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2005.02.15
部会・研究会活動 <地域教育システムの構築に関する調査研究事業>
報告書 教育コミュニティづくりの理論と実践
-学校発・人権のまちづくり-

学校と地域の協働を促進する管理職たち

柏木 智子



「指導とは意欲をもたせること。心に夢と希望を灯してあげること」
これは、シドニーオリンピックで高橋尚子選手を金メダルへと導いた立役者である小出監督の言葉である。子どもたちの心に夢と希望を灯してあげられるように、そして彼らを指導し支援する教師自身が夢と希望をもてるように、学校をそんな場所にすることが管理職に課せられた責務ではないだろうか。協働は、その一つの手段である。


1 はじめに

 本章では、学校と地域との協働(以下、協働と略す)を積極的に進めてきた管理職たちの姿をとりあげ、彼/彼女らが何を考えどのような手法で協働を促進したかについて明らかにすることを目的とする。管理職つまり校長や教頭と呼ばれる人々には、自らの信念や方針、手法をもって学校経営をしていくことが認められている。そのため、協働による取り組みが盛んに行われるかどうかは、管理職がそこにどれだけ価値をおき、どのように進めるかということにかかっている。近年、協働による取り組みが全国各地で行われるようになってきたものの、その内容や程度にかなりの差が生じている要因の一つに、協働に対する管理職の意識や力量の差をあげることができよう。以下では、協働を促進してきた管理職たちの生の声から、取り組みを進める上での考え方や手腕について見ていく。その際、どのようにその取り組みを始めたのか、どんな障害にぶつかりどのようにそれを乗り越えてきたのかを具体的にとりあげる。そして、協働をどのように進めればよいか困っている、そもそも協働をするかどうか逡巡している、あるいは協働なんて程遠いと思っている場合のヒントになるように心がけたいと考えている。

 事例としてとりあげるのは、協働に向けて奮闘している管理職たちと学校区である。ただし、各学校によって状況が異なるため、活動内容や方法、取り組みの程度や広がりが違う。また、管理職にはそれぞれの持ち味があり、方針や手法にも共通する部分と異なる部分とがある。そこで、本章では、協働を進める上で共通して見られるものを浮き彫りにするのと同時に、異なるものについてはその多様性に目を向けるようにした。紹介する事例は、2つの中学校区:A中(田中校長)、B中(鈴木校長)と5つの小学校区:C小(平井校長)、D小(藤木教頭)、E小、F小(佐藤元校長)、G小(宮本教頭)の計7事例である(1)。筆者は、2001年4月から2002年5月までの間に各校の管理職へのインタビュー調査と可能な限りでの参与観察を行った。


2 協働を核に

 協働を促進してきた管理職に共通することは、保護者や地域住民と協力する必要性を感じ、その意義を積極的に認めた上で、協働を学校経営の基本理念として捉え、教育課程の核として位置付けていることである。彼らが協働を積極的に認めるようになったのは、かつての勤務校で体験した協働実践が子どもにとって有意義であったことを認識したことがきっかけであったり、目の前にある子どもの問題状況に対処しようとすると保護者や地域住民の協力が必要不可欠だったという理由からであったりとさまざまである。しかしながらどの管理職も、「学校の再生はもうそれしかないと思った」と語る鈴木校長のように、協働することに断固とした意気込みをもっていることが見てとれた。事例として取り上げた学校で協働が促進された第一条件は、管理職がこのように協働に積極的な価値をおいたからだと考えられる。

では、なぜ協働に積極的な価値をおけば、促進されるのか。それは、管理職がそういった取り組みを積極的に進めるからというだけではなく、協働を軸にして学校運営を行うからである。たとえば、A中とD小は、10年ほど前から協働に取り組んでいたが、その取り組みが目に見えて活発になったのはここ数年である。その大きな要因として考えられるのは、協働を主軸に据えた学校経営を行う管理職が揃って転任してきたことであろう。F小は、同和教育推進校であり、もともと家庭や地域との連携が進められてきた学校であったが、1999年に転任してきた佐藤校長が、協働を基本に据えた学校経営をし始めてから目を見張るほどの変容ぶりを見せている。協働を促進するには、教育課程を考える上で、協働を付加的なものではなく核として位置付けることが大切なのである。


