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2005.02.15
部会・研究会活動 <地域教育システムの構築に関する調査研究事業>
報告書 教育コミュニティづくりの理論と実践
-学校発・人権のまちづくり-

教育コミュニティづくりと地域コーディネーター

濱元 伸彦



 はじめに

 まず、飼育小屋づくりは、私の気持ちのなかでは最初から成功することに決まっていました。それは、誠意をもって、完成するまで自分の楽しみとして確実にやりとげてくれる、私以外の二人のお父さんを中心にしてスタートできたからです。(中略)…あとはイモヅル式(失礼!)にお手伝いのお父さんが出てきてくれるものと確信していました。

 なぜならば、お父さんたちは何かをしたくてたまらないはず、という想いがあったからです。出てくるために必要なのは、それなりに意義があることと、とりつきやすいきっかけだろうと確信していました。とかくお父さんたちは、PTAはもちろんのこと、学校へは寄りつかないと思われていますが、そんなことはないのです。要は、気軽に参加できる舞台と、踊りやすい脚本とを用意すればよいのです。私はそう思っていました。 (岸祐司1999年,p.20)

 いきなり長い引用になってしまった。上は岸祐司さんの著書『学校を基地にお父さんのまちづくり』の一節で、1991年に岸さんたちPTAのお父さん達が中心となって、小学校(千葉県習志野市立秋津小学校)の中に新しい動物の飼育小屋をつくったときの模様である。岸さんはPTA会長として、PTAの中から有志をつのり、学校の教師たちとも調整しあいながら、およそ半年かけて立派な飼育小屋を手作りで完成させた。

 この飼育小屋づくりにみられるような親と子ども、地域のボランティアそして教師たちの共同作業の積み重ねが土台となり、余裕教室を利用した秋津コミュニティ(1)が立ち上げられ、秋津小学校は地域のミニ文化センターへとかわっていく。詳しくは岸さんの著書を読んでいただきたいが、この本が特に面白いのは、秋津小を基地としたさまざまな取り組みが、岸さんというキーパーソン自身の実践的視点から描かれていることである。そこでは、教師たちと地域の人の中で生まれた摩擦や地域の人どうしの葛藤も浮き彫りにされ、同時にそうした課題を乗り越えていくためのノウハウも盛り込まれている。例えば、岸さんは親たちの間でのネットワークづくりについて次のように言っている。

…参加してもらううえで大切なことは、「強制をしないこと」であり、同時に強制をしているように受けとられないように配慮をしつつ、「つねに進行ぐあいを公表して透明度を高めておくこと」と思っていました。(20頁)

 これを読み、自分の経験と重ね合わせ「そうそう、そうなんだ」と苦笑いを浮かべながら頷く人もいるだろう。『学校を基地に〜』を読む限り、学校と地域の間の「つなぎ目」にある人の役割は、単に「おれについてこい」タイプのリーダーシップだけでは不十分のように思われる。学校がもっている特殊な文化や仕組みを理解し、一方で保護者や地域側にも十分な人脈をもった上で、上の引用部にあるような微妙なバランス感覚をもった人が必要となる。同時に、みんなが協力して取り組める活動のアイデアを生み出したり、あるいは周りの人からそれを拾い上げたりできる人でなくてはならない。本章では、岸さんのように、学校と地域の「つなぎ目」としてネットワークづくりをし、連絡調整につく人を「コーディネーター」と呼び、その役割について考えてみたい。

 コーディネーターは、実にさまざまな役割を校区の中ではたしているので、それらを一言で説明するのは難しいが、岸さんが著書の中で使っている言葉を引用すれば、「よいこと循環」の促進役ということになるだろうか。岸さんのいう「よいこと循環」とは、誰かが一歩前に出て「こんなことをやりましょうよ」とスタートしたことが、たくさんの子どもと大人を巻き込んで広がっていくと同時に、そのような人のつながりが引き金となって、そこから別のさまざまな取り組みが派生していくことである。秋津小の例で言うと、先の飼育小屋づくりが起爆剤になり、保護者や地域の自発的な学校参加が広がり「秋津オペレッタ」の創作や、土曜日の小学生のクラブ活動へのサポートが次々と生まれていったことを岸さんは指摘している。このように協働に加わる子ども、保護者、地域の人、教師が互いに呼応しながら教育活動を活性化させていくプロセス(よいこと循環)、これがうまくすすむように調整をはかるのが「コーディネーター」の役割ではないだろうか。本章の以下の部分では、教育コミュニティづくりにおける保護者、地域の役割に焦点をあてながら、コーディネーターの活動の意味をより詳しく明らかにしていく。まず続く2節では、なぜ教育コミュニティづくりにおいてコーディネーターが必要とされる背景や理由を整理しよう。



1  教育コミュニティづくりとコーディネーター

<1> コミュニティ・ソリューションの時代

 90年代に入り、教育に限らず環境や福祉の領域においても「コミュニティ」が再び注目されるようになってきている。その背景には、社会のいずれの領域においても、これまでのシステムでは対処できない問題が生まれてきていること、そうした問題を受けて我が国全体でこれまでのサービス提供者としての「官」と受給者の「民」という関係を見直そうという動きが起こっていること、さらに「ボランティア」という官と民をつなぐ新たな市民の活動力が台頭してきたこと、などが挙げられる。このようにして、社会の様々な領域で市民のボランタリーな(自発的な)参加を基盤にした、新たな問題解決のしくみが模索されるようになってきた。こうした「コミュニティの参加」を軸にした問題解決のしくみを、金子郁容氏はその著書で「コミュニティ・ソリューション」と呼んでいる。

