調査研究

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部会・研究会活動 <識字部会>
 
識字部会
学びの内容と教材づくり

(1)内容・教材づくりの視点

  ‡@ 生活を出発点とした学習内容づくりを

 学習内容は、基本的に学習者の生活の中にあります。学習はまず生活の中で起こっています。私達のめざす識字活動は、生きて働く読み書きの力を培おうとするものですから、学ぶにあたっても生活の中にある課題を抽出し、それを学習活動や教材として構成していくという視点が不可欠です。このことを忘れて学校的な学習の組み立て方に陥るとき、識字は衰え始めるといって過言ではありません。このような立場からみると、雑談も単なる雑談と言ってすますことができなくなります。それは学習内容の宝庫であり、学習の鉱脈が顔を出す場面なのです。学習者の何気ないつぶやきから学習活動や教材がつくられたという例が少なくありません。雑談から何かを得ようとするとともに、普段からの集団づくりを重視したいものです。お互いが心の中をさりげなく出し合え、それを受け止めてもらえるという信頼関係が土台となるのです。

  多くの学習者は、何らかの直接的きっかけがあって識字学級に来ています。そのような場合、学級に来るようになったきっかけの中に学習内容は埋め込まれています。きっかけは一人ひとり異なるので、それぞれの学習者とていねいに話し込むことが何よりも大切でしょう。話し込むなかできっかけが明らかになり、そこにこめられた学習内容が見えてきます。特に30〜40代の学習者の場合、学びに来るようになるきっかけは子育て、仕事、友人関係などであることが多いといえます。直接解放運動との関わりで識字学級にくる人もいるでしょう。このようなきっかけから学習を深め、部落差別と自分の人生との関わりをとらえ返すようになった人も少なくありません。しかし、きっかけになったできごととその人が本来的に学びたいと感じている内容はかならずしも同じではありません。たとえば高齢の方の場合、「孫に絵本を読んでやりたい」など、きっかけは孫との関係だという人もいます。そのことを知った講師が絵本を読めるようにと学習を始めたのに、しばらくするとどうもうまくすすまなくなったりします。

 その人にとっては、孫のことも大切だが、それに劣らず自分の人生を振り返り、自分が生きてきた意味を整理し直すことが必要だったのかもしれません。高齢者にあっては、人生の意味をとらえかえすことが学習要求になりやすいからです。学習内容をこのようにとらえるとき、小学校の教科書などを使って学習を進めることの問題点も明らかです。人生経験の豊かな学習者にとって、小学生向きの文章は内容面で魅力に欠けます。また、画数の少ない文字よりも、日常生活で使う文字から学ぶというのがおとなの学習の基本です。識字活動では、学習者の生活から出発した識字にふさわしい教材をつくることが必要です。

  ‡A 学習活動を単位とする発想への転換

  教科書やプリントは、教材というより教具です。教材とは学習内容のひとかたまりをさす言葉です。教具とは、教育活動に用いられる道具をさします。教材をその物的側面からみれば教具になるということです。教科書やプリントといった言い方は、教材としての本質的な部分を表しているわけではありません。

  教材は、何らかの具体的な学習活動を通して使われます。教材はつねに何らかの学習活動によって命が吹き込まれるわけです。そんな教材と学習活動の結びつきを大切に考えたいものです。特に全体学習などでは、何かの文章が教材になるというよりも、全員が参加して何かの作業やゲームをしながら学ぶという形式が中心になります。このような意味での「学習活動(アクティビティー)」を創り出すという発想が必要です。

 他地域における活用などを考えて資料を残す場合、プリントなど学習活動で使った教材だけを残すのではなく、学習活動全体について記録したものを残すようにすべきです。文章や芸術作品など、従来のイメージ通りの教材であっても、その素材を使って学習者が参加しやすい全体学習をどのように組み立てたかをあわせて記録しておきたいものです。残念ながら今日の学校における学習は、教え込みの形式で組み立てられていることが多いため、教材の用い方を明示しておかなかったとしたら、結果的にその教材は教え込みのスタイルで用いられることになってしまいかねません。