3 協働に向けて:学校を揺さぶる

 本節では、管理職たちが協働に向けて行った学校づくりについてみていく。協働に対する姿勢は学校によってかなり異なり、もとから協力的な雰囲気であったり、全く関心のない状態であったりする。しかし、どの管理職も協力体制をその学校なりに一歩一歩作り上げていった。以下では、特に教師とのかかわりに着目して述べていく。

<1> はじめから協力的なわけじゃない(2)

 近年になって、学校と地域が協力する実践が増えているとはいえ、一般の教職員の協働への意識は依然として低いものがある。

佐藤:(先生の意識は)そりゃあもう初めは消極的だったですよ。そんなじゃまくさいことしなくてもいいっていう。…(教師とぶつかったりも)しょっちゅうありました。

鈴木:B中の先生は、鎖国してたというふうに言ってたけど、外の動きが全然伝わらない(学校だった)。日本の教育がどうなろうとしているかとか、研究発表がいろんな学校で行われているということとか、そういう情報がほとんど入らない。だからみんな眠ってた。それを揺り起こしたから、そりゃ大変だということで、ずっと校長に対する反発ももちろんありましたわ。

 

このように、教師が協働に対して消極的な態度を示す理由としては、主に以下の三つをあげることができる。第一章で触れられているのでここでは簡単に示すが、まず一つめは労働条件、勤務時間の問題、二つめは自分たちの仕事が撹乱させられるのではないかという教師の専門職性にかかわる問題である。さらに、教師の多くが面倒くさいという意識を持っていることも消極的な理由の一つであると思われる。

佐藤:やっぱりすごく邪魔くさいんです。正直に言ったら。準備しなくてはいけないでしょ。打ち合わせいりますよね。なかなか教師の時間とサポートしてくれる人の時間が合わないこともある、学校側のこうしてほしいという思いと地域の人がこうしたろうという思いとがなかなかぱちっとあわないことがある、だからいろいろと齟齬はあった。

 協働を行うときに生じてくるこういった問題は、どの学校にも共通している。特に、労働条件や教師の専門職性については、教師の気持ちの持ちようといったことでは片付けられない問題であり、何らかの見解と方法をもって解決されなければならない。しかし、現状ではそれらの問題についての対処は、管理職の手腕に任されているところが大きい。次に、管理職たちがこのような問題を踏まえながら、教師達の協力をどのようにとりつけ、学校全体を協働に向けて導いていったのかについてみていく。

<2> どのように協働は始まったのか

 B中に赴任した鈴木校長は、まず授業を一般に広く公開することから始めた。当然そこには「仕事が増える、人に見てもらう必要はない」という教師からの反発があった。彼は、反対する教師の意見も取り入れながら、次のように取り組みを進めていったという。

鈴木:(はじめは)強引に進めるのみ。あんまり説得というよりも、説得したら変になるから。ただ、こんな方針でいきますよということをできるだけ丁寧に説明をするようにはした。開かれた学校づくりをせないかんというところから話をしたり。共に歩もうというスタンスで日常を組み立てる(ようにした)。

 C小では、平井校長が転任してきたとき、運動会の昼食をそれまで通り給食にするか、保護者とともに食べるようにするかでもめていた。PTAでアンケートがとられ、7割の保護者から子どもと一緒に昼食を食べたいという要望が寄せられていたが、実施にはいたらず、保護者と学校の関係はよくない状況だったという。

 平井:私の判断で、お弁当は今年度から地域の方々や保護者と一緒に外で食べるという形をとっていきますということを打ち出してしまったんです。話し合いもなしにおかしいとかいろいろと言い分は教師の側にもあったんですけどね、まとめていくのにはそれしかないという感じでですかね。…ただ、こういう方針でやっていきますっていうのを先生方に必ず出しています。

また、佐藤校長が赴任してすぐに、F小には保護者や地域住民による学校応援団的な組織「サポータークラブ」が立ち上がった。会員ゼロからスタートした組織であったが、3年後には120名以上からなる保護者や地域住民が参加し、学校の花壇の手入れやホームページの更新、授業への支援などを行っている。佐藤校長は、当時の状況について次のように語っている。

