2014年7月2日(水)、大阪府男女共同参画・青少年センターにおいて、第23回ヒューマンライツセミナーを開催しました。今回のテーマは「識字」です。部落解放運動から始まった識字のとりくみは、社会の変化に呼応しながら発展してきました。文字のよみかきだけではなく、機能的識字、リテラシー、成人基礎教育など今日的課題とも密接なつながりをもち、エンパワーメントや社会的インクルージョンに不可欠な識字について、日々とりくんでいる方々をお招きしてご報告いただきました。当日は約420名の参加がありました。
(文責 事務局)
第1部 基調提案
「しきじ・日本語学習のいまとこれから~調査と世界の動きをふまえて~」
森 実さん(大阪教育大学教授)
いきることは学ぶこと -大阪識字教室にて
私は被差別部落の識字教室に1985年から20年くらい通っていました。教室ではたくさんのことを学びました。ある男性は家が貧しくて小学校にあまり通ってなかったので、読み書きが十分にできず、会社で報告書が書けないということでした。署名活動に協力したかったのに、うまく書ける自信がなくて断ったことが悔しかった、という方もいました。教室では朗らかな方が、バスに乗っている時はとても強張った表情をしているのを見て、その人にとって10分間バスに乗り駅に行く事が大変なのだという事がわかりました。
世直しと読み書きを学ぶことはひとつだと提唱していたパウロ・フレイレさんが大阪の識字教室を訪問された時には、自分で書いた生い立ちを読み上げる学習者の方々の姿を見て、自分の考えが実践されていると感激されていました。海外からの研修生などを連れていくと、言葉や文化の壁をすり抜けてコミュニケーションをとっている。繋がる力が強い人たちだと驚いています。
海外の識字学級から学んだこと
識字運動を通して世界の様々な地域も訪問しました。インドネシアでは刑務所の識字学級を見学しました。刑務所に行く人の中には、小さい頃に文字を学べなかったため安定した仕事に就けず、犯罪に走ってしまった人も多いので、刑務所での識字教育は世界的な取り組みです。カンボジアの識字学級でも学習者の方々は「仕事が欲しい」と言っていました。読み書きを学んでも仕事がないと生活が改善されません。仕事に繋がる読み書きを求めていました。
日韓識字交流は91年から4回開催しました。交流を重ねる中で、韓国識字協会の事務局長が「実は植民地化で韓国の識字問題の原因を作った日本との交流には反対だった。しかし、日本にもいろんな人がいる事が分かった」と言われました。同協会の会長も「押し付けられた言葉、日本語は二度としゃべらないと誓ってきたけれど、初めて日本人とコミュニケーションを取りたい、日本語をしゃべりたいと思った」と言ってくれました。識字は国際問題にもつながっているのです。
タイの識字学級はコミュニティ・ラーニング・センターという、日本の公民館をモデルにした施設で行われていました。チェンマイではタイで仕事を探すミャンマーの若者が、就職に必要な中学卒業資格を取るための識字学級も訪問しました。タイは、ESD(持続可能な開発のための教育)に熱心で、環境問題と識字を組み合わせて教えていました。このように海外ではたくさんの活動のヒントを頂きました。
文字をえて光る言葉たち
2011年、大阪で識字教室が減らされるかもしれないという危機が発生しました。関係者は存続運動を展開し、国連・ユネスコ本部へ、2003-2012年の「国連識字の10年」の延長要請を行うと共に教室で学んでいる人たちの言葉を届けました。それらの言葉を紹介します。
「字は、生きているしるし」
「この教室は ほっとするねん。なんでもしゃべれる。親兄弟にしゃべられへんことでも しゃべってしまうねん おかしいやろ。」
「きょうしつきてたら、しあわせや。みんなのかおみてたら、しあわせや。」
「なんでもはなせて、自分を全部出せる場…」
「識字に行ってから 知らないことは知らないと すこしも恥ずかしくなくなった」
「まぶしかった字が いま 体の中で 光ってる。」
第2部 現場からの報告
菅原 智恵美さん(日之出よみかき教室) 次田 哲治さん (奈良市立春日夜間中学) 田村 幸子さん(おおさか識字・日本語センター) コーディネーター 森 実さん
森:それぞれの活動をご紹介ください。
菅原:私が教室で出会った人たちを紹介することで教室の様子が伝わればと思います。学習者についてです。私がはじめてペアになった人は車いすで教室に来られていました。病気のしんどさや日々の暮らしのなかで感じていることをことばや詩にしました。その他にも自閉症や発話によるコミュニケーションが困難な方、仕事や結婚により渡日して来られた方と学習しました。親の都合や難民として渡日して来られた方もいました。年齢は10〜70代までと幅広い層の方が参加しています。現在は日之出に生まれ育った70代の方と学習しています。次は学習パートナーについてです。以前はほとんど学校教員でしたが、現在は何も知らずに参加する人が多く、教室はその人たちが部落や様々な社会的問題を知り、学ぶ機会になっています。
