調査研究

各種部会・研究会の活動内容や部落問題・人権問題に関する最新の調査データ、研究論文などを紹介します。

Home調査・研究部会・研究会活動行財政部会 > 学習会報告
2007.02.26
部会・研究会活動 <行財政部会>
 
行財政部会・調査部会 学習会報告
2007年02月13日
中山五月台など宝塚市のまちづくり協議会(住民自治協議会)と水平思考

田中 義岳(帝塚山大学非常勤講師、
国際育児幸せ財団参事、
コミュニティ政策学会理事)

はじめに

「コミュニティ」という言葉について、マッキーバーは社会的類似性、共通する社会的観念、共通の慣習、共通感情を持つ共同生活の一定の地域であると定義しているが、本報告では、自治会・町内会を含めた日本の小地域をコミュニティとして話を進めていく。

日本で「コミュニティ」という言葉が公式に使われだしたのは、1969年、旧・自治省の国民生活審議会中間報告論文「人間性の回復」からになる。当時としては意義のある論文だったが、この理念に基づく実践はあまり浸透しなかった。

日本のコミュニティに関する流れのなかでおさえておきたいことに、地方分権化の流れとバブル経済の破綻や国・地方の財政破綻のなか、自立した地域づくり・分権化に拍車がかかってきたことがある。具体的には、不十分ながらも水平思考に立った、補完性の概念による役割分担の議論なのであるが、この考え方は本来のコミュニティのもつ哲学であり、自分たちの地域を自分たちで良くしていこうということである。

1.宝塚市の経過

宝塚市ではまちづくりについて、ふたつの大きな政策の流れを採ってきた。

ひとつは、市民によるまちづくり活動の進展である。具体的には、女性ボードの創設(1992年)、市内全小学校区でのまちづくり協議会の組織化推進(1993年~)、ボランティア活動センターの拡充(1994年)などによって、市民に密着した活動や人材の掘り起こしをおこなってきている。もうひとつは、地方分権の流れの中、いち早く分権政策にとりくんできた。具体的には、都市圏において最も早く「まちづくり基本条例」とあわせて「市民参加条例」の施行になる(2002年)。

宝塚市における地域活動は、コミュニティ範域(住区エリア)の大きさにより役割分担されている。まず、小エリアとして、200~300世帯を単位とした近隣があり、住民組織の単位としては自治会がこれにあたる。中エリアとしては、約1万人、1平方キロメートル四方を単位とした小学校区があり、小学校区単位のコミュニティとしてまちづくり協議会がある。大エリアとしては、3~4万人を単位とした生活完結圏的ブロックがあり、ブロック別まちづくり連絡会議(地域創造会議)がある。この大中小の三層の新しい総合的市民ネットワークによって新しいコミュニティと参加の枠組みができている。このなかで行政としては、市民の主体を尊重した活動助成をおこない、自治会やまちづくり協議会では細かいことに口出しをせず、基本原則だけを示すというスタイルをめざした。

また、宝塚市のコミュニティ政策では、自治会・町内会といった地域自治会活動とボランティア・NPO活動が協力し合えばそれぞれの特性を活かしながら民主協議・協調すれば相乗効果として大きなより成果が得られるという認識のもと、中央集権的な縦割りの仕組みではなく水平思考、いわゆる横の連携を重視した政策をめざしている。とくに、小学校区コミュニティ形成にあたっては、市長のアピール集会を皮切りに職員が1地域10~30回足を運び新しい試みともいえる水平的連携と協調のしくみづくりや原理学習を支援している。

2.まちづくり協議会の事例 1

中山台コミュニティでは1986年に自治会協議会が設立された。これは、1965年頃から開発された中山台ニュータウンの自治会が駅からニュータウンまでのバス運行をめぐり、旧来からすんでいた駅付近の住宅地域との騒音排ガスなどの交渉推進のための連携を強めるためにつくられたのであるが、この住民活動が新しいコミュニティづくりへのエネルギーに移行していく。つまり、1992年に設立されたコミュニティ協議会は、このバス運行拡充運動が原動力となっていったのである。さらに、いくつかの紆余曲折を経て1998年に自治会協議会とコミュニティ協議会が合体して、中山台コミュニティ連合会と発展、2002年度総会で「中山台コミュニティ」と名称変更している。

中山台コミュニティは、現在、2つの小学校をふくむ世帯数約5300・人口15500人の規模であるが、特筆されるのはその組織運営にある。中山台コミュニティは、議決機関として11の自治会から選ばれ40人の評議員からなる評議委員会があり、諸活動の実働部隊となるのが10の部会からなる運営委員会である。これは地域自治会とボランティア・NPOとの協調のスタイルとしてそれぞれの特性を活かしながら民主協議・協調して大きな相乗効果を得ており、宝塚市のまちづくりのモデルとして広まってきている。

3.まちづくり協議会の事例 2

次の事例は同和地区をふくむまちづくり協議会の事例である。

A小学校区では、同和地区住民と一般地区住民との間に部落差別の結果としてお互いが疎遠な関係にあった。小学校区でのまちづくり協議会をつくるにあたって行政がそれぞれの意見を聞いたところ、同和地区の住民は「部落差別」や「人権」にこだわり、かつ一般地区からの忌避意識にこだわっていた。他方、一般地区の住民は部落差別のことばかりでなく地域(コミュニティ)の課題も含めてであれば忌避意識もなくいっしょにやっていきたいという問題意識であった。

このまちづくり協議会は、当然、部落差別撤廃や人権確立を目標としてもっており、そのスタートとして地域(コミュニティ)を良くしていく共通のテーブルで議論や取り組んでいくということで合意、進められた。結果、イベントへの取り組みなどで一定の前進はあったものの、深化・発展はまだ今後の課題として残っている状況にある。

(文責:松下 龍仁)