 佐藤:(教師を説得することは)してないです。僕はそういうことはだいたいしない。で、できることからやっていこうと思ってる。やるんだったら、みんな一斉にとは思わなかった。やれるとこからやったらいいと思ってたから。学校の教師っていうのは、あんまり説得っていうのはあかんねん。やっぱり納得せなあかんねん。説得してもだめなんです。…(職員会議では)大きな方針は出してたんです。こうしようと思うと。

 このように、協働の取り組みを始めるときには、まず協働を学校の大きな方針として打ち出し、教師に対して説明はするけれども、管理職が先陣を切ってできることから始めてしまうというのが実情のようである。そして、管理職らは教師全員の協力を得てというよりは、まずは賛同してくれる教師数名と協力体制を組み、小さなつながりの輪を出発点に活動を始めているといえる。

 

<3> 協働を軌道に

(1)教師に対する直接的な働きかけ

 学校全体として協働に向かうためには、小さな輪であった協力体制を広げていかなくてはならない。抵抗、傍観、協力といったさまざまな態度をとる教師に対して管理職はどのような働きかけをしたのであろうか。

鈴木:僕の場合は生身をださないかんと思ってるから一緒に苦労をしましょうという感じ。だから、日常の手抜きはあまりしない。これが基本ベース。みんなと一緒に苦労をしますよということを見せる(協働の取り組みの)一番最初は僕が全部した。校長でありながら係りするねん。で、みんなに見せてこれでいこうかってなって、(そして)次の年は新しい先生、職員に渡すねん。

平井:ほめるとか、よくやってるねとか(を言うようにしている)。地域の人達が来てるときには、一緒に(活動に)入らせてもらって見させてもらったりして、あんなんしてよかったねーとか、そんなような言い方で励ますとかしてます。

田中:管理職いうのは(教師の勤務条件の問題など)そういうのを絶えず抱えながらいつもインプットして、職員がちゃんと我慢して黙ってやってくれているあたりを常に頭において配慮もしながら(協働の取り組みを)しなくてはいけないということやろうと思う。

 このように、管理職は、自分がまずやってみて手本になること、教師と一緒に歩むこと、教師の状況をしっかりと把握すること、その労をねぎらうことといったさまざまな働きかけをしている。そういった働きかけによって、管理職と教師の間につながりができ、信頼関係が構築されていくといえる。そして信頼関係が構築され始めると、協働に消極的な教師たちも徐々に態度を軟化させ、取り組みに向けておそるおそる一歩を踏み出したり、これまでとは打って変わって積極的に協力したりするようになるのである。  

 管理職の教師に対する日常的な働きかけと日々の努力が、学校内の協働への協力体制を作り上げるのだが、これは一朝一夕にできあがるものではない。また、時間をかければ必ず教師全員とよりよい関係が構築され、完全な協力体制ができあがるわけでもない。管理職たちは、協働に取り組むにあたっての教師との関係づくりの難しさと葛藤を次のように語ってくれた。

△△:(教師との衝突で)いらいらしますね。頑として受けつけない先生もいます。けど努力してそこまでしかできなかったらもう仕方がないと思うしかないから。

△△:赴任してかなりたつので、少しずつは理解してもらっています。でも先生方には私が無理やりに引っ張ってると言われたりして、あんまり信頼をされてない部分はあると思います。それは一番辛いところです。

△△:よほど勤務に欠陥があったり、勤務を違反していたら校長としても注意ができるけども、(協働に向けて)心がこもってないからという注意はやっぱりできないな。だから、お手上げ。親と手をつないでいる場合ではありませんっていう人には何もしない。 

 

 これらの言葉には、協働を進めようとする管理職と消極的な態度をとり続ける教師との葛藤の大変さがにじみでている。そして、誰もが「やっぱりかなりしんどいですね。」という本音を語ってくれた。また、「一見すごく元気にしているけど、こんなことしてもどうにもならないって思うことがあります」というように管理職自身が意気消沈してしまうこともあるようである。しかしながら、管理職たちは、各々の協働への確固たる信念を拠り所にして、日々の葛藤と埋めきれない溝を抱えながら歩き続けたといえる。