様々な人が集い学び合う教室ですが、大阪市では2012年に市政改革案の一つとして識字教室の廃止が打ち出されました。様々な反対運動の結果、教室は存続しましたが、活動拠点の市民交流センターは2015年度末に廃止となりました。今後、どこでどのような学びを継続していくかが課題となっています。また、理念の継承や取り組みを広げることも課題となっています。識字教室はこれまで人権や反差別の視点をベースに地域の課題にあわせて運営されてきました。部落の識字教室は、生い立ちを安心して語り合い、共有できる場としてだけではなく、差別とは何か、差別の現実と向き合い、どのように解決していくのかを考える力を身に付けることができる学びの場だと思っています。社会の在り様を見つめ、行動する力を養える場としての役割は今後さらに問われます。
私たちの教室は1970年の開講以来、学習者、学習パートナーともに生い立ちを振り返り書き綴った文集を出しています。この作業を通じて自分が自分らしく生きていけるようになったと語る参加者もいます。今後もこのような学びを大切にしていきたいと思います。
田村:私は日本語ボランティアを始めて20年程になります。私が住んでいる枚方市は大企業の研修センター、中小の工場、関西外国語大学もあって、海外から来て働いている人がたくさんいます。中国帰国者の多い府営住宅もあります。住民から「日本語が通じない」「ゴミ出しのルールを守ってくれない」等の声があって教室が増えたのですが、ほとんど日本語がわからない人たちにどう教えたらいいのかわかりませんでした。
そこで1999年に大阪にほんごボランティアネットワークを立ち上げ、大阪近郊の教室で活動する人たちと情報交換し、学習方法や教室の社会的意義、多文化共生社会の実現に向けての役割等を知ることができました。大阪府内には200を超える識字・日本語教室があり、市内には約80教室あります。冊子『大阪市がもし100人の村だったら』(2009年大阪市・大阪市人権啓発推進協議会発行)には、「中央区と浪速区では毎日2人が外国から引越してきます」「大阪市で結婚した夫婦100組のうち、10組はすくなくとも夫婦のどちらかが外国籍です」とあります。大阪の特徴はいろんな国の人が散在して住んでいることです。
外国から来た人は言葉の壁や制度の壁、心の壁に囲まれて生活しています。教室は言葉の壁をとり除くだけじゃなく、必要な情報を知り、安心してなんでも話せる場所です。心の病になった学習者が治療を受けるために、通院通訳ボランティアの仕組みを大阪府に要請し、実現しました。また、ある時、学習者から「毎日工場長から暴言を吐かれて、出勤しようとすると体が震える」と長い間1人で苦しんでいたことを打ちあけられました。毎日、電話で励まし続けました。この時は組合が対応して工場を変わることができましたが、労災に関わる相談を受けたケースでは、「日本語教室に行くとやっかいなことになる」と雇用者側から言われたことがあります。
「男性には暮らしやすくて女性には暮らしにくい」、「若い人には暮らしやすくて高齢者には暮らしにくい」、「健常者には暮らしやすくて障害者には暮らしにくい」、そういう社会がおかしいように、「日本語の文字や言葉が分かる人にだけ暮らしやすく、わからない人には暮らしにくい社会」はおかしいと思います。教室は様々な人が安心して生活できるためのセーフティーネットだと実感しています。
次田:私はお二人と違って、職業として夜間中学(以下、夜中)の教師をしています。夜中が一番多いのは大阪府ですが、人口比で言うと奈良が一番多い。私がいる春日夜中は大阪府教育委員会が奈良から大阪の夜中に通っている学生を締め出したことをきっかけに、1976年から始まりました。奈良から大阪の夜中に通っていた先生方が市民運動等に呼びかけて自主夜間中学をつくり、今も「春日夜中を育てる会」として後援団体になっています。夜食にうどんを提供していたので、うどん学校という愛称で呼ばれています。公立としてスタートしたのは1978年、当時日本経済は右肩上がりで行政にも財政的な余裕があり、アジアとの姉妹都市交流なども盛んで、夜中の公立化も良いイメージで進められました。1985年には鉄筋の専用校舎できました。生徒には戦争のため、文字を獲得できずに苦労した方たちが多く、そのため、基地問題や地上戦の実態が分かる沖縄へ行きたいと言う声があがり、全額行政負担の沖縄修学旅行も実現しました。1988年には全国に先駆けて、春日中学は夜間学級内に特別支援学級を併設して教員を一人加配しました。大阪では最近ようやく特別支援学級で教員の加配が実現したところです。81年には天理市に、91年に橿原市にも夜中ができました。
今後の課題はまず、育てる会の高齢化です。育てる会に関わる若い人が少なくなって、活動が継承されていません。行政がこの春から簡単な給食を打ち切ってきたことや生徒数の減少も課題です。非識字層は戦後教育を受けられなかった人が多く、その世代はどんなに若くても80歳前後で、だんだん体が不自由になったり、亡くなったりしています。私は7万人が暮らす京田辺市に住んでいますが、小学校で11人、中学校では70人の不登校の子どもがいます。今後、そういう人たちにも夜中のような学校が必要ではないでしょうか。
