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2005.02.15
部会・研究会活動 <地域教育システムの構築に関する調査研究事業>
報告書 教育コミュニティづくりの理論と実践
-学校発・人権のまちづくり-

学校と地域の協働がもたらすもの
〜大阪府における「地域教育協議会
(すこやかネット)」の取り組みから〜

大橋 保明



「私たちは独立独行と自律性を強調している。私たちは社会的コミットメントを維持することなしには人生は空虚なものになってしまうと深く感じている。自立は大事だが、人間はたがいに相手を必要としている―そう感じながら、しかし私たちはそれをはっきりと口に出すことには躊躇してしまう。それを言ったら個人の独立性がなくなってしまうのではないかと恐れているのだ。」

 ―R.ベラー『心の習慣』より


はじめに


  「今ほど教育論議が盛んな時代はない」と言われる。その議論の中心に置かれているのが、今年度(2002年度)から施行された「総合的な学習の時間」および「学校完全週五日制(1)」に関するものである。これらの取り組みには、近年盛んに叫ばれている学校・家庭・地域の教育力の低下、あるいはそれらに起因した教育問題や社会問題への特効薬としての期待が寄せられている。特効薬としてどれほどの効果があるかについてはその因果関係も含めてもう少し時間をかけて見ていく必要があるが、こうした取り組みの導入が、これまでどちらかと言うと社会教育側からの働きかけによって進められてきた学社連携・融合の取り組みを、学校教育側からの積極的な提案や家庭教育を含めた「地域づくり」を視野に入れた学社連携・融合の実践へと変化させているのは確かである。またここ数年は、社会教育の側からも「地域づくりにおける公民館の役割」や「学校教育との提携」といった視点の重要性が提起されている(2)。学社連携・融合の取り組みを進める組織や人の相互の関わりを促進・拡大していくために、例えば高知県では小学校区単位で活動をコーディネートする機能を持った「地域教育推進協議会」を配置したり、大阪府では「地域コーディネーター養成講座」において地域教育のコーディネーター役を担う人材の育成に取り組むなど、既存の学社連携・融合推進組織を再編して地域社会のあらゆる活動を有機的につなげていくような組織や人が全国各地で誕生している(3)。

  こうした状況の中、大阪府では、1999年4月に大阪府教育委員会が策定した「教育改革プログラム」の「総合的な教育力の再構築」に基づき、2000年8月に「『地域教育協議会』設置推進指針」が提言された。そこでは、地域教育協議会が「単に情報交換の場にとどまることなく、地域の人々が一体となって子どもを育てる中で豊かな人間関係が築かれていく「教育コミュニティ」形成の中核的な役割を果たすこと」(4)が目指されている。2000年度から府内の各中学校区を単位として「地域教育協議会(通称:すこやかネット)」が設置され、2000年度が162校区、2001年度が88校区と事業二年目を終えた時点で334校区中250の中学校区で組織が立ち上がっており、今年度中に府内の全中学校区で立ち上がる予定である。事業期間は各中学校区の立ち上げから4年間で、予算措置は1〜2年目各50万円、3〜4年目各20万円の計140万円が基本となっており、一部の市町村を除き大半が市町村教委の学校教育関係部署が窓口となっている。

  より具体的には、<1>連絡調整、<2>地域教育活動の活性化、<3>学校教育活動への支援協力といった機能を有する「すこやかネット」の組織および活動をベースに、「教育を縁にして、子ども同士、子どもと大人、大人同士が豊かに交流しあい、それによって人々がつながり、「顔と名前が一致する人間関係」をつくるなかで、子どもの教育や育ちを見守っていく活動が実施される地域」(5)を各地域の実情に応じた形で構築していくということである。組織の立ち上げ状況や取り組み内容は地域によってさまざまであるが(表−1参照)、すこやかネットを中心に取り組みを始めた地域からは、メディアを通じて全国に発信される「教育の危機」とは対照的に、「子どもたちが落ちついた」、「ここに住んでいてよかった」、「(学校と、あるいは地域と)一緒にやるのはしんどいけど楽しい」といった元気な声が聞かれ、子どもから大人まで楽しみながら活動する姿がそこには見られる。また、すこやかネットという大きな枠組みの中で、学校の価値が再認識されつつもある。