(2)教師に対する周囲からの働きかけ

 協働による取り組みに対する教師の反応は、実にさまざまである。ただし、どのような態度を示す教師であれ、保護者や地域住民や同僚、そして子どもからの働きかけが最も効果的に教師の態度を協力的なものへと変容させるようである。以下では、その具体的な例を三者の発言からみてみる。

平井:やっぱり(学校を開くことの大切さを)わかって一生懸命に協力的に動いている先生に対しては、保護者もあたたかい言葉をかけますよね。「先生ご苦労さん」とか。(他の先生が)そういうのを見てる。で、やっぱり学校を開くこともちょっとは考えていかなくてはいけないなというふうに変わってきていると思います。(協働の取り組みの)中心になっている先生っていうのは、どうしても(保護者や地域住民と)一緒になって共同の作業をしますやん。そういう中でのつながりってすごいあると思います。「先生この間ほんとにありがとなー」とか、「今度先生にうちの子の担任になってほしいわ」ってぱっと言いますやんか、やっぱりそういうことって誰でも言ってほしいでしょ。だから、そういう人達が学校に来たときの先生方の態度はもう前とは全然違いますよ。私が見てるだけでもね。

藤木:教師が地域の人たちとの会議にでたときに、地域の人達がいろいろと言ってくれますやん。うれしかったこととか、もっとこういうことをしていきましょうということを。それを聞いた先生たちが「あんなことを言ってくれるの、うれしいわ」っていうことになりますでしょ。やっぱりそういうとこから(協働は)始まるんちがいます?いくらこれが大事や、あれが大事だっていったって、実際に人に出会っておじいちゃんの口から私達も子どもと一緒に何か楽しいことをしたいんですって聞いて、実際に何かできたら、すごいねーってなりますでしょ。それで力を得て、やっていこうみたいになるし、やっぱりお互い様に顔を合わせて、一つ一つやりながら意識が変わっていく。

佐藤:(教師に)納得してもらうためには(協働の取り組み)を誰かがやって、やった本人が他の教師に言うのが一番確実ですよね。僕がよかったよーなんていうよりは。仲間同士でよかったよって言ってもらったら、あるいは子ども同士で面白かったっていってもらったらよっぽどその方が力があるわけですから。だから、どこかの学年が取り組みをやってよかったら、それを積極的に宣伝する。学校だよりにも書く、子どもがよかったという意見も書く、保護者や地域の人が来てくれてその感想文も大々的に宣伝する、そうやってちょっとずつ活動を増やしていった。

 協働に踏みださない教師に対しては、保護者や地域住民や同僚、そして子どもといった周囲の人たちからの働きかけが有効なようである。初めは消極的であった教師も、保護者のちょっとした言葉、子どものうれしそうな声、他の教師の姿や実際の成果を目の当たりにして部分的にでも協力的な態度を示すようになるのである。そのために、管理職たちはまずは簡単にできる小さな取り組みを導入し、教師が保護者や地域住民と接する機会を増やし、保護者や地域住民の生の声を聞いたり、彼らから直接言葉をかけられたりする環境を作った。そして、実際に行った取り組みに対する保護者や地域住民の喜びの声や、子どもが見せる楽しそうな顔や生き生きとした態度に教師が触れる機会を増やすのと同時に、それらを大々的に報告するといった手法をとっている。管理職たちは、周囲からの働きかけを増やすことによって、教師が自主的に協働の取り組みをやってみようかなと思うように心がけたと語る。また、教師同士で触発しあうことも協働へと教師を駆りたてるきっかけになる。そこで、管理職たちは地域担当者(協働の取り組みを進める担当者)を校務分掌に位置づけ、その教師を中心に協働への協力の輪が教師たちの間に広がり、協働体制へと向かうよう取り計らっている。

 藤木:いつも教頭が前に出て、(協働の取り組みをしようといっても)教頭が好きでやっているみたいなもんでしょ。やっぱり地域担当になった者が先生達に声をかけていくっていうのと教頭が声をかけるのとは全然違う。教頭が声をかけるっていったら上からものを言ってるようになるけど、地域担当の先生が今度の土曜日に取り組みがありますから先生達もお願いします、子ども達にも取り組みがあるからおいでよって言うと全然違う。教師仲間がやってる、担任の先生がやってるっていうのとは。…(教師を変えるのは)雰囲気やね。みんなでやっていきましょうっていうのは誰でも通用するものだから。一対一で話すというより、組織でじわーじわーっと。