 同じ発想で、一人で読める独学の教材をたくさんつくる必要があります。 これは学習材とよぶ方が正確かもしれません。たとえばある程度読めるようになった人が一人で読むための読み物です。この読み物にあっては、言葉や漢字は簡単で生活の中で使われるものを用いながらも、内容としてはおとなにとって発見のあるものでなければなりません。特に識字学習者が共感したり、自分の人生や日常生活をとらえかえす参考となるものにしたいものです。                       

 この意味での学習材は、識字学級生の生い立ち作文を除けば、従来の識字活動であまり作成されてきませんでした。部落の識字が基本的に週に1回の割合でおこなわれていることを考慮すれば、その合間に学習者が自分で学習できるよう支援する活動が重要になります。このような学習材づくりは急務です。

  ‡B 学びを支える集団を培う

 教材がそのようなものであってみれば、識字における集団のあり方は大いに問題となります。教材はそこから生まれ、そこで生きるのです。識字における学びが生活の延長線上に形づくられるには、暖かい雰囲気の中でお互いの生活がかわされることが求められます。特に、文字で一番悔しい思いをしてきた人が生き生きとしていられる集団でありたいものです。この雰囲気は集団のもつ文化であり、意識的に追求しなければ生まれるものではありません。

 この文化は、まず日々の学級におけるおしやべりの中で培われます。雑談を単なる雑談に終わらせるのでなく、その中に埋め込まれた鉱脈の現れを感じ取って、それを教材にまでつなげていったという事例もあります。全体学習や行事活動など学級全体で取り組む活動すべて、それだけではなくふだんのあらゆる日常的学級生活に集団づくりが位置づけられるべきであります。識字の学習者が話し言葉の世界に住む人であることを考えれば、ムラ言葉や方言などとよばれる日常の話し言葉が生き生きと表現できる状況をつねに保つことが望まれます。講師がこの条件を目的意識的に追求していない学級では結果的に学習者を疎外する事態が生まれるでしょう。


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(2)個別学習における教材づくりの視点

 教材が何らかの学習活動と結びついて命を得るものであるとすれば、識字における教材は教材一般として論じることができません。識字における学習の形態は、全体学習や小集団学習、個別学習や独学などに分けられます。それぞれ学習活動のあり方は違いますから、特徴の異なる教材づくりが必要です。一対一でおこなう個別学習では、それぞれの学習者ごとに違う教材がオ−ダメイドで必要になります。ただし、洋服と違って、できあがったものが本当に相手にぴったりかどうかを判断できるのは学習者です。この面での教材づくりは、大きくは三つの視点から考えることができます。

  ‡@ 学習者の読み書きの力と要求を探りあてるための教材づくり

 特に学級に来たばかりの学習者と一対一で進めるときには、この種の教材づくりが必要になります。この時期は試行錯誤が重要です。つねに今の教材が学習者にぴったりなのかを確かめながら前に進むべきです。講師の側がチェックすべき点は、学習者の読み書きや話し言葉の力、鉛筆の握り方や書く姿勢などの特徴、学習要求の内容とそのおもな出所、読んだり書いたりすることによる疲労度、などです。

  ‡A 学習者から出される要求に従って進められる教材づくり

 ある程度講師との人間関係ができてくると、学習者は「この文字を教えて欲しい」と自分が生活の中で出会った文字を持ち込むようになります。職場で出会った文字、買い物などで見かけた文字などが教材となります。こうなると、辞師の側は気分的にも時間的にもとても楽になります。学習者から要求が出されないまま講師が用意する教材で学習が進んでいるとすれば、学習者との関係がうまくつくれているのかを疑った方がよいでしょう。学習者の要求から教材づくりを進める際にチェックすべきは、直接出された文字や言葉がその人の生活でどんな意味をもつか、その文字以外に必要となりそうな文字や青葉は何か、どのような方向に向けて学習を組み立てるべきか、といった点です。

