日本の歴史の中で被差別部落は形成きれ、なぜ差別が今日まで残ってきたのか、また、その差別を克服するための取り組みはどのように展開されてきたのかといったような歴史的認識が重要です。今日はその話は残念ながらくわしくはできませんけれども、日本の歴史の中で部落は中世からの起源を持ち、非常に長い間排除の差別を受けてきた。江戸時代から制度化されたこの差別は、制度としては廃止された明治以降も差別慣行は残された結果、近代から現代にかけて新しく発生した家制度、資本主義、市民社会における差別と結びついて、解決が一層困難となり残されてきてしまった。戦後新憲法の下に問題解決への展望は開け、大きな前進をみてきたことは確かですが、なお今曰に至っても課惠を残しており、差別慣行の解消に至っていない。歴史的にそういう問題だということだけはいっておきたいと思います。
  この被差別部落については、部落解放同盟の改正綱領(2011年、第68回全国大会で改正)の中でも明確にのべています。「被差別部落とは、身分・職業・居住が固定された前近代に穢多・非人などと呼称されたあらゆる被差別民の居住集落に歴史的根拠と関連をもつ現在の被差別地域である」と、自ら、当事者の団体がのべているわけです。政府の統計調査の、過去行われてきた中で、一番多い記録として、5,600カ所におよぶ被差別部落が報告されております(1935(昭和10)年調査)。
  部落民については、同じく部落解放同盟の新綱領で、「部落民とは、歴史的・社会的に形成された被差別部落に現在居住しているかあるいは過去に居住していたという事実などによって、部落差別をうける可能性をもつ人の総称である」と定義しています。現在およそ500万から600万人といわれています。
  このように新綱領は「部落差別をうける可能性をもつ人」といういい方をしています。なぜこんないい方になるのかといいますと、当初は部落民が何を指すか、ある意味明白であったけれども、今日では、部落民とそうでない人との境界線が非常に暖昧になってきています。その原因は大きくは3つぐらい考えられます。
  1つは、部落外との結婚がすすんできたことです。自分が部落差別を受けているというアイデンティティをもった人びとが、部落外の人と結婚をする。それで子どもが生まれ、その子がまた部落外の人と結婚して孫が生まれる。そのまたひ孫というように、世代が変わっていくことによって、被差別者としての自覚、アイデンティティの意識も薄れていきます。
  もう1つは、部落外への転出者が増大したことです。かつて部落の人たちは部落の中で生活をし部落産業といわれたものなど地域の職業に就いていましたが、そういう姿の時代から、自分の部落を出ていって働き暮らす人が増大していきました。祖父母の代に出て行ったその孫、またその子といった、今の若者が、どういうアイデンティティをもつでしょうか。
  そして、被差別部落コミュニティの混住の進行です。大阪でも調査しましたけれども、半分近く、特に都市の部落では、混住化がすすんでいる。転出入が非常に激しいということがあります。
  そういうことで、父方母方ともに歴史的なかっての被差別身分に連なり、かつ代々部落に居住してきたという、そんな人は、実際の話、少なくなってきます。系譜的には8分の1、16分の1の流れしか受け継がない人、部落に居住しているけれども系譜的には無関係な人、部落外へ転出した人の子や孫で本人自身部落民としての認識がない人、さまざまなバリエーションが生まれてきます。そうした意味で、部落民というものの実態は確固たるものでなくなって流動的になってきた。つまり最近では「部落民」とは一体何を指すのかということが、改めて問われるようになってきているのです。
  そもそも、部落の血縁をどこまでさかのぼれるか、という形の系譜論は、明確な誤りです。血縁をいうなら、すべての人に共通な「サル」にまでたどり着くしかありません。そこまでいかなくても、誰にも2人の親がいる、その親にはまた2人の親がいるというふうに先祖をたどっていくと、たとえば部落の起源の時代ぐらいまでさかのぼったらものすごい数です。そんな時代の人口を考えたら、みんな先祖が重なってきます。それこそ、「人類みなきょうだい」です。