田中:今年は特に地域担当を各学年でそれぞれ出して、いろんな地域の取り組みがあったときには、地域担当が輪番で参加するという形でやっている。それで学校全体としての取り組みを進めていくような形を作っている。(ただし)、地域担当がその学年の地域の窓口みたいなもんだから、その人らを通して学年の他の教師も参加していくような体制をとっていこうとしている。

 このように、同僚からの働きかけが行われるための仕掛けとして、校務分掌で地域連携担当者を位置付ける学校もある。この組織形態は、従来の鍋蓋式といわれるものでも、企業に見られるようなヒエラルキーでもない、いわば渦巻きのようなものであるといえるであろう。うまく渦巻きになれば、活動をコーディネートするための中心は存在するけれども上からの指示により活動したり、分担主義に陥ったりせず、いろいろな人がそのときどきの状況に応じて中心的な役割を担ったり周辺的な位置でサポートしたりと、さまざまな形で活動に関わることができるであろう。協働を進めるには、その取り組みに向けて教師を知らず知らずのうちに巻き込んでいく雰囲気づくりを行い、じわじわと学校そのものを変えていくことが大切なのである。

(3)学校の姿勢を示す(3)

 協働を軌道に乗せるためには、それを学校の大きな方針として打ち出すだけではなく、協働を目標としている学校だという姿勢を学校の内・外に向けて常に示し、明確化することが大切である。つまり、学校が何を重視し、どのような教育活動を行おうとしているのかを教師、保護者、地域住民、子どもに向けて具体的に示し、そこに意味づけを行い、価値の共有化を図るのである。たとえば、次の二人の管理職は、教師、保護者、地域住民、子どもに対して以下のように語っていたという。

佐藤:(こんなふうな学校にしていきたいっていうのは)結構言ってましたね。それは、たとえばもし学校が校区自由化になったときに、うちの学校を選んでくれるような学校にしたい。自由化になってもうちはどっさり子どもが来るよと、誰が担任になっても自由に選べといっても、みんな行くよと、そんな学校にしたいねというのは夢としてはもってた。その方針の一つが開かれた学校。…保護者や地域の方には気楽に来てくれる学校にしたいなと言ってた。割とよく来てくれてた。ふらりとね。

藤木:ありきたりだけど、豊かな心というか、子どもの心が荒れたり、いろんな問題がありますやんか。心豊かな子どもに育てるには学校だけでは絶対限度があるっていうこと(を言っている)。大事なのはお父さんお母さんの気持ち、地域の人の気持ちというか、みんなで道で会ったときにこんにちはとかさようならとか言えるような、何かしてるときに「おっちゃん何してるの?」とか「今学校から帰ったんか?」とかたまに悪いことしてたら「そんなことしてたらあかんよ」って言えるような地域にしていかないかんっていうこと(を言っている)。

 そして、管理職たちはこのような学校の目標や協働の価値を、学校内では職員会議や朝礼で、地域ではさまざまな行事のおりに語り続けることによって浸透させていった。特に教師に対しては、機会があるたびに日常的に話すように努めていた。このように学校の姿勢を示し、つまり学校が向かっている方向性を示し、それに対する意味づけや価値づけを行い、学校内および地域内でその共有化を図ることは非常に大切である。そうすることによって、学校というものがわかりやすい存在となり、人々も行動しやすくなるのである。また、そうすることによって、管理職自身が学校内外で目に見える存在になるのである(4)。

<4> 学校文化を編み直す

 これまで見てきたように、管理職たちはさまざまな工夫をこらして教師の意識と言動を変え、協働に向けての学校内の協力体制を作りあげてきた。中留(1998)(5)は、学校改善を規定するものとして学校文化を取り上げ、学校文化は学校改善を阻害する要因にも促進する要因にもなると述べている。学校文化とは、「各学校の構成員によって固有のものとして形成されている認識枠(ものの見方、考え方)であり、また、行動様式」のことである。協働を学校改善の一手段と捉えると、管理職たちは学校を改善するためにそれまでの固定した学校文化を突き崩し、新たな認識枠と行動様式を示しながら協働に向けて新たな学校文化を築こうとしたといえるであろう。このように捉えると、それまでの文化を守ろうとする教師と新たな文化を築こうとする管理職との間に葛藤があるのは当然のことだといえる。紹介してきた管理職たちが協働に向けての新たな学校文化を築くために発揮したリーダーシップは、簡単にまとめると次のように考えられる。

