教科書に書かれてないこと
私は憲法学者です。師である芦部信喜先生の授業を学習院大学で聴講した時、教室の真ん中で堂々とおしゃべりをしている、当時学生だった秋篠宮を見たことがあります。学部長から学習態度を注意された彼は、「私は好きでこんなところで勉強しているわけじゃない。」と言ったそうです。兄の皇太子が外務省のキャリア女性と結婚し、皇室外交を担うと報道された時、芦部先生は「彼女が勝手な皇室外交をしたら困る」とおっしゃっていました。皇太子による、いわゆる皇太子妃人格否定発言に対して、秋篠宮が「皇室は受け身です。」とコメントした。授業拒否という手段でプロテストした青年がそれを受け入れていく一方で、キャリアを活かそうと皇室入りした女性が打ち砕かれる、そんな社会に私たちは住んでいます。
ドイツの憲法学者から、天皇が国事行為に対する内閣の助言を拒否した場合の対応が教科書に書かれていないことを指摘されるまで、私はその可能性を考慮したことがありませんでした。これらは、憲法はもっと違う視点から学ばないといけない、教科書に書かれていないところに隠されてきたものが重要であるかもしれないと気づかされたエピソードです。
憲法専門の弁護士として
1995年、私は初めて釜ヶ崎に行きました。地元の方も交えた食事の席で、私が大学で憲法を教えていると言うと、そこにいた人が「日本に憲法あるんか」とつぶやいた。その言葉で、釜ヶ崎では市民として持つ権利が当たり前のように否定されてきたことに気付かされたのです。その時から3年後に、釜ヶ崎のそばに弁護士事務所を開き、現在に至ります。
大学で学生相手に議論をしていた日々から、ちょっとでもうっかりしていると負ける裁判の弁護士になったのですから、毎日が闘いです。裁判に直接関係することが少ない憲法への情熱は次第に薄れて行きました。そんな日々の中、息抜きによく訪れていた大阪府立上方演芸資料館の展示コーナーに戦争中に検閲されたよしもとの台本があることに気がつきました。日の丸行進曲という当時の流行歌の替え歌で「坊やの父さん強い人、大きな手柄を立てられて、靖国神社の屋根の上、可愛い小鳩になりました」。「坊も小鳩になりたいと言われて母の眼はうるむ」という歌詞がばっさり削られていた。どこに逃げても、憲法問題はついてくるな、憲法問題から逃げない弁護士になろうと覚悟したきっかけです。
主権者とは誰か
日本国憲法には主権者は国民と書いてあります。憲法前文「われら日本国民は…この憲法を制定する」とあるし、1条にも「主権の存する国民」とある。しかし、異論もあります。欽定憲法である明治憲法では天皇が主権者であり、明治憲法73条の憲法改正手続きで天皇が裁可したのに、民定憲法の体裁をとる日本国憲法は無効という説。もう一つは、1952年4月28日サンフランシスコ条約締結まで、日本の最高政治権限を持っていたのは連合国最高司令官であり、憲法制定時に国民に主権はなかったので民定憲法は無効という説。実際にはそれらの説を乗り越えて、1947年から今日まで国民主権に基づいた国政選挙が行われてきました。日本国の主権者を国民と定めている憲法が現実政治において正当化されてきたのです。今回問題となっている自民党の憲法改正でも主権者を変えるとは言っていません。
しかし、改憲を望む人たちは国民という名前の下、誰を主権者として、誰を排除しているかを見極めることが最も重要な改憲問題だと思います。この社会に責任を持つ、この国を私の国と思う人の中にたった一人でも排除されている人がいたら憲法改正手続きはやってはいけない、それが民主主義ではないでしょうか。
更に現状では、日本国が他国から宣戦布告をされた場合、安保条約に基づいてアメリカが戦争をします。日本の自衛権をアメリカの沖縄司令官、あるいは大統領が握っているのです。そのような状態で私たちに主権があると言えるのか。核密約で返還された沖縄の基地の問題は日本国の主権そのものの問題なのです。