 金子郁容氏のいうコミュニティ・ソリューションとは自発的に集まった人々が、お互いに情報や場を共有し、新たに人のつながりを生み出しながら、課題解決にあたっていくプロセスである。コミュニティ・ソリューションは人々のボランタリーな活動力をベースにした課題解決の過程であると同時に、またそのプロセス自体がコミュニティを新たにつくりだしていく動きでもある(2)。このようにして形成される新しいコミュニティは、旧来の地縁的なつながりとは異なった「テーマ型コミュニティ」(世古,2001)である。

 教育よりもいち早く、こうしたコミュニティソリューションが着手された領域として高齢者福祉がある。高齢化の進展によって福祉需要が普遍化したことから、高齢者や障害のある人が住み慣れた地域で人間らしい生活を保障されるための仕組みとして「地域福祉の推進」「福祉コミュニティづくり」が80年代から叫ばれてきた。実際、国や地方自治体の力だけではまかないきれない高齢者の支援を、地域の民生委員や医師や保健士、生涯学習施設、そして地域のボランティアが協働するシステムづくりが各地域で進みつつある。大阪府下でも市町村の社会福祉協議会が活発に活動し、小学校区単位で運営されている校区福祉委員会は中高年を中心としたボランティアたちの拠点になっている。

 「教育コミュニティ」も、子育てや教育活動への参加を共通の課題とするテーマ型コミュニティの一つであるといえる。「福祉」と「教育」でコミュニティづくりの軸は異なるものの、福祉コミュニティと教育コミュニティは人やリソースの面でさまざまな重なりをもちつつ共に発展していくと思われる。

<2> 松原調査からみえてきたものー活発化する教育コミュニティづくり

 本書のベースなる調査の前段階として、筆者らは2000年1月より、松原市の4つの中学校区と貝塚市の一つの中学校区を選び、フィールドワークや参与観察を通して各校区の動きを調べている(3)。これらの調査は、大阪府下でも学校と地域の協働がさかんな校区の動向を明らかにするために行われた。

松原市の場合、各中学校区で学校と地域がより密に協力しあう契機として「校区フェスタ」の役割が大きかったようだ。7つの中学校区を有する松原市では、1995年に第七中学校区が開いた「国際文化フェスタ」の成功を皮切りに、他の中学校区にも同様の実践が次々と伝播し、「いきいきふれあいフェスタ」(二中校区)、「ヒューマン・タウン・フェスティバル」(三中校区)「いきいき環境フェスタ」(五中校区)のように、それぞれの独自のテーマをもった校区フェスタが各校区で開かれるようになってきた。

 松原市教委も1996年度からこうした取り組みに予算援助するようになった。それは、このフェスタがもつ予想以上の「求心力」を発見したからである。筆者もこうしたフェスタのもつ「求心力」に興味をもち、実際ボランティアとして関わりながら、フェスタに関わる教師や保護者、地域の人の声をきいていった。校区フェスタは、中学校区という大きな括りで取り組まれるので、立ち上げまでには、小中学校の教職員、PTA、地域組織、社会教育関係者といった、それまであまり接点のなかった人たちがともにプランを練り、運営の手順を話し合い、準備のために様々な試行錯誤を経なければならない。もちろん最初は「それほど大規模に地域が学校に入ってくれば混乱をきたす」「学校が汚れてしまう」という学校側の反対があったり、学校関係者と地域の間でどちらがイニシアチブをとるかをめぐって摩擦が生じたり、と色々と問題が出てくる。しかし、いったん校区フェスタが学校で開催されると、それを通して地域の大人と子ども、教師の間で新たな出会いが生み出され、皆がフェスタの賑やかさ、楽しさを共有する。「ふだんの学校での生活とは違ったいきいきとした生徒の姿が見られた」「ふだん接点の少ない学校を身近に感じることができた」「いつもは話したことのない隣近所の人と助け合い、おしゃべりをした」など、参加した教師、保護者、地域の人それぞれが何かを発見し、参加を通してそれぞれが大きな充実感を得る。このように様々な組織・団体が協力して取り組むことから生まれた「新しい発見」「出会い」「充実感」「一体感」といったものが「求心力」の源のようである。

 このような校区フェスタのもつ「求心力」は、学校活動と地域活動の重なりを広げ、他の様々な取り組みが自発するきっかけにもなっている。例えば、地域の地縁的な結束の強い五中校区では、小学校の農業学習や地域のフィールドワーク活動への地域のサポートが生まれ、地域教育活動を支えるボランティアクラブも発足した。さらに校区フェスタの実行委員会をベースに地域教育協議会を立ち上げる校区もみられた。