 デールとピーターソン(1997)(6)は、管理職がとるリーダーシップを管理・技術的なものと象徴的・文化的なものに分類し、学校改善には両方のリーダーシップのバランスをとって統合することが必要だとする。つまり、計画、目標設定、合理的な意思決定を行う技術的なリーダーシップと、特定の価値や信念を表出し人間的なきずなの形成を重視する文化的なリーダーシップを統一的に捉え、能率と目標とを志向するとともに、学校構成員の相互の行動、仕事の意味づけ、価値づけを行うことが学校改善を行う管理職に求められる手腕であるとしている。紹介してきた管理職たちは、協働に向けての計画や目標をたて、組織的にも校務分掌を変えるなど技術的なリーダーシップを発揮するとともに、人間関係づくりを行いながら、教師自らが協働の活動に意味づけをする環境を作り、その共有化と明確化を図ったといえる。彼/彼女らは、学校改善に必要なバランスのとれたリーダーシップをそれぞれの学校の状況に応じて柔軟に用い、硬直した学校文化を絶えず揺さぶり続けて協働を促進したといえる。


4 保護者や地域住民とともに

<1> 地域づくり

 協働が成り立つためには保護者や地域住民の協力が欠かせないことは言うまでもない。しかしながら、学校によっては、協働をしようとしたときに手を結ぶ相手、つまり協力してくれる保護者や地域住民が見当たらないという場合もある(7)。

 E小(8)は、校区全体として地縁的なつながりの強い地域ではなく、地域住民同士の横のつながりが希薄であった。学校が協働をしようとしても、協力を頼めるようなまとまった対象があったわけではなかった。学校がなんとか声をかけることができたのは、PTAの役員をしてくれている保護者数名という状況であった。そこで管理職は、保護者や地域住民との小さなつながりの輪を作るところから始めた。管理職は自ら、学校に出入りしている保護者一人一人に話しかけ、協働への思いを語り、自分と彼/彼女との個人的なつながりを結ぶように努めた。そして、今度はコーディネート役になって少しでも自分とつながりのできた者数名を結び合わせることにより、学校に協力してくれる保護者や地域住民の小さなネットワークを作っていったのである。このときにE小が活用したのが、「学校週五日制推進委員会(市の教育委員会が学校週五日制の導入にともなって小学校区ごとに設立したもの)」である。これは、休日となった土曜日に子どもたちが楽しめるような活動を企画する母体であり、運営には教職員や保護者および地域住民がたずさわる。管理職は、五日制推進委員会の体制を整え、そこに保護者や地域住民が主体的に関わるようにすることによって、協働を行う際の地域の基盤となるよう取り計らった。最初に小さなネットワークに加わった保護者や地域住民は、管理職の思いを受け五日制推進委員会を徐々に動かしていき、土日のイベントの提供、授業の支援などの取り組みを企画していった。そして、身近な保護者や地域住民に声をかけ、仲間を増やすようにつとめた。また、管理職はこういったメンバーとともに町会回りを行うなど、広報活動に励み、学校に協力してくれる保護者や地域住民のネットワークを広げていった。こうした地道な努力を積み重ねることで、E小は協働する相手としての地域(保護者や地域住民の輪)を作りあげていったのである。