排除された主権者
日本が独立を回復した日に旧朝鮮半島出身者は法務府の通達によって国籍を失いました。朝鮮半島という領土を法的に失ったことによって朝鮮半島出身者が国籍まで失ったのはなぜでしょう。それはもともと朝鮮半島出身者の国籍が非常にあいまいなものとされてしまっていたからです。そのことは戦前に天皇機関説を提唱したことで有名な美濃部達吉が書いた教科書から覗うことができます。
美濃部達吉著の教科書の記述の変化を見てみましょう。1929年に発行された『憲法撮要 第4版全 有斐閣』に「新ニ朝鮮人及臺灣(=台湾)人タル身分ヲ取得シ又ハ喪失スベキ原因ニ付テハ、臺灣人ニ付テハ国籍法ガ臺灣ニモ施行セラレ朝鮮人ニ付テハ制令(=日本総督府が出す法律)ニ依リ国籍法ニ依ルベキモノト定メラレ、何レモ國籍法ト同一ノ制ガ適用セラル」。ここには朝鮮半島に国籍法と同一の制度が適用されていたと書いてあります。ところが、1932年に発行された改訂第5版にはその個所が「新ニ朝鮮人及臺灣人タル身分ヲ取得シ又ハ喪失スベキ原因ニ付テハ、臺灣人ニ付テハ国籍法ガ臺灣ニモ施行セラルルニ反シテ、朝鮮人ニ付テハ未ダ成文ノ定ナク、慣習ト條理トニ依リ決スルノ外ナシ。」となっています。
1931年、張作霖爆破事件を起こした関東軍が日本国の臣民の防衛を名目にして国際法上の宣戦布告のないまま侵略戦争を開始します。同じ頃、国籍法が変わり、外国籍を取得すれば国家の許可なく日本国籍を離脱できる制度が作られました。これは、日系アメリカ人のための改正でした。一方で、朝鮮半島出身者は国籍法の適用を受けないことにして、国籍離脱を不可能にした。その上で元々朝鮮族が多かった関東地方に、日本国籍である人々を守りに行くと宣言したのです。その国策に合わせてこの教科書の記述が変わったのです。
1910年以降、日本の国籍法は朝鮮半島に適用されていたというのが例外のない通説です。しかし1931年の侵略戦争開始によってその解釈が変わってしまった。美濃部の教科書の記述の変化は憲法学が政治の都合で簡単に主張を変えるという象徴です。
政治に対する批判が行われることが責任政治であり、民主主義であると提唱したのは美濃部です。当時、官僚を輩出した東京帝国大学で行政法を担当し、非常にリベラルだった美濃部でさえ、国家に対して批判ができずに、むしろ日本のやったことを後追い的に正当化してしまった。その事が現在、国籍がないとされる「在日」の問題と関係しています。
日本の独立により国籍を喪失した方及びその子孫、特に日本に在住されている方達は主権者として憲法改正国民投票に登録する機会を与えなければ著しく不正義です。
9条をどう解釈するか
国際法的にいえば戦争は交戦状態にあるという事です。国際法上、戦争状態に入るためには一方の国が相手国に対して宣戦布告をしなければなりません。日本国憲法では国際法上の宣戦布告の権利は「交戦権」とされ、9条2項に「国の交戦権はこれを否認する」とあります。1項では国際法上の戦争状態にあることを放棄すると言っています。それがすべての戦争状態にある事を放棄するのか、侵略戦争のみ放棄するのかは解釈が別れています。2項の戦力不保持についても、それが自衛力を含むか否かの争いがある。しかし、宣戦布告の権利が否認されていることには争いがありません。これは軍隊を作っても、自らは宣戦布告できないということであり、非常に重要なことです。
にもかかわらず、憲法9条が宣戦布告の権利を放棄していると中学・高校の教科書にも、専門書にも書いてありません。美濃部の弟子で、芦部先生の師である宮沢俊義の注釈書には「1項で戦争状態が放棄されているのだから、宣戦布告の権利とか交戦国に認める権限も放棄する等は意味のない規定」とあります。これは日本が宣戦布告する権利を否認、あるいは否認されてしまった事の重要性を隠そうとしている、と読むこともできます。