 こうした小中学校と地域の連携について、インタビューを通して教師や保護者、地域のボランティアに聞いてみると、フェスタという取り組み一つを考えても、そこには様々なタイプの「仕掛け人」や「プロデューサー」の働きが作用していることがわかる。さらに、実際にボランティアとして、フェスタや地域教育協議会の活動の中に入り込んで調査をすすめていくと、教師や保護者、地域のボランティアの中で特に「キー」になる人たちが、縁の下で互いに配慮しあい調整していくプロセスがより見えてくる。「広報を町会にお願いしようか」、「町内の老人会にも参加を呼びかけよう」、「小学校の総合学習の発表の場を設けよう」などなど、教師や地域ボランティアのリーダー、PTA役員らが一つ一つ情報を出し合って話しあい、バランスをとりあう姿がそこにある。こうした各領域の「キーになる人」、すなわち、コーディネーターの、周囲への情報発信や絶え間ないネットワークづくりが各校区の活動を支えているのである。

<3> 学校と地域の「つなぎ目」にある人 ―コーディネーター

 日本の教育、とりわけ学校教育の領域において、「(地域)コーディネーター」という言葉はまだ耳に新しい。学校によっては教師の中で「地域連携担当」という校務分掌がおかれている場合もあるが、こうした分掌は全国的に見れば非常に稀である。またPTAもかつては、児童生徒の保護者だけでなく、地域住民も参加できるものであり、学校と地域のつなぎ目としての機能をもっていたが、現在ではそのような機能は希薄になってきている。

 学校と地域の協働において、コーディネーターという役割が求められる理由の一つは、コーディネーターがいることで、学校と地域との対話がより促進され、両者の連携活動が行いやすくなるということである。戦後まもない頃の日本の学校、特に農村部の学校は地域にある数少ない公共施設として、子どもの教育以外にも、地域諸団体の会合や成人教育の場としても利用され、いわば「地域のミニ文化センター」としての機能をもっていた。しかし、高度経済成長期以降の制度改革で、学校は児童生徒の教育の場としての位置づけがより明確になり、それ以外の目的には使われなくなっていった。こうした学校の「聖域化」の過程で、かつては日常的だった教師と地域の大人との接触の機会も限られ、相互の情報もより伝わりにくくなり、教師集団の外部に対する閉鎖性も強まっていったと思われる。学校サイドの論理と地域サイドの論理の違いは、しばしば両者の連携にとって障害になる。このような両者の対話を促すために、どちらの状況にも通じたコーディネーターの存在が必要である。例えば、大阪府貝塚市の北小学校の元PTA会長でふれあいルーム運営委員の事務局をつとめていた油谷さん(男性・50代)はコーディネーターについて次のように話す。

油谷さん:行政や学校側から地域に対して要請なり、提案がでてくると、「何か上から言われた」「一方的に押しつけられた」というふうに捉えてしまうという地域の本能みたいなものがあって。子ども会みたいに地域内の団体から出た意見であれば、それなら地域同士でもうちょっと腹を割って話をしようというムードになるんだけど…。やはり、その間に立って、中間的にね。学校のこともわかって、地域のこともわかって、という人が必要じゃないかな。あるところから出た意見を、そのまま伝えたら、対立が生まれる。そこで、いったんワンクッションおいて、咀嚼して、「あの人たちの発想はこういうことなんですよ」ともう一方に伝える。そういう中間的に橋渡しをするというか、粘着力をもたせる人たち、グループが必要だと思う。それがコーディネーターなんやろうか。

 また、コーディネーターがいることで、学校と地域の連携における連絡調整の仕事を、学校側、地域側が分担することができる。校区によっては、土曜日の学校五日制事業(休みの土曜日に保護者・地域の人が中心となって子どもに体験的な活動の場を提供する取り組み)を教師主導でスタートした校区もある。しかし、いくら取り組みに参加してくれる保護者や地域のボランティアの数が増えても、その連絡調整の役割をすべて教師サイドが担うことになれば、教師たちの負担は大きくなる一方である。そのような場合に、地域の側で、保護者や地域ボランティアのネットワークづくりや連絡調整や運営を担う人がいれば、教師たちはそれを主導する立場からサポートする側にまわることができる。

 実際、学校の教師はよい意味でも悪い意味でも「児童・生徒中心」で考えているので、参加する保護者、地域の人の横のコミュニケーションにまで気を配る余裕がないのが実情である。それゆえ、保護者や地域の側から、そうした学校活動への参加の意味を考えて配慮し、横のつながりづくりを進めていくような家庭・地域サイドのコーディネーターの役割が重要になってくる。さらにつきつめると、学校への参加を通して、学校を核として子どもをとりまく人のつながりが広がり、ネットワークから「コミュニティ」として発展するためには、保護者や地域からの主体的な関わりが必要不可欠であると筆者は考えている。

 次節では大阪府下のいくつかの事例をみながら、どのように保護者や地域の人たちは学校の協働にかかわり教育コミュニティづくりをすすめているのか、とりわけ、学校と地域の「つなぎ目」にある人たちは、どんなことに気を配り、どんな役割を担っているのかをより具体的に考えていくことにしたい。