大北氏(茨木市立三島中学校区):今、団地に入っている人とか皆が土いじりとかなかなかできませんけど、それを学校の花壇とか使って自分たちの自己実現・やりたいことということで園芸をやっていってもらう。探せばいっぱいあると思う。共通の想いとか、共通の願い、共通の夢を学校で実現できるという学校に皆がどうしたらなるかということを知恵を集めることを学校のしかけの中でせんとあかんと思います。それが、地域教育協議会だと思いますねん。

  本稿では、そうした各地の声や様子を丹念に拾いながら、教育コミュニティづくりのキーワードである協働の概念を軸に、学校、地域、子どもたちをめぐる関係性がどのような変化を見せているか概括的に捉えてみたい。また、協働によってもたらされていないものの検討から、教育コミュニティづくりに向けた具体的な課題と展望を提示したい。



 1 学校をめぐる関係性の変化


 大阪府が推進している「すこやかネット」設置のポイントは、幼稚園・小学校・中学校といった学校だけでなく、福祉関係組織や自治会・町会などの教育関係以外の組織を含んでいることである。学校が中心を担うかどうかは地域によって異なるが、教育委員会の学校教育部が事業担当部署となっている市町村が多いため、現実的には学校教職員が役員あるいは事務局を担い運営している (6)。このような現状においては、中心的な役割を担う学校関係者がどれだけ積極的に他との関係を構築しようとするかが取り組みを進めていくうえでの一番の鍵となるが、すこやかネットという包括的な組織の誕生でその動きが外からも内からも活性化してきている。現に、学校の充実した設備や体育館・校庭が地域の教育資源として使われるようになり、子どもたちの授業で大人も共に学ぼうと集まってきている。

  地域の人々が学校に入ってくる際、ここ数年特徴的なのが、「教師たちに負担をかけないように」という配慮が感じられることである。地域住民のこうした意識の変化は、学校の抱える課題や子どもたちの様子を共有しているからこそ生まれてくるものであり、地域住民による学校施設の自主管理・自主運営、後述する「学校応援団」の組織化が推し進められるのも、こうした配慮があるからこそであろう。学校の教師たちは、地域住民や保護者を敵とまでは思わなくとも、部外者として潜在的に捉えがちである。しかし、地域は案外受容的で、パワーがあるものである。

中野氏(高槻市立第八中学校区):(地域が)待ち受けていて、そこへ学校というものがごく自然に入ってきた。

中庭先生(松原市立天美西小学校):「マイスクール」始めるときに初めて学校に来て頂いたときに、「やっと学校がやりだしたか」と言われた。地域の方は「いつまで門を閉じてんねん」って学校のことをずっと見ておられたんです。

 学校と地域の関係に変化をもたらすきっかけの一つにすこやかネットの組織化があったことは間違いないが、その変化は具体的な取り組みによって促進される。三年前の「ビオトープづくり」が地域の人々が学校に入ってくるきっかけとなった地域(貝塚市立貝塚西小学校)、太鼓や祭りなど地域の伝統行事の相互交流が授業等で積極的に行われ、学校や地域への愛着が育まれている地域(大東市立北条中学校)などなど。また、教師がコーディネーターとなり地域の人たちと陶芸活動を展開している地域(松原市立第五中校区陶芸同好会)の取り組みなどは、学校がコーディネートする社会教育・生涯学習としても注目される。さらに、授業と地域活動との連結を志向しながら「グランドワーク」(松原市立天美西小学校)や「天美っ子タイム」(松原市立天美小学校)といった独自の総合学習に取り組み、学習の仕上げとしてその成果を「いきいき環境フェスタ」で他の出店と並んで子どもたちが地域に発信するケースもある(松原市立第五中校区)(7)。こうしたさまざまな取り組みや施設の開放を通じて、「教職員が外来者に慣れてい」き(貝塚市立貝塚北小学校)、校舎や教室、廊下、トイレなどを目に見える形で変えていくことで、地域に対して「学校は変わろうとしているんだぞ」(高槻市立北清水小学校・西久保教頭)との無言のメッセージを送る学校も現れている。このような「できる部分」「見える部分」からの学校改革は、学校をめぐる関係性を変えていく重要な要素であるだろう。

 学校をめぐる関係性の変化は、学校の地域に対する認識の変化から生じる。何かのきっかけで学校が「頼れる地域」に気づき、共に活動を進める中で地域への意味づけが書き換えられる。もちろん、逆方向(マイナス)に意味づけられることもあるだろうが、現状においては大方、活動が促進される方向(プラス)で意味づけがなされ、それぞれの関係が変化してきている。こうした意味づけの変化は、当然、地域の側でも起こっている。次に、地域をめぐる関係性の変化について見てみよう。