今年4月24日には夜間中学等義務教育拡充議員連盟が国会の中に発足し、法整備に向けて動いています。これがうまくいってくれるように願っています。
質疑応答
Q日本の識字率はどれくらいですか
森:森:最新の日本の識字率調査は1955年に関東地方と東北地方で行われた15~24歳の調査です。その人たちは今なら80代。5割くらいの人が困っていました。この時の調査は文章を読み解き、作文するという方法だったので、今、同じ調査をしてもきちんと答えられない人は多いかもしれません。日本政府は国連に「国内に識字問題はない」と報告していますが、それは単純に文字が読めない人という認識であり、実際にはPISA調査での中学生の読み書き能力(リテラシー)領域の結果を見ると日本は韓国やフィンランド、香港等に比べてできない子が多いのです。いろいろな調査から、現在の日本でよみかきに困っている人は、5-10%ぐらい入ると推測できます。とはいえ、推測にとどまりますから、政府にはきちんとした実態調査をして欲しいと思います。
Q市民交流センター廃止を学習者はどのように受け止めていますか
菅原:高齢な方も多く、しんどさを抱えている方もいますが、活動拠点を残したい気持ちは強く、また地域に教室があることの大切さを感じている方が多いと思います。
Q日本人で支援が必要な人も多い中、なぜ外国人を支援するのですか。
田村:私たちは、外国の方とお互いに学びあっていて、一方的な支援をしているのではありません。そのため、教室参加費等もわずかですが、双方が出し合っています。
Q戦争が夜中を生み出すという発言の趣旨は。
次田:戦後70年がたとうとしていますが、教育の面で戦争が付けた傷痕は全く癒えていません。戦争や原発の問題等、時代の流れの中で、コストパフォーマンスで考えたらありえない判断をしてしまう問題を考えなくてはと教えられている毎日です。
Q「文字を知ってから夕陽が美しくなった」という詩について、どのように感じますか?
森:最初は理解しがたく思っていましたが、ある方が、識字について「身体の中に感じるものが、文字という表現手段を得た時に、心の中からほとばしるようになった」と説明されていて、今はそれと通じることかと思っています。
Q理念や内容について教えてください。
次田:成人教育として、自分を表現していく事に力を入れています。一斉授業ですが、それぞれが歩んできた道を考えながら表現するようにしています。そのため、夜中の雰囲気はとても明るい。若い人がその明るさを見て、自分が受けてきた教育との違いを考えてくれたらいいと思います。
田村:学習支援者には「学習者が何を学習したいかをしっかり受けとめて、それに答えていきたい」という思いがあります。学習者には日本語を必要としている人もいれば、日本人としゃべる機会がないので会話を楽しみたいと言う人もいます。 一人一人の思いをしっかり受けとめてパートナーとして向き合っています。
菅原:私は課題だと感じていることをもう一つ。部落差別など何も知らずに参加した人が教室で差別的な発言をすることがあります。理解し合うにはどうすればよいのか、悩みながらすすめています。教室での学びが日常生活で活かしてもらえるような学びができればと思っています。
Q法律や政策についてご意見をください。
次田:どのような層の人が夜中を必要としているか、本来行政が調査するべきなのに、個人情報保護を名目に逃げています。ようやく国勢調査で識字の調査もするという話も出ているので、期待しています。
田村:今年3月に日韓識字文解交流で訪問した韓国には平生教育法、多文化家族支援法、在韓外国人処遇基本法などの法律があり、それぞれ支援する仕組みや体制も整い、日本とは大きく違います。特に多文化家族支援センターの取り組みは幅広く、ボランティアとの協働も進み、大変驚きました。法律があるだけでは体制は充実しませんが、日本はまず法律がなく、本来行政が責任を持つことまですべてボランティアに頼っている状況に問題を感じています。
菅原:私からはお願いです。私たちはこの間、教室存続等の署名活動に取り組みました。そこで感じたのは、夜間中学や識字教室を知らない人が多いということです。できれば今日、ご自宅や職場に戻られたら『識字』について知ったことを周りの方に話していただけると嬉しいです。また、私たちは昨年、識字の写真展を開催しました。パネルは無料で貸し出しています。多くの方に知っていただけるようご協力願います。
森:グローバリゼーションで格差が広がって人・モノ・情報・お金の流通が激しくなっています。東アジアの政治的緊張もあります。この2つをどう乗り越えるかを日々意識しながらやっていかなくてはなりません。あらゆる国でその国で暮らしていけるのに必要な保障が得られるシステムを作ることが必要です。政府はそのように動いて欲しいと思います。 |