1.はじめに
21世紀の幕開けとほぼ同時にはじまった「ジェンダー・フリー」教育・性教育バッシング現象は現在も進行中である。最近では、「ジェンダー・フリー」概念から「ジェンダー」概念へ、小中高の学校教育から高等教育機関における「ジェンダー学」「ジェンダー研究」へとターゲットが拡大しつつある。
バッシングとは本来「激しい非難や攻撃」を意味するが、今回の「ジェンダー・フリー」教育・性教育バッシングは、事実からかけ離れたことがらの宣伝や極端な誇張を多く含んでいることを一つの特徴としている。誇張や歪曲を含むバッシング言説によって、「ジェンダー・フリー教育」や「性教育」さらには「ジェンダー」概念をめぐる混乱が生じている。行政や学校現場などでは、ジェンダーおよびセクシュアリティに関わる教育実践をすすめにくい状況が生まれている。このようなバッシングをいかにとらえるのか。
2.90年代末からの国家主義のたかまりと性教育・「ジェンダー・フリー」教育バッシング
1975年以降、以下のように女性差別撤廃にむけた前進がみられた。
1975年 国際婦人年に総理府「婦人問題企画推進本部」設置
1985年 女性差別撤廃条約を批准
1999年 男女共同参画社会基本法成立
2000年以降 男女共同参画社会基本法に基づいて、都道府県条例や基本計画策定
これに対して、1990年代後半以降、「新しい歴史教科書をつくる会」の家庭科教科書検定への攻撃から始まり、国会、地方議会とマスメディア、運動団体の草の根運動との連携がなされた攻撃で2000年から以下のようなバッシングが起きる。
- 女性国際戦犯法廷の波紋から、松井やよりさんや公的施設(ウイメンズプラザ)へのバッシング攻撃(2000)がなされる。
- 性教育批判『思春期のためのラブ&ボディBook』(厚生省の提言を基に母子衛生研究会作成)に対して過激な性教育という批判がなされ回収される。(2002)
- 東京七尾養護学校で人形を使用した性教育授業に対する処分(2003-2004)が教師に対して行われる。
- 文部科学省による委嘱事業への批判:子育て支援の委嘱事業『未来を育てる基本のき』(2002)。
- 「ジェンダー・フリー」教育批判「ジェンダー・フリー」は「性差解消」思想、共産主義革命思想との批判(2002-)がなされ、鹿児島県議会は県内の幼稚園と小中高校で「ジェンダー・フリー教育」をしないよう求める陳情を採択した。(2003)
3.行政における「右」旋回:「メインストリーム」としてのバックラッシュ
2005年12月、国は第二次基本計画を策定した。
「ジェンダー・フリー」をめぐって国は、何段階かを経て「ジェンダー・フリー」を否定している。当初、国においては使用していないが「ジェンダー・フリー」を明確に定義した上で地方自治体が使用することを妨げるものではないとしていたが、今や「ジェンダー・フリー」は望ましくない言葉として位置づけられている。さらに今年1月31日内閣府が「今後は、この(ジェンダー・フリー)用語を使用しないことが適切と考えます」といった主旨の通達を全国の都道府県に出している。また性教育に関する実態調査を2005年夏に実施し、学校における男女の扱い等に関する実態調査を2005年12月に実施している。
4.バックラッシュをいかにとらえるのか
「ジェンダー・フリー」「ジェンダー」「男女共同参画」に対するバッシングの主張は何か。<1>日本の伝統や美風をこわす <2>男も女も無い「中性人間」をつくる <3>専業主婦の否定、母性の否定である <4>家庭の崩壊をもたらす <5>性の乱れ、子どもが健全に育たない、といった内容である。
バッシングは、一部の勢力の問題ではなく「本流」における本格的なバックラッシュへ動いている。その流れの中で国の男女共同参画施策が変容しつつある。この変容は、突然生じたものではなく、男女共同参画施策の登場(1993年)と発展プロセスに内在していたものである。「男女共同参画」とは何かをめぐる国家政策レベルでの攻防においてへゲモニーは、新自由主義にある。憲法「改正」、教育基本法「改正」の動きと「ジェンダー・フリー」バッシングはすべて連動している。わたしたちは、「男女共同参画」の名の下に何を求めるのか?実質的な運動の隆盛によってしか新自由主義に対抗できないのである。
(文責:中田理恵子)
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