講座・講演録

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2015.04.16
講座・講演録

世界人権宣言66周年記念集会を開催しました
2014年12月10日(水)


サッカーから学ぶ
人種差別との闘い

講演 陣野俊史さん  (『サッカーと人種差別』著者、文芸評論家)

報告 朴 貞任さん 京都朝鮮学校オモニの会)
文 公輝さん (多民族共生人権教育センター)

世界人権宣言大阪連絡会議は、12月10日(水)大阪市立東成区民センターにて、世界人権宣言採択66周年を記念する集会を開催しました。2014年は、国際的にも人気のあるサッカーのスタジアムで行われた人種差別事件が大きなニュースになりました。それは日本社会でヘイトスピーチの状況が深刻化していることと連動しています。そのような状況を踏まえ、今年の集会は人種差別との闘いをテーマに設定しました。

当日は主催者を代表して森実代表幹事から社会に蔓延するヘイトスピーチへの対応が必要という挨拶がありました。続いて、一般社団法人大阪府サッカー協会の藤縄信夫専務理事による来賓挨拶を頂きました。そして第1部においてサッカー界が差別と闘ってきた歴史を学び、第2部では実際に起こっている人種差別の状況と被害者の声、差別撤廃のための取り組みに関する報告を伺いました。当日は約400名の方にご参加いただきました。

(文責 事務局)

第1部 〈講演〉 

「サッカーはどのように差別と闘ってきたのか」

陣野俊史さん

ヨーロッパにおける差別の歴史
サッカーのスタジアムには様々な差別の歴史が刻まれています。その歴史を語る上で前提として忘れてはならない事件は1995年の『ボスマン裁定』です。ベルギーのクラブに所属していたボスマン選手が、フランスのクラブへの移籍をめぐるトラブルをヨーロッパ司法裁判所に訴えたことをきっかけに、EU出身選手はEU域内の移籍が自由になりました。そしてEU圏外から来る人がクラブの、当時あった外国人枠に入ることになり、その結果、選手の国際化が進みました。このことが間接的に人種・民族間の対立をあおることになったのです。
選手の個人史も見てみましょう。まず、ジャマイカ出身で、80年代、イングランドで活躍したジョン・バーンズ。彼は相手チームだけでなく、自分が所属しているクラブのサポーターからも差別を受けてきました。彼はピッチに投げ込まれたバナナをヒールキックしたことを自伝に取り上げ、「いまだに人種差別が深く浸透している事に気づいているにもかかわらず、何も有効は手立てが講じられていない…それは社会全体がそのままレイシストであることを示している」と書いています。
元フランス代表、クリスティアン・カランブーはカナックというニューカレドニア先住民族出身です。彼の曽祖父は1931年の「植民地博覧会」に展示されるためにパリへ来て、さらにドイツの動物園のワニと交換されています。この歴史を一族の屈辱として聞き育ってきた彼は、フランス代表としてプレイするのではなく、ニューカレドニアの政治問題に注目させるためにプレイするのだ、と言って物議をかもしたことがあります。
2014年4月、投げ込まれたバナナを食し、コーナーキックを蹴ったのはFCバルセロナ所属でブラジル代表ダニエウ・アウベスでした。この事件の後、世界中のサッカー選手や元選手がフェイスブック等にバナナを食べる写真をアップして連帯を表明し、大きな話題になりました。彼の行動は大変勇気があり、ユーモアもありますが、一方でそのユーモアが人種差別という冷酷な事実を薄めてしまった側面もあります。また、それまでバナナを食べる行為に意味づけが無かった地域にもその画像が拡散し、その行為が選手を侮辱する概念であることを明らかにしてしまいました。実際、4か月後の日本で、サポーターが外国人選手にバナナを差し出す事件が起きています。
2011年、川島永嗣がベルギーのクラブにいた時、「カワシマ、フクシマ」というコールが起きました。川島は日本全体で震災から復興しようとしている時にあまりにもひどいと涙ながらに主張し、それを受けた審判が試合を中断しました。人種差別や人道に反する声援によって試合を中断できることは審判に与えられた重要な権限です。それをきちんと踏まえて中断した審判と、自ら訴えた川島選手は素晴らしいと思います。