2 地域をめぐる関係性の変化


 地域全体の変化を考察することは難しい課題であるが、地域の学校認識(子どもの教育への認識)の変化という点では、いくつかの点で共通する部分がある。ひとつは、学校を中心に展開される子どもの教育活動や日常生活に、教師や保護者などの学校関係者だけでなくそれ以外の大人たちも関心を寄せ、相当な覚悟と責任を持って教育活動に関わり始めていることである。例えば、校区レベルでは、父親の教育活動への参加のきっかけとなる「おやじの会」が高槻市立城南中学校区をはじめ全国各地で活躍しているし(8)、都道府県および全国レベルでは、PTCA(兵庫県)やPCA(親parentsと市民citizenの会)が組織されている。そして何よりも、「泉丘地域にできようとしている話し合いの場が、このような地域教育の責任者の役割を担えるようなものになることが望まれます」(「泉丘公民分館だより」第15号)、「努力する(している)子どもに光を当てられる地域教育協議会でありたい」(松原市立第七中学校区・前田会長)といったそれぞれの想いが、当事者から直接発信されるようになったことは大きな変化である。

 ひとつめの点とも関連して、ふたつめに、学校だけ、地域だけでは到底成し得ない活動が増えている点が挙げられる。前章でもふれている職業体験学習は、地域の多様な人材による総合学習への関わりが授業成立の要件となっており、その授業をきっかけに人々の輪が学校外活動にも広がりを見せてきている。地域フェスティバルや校区クリーン活動といった地域活動において、ものすごい数のテント運びやイス運びがスムーズに行われるのも両者の協力があってこそである。

 また、学校を中心とした地域教育活動の新しい拠点づくりは、それまでバラバラに存在していた地域組織を点から面へと有機的に結びつけ、人々の相互交流を日常的なものにすることによって活動に継続性を生み出し始めている。

「そこでさっそく家の近くの成人教育センターにタイプの講習会に出かけたのです。行ってビックリしました。日中、中学生のために使用した教室に、今度は明々と灯がともり、老いも若きも、男性も女性も、学ぶことが本当に楽しそうに集まってくるのです。学校とは、放課後はできるだけ早く帰され、夜は水を打ったような静けさ、日曜日に校庭や体育館を開放するのが関の山と思っていた私には、これはまったくの驚きでした。何よりもいくつもの教室に煌々とあかりがともり哄笑の聞こえるさまは、みているだけで壮観です。

教室に行ってさらにビックリしました。学校というイメージからくる堅苦しさがまるでないのです。どのクラスも和気あいあい、特にタイプのクラスなどは上手、下手の差がありますから、各自、自由に自分の課題に挑戦するようなもので、わからないところを先生に聞き、疲れればホールに行ってお茶を飲んだり、本を読んだり、友人と語り合ったり、自由そのものなのです。」(佐久間 1983)

 これは、佐久間氏が20年程前にイギリスの学校で経験した話であり、日本の学校ではないのが残念であるが・・・とも言い切れない状況が日本でも生まれつつある。松原市立第五中校区では、教師や保護者、地域の人々が地域フェスティバルの三ヵ月も前から地域ジオラマづくりの取り組みを始めるが、夜7時頃から小学校のランチルームに三々五々集まり、2時間ほど作業をしてから家路につくといった光景がそこでは見られる。小学校保護者と中学校教師、あるいは保護者と60〜70代の地域住民といったこれまで関係の持ちにくかった人々が、作品の完成を目指した協働作業の中で自然と知り合っていくことの意味は大きいだろう。貝塚市立第一中校区の貝塚北小では、「子どもたちだけじゃもったいないから大人もやろう」との発想から、学校の余裕教室に「ふれあいルーム」を開設し、学校を舞台に多くの人や組織が毎日活動を行っている。地域の大人たちが自らの学習の場として学校を再認識することによってそこへの参加が増えるだけでなく、発想も際限なく広がり、それが学校教育活動へも還元されるのである。子どもはもちろん、大人にとっても有意義な場所、関係者でなくとも行ける場所といった感覚の醸成が、地域にありながら地域のものではなかった従来までの学校(観)を徐々にではあるが変化させてきている。


