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部会・研究会活動 <地域教育システムの構築に関する調査研究事業>
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報告書 教育コミュニティづくりの理論と実践
-学校発・人権のまちづくり- |
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「総合的な学習の時間」による教育コミュニティづくり 諏訪 晃一 |
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1 はじめに 本稿では、「総合的な学習の時間」の具体的な事例として、松原市立布忍小学校における「総合的な学習の時間」の取り組みである「ぬのしょう、タウン・ワークス」を紹介し、地域との協働という側面から考察する。本稿では、この「ぬのしょう、タウン・ワークス」のうち、「総合的な学習の時間」が導入される2002年度より以前から、人権総合学習として継続的に行われている取り組み(以下では、タウンワークス(1)、と表記する)に焦点を当てる。タウンワークスについては、中野陸夫・長尾彰夫編著(1997)による『21世紀への学びの発信』でもすでに紹介されているし、また、松原市立布忍小学校教師集団(2002)による『私たちがめざす集団づくり』では、布忍小学校で一貫して大切にされてきた「集団づくり」とタウンワークスの関連が述べられている。本稿では、これらの議論を踏まえつつ、地域と「総合的な学習の時間」の関係について、従来、一般に述べられてきたこととはやや異なる視点、すなわち「総合的な学習の時間」を通じてもたらされる学校と地域の関係の変容、という視点から考察する。 <1> 「総合的な学習の時間」の導入によって生じる変化 さて、「総合的な学習の時間」をどのような観点から捉えるべきか、ということについてはすでにいくつかの議論がある。その中には、本書のキーワードのひとつである「地域」を視野に入れたものも少なくないし、また、学習指導要領の「総合的な学習の時間」に関する記述も、「地域」を一定程度意識した内容となっている。けれども、従来の議論や学習指導要領では、学校では教師だけが個々の子どもだけを対象として教育活動を行う、ということが、暗黙の前提とされてきたのではないだろうか。そもそも、従来の教科の学習では、保護者や地域住民が関わる中で授業が展開されるということは、必ずしも前提とされていなかった。確かに、常識的に考えれば、学校とは教師が子どもを対象として教育活動を行う場であり、それはもはや問う必要もないことのように思える。 しかし、本稿において紹介する「総合的な学習の時間」の事例では、保護者や地域住民の参加なしには取り組みが成立しないほどにまで、学習に保護者や地域住民が深く関わるようになっている。加えて、「総合的な学習の時間」という枠組みの中で授業が展開されることによって、保護者同士の関係、教師と保護者の関係、さらには学校と地域の関係が変容し、学校と地域の間の信頼が深まる様子が見られる。また、取り組みを通じて、個々の子どもの学びを深めることのみならず、子ども同士の関係を変容させていくことも、ねらいの重要な一部分とされている。 つまり、「総合的な学習の時間」の登場によって生じた変化は、単に個々の子どもの学びにのみ見られるわけではない。従って、「総合的な学習の時間」を考察する際にも、従来の議論のように個々の子どもの学びだけに注目するのではなく、子ども同士の関係、教師と子どもの関係、学校と保護者や地域住民との関係といった、人と人との相互の関係の変化に着目する必要があるのではないか。 また、これらの変化のうち、特に、学校と保護者・地域住民の関係の変化は、本書の第1章で指摘されている教育コミュニティづくりの重要性を鑑みるならば、本来、注目されてしかるべきものである。しかし、この変化は、教育の対象を子どものみとして捉えていた「総合的な学習の時間」に関する従来の議論においてはほとんど視野に入っていなかったか、視野に入っていたとしても付随的なものと見なされるにすぎなかったものである。にもかかわらず、従来の教科の枠組みの中では、十分には果たせなかったこれらの変化が、「総合的な学習の時間」では顕著に見られる。だとすれば、これは、「総合的な学習の時間」の成果の重要な一部分だと考えるべきではないだろうか。 次節以降では、具体的な事例を示しつつ、特に「総合的な学習の時間」を通じての学校と保護者・地域住民の関係の変化について考察する。ただし、「ぬのしょう、タウン・ワークス」における地域との協働は、布忍小学校における他の地域との協働による取り組みとの関連の中で進められており、また、布忍小学校における学校と地域の協働は、布忍小学校単体ではなく、近隣の他の学校・幼稚園・保育所・青少年会館などの関係諸機関をも視野に入れた上で捉えられるべきものである。そこで、次節では、まず布忍小学校が位置する松原市立松原第三中学校区における取り組みを、布忍小学校の関わりを中心に取り上げる。