【長谷川さんから報告】
「トライやるウィーク」は1998年からが始まったので、今年で8年目になる。8年前を思い出してみると、まず出てくるのは戸惑いのスタートであったということである。管理職からの説明で「今度『トライやるウィーク』を始めることになり、5日間子どもが学校を離れることになった」と聞かされ、「5日間も何をするのか」と訊ねても、管理職からは「よくわからない」という返事が返ってきた。教員側も、生徒が5日間も学校に来ずに体験活動をするということがイメージできず、この取組を批判的にみていた教員が多かったように思う。
さて、その時に配付された生徒向けのパンフレットには「体験活動を通して、輝く自分と出会い、自分探しの旅を始めましょう」というスローガンがあったのだが、8年前の私はそこを素通りしていた。その前にどう実施すればいいのかという不安と心配の方が大きかったのである。今、吉川中学校の生徒が「トライやるウィーク」を通して輝く自分に出会っているのかと聞かれると、そのような自分に出会ってくる、あるいはそれに似た経験をした生徒が多いとはと思う。ただし全員ではないという点が課題である。また、「自分探しの旅」ということも当時よく言われていたが、私は先ほどのスローガンで、それに続く「始めましょう」という言葉に、「トライやるウィーク」の意義があると改めて思っている。
「トライやるウィーク」が定着したこともあり、今の生徒達はこの取組を大変楽しみにしている。しかし、個々の生徒をみていると「何に興味があるのか。どんなことをしたいのか」と聞かれた時に明確に答えられる子は少ないように思う。自分が何に興味があるのか全然想像できないし、答えられない生徒が多いのである。「トライやるウィーク」の活動は、どれだけ生徒に自覚させ「自分探しの旅を始める」手立てになっているのかという点が重要だと考えている。
「トライやるウィーク」について、私はさらに充実させていきたいという思いを持ちながら、実際のところ4、5年経ったあたりからマンネリ化している面もあったように感じている。現場の教員も、始まった当初は取組のねらいを丁寧に説明しようという意識があったのに、いつの間にか「さあ、どこに体験しにいくのか」という切り口になったり、受入先も毎年のことであるから特に連絡することもなく受け入れるという状態になっている。ただ、受入先によっては「前年にひどい目にあったので、今年からは協力しない」と言われる場合もある。「学校で生徒にどんな指導をしてこちらに来させているのか。生徒が礼儀を知らない、挨拶も知らない、怒ったらすねる」と言われることもある。したがって、「トライやるウィーク」に行く前に最低限のマナーを学習させ、終了してから体験先の方にお礼の手紙を書いたり、その後もつながりが保てるようにする必要がある。
私は男女共生教育に興味・関心があり、15,6年前からその視点で取り組んできた。兵庫県では、小学校では男女共生教育のねらいがある程度共通理解されて広がりがあったのだが、中学校現場では、浸透していかない、広がらないという長年の課題があった。私は何とか男女共生教育を進める方法はないものかと考えていた。そこで、全県実施されている「トライやるウィーク」を、ジェンダーバイアス是正という視点からも働きかけができないか、と考えた。男女共生教育を進めるために本校で実施しているのが「なりたい自分を見つけよう」という取組である。この取組を通して「トライやるウィーク」全体の課題を克服し成果をあげたいと考えている。
最初に第1次として、啓発ビデオを生徒に視聴させて、学年のそれぞれの教員が中学生の時に考えていたことや「トライやるウィーク」にどんな思いを持っているかなどを生徒に話す機会を持つ。第2次は、「なりたい自分の姿を見つけよう」というテーマで取り組んでいる。まずは自分の興味・関心を知ろうということで、新聞を1週間分切り抜きさせて、いったい自分がどんなことに興味・関心があるのかということを理解させている。その後で、「13歳のハローワーク」の前書きの部分と目次を活用し、特に目次に挙げられているさまざまな職業に興味・関心があれば線を引かせている。この授業で生徒は実に楽しそうに職業を見つけていく。
次に、なりたい自分を少しイメージできたら、その職業に就くためにどんな能力が必要かということで、レーダーチャートのように項目をあげて、その能力がどの程度身に付いているかということを自己評価させている。さらに周りの生徒からの他者評価も行っており、自分が気づいていない能力を評価されることが自信にもつながっている。
さらに、「なりたい自分になるために人生プランを考えよう」という授業を行い、0歳から100歳までの自分の人生プラン表を作成させている。この授業は公開授業で実施したので、参加者から「近頃の中学生はいいうわさは聞かないが、こんなに目を輝かせて授業を受けていることに驚いた」という意見や、反対に「今の厳しい不況の中で仕事の意義、大切さ、しんどさを教えずに、中学生にもなって夢ばかり追っていていいのか」などの意見をいただいた。その場では前者の意見の方が多かったが、後者の意見は、私がこの取組を進めていく上で心に留めているものである。