2 教育コミュニティづくりの事例

<1> 三島小学校区の取り組み ―三島小サポータークラブを中心に

  (1) MINTの発足

 阪急京都線総持寺駅に近い茨木市立三島小学校(以下、三島小)は創立120年の伝統のある学校である。三島小は校区に同和地区を含む校区としてもともと地域連携がさかんな学校であった。また校区の青少年健全育成連絡協議会(青健協)も活発に活動している。人権・同和教育の実践の中で、保護者にもどんどん学校に来てもらい授業にかかわってもらおうという風土が以前からあった。そうした地盤をもとに、より保護者や地域の人が主体的に学校に参加していこうとする取り組みとしてできたのがサポータークラブ「学び合い隊・応援し隊」である。現在ミント(MINT=Mishima Network)という愛称で呼ばれているこの組織は、もともと「学び合い隊・応援し隊」という名称のもとに校区の有志が学校活動の支援のために集まってできたもので、2000年6月3日に300人が参加して「結隊」となった。PTAとの違いは、MINTは高齢者や単身者あるいは子どものいない人であっても、子どもや学校のために自分の時間やエネルギーを提供したいと思っているなら、誰でも入れるという点である。「一芸に秀でた人」だけでなく、自分のできることをして子どもたちの力になりたい、学校と力を合わせて教育に貢献したいと思っている人なら、誰でもMINTに登録できる。登録数は発足時から順調に増え、現在150名を超える人がMINTに登録している。

 サポータークラブが発足するまでにはいくつかのきっかけがあった。PTAと学校側の「討論会」を開いたのもそのきっかけの一つである。ふだんは参観日のあと子どもと保護者が一緒にスポーツで交流するのが恒例となっていたが、当時PTA会長をつとめていた大北さんが「もっと新しいことに挑戦してみよう」と提案し、保護者と教師の討論会を企画した。あまりたくさんの人は来ないだろうと予想していたところ、300人以上が会場である体育館につめかけた。いよいよ討論会が始まると、保護者と教師の間で熱い議論が交わされ、終了時刻が来ても「私も言わせて」とますます手が挙がるほどであった。この討論会をふりかえって大北さんは、「たくさんの保護者が学校についてもっと知りたいと思っている、何か言いたい、あるいは関わりたいと思っている」という実感をつかんだという。

 もうひとつのきっかけは、小学校での学校支援人材バンク「学び合い隊・応援し隊」の立ち上げであった。大阪府の学校支援人材バンク事業を受けて、より学校に保護者や地域の人の協力が得られるような仕組みづくりをねらって教師たちが中心になってつくったものだが、保護者に人材バンク登録の案内を配っても反応は少ない。キーパーソンである大北さんたちPTAは学校に協力を呼びかけられて参加するというのではなく、もっと保護者や地域の人が自分のやりたいことを学校の中でできるような気軽な参加のスタイルをつくることが大事だと考え、申込用紙のかたちはもとより人材バンクの仕組みそのものを大きくかえた。また、そうした新しい仕組みをわかりやすく説明するパンフレットを自分たちでつくり、機会あるごとにそれを配布し参加を呼びかけていった。こうしてできたのがサポータークラブ「学び合い隊・応援し隊」である。この組織が何をめざすものなのか、まだそのイメージははっきりしていなかったが、「走りながらの試行錯誤こそサポータークラブの神髄」と大北さんは言う。

  (2) MINTの活動

 MINTが現在行っている活動としては、学校の庭に花を植え手入れをする「花咲かせ隊」、サポータークラブや学校全体の情報を校区に発信する「MINT通信編集部」、散歩や買い物のついでに校区のパトロールをする「ついでパトロール隊」(4)などがある。またMINTが主催して年に何回か子どもと大人で参加する大きな行事を開催している。2002年6月に行われた「魚つかみ大会」では、学校のプールに放流した川魚を子どもたちが手でつかんで捕らえ、それを焼いてみんなで食べるというものである。当日は子ども650人、スタッフの大人200人が参加する大きなイベントとなり、たいへんなにぎわいとなった。

 クラブ活動の支援には以前から地域の人が指導に入っていたが、最近では総合学習にも一般の教科でも保護者の登場する機会がますます増えてきている。例えば、家庭科の授業などでは、子どもたちのミシンの実習の際、5人の母親がサポートに関わってくれたことで、ふだんはすぐに止まってしまうミシンが、滞りなく動き続け、子どもたちの練習もスムーズにすすんだ。そのほか昼休みには保護者が学校の図書室で子どもたちに本の読み聞かせをするなど、学校の中で保護者が活動する場は非常にたくさんある。MINTの中心になっている人たちは、こうした保護者や地域の人の学校への参加が、まず何より親自身の自己実現につながるものであってほしいと考えている。例えば、ある保護者は「私は、園庭の手入れをしによく学校に来ますが、そんな機会に校長先生や自分の担任の先生と気楽に話ができることが何より楽しい」と話している。また、こうした保護者や地域の人の学校への参加は、子ども自身にとってもよい影響をもたらしているようだ。現在、教師たちは課題をもつ子どもの親にどう参加してもらうかが大事だと考えているが、保護者が学校にきて活躍する姿をみて、子どもが学習により意欲的に取り組むようになったという事例も数多くあると教師は話している。