差別と闘う人びと
ヨーロッパにはFARE(欧州サッカー反人種差別行動)という団体があります。彼らは「周縁に追いやられた人々(若者、移民、人種的マイノリティ、LGBT、女性)の立場を確立する」「社会の差別をなくすために、サッカーのアピールをもちいる」という強い意志を持っています。FAREのサイトには、人種差別だけでなく、サッカー界で起きた女性差別や同性愛差別の事例なども掲載されています。2014年ブラジルW杯でも同性愛を嫌悪する発言をして問題になったサポーターがいましたが、最終的にはおとがめなしでした。スタジアムには人種以外にもマイノリティを差別する雰囲気が確実にあって、サッカー界はそれを許容してきた一面があります。その事実を知らしめるためにFAREは様々な事実を公表しています。
1998年のフランスW杯優勝時のメンバーの多くはフランス海外県出身者で、社会的階層が等しかった事がチームの一体感を醸し出したと分析する社会学者もいます。その時のメンバーでカリブ海諸島出身のリリアン・テュラムは現役時代から政治的な発言を辞さない人でした。彼はきちんとした教育さえ受ければレイシストにならないと主張して、教育のための基金を設立しています。彼の主張を逆説的に証明するように、フランスで同性婚の法律を通したことで有名な有色女性法務大臣に、11歳の少女がバナナを投げて「このバナナは誰のでしょう。メス猿のです」と言い放った事件が2013年に発生しています。
2005年、スペイン代表監督から差別を受けたティエリ・アンリと多国籍企業であるナイキがコラボして人種差別キャンペーンを大々的に行いました。このようなキャンペーンを批判する人もいますが、注目されてない下部リーグ等での熾烈な差別を知ってもらうためにも、有名選手を起用したキャンペーンの価値はあると思います。

「バナナを食べる猿」という偏見をどう壊すか
南米や豪州の選手たちは欧州サッカーの世界でバナナを投げつけられて「お前たちは猿だ」と差別を受けてきました。でもそれは幻想です。東欧出身の選手が、ロマ民族でなくても「ジプシー野郎」と呼ばれるなど、実態と関係なくイメージや幻想をぶつけて相手を侮辱することが、サッカーにおける差別の根幹の一つです。日本のメディアもアフリカ出身選手をよく「身体能力が高い」と評価しますが、そもそも身体能力が低い人が世界で活躍することはできません。そういう幻想を一つ一つ壊していくこと、少なくとも言葉を正確に使うことが差別と闘う友好な手段だと思います。
よく、どのような行為が差別に当たるのか、という質問を受けますが、問題はバナナ=人種差別のアイテムと認識することではありません。最も怖いのは、認識しただけで何も考えなくなってしまうことです。今こそ、スタジアムで何が人種差別に当たるのか、サポーターが議論してある程度成果をだす時です。新聞によるとJリーグやクラブがツイッターなどで人種差別的行為がないかチェックしていて、Jリーグ広報部は「監視だと言われる可能性は理解しているけれど、問題が大きくなる前に察知することで対策を準備する意味が大きい」とコメントしています。実際、評価する論調が主流です。しかし、3月に浦和サポーターが「JAPANESEONLY」の横断幕を出した時、別のサポーターがこの横断幕は人種差別だと指摘したように、差別の線引きはサポーター自身が決めたらいいのではないでしょうか。あれは最悪の事件でしたが、浦和サポーターが差別だと指摘したことは唯一の救いでした。差別をするのはほんの一握りのサポーターで、自分はそんな不心得者じゃない、だから彼らを切り離してしまえば済む、という考え方にも賛同しかねます。誰かに決めてもらうのでなく、自分たちで決める姿勢、自律性が大切だと思います。
コスモポリタンとして見習いたい人は、イビチャ・オシム元日本代表監督です。2011年、FIFAはボスニア・ヘルツェゴビナに対して、当時民族ごとに3つあったサッカー協会の1本化をW杯出場の条件に出し、その調停をまかされたのがオシムでした。ボスニアは多数派のムスリムとセルビア系、クロアチア系3つの民族が苛烈な内戦を経て、お互いに強い不信感を持つ社会で、協会の1本化など不可能と思われたのですが、オシムは1か月半で実現しました。彼はあるTV番組で「サッカーは“関係”でできている。代表チーム、協会、コーチもサポーターも、ボスニアも多民族から成り立っている。本当はみんな協力したがっているのだ」と発言しています。オシムはサラエボっ子を自称し、複数の共同体を外から眺める視線を持っていたから1本化を実現できたのでしょう。
サッカー場での差別行為を特殊な行動として切り離すのではなく、私達の日常の中にあることとして捉え直すことも必要でしょう。浦和の横断幕を批判した人は海外のサッカーをよく見ている人でした。その人の日常にとってはあの横断幕は差別以外の何ものでもなかった。そのように、私達の日常の延長に差別を捉えていくしかないのではないでしょうか。日常を読み替えると言ってもいい。誰かが「人種差別は良くない」と決めるのではなく、一見回りくどいのですが、自分の日常を読み替えていく事からしか、差別に対抗することはできないのではないかと、本を書いて改めて考えた結論です。