憲法制定に至る経過を見ると日本政府が9条に抵抗をしたことがわかります。まず言葉を変えようとしました。戦争を「放棄する」という言葉は国際法上の意味を持つため、「廃止する」という国際法上は意味を持たない言葉に変えようとした。しかし、気づかれて「放棄」にさせられた。これは当時の政府からすれば屈辱的なことでした。そこで「前項の目的を達するため」という言葉を入れて、自衛戦争は放棄していないと言えるようにした。これを危惧した中国と豪州を納得させるために極東委員会は文民条項を入れて、将来日本が自衛力を持った時の予防線を張った。このような歴史的経過がありますが、合理的に考えると、戦争中「ここまでは自衛力」と判断するのは不可能です。9条を素直に解釈すれば、全面的な戦力を保持しない、警察力以外の軍隊は持たないという規定です。
大阪市長への請願
2013年3月11日、15年間の弁護士の経験を踏まえて、私は次のような請願を大阪市長へ行いました。
①「大阪市西成区萩之茶屋周辺、釜ヶ崎に居所を有する多数のホームレス状態を余儀なくさている市民、特に2007年3月29日西成区長により解放会館等にあった住民登録を消去された2088名の市民について、住民登録が可能になる措置を早急に講ぜられたし。」
2007年以降も毎年たくさんの方が新たに削除されています。住民登録できない人は憲法改正国民投票には参加できません。主権者の権利の確保をすべきです。
②「同和対策事業特別措置の継続として行われた大学奨学金および高校奨学金の実質的な給付制を維持するため、市議会における債務免除措置等の返還免除措置を至急講ぜられたし。」
1980年代、大阪市では「市内に住む同和関係者の子弟」と明言した上で、実質的返還免除の奨学金制度を作りました。その条例が2002年度に切れ、市は新たに債務免除を規定した条例の成立が難しいことから、奨学生に対して返還を求めています。これは新たな差別を生みます。積極的差別是正策の結果が、市や国の政策変更により新たな差別を生むことは絶対に許されません。
③「国旗の常時掲揚および教職員に対する市施設における国歌斉唱について、以下の留意事項を市教育委員会および各校長・教職員に文書で配布されたし。各位の思想良心について留意するため、国旗掲揚はいかなる意味でも、国歌への忠誠を強制する意義がないことを確認するとともに、行事に際しての国家斉唱の前に、各位に対して退席の自由を認める。なお、児童生徒の思想良心に配慮して、いかなる意味でも斉唱を児童生徒に強制するものではない旨のアナウンスをされるよう留意されたし。」
国旗を嫌だという人の退席を認める事と強制していない事を子ども達に説明する事は今のシステムでもできることです。しんどい事にも反対できる人を育てることが民主主義教育です。その教育の場で、立たない、歌わない、そんな先生クビ、ということを子どもに教えることは民主主義を担う市民の教育として、絶対に許せない事です。
〈付記〉
私の請願に対しては、大阪市長は誠実な対応を行いませんでした。しかし、釜ヶ崎の労働者・支援者41名の方々が2013年6月24日に①につき、大阪市長に請願を行い、受理されています。なお、改憲批判についての私の意見は奥平康弘他編『改憲の何が問題か』(2013年、岩波書店)で述べておきました。さらに、憲法改正で最大の焦点となる9条の理解については、森田寛二『憲法制定の《謎》と《策》(上)』(2004年 信山社)を是非参照してください。本講演で述べたことは、全面的に同書に依拠しています。
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