次に「開拓しよう・働きかけよう・やってみたい体験先を見つけるために」という授業を行っており、生徒に体験先の希望アンケートを実施しているのだが、生徒が行きたいところがなかったり、生徒が希望する体験先の受け入れ協力が得られないというような課題がある。「トライやるバンク」を作るという話もあったが、現状としては受入先が増えている学校もあれば、停滞、あるいは縮小傾向の学校もあるように思う。
「トライやるウィーク」の最初のねらいからすれば、必ずしも職場体験でなくてもいいと思うが、実際には8割以上が職場体験になってしまっている。「トライやるウィーク」は「お店で働く」という発想になっており、最初のねらいがなかなか実現できていない。ただし、職場体験であっても、普段できないことを5日間も経験して帰ってくると、生徒にはずいぶん変化がみられる。生徒の気持ちは、初日は新鮮であっても3日目には少し嫌気が出るというように変化する。中には集中力を無くして体験先の方から怒られる生徒もいるが、私はそれが重要だと思う。単に行って帰ってくるだけの体験ではなく、5日間体験する中で人と人が触れあうことは、必ずしも夢いっぱいという面だけではなくて、がまんすることや気をつけなければいけないことを学ぶことに意義がある。
授業では、「自分らしい生き方を考えよう」という小冊子も利用し、内容を劇風にまとめて発表した。劇中の男子生徒のセリフの中に、「自分は小さい時から保育師になりたいと思っていたが、体験先ごとに分かれたらほとんどが女子だった。どうしようかと思ったが、この勉強をしていたのでやっぱりがんばってやってみようと思った。実際に体験してみて絶対保育師になりたいと思った」というのがある。もしこの取組をしていなければ、異性の中で一人でもがんばるというのではなく、逆のパターンになってしまうことも多いと思う。中学校現場の教員には、男女共生教育に対する意識が共通理解されていない面があり、兵庫県の教育研究集会でもいろいろな例が報告されてきた。具体例として、ある学校で保育所での体験を希望している男子生徒に、回りが女子だからという理由で他の体験先を勧めたという事例があった。反対に、和裁の体験ができる受入先に男子が希望していて、女子を希望する受入先を、担当教員が説得して受入れを実現させ、実際の体験ではその男子生徒が最もがんばって熱心に体験し、受入先から「私の考え方が間違っていたようだ」と言われたという事例もある。
ところで「トライやるウィーク」とキャリア教育の違いは何かと考えてみると、「トライやるウィーク」は、地域の教育力を高めることを大切にしている取組だと思う。実際にはすべての学校で実現できているわけではないが、「トライやるウィーク」から帰ってきても体験先の方とつながりがあることが、「トライやるウィーク」のねらいである。
これまで、私自身が現場の教員として感じてきたことや、「トライやるウィーク」をもとに男女共生教育を進めることについて報告してきた。私の「トライやるウィーク」の捉え方は一教員としての捉え方であり、トータルには捉えられていない部分もあるが、これからも「トライやるウィーク」を充実・発展させていくためにどうすればいいか考えていきたい。そして、職場体験だけでなく、「輝く自分に出会い、自分探しの旅を始める」ことができるような取組ということを常に意識できればと思っている。
【桜井さんからの報告】
兵庫県の「トライやるウィーク」が始まったきっかけとしては、阪神淡路大震災の体験と、その2年後の須磨事件(少年による殺人事件)の衝撃が大きい。
「トライやるウィーク」を始めるにあたって、1ヶ月体験させるというような話も水面下では議論されたが、結局1週間で完結する形にしようということで、中学2年生での5日間の体験になった。須磨事件の犯人である少年がちょうど14歳であったことや、受験生である3年生にたいする配慮もあって中学2年生での実施に決まったのだと思う。
「トライやるウィーク」は非常に大きな行事ということもあり、ボトムアップではなくトップダウンで決定された。1998年の1月3日ぐらいにいきなり新聞発表されたため、学校現場では大騒ぎとなった。「なぜ全県一斉実施なのか」という批判もあったが、こういう行事は全県一斉でないと実施できない。例えば部活動の問題もあり、試合などの時期ともぶつかることも考えられるので、一斉でないと実施は不可能である。また、教育課程をどうするのかという議論もあった。特別活動なのか、道徳なのか、教育課程にどう位置づけるのかという点については、「トライやるウィーク」の1週間は教育課程とは切り離された「完結した1週間」であり、学校から生徒を離して社会に出して地域に預ける1週間であるという位置づけで、表面的には学校現場からも教育課程の問題は消えた。さらに学校現場からは、「トライやるウィーク」の実施に対して、「子どもがけがをしたらどうするのか」あるいは「体験先で相手にけがを負わせたらどうするか」というような意見が出た。けがや損害に対しては、子どもだけの問題ではなく、体験先の器物の損壊やボランティアのけがという問題もあり、全体として保険をかけることを協議の上決定した。その結果、全県で、一学級につき30万円という予算が付けられ、初年度はスタートすることになった。