3 子どもをめぐる関係性の変化


 個々の子どもの変化、あるいは層としての変化を短期間で把握することは困難なので、学校や地域の人々の声からそれらいくつかを類推的に描き出したい。ひとつは、子どもたちの「荒れ」の収束である。大東市立北条中学校は、それまでほぼ毎日何らかの問題が起こる中学校であったが、1997年の生徒総会の成功をきっかけに1〜2年の間で教師たちも驚くほどに子どもたちが落ち着き、「クラスの居心地がいいねん」という声が荒れていた子どもたち自身から聞かれるまでになった。この背景には、学校の熱心な取り組みもさることながら、子どもたちが地域の太鼓に取り組んだことが地域への愛着を育むことにつながったのではないかと関係者は語っている。松原市立第五中学校もかつては子どもたちの問題が深刻な状態にあったが、幼小中の校種間連携や地域の人々と協働で取り組んだ地域フェスティバルをきっかけに、中学校の状況や中学生の良い面が「見える」ようになり、子どもたちが落ち着きを見せ始めた。

永尾先生(松原市教委):特にフェスタとか参加してくれることによって中学に対する見直しをする機会がすごくできたということは言うてはりましたね。それと、一生懸命やる子がおる、たくさんいてるんやというのがわかった、助かったと言ってましたよ。そんなことをよく聞きますね。そういった意味では、悪い情報が入らなくなった。今までどちらかといったらお互いにわからん部分がたくさんあったからだと思うんですけど。

 この事例以外にも、子どもたちの現実が学校や地域を動かし、具体的な取り組みが直接的・間接的に子どもたちをめぐる状況を変化させたケースは数多い。

 もうひとつは、子どもたちの主体性が育まれていることである。門脇氏は、「子どもの社会力」という言葉を使って、今の子どもや若者たちに欠けている「社会を作り変革していく力」の重要性を指摘するが、そのような力が育まれ、発揮される場面が見られるようになった。例えば、「いきいき環境フェスタ」では、授業との関連でほぼすべての小学生が、またキックターゲットやストラックアウトといった取り組みにもかなりの数の中学生がスタッフとして積極的に関わり、その数も年々増えてきている。高校生などの若者が漫才を披露したり、昔遊びのコーナーではお年寄りが子どもたちに教えるだけでなく、子どもたちが若い親たちに教える姿も見られた。豊中市泉丘地域では、豊中十七中学校の生徒たちが泉丘小学校に拠点を置いて活動している公民分館の「ボランティアサークル」の大人たちと一緒に『泉丘バリアフリーマップ』を作成した。「総合的な学習の時間」に子どもたちが調べたことを地域の人を学校に招いて発表することも大事だが、自分たちの調べたことが冊子となって地域住民に配布され、実社会において活用されている現実を実感することは、子どもの社会力の育成という点で重要であろう。またここでは、子どもの学習や主体形成において、それをサポートする大人の存在が不可欠なものであることを確認しておきたい。現時点では、すこやかネットの構成員に子どもたちを含めている地域は確認できていない。しかし近い将来、大人たちが子どもたちのことを考えるという一方的な関係を超え、子どもたちが自らを含めた地域全体の教育活動に主体的に関わっていくことが期待される。


4 協働の意味

<1> 協働の二つの側面

 協働という言葉自体は決して新しいものではなく、イメージしにくいものでもない。一般に協働は、経営学や組織論の中では頻繁に使われる言葉あるいは概念であり、この言葉が教育活動を考える文脈で使われることに新しさを覚えはするものの、基本的には学社連携・融合におけるような、学校教育と社会教育(子どもと大人)が協力し、両者にメリットがもたらされるようにそれぞれの教育・学習資源を活用するといった伝統的な考え方に通底する。しかしながら、大阪府各地の現状からは、協働の二つの側面が見てとれる。ひとつは、すこやかネットの組織化が先行し、それをきっかけに協働が始まろうとしている地域である(組織先行地域)。それぞれの地域の事情を勘案すれば一括りにはできないが、そうした地域の多くでは、教育組織が複数あっても協力して何かに取り組んだり、「地」と「新興」の壁などによって人や組織が一つの目標に向けて有機的につながるという経験に乏しく、現状においては活動が停滞気味である。その意味ですこやかネットの設置は、人や組織がつながりをつくる機会やきっかけを提供したとも言えるだろう。