 現在、MINTの登録者は150名を越えている。MINTは毎月「MINT通信」を校区全体に配布し、その他ホームページやビデオ、パンフレットなどを使って、積極的に保護者や地域の人にMINTの活動を知ってもらおうと働きかけている。こうしたMINTの活動をきっかけにして、学校に関わる保護者の数も以前より増えており、常時20人から30人の保護者、地域の人が学校にいるという。MINT発足から2年がたち、今ではこうした状況もあたりまえのものになった。当初はMINTを結成した大北さんたちが小学校から中学校の保護者にかわり、いったん活動からぬけることで、MINTの活動も停滞するのではないかと思われたが、後に続く保護者たちも絶えず新しい取り組みを生みだしていこうというムードで関わっている。こうした三島小の動きに連動して、中学校でも保護者を中心に「サポート隊」が結成され、小学校でボランティアとして関わった人が中学校でも活躍できるようになってきている。現在、MINT通信編集部のスタッフで、MINTの活動の中心にもなっているKさん(保護者)は次のように話す。

「もともとMINTは保護者や地域の人にとって敷居の低い人材バンクをということで立ち上げましたが。学校支援として子どもたちのために何かやる、何かを教えるということだけでなく、今では学校を核にした関係づくり―保護者と保護者、保護者と教師、保護者と自分以外の子どもなど―そのきっかけになるものだと思っています。今まで『自分のできることを、自分のできる時間に』を合い言葉にやってきましたが、2年経って、『自分のできること』から『自分のしたいこと』にだんだん変わってきているように思います。その『したいこと』をもっと広げていけば学校ももっと面白くなっていくと思います。」

 MINTの立ち上げ当初からその中心として関わってきた大北さんは、今までの固定化されたPTA活動の殻をやぶり、常に新しい発想をもって主体的に学校づくりに関わっていくことが大事だと考え、MINTの活動をひっぱってきた。何かやりたいことを具体的にイメージし、前向きにブレーンストーミングで話をし、出てきたアイデアにはけちをつけず応援する。学校の活動によりたくさんの人を巻き込んでいくのには、みんなに情報をどんどん発信し、敷居をできる限り低くし、そして何より「学校は自分たち地域のものなのだ」という意識をもつことが大事だと大北さんは話す。筆者は大北さんに「コーディネーターとして必要なことは何か」とたずねてみると、意外な答えが返ってきた。

大北さん:自分で自分のことをコーディネーターやと思ってやっている人っておれへんのちゃうかな。人間だれでもね、「これはいい」「これはみんなと一緒にやりたい」と思うたことについてはな、自分から前に出てな、周りの人をまきこんで、勝手に調整してやっていくもんやで。ようはどんだけみんなを巻き込むだけの夢や情熱があるかっていうこと。みんなが自分も参加したいなあと思うような夢のあるものじゃないとね。

<2> 田尻中学校区の取り組み

  (1) 田尻トライアングルの立ち上げ

 ここでは2001年度に立ち上げられた大阪府田尻町の地域教育協議会(田尻トライアングル)とそこでコーディネーターとして活躍している明貝一平さんの活動をとりあげたい。田尻町は大阪府南部、関西空港のすぐ近くに位置する人口7000人の町で、町には小学校と中学校が一つずつある。地域には地車祭りがあり、住民同士のつながりも比較的残っている。また「町づくり住民会議」の活動もさかんで、教育や福祉も含めて住民の町づくりへの意欲も高い。しかし、少子高齢化の進行の中で、町会子ども会の活動は近年急速に弱まりつつある。ここで紹介する明貝さんは、田尻小学校のPTA会長をつとめており、青年商工会議所のメンバーでもあり、いかにも泉州の若い衆というかんじのエネルギッシュな人である。PTA役員をつとめる前から町の体育協会に所属し、子どもたちにスキーの指導をするほか、町づくり住民会議の委員としても活動していた。

 2001年度、小学校のPTA副会長をつとめていた明貝さんは、町の教育委員会から大阪府教委が開く「地域コーディネーター養成講座」に参加してくれないかと頼まれた。「行ってくれるのは君しかいないんや。とりあえず受けてくれ」と言われ、「それなら、しかたないな」と参加を決めた。当時は、大阪府はおろか田尻町の教育の動きもほとんど知らず、養成講座の講習を何回か受けても何をしていいかわからなかった。しかし、養成講座の最後の一泊研修で他の地域の人と交流する過程で、ようやく自分のすべき仕事が見えてきたという。「学校と地域との連携ということであれば、田尻町一番しやすいんちゃうん。保幼少中全部一校ずつやから、調整も非常にしやすい」と明貝さんは他の受講生の前で発表した。

 すでに田尻町でも、教師やPTA、地域の組織の中でお互いの連携組織をつくることが必要だと話し合われており、明貝さんが養成講座から戻ってきたらすぐ地域教育協議会を立ち上げる手はずになっていた。明貝さんが講座を修了すると、すぐに協議会立ち上げにむけて教育委員会と明貝さんが協力して立ち上げに奔走した。2001年の8月のことである。小中学校の管理職、PTA、保育所、幼稚園の職員、子ども会、婦人会、体育指導委員会、青少年指導員会といった組織の代表が地域教育協議会のメンバーとして集まり、会則もつくり、地域教育協議会の愛称も学校と家庭、地域という三者の協働をめざすという意味をこめ「田尻トライアングル」となった。中学校の校長が会長をつとめ、明貝さん自身はコーディネーターとして全体のまとめ役になっている。