  ‡B 学習者と講師が共同で進める教材づくりや教材選び

  学習者が自分から要求を出してきたとき、講師の側は教材の準備や学習そのものを格段に進めやすくなります。しかし、学習者が自分のもっている学習要求を自ら自覚し切れているとは限りません。自覚している学習要求だけで教材を埋めてしまうのではなく、つねに学習者に何かを提案する姿勢が学習をいっそう実りあるものとします。とりわけ、文字を通じて新しい考え方や世界に出会うことを意識的に追求するこキは識字活動の意義を高めるうえで重要です。生い立ちの作品にとどまらず、興味深い昔話や人物伝などを簡単な言葉と文字で綴った教材を自ら創り出すべきです。難しい文章であったとしても学習者の世界に重なりやすいものであれば教材として試してみるべきです。この意味での教材は、文章にとどまりません。絵や音楽をはじめ、芸術作品全てが教材となりえます。講師の側がチェックすべきは、自分が学習者の心に潜んだ要求をとらえる努力をしているか、自分がふだんから新しいものにふれようとする姿勢をもっているか、などです。一人ひとりの講師を援助するために、学級の講師集団で、さらには全国の識字関係者がお互いのつくった教材を交換し、教材に関する情報を交流したい.ものです。


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(3)全体学習のための教析づくりとその事例

 全体学習は、学級の集団づくりを促進するとともに、学習者や講師など参加者一人ひとりの個性を発見し、生かし、のばすために位置づけられています。全体学習の活動は、集団としての課題と一人ひとりの課題を見据えて構成されなければなりません。たとえば、細かい手作業を必要とする全体学習では、手作業の好きでない人が入りにくくなるかもしれません。その人の実態を考慮する必要があることはもちろんですが、このような人も、経験を通して自分の要求が全体学習を通して見えてくると感じられるようになれば、学習が効果的になっていきます。どんな学習をおこなうかは、そのときの学級の課題によります。例えば同じ学級で学んでいながら他の人の名前を知らないという場合があります。そんなとき、お互いの名前を楽しく覚えられるようなゲームを工夫することも考えられるでしょう。学級のまとまりを創り出すために、替え歌をつくることもあるでしょう。だいたい毎月1回のペースで全体学習をおこなったり、1日の学習時間のうち30分を全体学習にあてたりしている学級が多くなっています。その場合、健康・日常生活・人権学習・学級集団づくりなど、テーマの柱を設けて全体を構成することが望ましい といえます。たとえば健康という柱を立てるとしましょう。具体的なテーマはいくつも考えられますが、学習者の希望をいれながら、健康と食生活、薬袋の見方、老化を防ぐ、といったテーマに沿った教材を準備することができます。生活という柱を立てれば、保育、手紙や年賀状・暑中見舞いの書き方、雑煮の作り方、キムチの漬け方、・・・といったテーマを設定してごく具体的な教材を用意することもできます。

  これらのうちでも特に、識字経験交流会などで発表されてきた「解放のオガリ」や識字学級の歌などを、全員で作り上げていき、さらにそれを全員で演じるという手法は、一人ひとりが主人公となりながら集団として一つのものをつくり上げるという意味でも、文化活動にまで高められた識字の表呪であるという意味でも非常にすぐれたものです。現在ではあまり使われなくなりつつありますが、人間としての思いを心の底から「叫ぶ」ことを「オガル」と言います。「オガリ」とは、部落差別によって教育を奪われてきた人たちが識字学級で学んだ文字で綴った、解放への思いを訴える生い立ちや詩、ききとりなどから構成した詩の朗読です。

   これらは、識字の交流会などの場で発表されてきました。発表するための準備は大変ですが、同時に励みにもなり学習者の意欲を高めることにもつながりますどのオガリが特に優れているかということは、さまざまな観点があり一概にはいえないのですが、参考までに次に一つの例を掲げておきます。

      解放へのオガリ(住吉)