「バナナ」以後にいる私たち
哀しい事ですが、現在もピッチにバナナは投げ込まれているし、これからも続くでしょう。しかし、悪気はなかったと言って済む問題ではありません。一方、過度な制裁は応援の委縮も招きかねません。何が差別に当たるのか、サポーターが自律的に考えて線引きをしなければ強烈な監視下に置かれることになります。その時にサッカーも少し魅力を減らすことになるかもしれません。そうならないように、私たちは性急さと決別して「まわりくどさ」を覚悟する必要があるのではないでしょうか。

*陣野さんは2014年7月に上梓された「サッカーと人種差別」を基に講演されました。
文春新書 定価750円+税

2部〈報告〉

京都朝鮮学校襲撃事件 ―心に傷、差別の罪、その回復の歩み

朴貞任さん

私は京都で生まれ育った在日3世です。事件当時、京都朝鮮第一初級学校オモニ(=母親)会会長でした。私たちは学校を、私たちの学校=ウリハッキョと呼びます。2002年の拉致問題以降、ウリハッキョをめぐる環境はとりわけ厳しくなりました。オモニ会は補助金の停止・減額、高校無償化除外などの是正と見直しを求める前面に立ち、子ども達の学ぶ権利を求めて闘ってきました。

踏みにじられた日常
2009年11月下旬、「在特会」と名乗る集団が第一初級学校に来るとネットを通じて予告がありました。そして12月4日、京都・滋賀の学生が交流会を行っている最中、「在特会」は拡声器で教職員や子ども達にむけ、1時間もの間、聞くに堪えない暴言、罵声を浴びせに来たのです。学校が大変な事になっていると電話を受け、私はすぐに車に乗り込みました。学校の近くに来ると、拡声器を使った怒号のような声が聞こえてきました。怒りにハンドルを握る手が震え、胸苦しさで涙があふれてきました。知らせを聞いて集まった父兄や卒業生はみな呆然としていました。学校現場はとても混乱し、まさに緊急事態だったのです。
事件以降、子ども達の様子に不安がありました。あるオモニは子どもから「朝鮮人って悪い言葉なん?」と聞かれ愕然としたそうです。尖らせた鉛筆を「在特会と闘うため」に持ち続けていた男の子もいました。親たちは子どもに携帯GPSを持たせ、制服を隠すためにコートを着させ、電車に乗る時は私語を慎みなさいと注意しました。私も街で娘にオンマと呼ばれた時、思わず娘の口を覆いたくなるまでに追い詰められていました。オモニ達は連日、通学路に見守りに立ち、アボジ達や先生も休み時間に公園に繰り出す子ども達の警備に立ちました。それは社会に対する信頼の崩壊でした。

繰り返された襲撃
翌年1月14日の襲撃の時、私は必死に警察にデモをやめさせるように訴えましたが、勢いづいたデモ隊は解散せず、装甲車や機動隊も動く様子がありません。勝ち誇ったように、「朝鮮人は保健所で処分してもらいましょう」という声が聞こえ、ぞっとして全身の血が引いていくのを感じました。
この頃からネットではおぞましい書き込みや脅迫まがいのコメントが飛び交い、事件の動画閲覧数は10万回を超えました。膨大な数の在特会への賞賛コメントは、何万人もの人々が背後にいる事を想像させ、私たちは心身ともに極限状態でした。そして3月28日、3度目のデモが決行され、地域で大きな騒動となりました。朝鮮学校があるから、このような騒ぎになると思われてしまえば、私たちが築いてきた近隣地域との信頼関係が崩れてしまいます。在特会により私たちの怖れていたことが現実に起こってしまったのです。
ウリハッキョは子ども達のかけがえのない学び舎であり、何世代もの地域同朋が集う大切なコミュニティです。子ども達はこの場で文化を受け継ぎ、自分の出自が朝鮮半島にあることを自然に大切に思い、自信を持ってこそ、日本の人と社会に対して対等な立場で、お互いを理解し尊重できるのです。ウリハッキョは在特会の言う反日教育の場であるはずはなく、未来の日本と本国をつなぐ夢を生み出す場所です。子ども達や在日コリアンが日本社会で暮らせるのは社会に対する信頼があるからです。朝鮮人を殺せと言う言葉は、世の中にそのような言葉を発して良い、差別をしても良いと言うメッセージになるのです。