 もうひとつは、協働して取り組む活動はこれまでにもあったが、相互の継続的なつながりが欠けていたり、活動が重複していたために一部の人に負担がかかってきた地域である(活動先行地域)。すこやかネットの組織化を契機に、こうした弊害が是正され、本来的な意味での教育コミュニティができつつあると言っていいだろう。こうした地域には、教育関係に限らず地域のあらゆる組織がともに取り組んできた伝統や歴史があり、調査に入ってみると、一人の人が複数の地域組織に所属していることが多く、そのことで地域全体の情報を多くの人が共有していることがわかる。また、「ここに住んでて良かった」とか、「こんな文化やいろんなものがある固まった地域、ここへ小さな故郷(ふるさと)を作ってやって、大きな故郷として残してやったら子どもたちも喜ぶだろう」(高槻八中校区・中野会長ほか)といった声も聞かれてくる。

 鈴木敏正氏は、社会教育実践分析の視点から、「一般に社会教育労働は重層性をもっていて、地域住民(アマ)・関連労働者(セミプロ)・社会教育専門労働者(プロ)から成り立つのであるが(山田定市の「社会教育労働の重層構造」論)、実践的にはこれらの間での組織的な「協同」、具体的な労働における「協働」、そしてそれらの成果の蓄積であり前提となる「共同」、これらの実践の相互豊穣的な展開が重要な課題」であると指摘する。言葉の問題は別として、実践が展開される際の組織的な側面と具体的な取り組みの側面、そしてその基盤をなす共同性が重要であるという指摘は、本稿で主張したい点と一致する。先の大阪府内の記述では、後者のタイプ(活動先行地域)が重視されるべきかのように思われるかもしれない。確かに、現状において活動が見えてきているのは後者のタイプであり(9)、組織体制の整備など形式的なものに終始して活動と言えば広報活動だけという前者のタイプ(組織先行地域)が多いのも事実である(10)。しかし、前者のように新しいつながりを意図的に生み出すことや組織体制を整えることも実際の活動を展開するうえでは重要であり、後者の場合でもフットワーク軽く活動を展開することで学校と地域との間に思わぬ軋轢を生む場合もある。したがって、協働のこの二つの側面が共に意識される必要があり、より大きな視点から地域全体を捉えることのできる組織や人が今まさに求められるのである。こう指摘するまでもなく、地域で活動している人々はこのことに気づいているようである。

大北氏(茨木市立三島中学校区):自分が特技やと思わんでも、そのことの力が学校にとって大事な力になるような人がたくさんいてて、それはむしろ自分から発信するということではなくて、いろんな取り組みを通じて相互に見つけ合える機関みたいなやつが(すこやかネットだろう・・筆者補足)

<2> 協働を成立させる条件

 大阪府内で展開される事例に沿って、こうした協働を成立させる条件を二点に絞って検討したい。ひとつは、「学校の問題を地域全体で共有すること」である。学校の問題と一口に言っても、「不登校」や「授業崩壊」など子どもの状態に関すること、総合学習の展開に悩む教師や学校の課題など多岐にわたるが、共通して言えるのは、そうしたさまざまな問題に対して何らかの「危機感(あるいは共通の不安)」を共有したときがチャンスだということである。学校内での子どもたちの「荒れ」を地域全体の問題として捉え、共にその問題の解決に取り組み始めた地域(大東市立北条中学校、高石市立清高小学校、和泉市立北池田中学校ほか)、地域での子どもたちの問題行動に立ち上がった地域(松原市立第五中学校ほか)は、大阪府に限らず全国的にもたくさんあるだろう。また特に、教育の文脈で協働が考えられるときには、おのずと子どもが中心に置かれ、PTAや若い世代のサークル組織のような子どもを持つ親たちの協力にこれまでは限定されてきた。しかし、新しい傾向として、子どもを成人させた50〜70代の大人たちが中心的に関わる組織―例えば、「おやじの会」や「ボランティアクラブ」、大人のスポーツチームなど―や、大人の学習を志向してきた公民館などの公的社会教育活動(豊中市立泉丘小学校ほか)、校区福祉委員会や婦人会(貝塚市立貝塚北小学校区)、老人会などの福祉関係組織までもが学校の問題を中心に集まり始めている。