 田尻町の場合、町づくり住民会議という地域の自治組織の活動が活発で、田尻川一斉クリーン作戦(清掃作業)やエコマネーの導入などさかんな取り組みを展開している。こうした地域の自治組織には兼務が多く、新しく立ち上げた「トライアングル」の場合にも、明貝さんが以前から知っていた人が多い。それゆえ他の組織との連携もしやすいという面もあるが、一方で似たような地域組織をいくつつくるのか、という疑問の声もあった。また「どちらの組織が上にくるのか」といった地域組織間の権力関係といった問題もある。そこで「田尻トライアングル」はあくまで地域の「子育て」「教育」に取り組むための連絡調整機関であるということを協議会の内外で確認し、実働部隊は「町づくり協議会」など既存の地域組織である、というふうに位置づけた。

 (2) 地域の他組織との連携のなかで

 8月の立ち上げから、定期的に会議を開き、学校や幼稚園、保育所、地域の諸団体の間で取り組みの情報を交換しあったり、子どもの問題について話し合ったりし始めた。また「トライアングル通信」を毎月、小中学校、地域に配布し、学校の情報や子ども会活動、土曜日の校庭開放事業について情報を流すようにした。町のサイズがコンパクトなだけに、町会にお願いしてすぐに全家庭に配布してもらえるのがよいところである。

 町の大きな取り組みとしては田尻川クリーン作戦があった。田尻小の5年生は川をテーマにした環境学習が年間の目標となっており、5月の初めには、子どもたちが事前に川の生態や汚れについて調べたことを、地域の福祉センターで住民にむけて報告した。子どもたちが、川調べで発見したゴミと生き物の生態の関係について説明した。そして、それがきっかけとなり、その次の日曜日に開かれた第五回田尻川クリーン作戦では町長ほか地域の住民がたくさんかけつけ、子どもと大人総勢250人で川の清掃にあたった。田尻トライアングルもこの取り組みの連絡調整に関わり、「これがきっかけで、子どもたちと町づくり住民会議の接点ができた」と明貝さんは話す。

 2002年4月に学校完全週五日制がスタートしてからは、小学校も校庭開放事業を進め、先に紹介した「トライアングルニュース」で保護者や地域の人が、子どもを対象にニュースポーツや折り紙、工作の教室を開いたり、校庭を使って自由にスポーツをしたりしている。しだいに参加する子どもの数も増えてきた。

 現在のところ、トライアングル自体は、校区内の教育関係者の連絡調整係であり、地域の中では「黒子」に徹している。教育関係の組織の情報を互いにやりとりし、取り組みの中で協力できるところは協力して取り組むという方針ですすめている。すなわち新たに何か「つくりだす」ということよりも「つなげる」ことを重視している。これまでのところ、連絡調整の面では福祉関係の組織との関係づくりが課題であった。校区の社会福祉協議会も府の「小地域ネットワーク事業」の予算を受けて独自に地域ネットワークづくりの取り組みを進めているが、トライアングルの活動とは全く別に進められている。明貝さんはなんとか福祉関係の組織との連携を築こうと、トライアングルと社会福祉協議会の連携で「子どもたちのベイブレードとお年寄りのベイゴマを対決させる」という企画をつくった。じつは、明貝さんの子どもの発案だという。そしてイベントの当日(2002年6月)はたくさんのお年寄りと子どもが会場につめかけ、ともにベイゴマの技を競い賑わったという。

 (3) 明貝さんの考えるコーディネーター像

 このように、立ち上がってようやく一年の田尻トライアングルは、少しずつ地域の他の組織と連携し、活動の範囲を広げている。また、トライアングルの活動のイメージづくりのために少しでも刺激になればと、明貝さんはトライアングルの中で他の校区の活動を紹介したり、あるいは他市の実践者を招いて学習会を開いたりしている。こうした成果として、最近ではメンバーの議論もより活発になり、前ページの図のような三部会体制をつくり取り組みが進められている。この一年、田尻トライアングルの活動に携わってきた体験をふりかえりながら、明貝さんは地域組織の中で活動する人の不思議さを次のように話す。

明貝さん:狭い地域やから、同じ人が地域のいろんな組織にまたがって活動している。ある地区の福祉委員会に行ったときも「トライアングルの明貝ですー」って行ってみたら、トライアングルで知っている人ばっかりやった(笑)。

筆者:でも、人は重なってはいるけど、組織同士の接点があまりなかったりする。

明貝さん:そうそう。昔からそんなんやから。みんなは「福祉(の組織)に行ったら福祉の考え方、町づくり(の組織)に行ったら町づくりの考え方」となってしまう。僕もトライアングルにも関わって、PTAにも関わって、どこどこの委員もやってというかんじやけど、トライアングルにいるとき子ども中心にばっかり考えてると、つながりという発想がでけこないわけやな。だから、おれは絶対一歩ひいてみるように考えるよう心がけてる。あ、このイベントいいなあと思ったら、そこで一歩ひいて、それならあれも一緒に入れようや、これも加えようや、という発想で色んな人や組織をつなげようとがんばってる。でも、長年田尻町で組織活動をしてきた人にとってはそれが難しいんやね。