 ただ、もともと地域内のつながりが強かったり、協働する際にすでに保護者や地域住民が手を差し伸べてくれたりしているような場合でも、まずは管理職が保護者や地域住民一人一人とのつながりを大事にし、徐々に人間関係を築いていくことが必要である。すでに協力的な地域の基盤があるA中校区の場合でも、それに単に乗じるのではなく、管理職は保護者や地域住民を町で見かけたら、気さくに声をかけることを絶えず心がけているという。そして、保護者や地域住民と学校の中だけではなく学校の外でも触れ合う機会をつくり、彼らとの信頼関係の構築につとめ、学校と地域が本音で話し合えるような関係づくりを行おうとしている。こうした努力の結果、A中校区での協働は新たな段階にさしかかっている。それは、学校と地域が一緒にイベントを行うだけではなく、「子どものための教育とは何か」について一緒になって考え、どのような活動をどのように行うことが子どものためになるのかということを議論しながらともに模索している段階である。A中校区の保護者や地域住民は、学校に寄って2〜3時間話をしていくことがしばしばあり、「先生には何でも言うねん」と話す地域住民もいる。  

 学校が地域と協働をしようとすると、校区内の地域そのものが持っている性質によって協力体制を築くための道のりが異なってくる。しかし、上でみてきたように地域性がどのようなものであれ、学校と協働する地域ははじめから存在するのではなく、学校と地域が一緒になってともに作り上げるものだといえるであろう。確かに既存の地域の組織やメンバーが学校に協力している形態もあるが、協働の範囲が拡大したり関わりの程度が深まったりという状態を考えると、学校との関係について従来のような形態や意識とは異なる地域の構築が不可欠であると思われる。このような地域は、まず管理職が地域に足を踏み入れて、そこで暮らす保護者や地域住民と接して絆を深めることから始まる。最初は本当に少数の保護者や地域住民としか関わりをもてず、学校と協働する地域が点のようなものかもしれない。しかし、地域との関係を作る努力を重ねるうちに、その少数の保護者や地域住民が自分の周囲に声をかけ、また彼らがさらに声をかけということが繰り返されて、大きな塊となった地域が形成されていくのである。そしていずれは、学校を下支えしてくれるような学校応援団ができあがるのである。このときに、先に述べた学校週五日制推進委員会や大阪府が取り組んでいる地域教育協議会などの組織を地域住民や保護者が集まるための母体として用いると、比較的地域づくりが行いやすくなるようである。

<2> 学校づくり

 協働には保護者や地域住民の協力が必要であることは上でも述べたが、誰もが気軽に立ち寄れるほど、学校の敷居は低くない。しかし、協働を本当に行うためには、学校と地域が決まった時間、決まった用事のときにだけ接触するのではなく、日常的に何気ない接触をもつことが大切である。そのためには、保護者や地域住民が近寄りたいなと思えるような学校づくりを行うことが必要である。協働を目指して学校のハード面から変えていったG小学校の教頭は、次のように語る。

宮本:「開く」って言いましても、学校の形・スタイル、昔からの非常に硬いスタイルの中にどれだけ気持ちを和らげながら入ってこれるのかということが非常に大事なことやと思うんですよ。だから、ハードとソフトの両面をどれだけ意識して変えていくのかが、これからの学校を考えていくときに必要じゃないかと思いました。

 この言葉どおり、G小は思わず入りたくなるような、ちょっと寄ってみたいなと思うような工夫が学校内のいたるところになされている。たとえば、入り口を飾ったり、校内に憩いのスペースを作ったり、廊下の端にすだれをかけて座ってくつろげる椅子をおいたり(写真参照)。そして注目すべき点は、こういった学校づくりが保護者や地域住民の気持ちを和らげただけではなく、そこに毎日通い、何時間もの時間を過ごす子どもの気持ちも和らげているということである。子どもがホッとできる場所ができたり、校舎の印象が明るくなったりと、何よりも子どものためになっているのである。こういった学校づくりもはじめは学校の教職員が主導でやっていたが、忙しい教師には限界があるため、今では地域主導で行われているという。

 また、保護者や地域住民が立ち寄れる学校づくりの一環としてどの管理職も共通して行なっていることは、校長室の開放である。保護者や地域住民、もちろん教師がいつでも気軽に出入りし、そこで話し合える雰囲気作りを心がけている。佐藤校長は次のように語る。

  

佐藤:校長室のドアをいつでも年がら年中開けてたんですよ。だから、みなさん入りやすいっていってくれて、入って話はしてましたね。(F小には会議室がなかったからということもあるが)教科の授業で先生と保護者、地域の方との打ち合わせのときでも校長室をよく使ってました。校長室はソファもあるし便利だったんで、ここでやってくださいって。そこでやってもらったら僕も話をきけるし、わかりやすいから。校長室はよく使ってもらってましたよ。コーヒーも出ましたから、私が入れて。