次に、布忍小学校と保護者・地域住民の関わりについて概観する。 2.布忍小学校と地域との協働 <1> 松原第三中学校区における地域との協働:布忍小学校との関わりを中心に 本書の第1章で示されている大阪府下の各地の中学校区と同様、布忍小学校が位置する松原市立松原第三中学校区でも、中学校区を単位とした地域の学校(園)や地域の各団体のつながりが重視されるようになってきている。布忍小学校の場合、布忍小学校がその校区の一部に含まれる松原市立第三中学校、及び、同じく松原第三中学校の校区内に位置する松原市立中央小学校との結びつきが特に深い。例えば、松原第三中学校・中央小学校と布忍小学校は、毎年「三校合同授業研」を行っている。これらの学校がそれぞれ年1回ずつ開催し、三校の各教師はもちろんのこと、布忍小学校の校区内にある松原市立布忍幼稚園の教諭も参加して、年に計3回、研究授業とその検討会が行われる。 学校(園)間の子どもたち同士の交流も活発である。例えば、布忍幼稚園の子どもたちが布忍小学校を訪れて小学校低学年の生活科の学習の中で小学生と交流を行う機会がある一方、小学生が「総合的な学習の時間」の中で、幼稚園で仕事の体験することも行われている。松原第三中学校との間でも、小学校の6年生が中学校の授業やクラブ活動を体験したり、体育祭に参加したり、といった活動が行われているし、逆に、小学校が中学生の職場体験の場となったり、中学校の吹奏楽部が小学校の体育大会で演奏したり、という交流も見られる。これらの子ども同士の交流は、ひとつひとつを取り上げれば、決して規模の大きなものではないし、期間もほとんどはその日限りのものである。しかし、そのことによってかえって交流を日常の活動の中に自然に位置づけることができるようになっている。 中学校区の学校(園)や地域団体がそろって参加する大規模な取り組みとしては、1996年から始まった、例年11月に開かれる松原市立第三中学校区の祭である「三中校区ヒューマンタウンフェスティバル」が挙げられる(2)。幼稚園の子どもたちの演技や、小学生の合唱、中学生の吹奏楽部の演奏、といった野外ステージでの企画の他に、地域の各団体が参加する、グラウンドでの模擬店や体育館での各種展示などが行われ、多くの人(3)でにぎわうイベントである。しかし、「三中校区ヒューマンタウンフェスティバル」の特徴は、単にその規模が大きいことだけではなく、内容面でもテーマ(4)に沿った活動が行われている点にある。具体的には、例えば、作業所や高齢者施設といった福祉施設や、識字学級、適応指導教室の関係者が実行委員会に参加したり、出店したりすることで交流を深めている。また、会場に車いす体験のコーナーが設けられることも恒例となった。さらに、2002年度には、布忍小学校のタウンワークスをきっかけとして関係が深まった、国際協力を主な活動分野とするNGOの展示・体験コーナーが開かれたり、車いすバスケットの体験及びエキシビションマッチが行われたりするなどの新たな展開も見られた。 <2> 布忍小学校の取り組みへの地域住民の参加 次に、布忍小学校での取り組みを順に紹介する。学校で行われる活動に地域住民が全面的に参加している端的な例としては、例年9月末に開かれる体育大会が挙げられる。ここでは、数年前から団体演技を廃止して、その代わりに保護者が子どもと一緒にひとつの競技に参加する「親子競技」を全ての学年で取り入れている。加えて、地域の幼稚園・保育所に通う子どもとの交流種目や、地域住民と小学校の子どもたちが一緒になって河内音頭を踊る、という種目も設けられている。このように地域住民が参加する形態になっている背景には、校区内に共働き世帯が多い中では、日曜日に開催されるこの体育大会が、各家庭が一家そろって学校で行われる活動に参加できる数少ない機会であることがある。実は、団体演技が廃止された直接のきっかけは、学校週五日制が部分的に導入され、授業時数を確保する必要から練習に時間を割けなくなるという現実的な課題に直面したことであった。しかし、布忍小学校では、それを理由に取り組みを縮小させるのではなくて、地域が学校に参加する機会をより拡大する契機として位置づけた。その結果、現在では、保護者に加えて幼児やお年寄りにも参加の機会を用意することで、「学校で行われる教育活動は、地域に住む全ての人に対して開かれていて、誰もが参加できるもの」という学校側からのメッセージを具体的な取り組みを通じて示す場ともなっている。教師の間からも、「団体演技が廃止されたときには、子どもたちがあれだけ一生懸命になる取り組みがなくなるのは残念だ、という気持ちがあったけれど、今年、子どもたちが(お年寄りに河内音頭を)一緒に踊ろうよ、と一生懸命呼びかけている姿を見ていて、地域の人に参加してもらえる体育大会になって本当によかった、と感じるようになった。」という声が聞かれるようになった。 このほか、地域の人材をはじめとする外部の講師を招いて、子どもや保護者、地域住民を対象に開く「コミュニティ・レッスン」が、毎年、3学期に行われている。2001年度は、日曜参観と併せて行われ、1時間目から3時間目は保護者が子どもの授業を参観し、4時間目は料理教室やパソコン教室に保護者と子どもが一緒に参加する、という展開が見られた。