 それまでは、学校に行くというと「怒られに行く」(松原五中校区・林氏)とか、「スポーツをしに行く」(高槻市立北清水小学校の保護者)、また逆に「学校に文句を言いに行く」といったイメージを抱いていた多くの人々が、用がなくても学校に立ち寄り、あら探しをするのではなく、何かできることがあれば気軽に手伝うといった具合に「学校応援団」として活躍する姿が目立っている。

 もうひとつは、世代を超えた「タテのつながりを意識すること」である。現在の学校教育制度の枠組みにおいては、それぞれの学校教育段階が個々の教育責任を果たす形で子どもたちの学習が進められてきた。しかし、それに伴うさまざまな問題の噴出により、学社連携・融合、中高一貫教育、幼小中連携や保幼小連携といった多様なつながりが求められるようになってきた。中学校区レベルに目を向ければ、「中学生の『荒れ』は、自分たち(小学校教師)の責任でもある」(松原市立天美小学校・吉川先生、大東市立北条中学校区)ことに気づき、校区単位の連絡会や市町村単位の研究組織を立ち上げて取り組む校区もある。

 こうした地道な取り組みにより、義務教育段階の7〜15歳の子どもたちを中心に据えたつながりは構築されつつあるが、就学前や若者・高齢者とのつながりは希薄であった。前述の子育てネットワークや社会教育活動、福祉活動との連携・協力は、この課題の解決に重要な役割を果たすと考えられるが、この関係構築に向けて学校を中心に「しかけ」を作っている地域もある。そのひとつが、地域祭りとしての「地域フェスティバル」である。高槻市立第八中学校区では、それまで「磐手まつり(公民館祭り)」として取り組んできたものを発展的に継承する形で一昨年初めて「ふるさとふれあいフェスティバル」を開催した。学校を通じて宣伝し、中学校の校庭で行ったことにより、参加者はそれまでの400人から4,500人へと一桁増加した。この活動の盛り上がりは、単に参加者数だけではなく、そこに関わった多くの人たちから直接聞くことができた。

浅尾校長(高槻市立第八中学校):フェスティバルの成功が大きかった。やっぱりフェスティバルの当日、ここで6時から反省会・打ち上げですが、大人がここに満杯集まったんですが、それはすごい勢いがあったな。あれは、あの声はいまだに忘れられないわ。みんなでそっちのテーブルから乾杯って言って、そらすごかった……(中略)……まだみんな余韻が残っていると思う。フェスティバルやったらいいでというのは、こういう事かなというのは思いました。

 また、こうした学校で行う地域活動では、教師たちの姿も多く見られるようになっている。これにより、教師たちは学校の生徒としての子どもだけではなく、地域の子どもとしての子どもの姿を知ることができ、子どもたちも地域の人に怒られている教師を見ることができるのである。学校と地域との関係で考えると、「地域の人たちは、教師の顔を知らない」(高槻市立第八中学校区・中野会長)これまでの状態から、互いが顔見知りになることの意義は大きい。大阪府松原市では市内全中学校区でさまざまなテーマの地域フェスティバルが行われているが(大阪大学大学院人間科学研究科池田寛研究室 2001)、どの校区からも「活動を目で見ることが大切」であり「フェスタが、大人と子どもがとけ合うきっかけになった」(松原市立松原中学校区・岡田前会長)という声が聞かれた。

 このように、子どもから高齢者までのつながりが当事者の実感として構築されている点は、ある意味、協働の本質が自然な形でそこに反映していると言えるだろう。

 しかし、地域フェスティバルのような大きなしかけだけで、子どもと大人、学校と地域の協働が成立すると考えるのは早計である。大事なのは、それに伴って「インフォーマルな関わり」が頻繁に起こってくることである。つまり、会議室での話し合いよりも、日常的な立ち話が重要なのである。松原市立第五中学校区では、フェスタの何ヶ月も前から夜の学校に集まって展示作品の制作に取りかかり、四月には「夜桜の会」と称して地域関係者や学校関係者200人ほどが集まり、夏以降の活動について話を交わすのである。そうしたインフォーマルな関わりの大切さは、「こういう、みんなで飲み食いする場は大事なんやで。わしらな、酒は飲まへんけどな、こうやって先生と地域とか、みんなでしゃべるようになるやろ。」(松原市立第五中学校区・林氏)という地域の人の言葉にも象徴的に表れている。