全県一斉実施とは言え、何の経験もなしに一斉に実施したら大変なことになるのではないかということで、18の学校が1998年の6月に先行実施を行った。そうすると、郡部の小さい町や都市部の商店街などが熱心に受け入れてくれたのである。大人からの捉え方で言えば、子どもが来てくれて活気が出るということは、正に「町おこし」だったのである。特に郡部の方では、地域の人材が外へ出て行って引継ぐ者が少なくなる中で、「トライやるウィーク」で来てくれた中学生が後継人材になるかも知れないという期待感もあった。
予想外だったのは、先行実施した18校で、年間30日以上欠席する長欠の生徒の約半数が「トライやるウィーク」に参加したことである。しかも、その後の9月、10月の調査で、参加した長欠の子どもの多くは、欠席数が減り登校し始めたことが判明した。たった18校の先行実施でこのような結果が出たことに驚くとともに、「トライやるウィーク」の持つ意味や子どもたちへの影響の大きさから、この取組が絶対にうまくいくという確信が持てた。
また、「トライやるウィーク」は障害児学級の子どもも全員対象とした。当初は受け入れ先の確保の心配もあったが、実際には、ほぼ9割以上、不登校や欠席の子以外は参加した。これも障害者教育の面から一つの展望を開くことを予測させた。
一方で、地域から教員への批判もいろいろあった。よく「先生は世間知らず」という批判があるが、その通りの批判である。地域の方から見れば、教員の服装その他がちぐはぐに見えたことからの批判であった。また、中学校の教員は校区に住んでいることが少なく、学校勤務が終われば車で帰宅ということも多いため、よく「地域の学校」と言われるが、教員自身に「地域の人間」「地域の学校」という意識がほとんどない。だから、校区を歩いていても、そこで出会う大人はほとんど他人であり、受け持ちクラスの生徒の保護者であれば挨拶しても、それ以外は知らん顔という状態になってしまう。しかし、「トライやるウィーク」を進めていく中で、教員が「そうではないと気づいた」という話もよく聞いた。
いずれにせよ、当初の数年間は試行錯誤の状態で「トライやるウィーク」は進んだ。実践に確信が持て、これは間違いなくいけるなと思えるようになったのは、5〜6年経ってからである。実施してから3年目ぐらいまでは、マスコミ等からよく取材があった。その時に、批判的に「これは奉仕活動ではないのか。子どもにこんな奉仕活動をさせてどうする気か」と言われた。それに対して、「これは子どもの奉仕活動ではなく、受入側の大人のボランティアです」と私は答えた。
2年前には教職員組合の教育研究集会で、「トライやるウィーク」の受入先の方や1期生(19歳)の方を招いたシンポジウムを開催した。その時参加したされた1期生のうち、Mさんは現在スポーツ店に勤務している女性の方で、「私は昔からお客さんにサービスをするのが好きな子どもだった。「トライやるウィーク」では美容院で体験をして、最終的な進路の決める時にこの時の体験が活きて、現在勤めるスポーツ店を選んだ。美容院とは異なるがお客さんの笑顔を見るのが好きである」と話されていた。一方、大学生のNさんは「自分は農家のお嫁さんになりたいと思っていたので「トライやるウィーク」では牧場で体験をした。その体験から、高校進学では農業高校を選び、さらに大学進学ではその分野の専門知識を伸ばす大学を選択することになった。将来的にもずっとその方向で続けていきたい」と話されていた。
個々のレベルでみれば、さまざまな子どもたちがいるが、「トライやるウィーク」の中でどこに行って何を体験するか、あるいは事前の取組をどのようにしていくのか、そのことが実際の体験とどう重なっていくのか、ということが鍵になると思っている。
「トライやるウィーク」が始まって7年ぐらい経って、いろいろな広がりを持ち始め、別のものが生まれてきたと感じている。その一つが、先ほど長谷川先生から報告のあった男女共生教育、つまりジェンダーの問題を踏まえた取組であり、これは教職員組合の研究集会で、男女共生分科会での報告のレポートが元になっている。男女共生分科会での報告ではあるが、「トライやるウィーク」が一つの柱になっている。あるいは、自主的諸活動のレポートの中に、生徒会が「トライやるウィーク」と関わりを持ち始めた事例であるとか、進路指導のレポートの中に「トライやるウィーク」の問題が出てくるなど、さまざまな広がりを見せている。当初の頃は、そこまで思いがいかず、一つの事業としてどれだけ進めることができるかということだけであったが、やっと今、いろいろな広がりを見せながら、この取組が進みつつあることを実感している。
⇒質疑応答(PDF)
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