法廷闘争
2009年12月、私たちは在特会を刑事告訴しました。民事裁判では類をみない98名もの大弁護団で5年もの裁判を闘い抜きました。民族の尊厳を取り戻す闘いの真摯な姿を記憶して欲しい、全国のウリハッキョの未来のためにも歴史に恥じる選択をしてはいけないとの思いを支えに走ってきました。そして何よりも失った日常を回復したかったのです。
2013年、10月7日京都地方裁判所は在特会らのヘイトスピーチは「人種差別撤廃条約」に反する深刻な人種差別行為であると断罪し、2審大阪高等裁判所も在特会側の控訴を棄却、1226万円の賠償を明示した京都地裁判決を維持しました。民族教育を行う「学校法人としての人格的価値を侵害され」「社会的環境も損なわれた」として、子ども達の明るい未来を法的に保護する画期的な判決が下されたのです。そして先ほど、この判決を不服とした在特会の上告を最高裁は棄却しました。20回近い裁判傍聴に駆けつけ、「この地で子ども達を立派なチョソンサラム(朝鮮人)に育てたい」と訴え続けてきたオモニ達の想いは、これまでかたくなに拒絶され続けた司法の場に届き、多くの日本の良心を動かしたのです。

広がりつつある連帯の絆
裁判闘争を乗り越えられたのは、共に闘い抜いてくださった弁護団の方々、裁判を支える会の「こるむ」の方々、そして傍聴席を埋め尽くし、支援集会に駆けつけてくださった方々の支援のおかげです。日本社会に傷つけられた私たちですが、日本の方々に支えられ、痛みを伴う得難い経験を共に乗り越えたことで、かけがえのない絆を築けました。
京都の朝鮮学校支援は今、多くの有志たちが民族的に多様な日本社会の実現に向けて楽しく新しい取り組みを展開しています。私はすべての差別が許されない、差別に苦しむ人に手を差し出してくれる人がたくさんいる世の中になればと思います。無償化裁判、補助金裁判等まだまだ続きますが、闘い抜きたいと思います。

ヘイトスピーチ規制条例を求めて

輝さん

大阪・鶴橋で何が起こっているのか
大阪市生野区は5人に1人が韓国・朝鮮籍者です。日本国籍を取得した人、父母、祖父母、配偶者などの家族に在日コリアンが含まれる人たちを加えると、さらに多くの住民が朝鮮半島ルーツで占められています。その町で、この1年程、差別、侮蔑、憎悪・排斥の暴言と扇動、殺害予告と暴力が繰り返されています。
始まりは2013年2月24日の鶴橋駅前での街宣活動でした。3月31日にも同様の活動が行われました。翌2014年4月と7月には元在特会副会長による街宣予告があり、5月には3度のヘイト街宣がおこなわれてしまいました。9月には「お散歩」の予告がありましたが、中止されています。「お散歩」とは、デモ行進後、実質的にはデモを続けながら沿道の韓国・朝鮮物産店の客や売り子に暴言を吐き、看板を蹴るといった行為で、東京の新大久保などで行われています。10月には、過去に元従軍慰安婦の方達が暮らすナヌムの家に「慰安婦は嘘つき売春婦」と歌ったDVDを送りつけたレイシストバンド「桜乱舞流」が鶴橋市場内を示威行進する様子を撮影したミュージックビデオを公開しました。
このような活動に対して多くの市民が自発的に抗議をしています。この抗議行動や、抗議する人たちをカウンターと呼びます。前述の街宣活動が中止になったのも、大量のカウンターが集結したため中止せざるを得なくなったのです。
一方、警察・公安委員会は街宣とデモ行進を許可し続けています。街宣を呼びかけた人物は朝鮮学校襲撃事件で有罪判決を受け、執行猶予が付いているにも関わらず、その人が行う同じ趣旨の活動を許可し続けているのです。機動隊はデモ隊の左右に並び、抗議をする市民に威圧をかけています。実際、他の地域ではカウンターが逮捕、または身柄拘束される事態が起こっています。そのため地域の自治会、NPO、PTA、商店街、社会福祉団体等が共同で警察と公安委員会に、街宣の許可を取り消す嘆願書と、街宣に対処する依頼文を提出しました。生野区の住民はヘイトスピーチに対してNOの声をつきつけたのです。
もう一つ大変な問題は行政の不作為です。これだけひどい人権侵害が繰り返されているにもかかわらず、区民の安心と安全を守るべき地元行政は、少なくとも住民に伝わる形では何の行動も起こしていません。西成区役所は市民便りにヘイトスピーチを「許されない人権差別行為」と啓発をする記事を掲載しましたが、生野区はそれすらしていない。人権週間においてでさえ、ヘイトスピーチに関する取り組みは一切ないのです。