  今、部落民という概念は、実は、社会的関係の中で定義されてきています。絶対的部落民という定義があってこれを部落民というのではない。この人の先祖は身分差別を受けていたと興信所が差別調・査をするようなことは、今、可能なわけありません。そもそも差別の本質はそういうものではないのです。差別の本質は、対象にあるのではなく、「関係」にこそあります。部落史研究の中で、賤民身分の本質が「関係」の問題であるということも見えはじめています。差別する側は、いろんなことで部落民と見なす差別を限りなくします。部落民だと見なして、差別をする。住んでいる場所が部落だというだけとか、被差別部落になんらかの関わりがあれば、部落民概念に放り込んで差別をする。そういう意味で部落差別を受ける可能性は非常に広くあるのです。
  今、差別を受けている地域や人たちというものの姿は、本当に固定的なものじゃないのです。非常に流動的なもの、変化しているわけですけど、変化しながらも、確固として部落差別というものが残り、部落外から部落民(被差別者)はうみだされていく。見なしていく。今こういう差別が存在することによって、広がりをもって、実はみんなが人権侵害きれていく、排除し排除されていく姿が非常にあると思います。
③部落解放運動が教えてくれた
  ここから、私の体験にそって話をさせてもらいたいと思います。私は大阪のある市の地域の者ですが、1971年に、同じ市の被差別部落出身の青年が、結婚差別を受けて自死しました。その翌年には、ある県の女子高生が自死し、そして大阪市の女性が自死しました。私が高校生から大学生になるころ、そうした恋愛、結婚の問題で悩んで若者が自死するという事件の発覚が続きました。それが、私が解放運動に参加していく契機になりました。
  しかし、こうした部落問題への関わりを、私自身は決してネガティブにとらえたわけではありません。自分が当事者であることに何か運命みたいなものを感じて、むしろ1つのエネルギーにしてこの問題に取り組んでいくんだという前向きな気持ちになっていったのです。部落解放運動に取り組むよき人たちとの出会いがそうきせたとも思います。高校で部落研活動に参加し、地域でも青年部をつくっていきました。親しい信頼できるなと思う友人に、部落問題について自分が勉強したことを語り、カミングアウトというか、どんどん地区のことや自分自身を語り、積極的に行動をしていきました。

2 「諸偏見」批判
私は、部落問題のことをカミングアウ卜して語りだしたとき、相手から「そのような不合理な差別はけしからん」「差別は、する側が悪いので誤りをただすべきものだ」というような反応が当然にまず返ってくると思っていました。しかし、多くの場合そうではありませんでした、残念ながら。返ってきたさまざまの「反応・意見」の多くは、被差別者の側に注文をつけ、突き放すかのような考え方があふれていたのです。4つほどのパターンをお話しします。すべて私の体験にもあるパターンです。これらの考え方を批判し、しっかり克服することが必要だと思います。
①「部落分散論・”丑松主義”」
最初に打ち明けたときのことです。友人は、最初、じっくり話を聞いてくれました。そして最初に一言友人が言ったことは、「部落という、そこに住んでるということで差別をされるのなら、なぜそこに住んでいるのか。そこから出て行ったらええねん。何でわざわざ差別されるところに住んでるのや。見てわかるような差別(黒人差別のような差別)じゃないのだから、出て行ったらすむことやん」というものでした。みんな地域から出て行ったらいいじゃないかというこの考え方を、部落分散論といいます。そして、要するに、隠せば差別されることもない、それで解決だという考えです。故郷の部落のことを隠し、わからないように生きればよい、そうした考え方を、島崎藤村の小説「破戒」の、主人公の名前からとって「丑松(ウシマツ)主義」と呼んで、私たちの解放運動の先輩たちは批判してきました。
この部落分散論、丑松主義は、自分の故郷を隠さなければならない。生まれて今まで自分を育んでくれた豊かな自然や人間関係を、すべて捨てるということです。隠し通すには、徹底的に捨てなければいけないんですよ。中途半端ではわかりますよ。自分の親、親戚、兄弟姉妹にも故郷から出て行ってもらわなくてはなりません。そのようなことは現実的に不可能です。「そもそも何で逃げなければあかんのや?」と僕は友人に言ったことを覚えています。それに、出て行っても調べる行為が存在していると。差別をする側、差別身元調査すらする社会の側を問題にしないで、差別をされる側が身を隠して、がんばってわからない姿にするのが差別の解決方法だというのか。僕は友人にムキになって訴えかけた時のことを今も忘れません。