 この二つのポイント以外にも、例えば、継続的な取り組みの重要性や活動の場・拠点の問題など、それぞれの地域事情に応じて数多くの成立条件があるだろう。協働とは何か?  この問いに対する本節での回答を得るために、学校の説明責任について論じたある小学校管理職の言葉をここに引用したい。

「このところ「説明責任」の話がよく出てくるが、何かが起こり「説明責任」を果たさなければならない時点では、何もできない状態になってしまっているのではないか。保護者や地域の方が、日常的に学校の教育活動に参画して取り組みを進めているなかでは、学校に対する理解や具体的な援助のあり方が当然日常的に話題となっており、しかもそれに対する取り組みが並行して進められているはずである。従って「説明責任」の必要な事態が生起したときに、学校を開く努力をしている学校とそうではない学校とでは、天と地ほどの差ができるのは自明の理である。「学校を開く」ことと「説明責任」は、切っても切れない関係なのである。」(西久保 2002)

 この言葉を借りて協働を解釈するならば、何らかの目的―例えば、「フェスタ」や参加型の総合学習など―のために協働し始めるというのではなく、何をするわけでもない日々の生活から関わりを持つことで、取り組みが自然と創造されるということになるだろうか。「互いが汗を流して協力すること」を義務や仕事としてではなく、日常的な当たり前のこととして捉え、「やあやあ」と言える関係が生まれる。それが協働することの意味ではないだろうか。


おわりに ―今後の課題と展望―


 大阪府におけるすこやかネットの活動の課題をいくつか指摘し、そこから見えてくる協働を展開する際の課題を整理したい。現状における課題=協働によってもたらされていないものと考えることもできるが、そのひとつは「なわばり意識」の克服であり、より深いレベルでの関わりが求められるということである。これまで見てきたように、それぞれの地域において学校と地域、組織同士の連携が図られ、多様な取り組みが展開されてきてはいるものの、多くの地域では活動を広げることへの不安や縦割り行政に伴う予算措置の関係で、協力して取り組んだ方が子どもにも大人にもより多くの成果が期待できる場合でも、その一歩が踏み出せない状況にある。特に、「町会との関係が築きにくく」、「町会の参加が難しい」といった声をよく聞くが、町会の参加が当然のこととして活動が行われている地域もある。この差は一体どこから生まれるのか?この答えらしきものはすでに記したつもりである。相互の活動の重なりを考えるための共通認識が大切であり、そのためには日常的な人と人との直接的な関わり、あるいは対話の生成が鍵となるだろう。

 ふたつめには、「地域づくり」というより大きな視点から、すこやかネットの活動をどのように展開していくかという課題がある。具体的には、高校生以上の若者の参加をどのように促すかという重要な課題が横たわっている。この課題は一朝一夕には改善されるものではないが、校区に居住する高校生をはじめとした若者の多くはその校区の小学校・中学校で生活してきたはずである。若者文化の理解あるいはニーズの把握も確かに重要であるが、それ以上に中学校、小学校、幼稚園での教育活動がさまざまな地域の人々との関わりの中で展開され、地域の人びとの想いをやり取りできる場や機会を確保していくことが大切ではないだろうか。即時的な結果や点数が求められる学校文化の中に地域の「長い目」が持ち込まれることで子どもたちにゆとりが生まれ、学校での閉塞的な人間関係に変化が生じ(大橋 2002)、ひいてはそれが「ふるさと意識」の醸成につながるかもしれない。また「地域づくり」という観点では、一つの小学校から複数の中学校へ進学する場合に見られるような校区割りも重要な問題である。この問題は技術的なこととして軽視されがちだが、小学校区での活動や人材が分散したり、出身小学校の生徒数に偏りがあることで中学校区での活動がまとまりにくい、生活圏と学区とのズレによって生活連帯意識が築きにくいなど、現場で活動する当事者にとっては切実な問題となっている。松原市で今年度結成された地域教育協議会連絡会のように、中学校区の枠を越えたより大きな枠組みの中で活動を指向し、展開していく必要があるだろう。