  また校区の連絡調整を担う役割としてのコーディネーターにまず一番大事なのは「たくさんの情報をもっていること」だと明貝さんは話す。

明貝さん:コーディネーターに大切なのはまず情報を仕入れること。情報拾おうと思ったら、顔が広くないとあかんし。コーディネーターの仕事はとにかく黒子に徹して、色んな各種団体の連絡調整に走り回るのが役なんやけど…でも結局、黒子といってもそのイベントの時には顔をださなあかん。出さへんかったら、結局、情報が入ってこない。そこらへんの難しさ。黒子に徹しなあかんけど、常にそこにいてる。「お前常にいてるやないか、黒子ちゃうやないか」と言われそうやけど、常にその場にいないとあかんよな。だから、ベイブレードの大会する時だって、コーディネーターの仕事としてはトライアングルと福祉協議会をくっつけたんだけど、当日も出かけて、子どもたちの楽しんでいる顔を見ないと、次につながらへん。ただ、この前それやってたんですね、で終わったら同じ失敗を繰り返すかもしれへん。ほんまは、「面白くなかった」という子もおるやろうし。やっぱり自分も行って、自分もベイゴマで戦って、「ああ、これやったら、もうちょっとこうせなあかんかった」というのを見つけないとだめ。そうなってくると、どんどん出かけなあかんから、しんどいわな(笑)

 現在、貝塚北小のふれあいルームのようなスペースを学校の中にもちたい、と明貝さんは考えており、少しずつ調整を進めている。また町づくり住民会議の中ですすめている「エコマネー」の取り組みを、子どもたちの学習や遊び、体験活動になんとかつなげようと、様々なチャレンジを続けている。

<3> 教育コミュニティづくりにおけるコーディネーターの役割

 巡静一氏は、福祉コミュニティづくりにおけるボランティア・コーディネーターの役割を、<1>引き出す、<2>つなぐ、<3>育てる、<4>まとめる、<5>つくり出す、の5点にまとめている(巡,1991)(5)。これはほぼそのまま、教育コミュニティづくりにおけるコーディネーターにもあてはまる。

 本節でとりあげた三島小校区、田尻中校区の場合にも、コーディネーターはそれぞれの手法で地域の保護者や地域のボランタリーなニーズを引き出し、つなぎ、まとめ、新たな取り組みをつくりだしている。三島小の場合には、保護者や地域のボランティアが「学校で何をしたいか」という問題意識を軸にして、参加のハードルの低い学校応援団をつくりあげた。また、そしてそのようにして組織化されたMINTの活動が継続性をもつにつれ、新しく入ってきたPTA役員たちが、学校ボランティアとしてのスキルを身につけ、育っていくかたちが生まれつつある。また、旧来から町内の自治組織の活動が活発な田尻中学校区の場合には、あくまで地域教育協議会は黒子として、教育や子育てに関係する機関を「つなぐ」役割に徹し、地域も学校も活性化するような取り組みを生みだしている。そして、どちらの校区にも、地域のコーディネーターが学校サイドとうまく連携しながら、協働の推進役を担っている。

 一方で、見逃されてならないのは、地域のコーディネーターがうまく学校と地域のつなぎ目として活躍できるかどうかは、単にその人自身の発想やスキルの問題だけではなく、その人自身が学校や地域の中でもっている人脈の広さにかかっているということである。現実に活動しているコーディネーター一人一人を見てみると、それまでの活動を通して、学校サイドにも地域サイドにも広い人脈をもっており、そうした様々な人々がコーディネーターの活動を信頼し支えているのである。このことからも地域コーディネーターの仕事が一朝一夕のものではないことがわかる。


 結び:学校と地域の協働の活性化にむけて

 以上、学校と地域との協働が進展するには、学校にとって信頼できるパートナーとなり、保護者や地域ボランティアの横のつながりづくりを促す「コーディネーター」の存在が不可欠であるという観点にたち、コーディネーターたちの実像に迫ってきた。

 大阪府では地域教育協議会(すこやかネット)の府内全域での立ち上げを促す一方で、そうした協議会の活動を含め、各校区での学校と地域の協働を促進する人材育成を目指し、2001年度より「地域コーディネーター養成講座」を開設している。地域教育や青少年問題の現状について講義を受けたり、グループでプランニングの技法を学んだりといった内容で構成されており、5年間で1000人の修了者を地域に輩出する予定で進められている。 

 しかし、こうした講座の修了者がすぐ各校区に戻って、学校と地域の協働の場で活躍できるかといえば、そうでない校区も少なからず見られる。例えば、すでに協働的な実践が進行しているところでは、その仲間以外で、自主的に講座に参加し修了した人が戻ってきても「そんな人は知らない」と、なかなか受け入れない場合もある。旧来からの実践で体制がすでに固まっているところほどそのような問題が生じやすい。