②「寝た子を起こすな論」
もう1つは、部落問題について学習や啓発するようなことをせず、そっとしておくほうがよい、とりあげたら逆効果だ。差別は自然になくなっていくという考え方です。「寝た子を起こすな論」です。この論は、大阪府の府民意識調査でもいまだに、きわめて有力な意見として出てきます。
1871(明治4)年に賤民廃止令(いわゆる解放令)が出た後、50年を経て、全国水平社は1922(大正11)年に生まれています。耐えてそっとしていても、差別がだんだんなくなったりするどころか、どんどん厳しい状態があるものだから、水平社は立ち上がったのです。このように、放置しておけば自然に徐々に忘れられてなくなっていくというのは机上の空論であって、歴史的事実はそうじゃないことをすでに証明しているわけです。これが、寝た子を起こすな論に対する第1批判です。
第2に、調査によると、部落のことを多くの人が子どもの頃からすでに知ったというのが事実だし、部落についてまったく知らない人がいたとしてその先も一生部落について絶対に出会わないのかということです。家族や知り合い、職場での会話の中で、一生部落問題に出会わないということはありえない。「寝た子を起こすな論」の、知らない人は知らずに生きていくという前提がそもそもありえないということです。
大阪は府民意識調査を5年ごとに行っているのですが、学校や研修で習った・教わったと答えている人たちと、親・友人・知人・近所などから聞いて知ったと答えている人たちの間で、被差別部落に対する忌避意識の強さについて、はっきりとした違いがありました。明らかに後者の人たちのほうが強い忌避意識をもっている。後者の場合、多くが部落に対して非常にマイナスイメージをもたされているという結泉が出ています。仮に「寝た子を起こすな」というこの論を進めていくと、学校や社会教育などの公教育の場での部落問題学習をやめることとなりますが、他方で職場や家族や友人、マスコミなどの情報で知ることは、制限できません。私たちの知識は社会生活を送る中で、さまざまな媒体を通して形成されます。公の取り組みをストップしてしまっても寝た子は起こきれてしまう。結果として、部落に対する人びとのマイナスイメージや忌避意識は減少するどころか、高まっていくということになる、このような問題もあります。
もう1つ、「寝た子を起こすな論」の批判をいっておくと、この考え方は、部落の人びとが差別に抗議することや、差別からの解放を求めて訴えることを否定することになっているということです。この考え方でいくなら、差別を受けても黙って堪え忍べということになります。つまり、自分の身の上を明かしたり、差別されたとしても抗議したら逆に差別されるよと脅されているとしたら、これほど酷(ヒド)い考え方はありません。
私は先ほどカミングアウトについて話しましたが、このカミングアウトには2つの意味があると思っています。
まずは、第1は、安心してありのままの自分でいたい、元気になりたいという意味です。つまり、社会に部落差別がある、そういう外的抑圧によって、差別を受けないために、差別に反発しながらも隠したいとかそういう気持ちになる。そういう、自分の中に自分を抑圧する内的抑圧を発生させてしまうことがある。これは非常に苦しい姿で、これこそが被差別の姿なのです。多くの不安を抱きながらも、自己の立場を語ることは、差別と闘おうとする自己変革です。自分自身を内的抑圧から解放する営み、エンパワメントです。カミングアウトには、何よりそういう意味がある。
もう1つの意味は、そうしたとき、それに応え、つながってくれる人が必ずいる。そういう仲間を発見し、反差別の集団をつくりだしていけるのだという希望を抱いた行動だということです。以前私がある会社に研修に行ったとき、そこの人権担当の方が、ある社員が自分が当事者であると明かしてきた際に、「それは、私だけに留める。他の社員には言わないほうがいいよ」と返答をしてしまった、後悔しているということを私に話されました。担当者の方は、自分の対応が、カミングアウトのこの2つの意味を理解せず、カミングアウトした人の気持ちに寄り添えず、逆に突き放す言葉になっていたことに気づいたからです。
③「被差別当事者責任論」