 協働への学校づくりは、保護者や地域住民が立ち寄りたいと思える学校づくりだといえる。そのような学校を教師と保護者や地域住民がともに作っていくことが協働の取り組みである。保護者や地域住民が立ち寄りたいと思える学校というのは、子どもたちにとっても居心地のいい学校になっているはずである。安全管理や費用の問題もあるが、学校に毎日何時間も通う子どものことを考えると、誰もがふらっと立ち寄りたくなるような、そこに居場所を見つけられるような学校づくりを行うことは大切であろう。


5 おわりに

 
本章では、具体的な事例にもとづきながら、管理職が何を考えてどのように協働を促進してきたかについて述べてきた(10)。管理職に焦点をあてているため、トップダウン的に協働体制が作られているような印象を与えるかもしれないが、どの管理職もまずは教師や保護者や地域住民との人間関係づくりを大切にしており、ボトムアップの協働に向けて取り組んでいる。協働を促進するやり方には共通点も多々あるが、管理職のタイプによって異なる点も多い。自分で動かずになるべく人を動かすタイプ、突入タイプ(大きな取り組みを現場に投げかけ、混乱の中から教師のそれまでの固定概念を吹き飛ばす)、自ら取り組みの盛上げ役になるタイプ、「蜘蛛」タイプ(いつのまにか絡めとって協力する方向にもっていく)、などである。本章を読んでいただいた方々にも、ここで紹介した手法を参考にしながら、自分の持ち味を生かしたやり方で協働に向けて取り組んでいただけると幸いである。

 また、付け加えておきたいのは、焦りは必要ないということである。紹介してきた管理職たちは、協働に向けて少なくとも数年以上の地道な努力を積み重ねている。「ちょっとずつ、ぼちぼち、少しずつ」「できるところから」は、どの管理職も口にする言葉であった。協働の取り組みを進めることはやりがいのあることかもしれないが、非常に「しんどい」ことでもある。また、急に学校を変えようとすると失敗してしまうこともある。ここで紹介したさまざまな手法をヒントにして、各学校がそれぞれの特徴を生かしながら、急がずに、しかし確実に協働に向けて歩きだしていただければ幸いである。そして、すべての学校が子どもたちにとって夢と希望のあふれる場所になることを願っている。

 最後に、忙しい中にもかかわらず快くインタビューに応じてくださった管理職の方々、また、押しかけていった筆者を暖かく迎え入れてくださった学校関係者、保護者、地域住民の方々にこの場を借りて厚くお礼申し上げます。



  1. 小・中学校名はアルファベットで、管理職の名前はすべて仮名で記している。
  2. 第1章3「<1>学校の閉鎖性」を参照のこと。
  3. 第1章1「<1>教育コミュニティとは?」を参照のこと。
  4. 学校を改善する上で、校長が関係者(とくに教職員や子ども)にとって目に見える存在として機能する重要性については、中留武昭1995『学校指導者の役割と力量形成の改革−日米学校管理職の要請・選考・研修の比較的考察』第四章、東洋館出版社で指摘されている。
  5. 中留武昭1998「学校改善を規定する学校文化」『学校文化を創る校長のリーダーシップ』エイデル研究所、35-41頁
  6. T・E・デール、K・D・ピーターソン 中留武昭監訳1997『校長のリーダーシップ』 玉川大学出版部
  7. 第一章3「<2>地域活動における統合性とイニシアティブの欠如」を参照のこと。
  8. E小学校がいかに学校と地域との協働を作り上げていったかについては、『協働の教育による学校・地域の再生』(2001、大阪大学大学院人間科学研究科・池田寛研究室)第二部第二章第三節にて詳しく述べている。
  9. 第1章1「<1>教育コミュニティとは?」を参照のこと。
  10. 管理職ではなく現場の教師主導ですばらしい協働実践を行っている学校がある。そのような学校では、協働に向けての強い意思をもった教師ががんばっているからこそ協働が促進されていることは重々承知しているが、本章では考察の対象外とした。