 最後に、協働の過程で積み上げられたもの、あるいは教育コミュニティというものは、永続的なものではないということを指摘しておきたい。学校と地域の協働によって、学校の課題、地域の課題、子どもたちの問題などが解決されたように見えても、それがまたいつ噴出するかは誰にもわからない。実際、本稿で取り上げたいくつかの地域でもその兆しが見られなくもない。ある中学校に10年以上勤める教師は、「かつての荒れた状態を知らない教師たちは、今の落ちついた状況が当たり前のことだと思っている。今のこの状態は学校と地域が協力して積み上げてきたものであり、その意識がなくなったらまた元の状態に戻ってしまうだろう」と語っていた。ここに「語りつぐ」ことの重要性、R.ベラーの言葉を借りれば「「記憶の共同体」、すなわち自らの過去を忘れることのない共同体」の重要性が見出せるのであり、こうした世代の連続性はまさに協働のプロセスにおいて促進されるのである。



  1. 全国的な動向を整理しておくと、1992年9月から月一回、1995年4月から月二回、2003年4月より完全実施
  2. 例えば、日本社会教育学会編 1999『現代公民館の創造』東洋館出版社、小林文人・佐藤一子編 2001『世界の社会教育施設と公民館』エイデル研究所
  3. この他、『月刊 社会教育』(2001年5月号)では、鶴ヶ島市の「学校協議会」(小学校区単位で委員に子どもを含む)や川崎市の「地域教育会議」、新潟県聖籠町における中学校づくりに関連した「統合中学校建設推進委員会」などが、また市川市の「コミュニティスクール委員会」などもよく知られている(白石克己・佐藤晴雄・田中雅文編 2001『学校と地域で創る学びの未来』ぎょうせい)。京都市教育委員会地域教育主事室の「地域教育主事」のように、教育委員会に学社融合のコーディネート機能を持つ部局や担当者を設けるケースも見られる。
  4. 大阪府教育委員会 2000「「地域教育協議会」設置推進指針」2000(平12)年8月
  5. 大阪府教育委員会パンフレット「あなたのまちにも「教育コミュニティ」をつくりませんか」
  6. 2001年10〜11月にかけて大阪府人権教育研究協議会(2002)が211中学校区を対象に行った調査によると、事務局担当者は「学校関係者」84.5%、「PTA関係者」7.2%、「地域関係者」8.2%となっている。
  7. 大橋保明・濱田英美子 2001「松原第五中学校区」大阪大学大学院人間科学研究科池田寛研究室『協働の教育による学校・地域の再生 −大阪府松原市の4つの中学校区から』
  8. 千葉県習志野市の秋津コミュニティの事例がよく知られている(岸裕司 1999『学校を基地に<お父さん>のまちづくり 元気コミュニティ!秋津』太郎次郎社)。また、鹿児島県では1998年に「おやじの会連合会」が誕生している。
  9. 筆者も委員の一人として制作に関わったビデオ教材『教育コミュニティづくりへのヒント 地域の子どもは地域で育つ 〜継続は力なり〜(平成13年度子どもゆめ基金助成金事業)』(すこやかネット普及啓発実行委員会制作・池田寛監修 (株)放送映画製作所)を参照。
  10. 大阪府人権教育研究協議会(2002)の調査では、「広報活動」60.7%、「子育て講演会」55.9%、「校種間連携」55.0%が特徴的な取り組みの上位三位までを占めた。


<参考文献>
  • “ふれあいルーム”運営委員会編(2002)『わたしたちの学校、私たちのまちづくり −貝塚市立喜多小学校校区を舞台にー』
  • 池田寛2001『学校再生の可能性―学校と地域の協働による教育コミュニティづくり―』大阪大学出版会
  • 池田寛編2001『教育コミュニティ・ハンドブック―地域と学校の「つながり」と「協働」を求めて』解放出版社
  • 泉丘公民分館・泉丘ボランティアサークル編 2001『泉丘バリアフリーアップ』
  • 門脇厚司1999『子どもの社会力』(岩波新書648)岩波書店
  • 西久保信一2002「見て、ふれて、学び合える地域の学校−教頭として進めてきた学校づくり−」『部落解放研究』(No147)
  • 大橋保明2002「学校教育と社会教育の「協働」―学校にある公民分館のサークル活動の事例から―」日本社会教育学会年報編集委員会2002『子ども・若者と社会教育―自己形成の場と関係性の変容―』東洋館出版社
  • 奥田道大編1993『福祉コミュニティ論』学文社
  • 大阪府人権教育研究協議会編2002『地域教育コミュニティfrom OSAKA』
  • 佐久間孝正1983『イギリスの文化と生涯教育』人間の科学社
  • R.ベラー編1985島薗進・中村圭志共訳1991『心の習慣』みすず書房