もう一つは、「被差別者責任論」という考え方です。ずいぶん昔のことですが、あるPTAの会合で同和問題の研修をしたときのことです。研修後に私にある方が「差別をなくしたり、訴える取り組みをすることはいいと思います。しかし、一方で差別される側にも何らかの差別される原因があるのじやないでしょうか」「差別されないようにする研修はしていないのでしょうか」という質問をしてきました。その人がなぜそういうことを言うのか、いろいろ聞いてみると、被差別者に対する、部落に対するマイナスイメージが強く、不当な一般化、つまり、部落(被差別者)に対しては、否定的な現象を一般化する傾向が強いと思いました。差別の歴史や科学的な認識、差別の全体像が見えていない場合に、このような、被差別者責任論の考え方に陥りやすいです。何か不祥事や事件が起こり否定的現象が起きたときはもっと陥りやすい。部落全体の人びとにまで、そのマイナスイメージをかぶせていく、社会に存在する差別の責任まで被差別者にかぶせてしまうような考えに同調していってしまう。注意しなくてはなりません。女性差別や民族差別など他の差別の場合にも起こることです。もともと差別的な偏見をもっているところに、否定的な現象を聞いたときに、すぐに一般化する。このような不当な一般化が、被差別当事者責任論には非常に色濃く影響していると思います。
④「宿命論」
最後は、「宿命論」です。差別というものは人間の社会である限りなくなることはない、差別は宿命だとする考え方です。この考え方のおかしい点は、差別を自然法則のごとく、最初からあったかのようにいうことです。女性として生まれてきたから、部落に生まれてきたから、宿命的に差別を受けても仕方ないのでしょうか。たまたま女性に、ある地区のある親の下に生まれてきたといった自然法則により、差別は運命づけられているのでしょうか。人間の意志によらないのが自然法則です。そのようなことが差別の原因ではないと思います。それは、区別です。差別は、人間の意志が働いている社会法則だと思うのです。差別は、人間の意志によってつくられたもの。ざすれば、人間の意志と力でなくすことができるという確信をもちたいと思います。

3 部落差別が現実社会のなかでどのように立ち現われているか
それでは、次に部落差別の実態についてお話ししていきたいと思います。同対審答申では、①市民の中になお存在している部落に対する偏見や忌避の意識などの差別意識、②あるいは住環境や教育、労働などの部落の生活のさまざまな側面における低位なる生活実態、それから、③差別意識が態度や行動として現れた差別事件―の3領域をとらえています。答申は、差別意識と差別事件の領域を合わせて「心理的差別」と呼び、部落の生活実態を「実態的差別」と呼んでいます。心理的差別が実態的差別を起こし、実態的差別がまた心理的差別を起こすという、悪循環に陥っていると、この3領域について分析しています。この悪循環を取り除くため、心理的差別には教育啓発活動を、差別事件には当事者の運動団体による差別糾弾闘争と、国としては人権侵犯処理の取り組みを、実態的差別には、同和対策事業によって生活実態の改善という取り組みをしていくことになりました。
これでは、差別の現実の全体像はとらえきれておらず、まだ何かが欠けていますよね。差別というのは生活環境の実態だけではなく、隠したほうがええぞと言われたり、故郷を捨てたほうがよいのではと思い悩んだり、好きな人ができたとき、相手に打ち明けようかどうかで葛藤したりするような、心の被差別、心の傷、これも大きな差別の実態ではないでしょうか。
今日例えば、東日本大震災が起きた中、阪神淡路大震災の経験からも、地域のみんながバラバラになって、仮設住宅の中でお年寄りが鬱(ウツ)病になったり孤独死する、また親を亡くした子どもたちの心のトラウマをどうするのか。心の被災についてどう支援するのかということが、非常に話題になっています。欧米などにおける人権教育では、エンパワメント、つまり被差別当事者を元気にさせる教育プログラムを何よりも重視しています。市民啓発や、研修だけではなく、被差別者のエンパワメントの取り組みが、隣保館や青少年センターなど、地域の施設でこれまで以上に行われていくべきです。
また、被差別部落の外にこそ、差別意識という心理的な面を超えた差別の実態があるのではないかということも指摘しておきたいと思います。例えば、土地差別調査や身元調査。また、統一応募用紙の制定運動といった、これまで就職差別をなくすための取り組みの経験からみると、部落外の差別は意識だけではなく、システムとして差別慣行が存在していると思います。