ヘイトスピーチ被害の実態
多民族共生人権教育センターが2014年8月から行っている生野区在住・在勤の在日コリアンを対象とした「ヘイトスピーチ被害の実態調査」によると「ヘイトスピーチをどのように知ったか」という質問には回答者77名の内、約5割が直接見た、聞いたと回答しています。友人・知人から聞いた人は4割、在日コリアン社会の中でヘイトスピーチが深刻な問題として語られているということです。「ヘイトスピーチを見聞きした時の感情」として、怒りや悲しみ、絶望、恐怖といった言葉が選ばれています。「気分が悪くなった」「体が震えだした」など、身体的変調を感じるほどの衝撃を受けていることや「その日以来、電車で隣の人が同じようなことを考えているかもと思うと怖くなった」「日本に住み続けることに不安を覚えるようになった」など、日常が一変し、被害が継続していることも伺えます。SNSで在日コリアンだと自己紹介すると集中的な攻撃にさらされ、ネット上の交流・情報発信という表現の自由が奪われている実態も明らかになっています。

分断された社会の溝を埋めよう
生野区は在日コリアンと日本の人びとが共に様々な課題に向き合い、それらを乗り越えて共生の歩みを続けてきた町です。その町で日本社会・日本人に対する不信が広がっています。「警察や行政がヘイトスピーチを放置している姿を見ると、日本人は心のどこかで今も朝鮮人を殺せと考えているのでは、と思ってしまう」という在日1世の言葉が象徴するように、この問題を放置することで誤ったメッセージが社会に発信され、分断が持ち込まれているのです。
私たちは在日コリアンと日本人の間に打ちこまれたくさびを取り外して、もう一度その溝を埋め戻す作業を行いたい、その一つとして、日本人と在日コリアンが協力して大阪市にヘイトスピーチ規制条例を求める署名活動に取り組むことにしました。また、要求するだけではなく、望ましい条例案について学習や議論を重ね、自ら作成する作業を通してこの分断を埋めたいと考えたのです。
その思いは「大阪市ヘイトスピーチ規制条例」(仮称)制定を求める生野区1万人署名」という活動に結実しています。現在、生野区民に限らず多くの方の署名を寄せていただいています。今後、弁護士の方々にもご協力いただいた素案の検討を重ね、1月には条例案を提案したいと思います。市民の手で、ヘイトスピーチのない大阪市、そして日本を作っていくために、ぜひとも皆さまのご協力をお願いします。

*文さんが報告された「ヘイト・スピーチの規制に関する条例」(案)は、2015年1月29日に大阪市に提出されました。「条例」(案)は公然とヘイト・スピーチをしてはならないこと、ヘイト・スピーチの被害申し立てを受ける独立した機関の設置などを明文化しています。「条例」(案)とともに、条例制定を求める18,921筆の署名、被害実態調査の最終報告も提出されました。

*集会資料
冊子「差別禁止法を求めて」
部落解放・人権研究所編
月刊『ヒューマンライツ』2013年4月号~2014年3月号に掲載したシリーズをまとめた冊子です。
差別禁止法の制定に向けて「国民的コンセンサス」つくりのための「共通の土俵」を確かなものにします。
定価500円(税込)

お求めは(一社)部落解放・人権研究所販売担当(℡06-6581-8619 Email human@blhrri.org)まで