 コーディネーター養成講座の修了生だけに限らず、意欲をもった新しい人材が、学校と地域の協働の中にうまく関わっていけるかどうかは、現場の学校の教師や地域の人たちだけでなく、市の教育委員会の人材発掘に対する態度も大きく関係している。新しく活動に関わってくる保護者や地域の人がスムーズに活動の中に引き入れられ、そうした人たちの新しい発想が生かされるような柔軟な体制や環境が整えられる必要がある。

 もちろん、コーディネーターもさまざまな保護者や地域のボランティアの一人に過ぎず、いろいろな個性や資質をもったボランティアがそれぞれ自分の力を発揮することで、多様な実践が生まれてくる。ボランティアたちは、実際の子どもとのかかわりやボランティアどうしの協力によって、協働をすすめていくスキルやノウハウを身につけ、お互いが共有すべきルールを生みだしていくのである。

 それゆえ、学校側としては、こうした保護者や地域のボランティアが校区の中で育っていく土壌を提供するという長期的な視点をもって、学校の活動を地域に開いていかなければならない。地域のコーディネーターが校区の中で主体的に活動できるようにするには、学校側が保護者や地域のボランティアの自主性を認め、ともに協力していこうというスタンスをもっていることが前提となる。連携の出発点から、学校が地域に対して閉鎖的であれば、どれだけ地域に子どもへの活動に熱心にかかわりたいと思う人が潜在的にいたとしても、かれらが地域の教育ボランティアとして育っていく可能性は大きく制限される。さらに貝塚市の取り組みにみられるように、生涯学習の講座にかかわる地域の人たちを学校の活動へとリンクさせるような取り組みが増えれば、学校と生涯学習施設で人材の共有ができ、教育を通したコミュニティづくりはより活性化するだろう。



(1)この本で紹介されている「秋津コミュニティ」とは、習志野市立秋津小学校の空き教室を中心に、様々な活動を展開している保護者や地域の人の集まりである。人びとは「自主管理・自主運営」をモットーに、小学校の空きスペースを使って様々な生涯学習サークルを開く一方、スポーツや物作りなどかたちにとらわれず、様々な子どもとの共同活動を行っている。

(2) 金子郁容はコミュニティ・ソリューションは以下のような過程で進行すると説明している(金子,1998)。<1>【自発的参加】まずは、人々が自発的に集まってくる。それがコミュニティの端緒をつくる。<2>【情報供出】その集まった各人がそれぞれ何かをもちより、情報を供出し、交換する。<3>【関係変化】そのことでネットワークの何かが変化し、新しい関係性が出現する。それまで互いを知らなかったり、対立していたり、睨みあっていた組織や個人が、そこで新しい関係を結んでいく。<4>【共有】やがてなんらかの具体的成果が上がり、参加者が「ある方法」を共有していたことに気がついていく。<5>【意味創発】それによって各人は未知の意味を発見し、また新たな動向が次々に誘発されていく。このように人々のボランタリーな参加と協力が人の輪を育みながら、ある問題の解決へとつながっていくのが金子のいう「コミュニティソリューション」である。

(3) これら初年度の調査の報告はすでに別のところで行っている(池田寛研究室2001,濱元・大田2002)。

(4)MINTの発足当初から活動の一方の柱に位置づけられていた取り組み。具体的には、「パトロール中です」と書かれたプレートを作成し自転車の前かごなどに貼ってもらったり、「安心するね 子ども110番」を作成し校区内の家庭に貼ってもらうことなどを行ってきた。また、サポータークラブの腕章をつけて、犬の散歩に行くときや買い物の行き帰りなどに校区をパトロールすることもその一環である。

(5) 巡氏の提起する5点をより詳しく説明しておくと以下のようになる。<1>引き出す― 援助を求める人のニーズやボランティア活動がしたいというニーズなどを引き出す。<2>つなぐ― ボランティアの援助を求めるニーズとボランティアとをつなぐ。援助を求めるニーズとさまざまな社会資源をつなぐ。ボランティアとさまざまな社会資源をつなぐ。<3>育てる― ボランティアを養成する、ボランティアの質的向上をはかる、要援護者を育て変えていく、あるいは一般市民や青少年への福祉啓発。<4>まとめる―― 両者のニーズを統合化する。計画や実践をまとめる。さまざまな社会資源を組織する。実践を統合化する。<5>つくり出す―― 計画をつくる。ニーズに対応したボランティアグループや当事者組織などをつくり出す。ネットワーキングの推進、さまざまな課題から問題点を見い出し関係者へ提言したりソーシャルアクションをおこしていくなどの動きをつくり出す。



<参考文献>
  • 大阪大学大学院人間科学研究科池田寛研究室,2001『協働の教育による学校・地域の再生――大阪府松原市の4つの中学校区から』
  • 濱元伸彦・大田美穂子,2002「教育コミュニティづくりの展開と課題――貝塚市立第二中学校区を事例として(上)(下)」『部落解放研究』No.145・No.147
  • 金子郁容,1998『コミュニティ・ソリューション』岩波書店
  • 岸祐司,1999『学校を基地にお父さんたちの町づくり』太郎次郎社
  • 巡静一,1991『在宅福祉とボランティア―ふくしのまちづくり』勁草書房
  • 世古一葉,2000『協働のデザイン』学芸出版社