四千数百社もの回答を得た、宅建業者への大阪府の調査によると、不動産取引の中で同和地区の物件かどうか知りたいというような質問を受けたことがあると答えた業者が52.3%。半数を超えています。そして、土地差別調査が他県も含めて広く行われていた事件も発覚し、大きな問題になっています。つまり、偏見や忌避意識の根強さとともに、そのような意識に応えるための慣行がシステムのように機能して続いてきている実態があります。
さらに、それ自体は、直接的に部落差別といえないまでも、部落差別の現実と密接にかかわり、それを支える役割を果たす社会の意識や実態もあります。部落差別とは、社会が抱える矛盾や人権侵害の反映であり、それがよりひどく集中的にもたらきれている現実です。部落解放運動は、このような観点から、被差別部落にとどまらず、日本の社会にも大きな変革・成果をもたらしてきました。

4 部落差別撤廃にむけての取り組みで今、重要だと思うこと
では、これからどのような取り組みが特に重要なのかについてです。まず第1に、被差別部落(同和地区)に対する忌避意識を解体する取り組みです。
実態調査でクロス集計すると、差別が厳しいと思っている人ほど忌避意識が高く出ました。これは、同和教育とか人権啓発で、差別の厳しい実態があるということだけを紹介するような授業や研修で終わってしまう部落問題の取り上げ方をしていては、忌避意識が高まってしまうだけという結果になるということです。例えば結婚差別ならば、その厳しい現実とぶつかりながらも乗り越えてきた事例、また乗り越えようと努力している人びとの営みを紹介していくべきでしょう。差別解放への展望をもてている人は忌避意識がぐっと低く出ていることにも注目しなくてはいけません。
また、差別意識調査の中で、差別についての考え方と忌避意識がとても関係しているということがわかってきました。例えば、差別は人間が最も恥ずべき行為だとか、あらゆる差別をなくすために行政は努力するべきであるとか、差別される人の言葉をきちっと聞く必要があるとか、そういう項目にマルをつけている人は、忌避意識は比較的低い。逆に、差別は世の中に必要なこともあるとか、差別の原因には差別きれる人の側に問題があることが多いとか、差別されている人はまず自分たちが世の中に受け入れられるように努力をすべきだとか、差別だという訴えをいちいち取り上げていたらキリがない、などのような項目にマルをつけている人は、忌避意識が高い。特に、被差別者責任論(自己責任論)の克服が重要であることが明らかとなっています。
それから、忌避意識は、ストレートに部落に向かうというよりは、市民が他の市民の視線を感じ取り、お互いがそれに縛られながら「部落出身者と見なされる可能性」を回避していくという、むしろ市民と市民との関係において形づけられています。そういう点に着目すれば、差別解消への社会的動向の認識を形成することが重要であり、「差別禁止法」など、差別撤廃・人権擁護の法整備や、人権啓発のリーダーたる、人権活動に熱心な人が人びとの身近に、まちの隅々に存在しているような状態をつくりだすことが求められています。「差別の世間」に対して、「反差別の世間」を圧倒的に大きくしていくということです。
さらに、部落内外の協働の推進は、重要なキーポイントです。『偏見の心理』でオルポートが指摘した、表層どまりではない、連帯性をはぐくむ目標への協同的精進や、共通の利害や共通の人間性などについての知覚を呼び起こしていくたぐいの取り組みこそが、忌避意識を乗り越えていくのに有効だということを、私たちは実感しています。確信を持って、地域社会の人びととともに人権のまちづくり運動をさらに前進させていかねばと思います。
最後に、複合差別の視点の理解が、これからの部落解放運動の前進を考えるとき、大変大事ではないかと思います。同対審答申は、部落差別が最も深刻にして重大な社会問題とのべていますが、どの差別もすべてが重要な問題です。また、少数民族の女性が同じ民族の男性から性差別を受ける場合や、障がい者の女性への性差別の実態などがあります。被差別部落においても同様です。個人のアイデンティティも複数の要素からなる、複合的なものです。部落差別と女性差別のように、複合的な視点でマイノリティーの状況の諸問題に、取り組んでいく視点が大切だと思っています。