この「コミュニティ・レッスン」も、開始当初は遠方からゲストを講師として招かなければならなかったが、回を重ねるごとに、最初は授業を受けるだけだった地域住民の間から、逆に授業を作る講師として活動してもらえるような人材が輩出されるようになってきた、とある教師は語っている。 <3> 日常的な活動への展開 ここで紹介した3つの取り組みは、年1回の単発の取り組みではある(5)。しかし、布忍小学校(及び松原第三中学校区の各関係機関)では、これらの取り組みをすでに数年間、継続的に行ってきており、地域住民とのつながりは徐々に深まりつつあると考えられる。そして、2002年度からの学校完全週五日制と新しい学習指導要領の実施、という制度上の大きな変化の中で、毎年定期的に開かれるこれらの取り組みで培ったつながりを基にして、布忍小学校では地域との協働を日常化する取り組みを始めている。 『21世紀への学びの発信』でもすでに紹介されているように、布忍小学校では、1970年代から一貫して、個々の教師が日々家庭訪問を行うことを通じて、家庭・保護者との協働が大切にされてきた。その一方で、近年では保護者が学校に来ることも日常の光景となりつつある。保護者の参加は、後に詳述する「総合的な学習の時間」で多く見られるだけでない。例えば、2001年度から、児童の安全確保を目的に保護者が通学路や校門に旗を持って立つ「立ち番」が、毎朝、行われている。2002年6月には、避難訓練の後に「子どもの安全を守る集い」が開かれ、日頃立ち番をしている保護者の方々が子どもたちに思いを語る機会が設けられた。子どもたちの側も保護者に応え、保護者の方々の活動に感謝の言葉を述べ、感謝状を渡した。このように、親子がそれぞれの思いを互いに伝え合うことは、後に詳述する「総合的な学習の時間」の場面でも、同様に大切にされていることであり、防災訓練の後のこの場面は、それが授業外の場にも広がり始めていることを示していると言えよう。 学校完全週五日制導入に伴って始まった新たな活動としては、「土曜地域学校」が挙げられる(6)。「土曜地域学校」は、学校で授業がある期間の土曜日に原則として毎週、布忍小学校を会場として開かれ、朝の10時から12時頃まで、PTAや校区内の各団体(スポーツ振興会・婦人会・老人会・校区内にある幼稚園のPTAなど)で組織する「布忍小学校区土曜地域学校実行委員会」が中心となって行われており、毎週、スポーツ系と文化系の双方の活動メニューが用意されている。実行委員長には、現在、PTAの副会長があたっており、また、学校は実行委員会の協力参加団体として、事務局を担当している。学校側からは、管理職と担当の教師(1名)が運営に従事しているが、教師は原則として連絡・調整・管理等を中心に従事しており、個々の活動は基本的には保護者や地域住民が運営する形になっている。 これらの日々の参加を通じて、「保護者が学校に来るときは、子どもが悪いことをしたとき」という固定観念はもはや過去のものとなり、学校と地域の信頼関係は、今では、保護者から次のような声が出るまでに深まっている。
ここで重要なことは、布忍小学校が特別に恵まれた地域的条件を背景としてこれらの学校と地域の協働の活動を進めているわけではない、ということである。むしろ、『21世紀の学びの発信』ですでに指摘されているように、布忍小学校は、厳しい家庭環境に置かれた子どもが市内の他校よりも多く在籍する学校である。 にもかかわらず、布忍小学校の実践が顕著な成果を上げているのは、保護者・地域の学校への理解が、言うなれば学校にとっての財産となっているからだと思われる。地域からその教育活動が理解されている学校は、その財産を食いつぶさないようにしなければならないし、地域からの理解が得られていない学校は、日々の活動を通じて、その財産を築き上げていかなければならない。重要なことは、地域と学校との関係は、固定したものではなく、よい方向にも悪い方向にも、いつでも変わりうるということを認識することではないだろうか。 学校と地域の関係をこのように捉えるとするならば、その財産をどのように築き上げていくか、ということが、次なる課題として浮かび上がってくる。ここで、「総合的な学習の時間」の役割を単に子どもが学ぶことだけに限定して捉えるのではなく、学校と地域の関係を変化させることをも含んだ形で考えることはできないだろうか。次節以降では、この視点に基づいて、松原市立布忍小学校におけるタウンワークスの実践を紹介する。 3.地域との協働とタウンワークス すでに述べたように、タウンワークスとは、布忍小学校で取り組まれてきている人権総合学習のことである。このタウンワークスの中で最も大切にされているねらいは、子どもたちが自分自身について語ることを通じて、あるいは自分の思いや考えを語ることを通じて、自分自身の生き方について考えることである。もちろん、タウンワークスは、その名の通り、地域との深い関わりの中で進められる「総合的な学習の時間」の実践であり、例えば、地域の中でどんな仕事が行われているのか、ということを学ぶ、地域についての学習が行われているし、あるいは、地域のお年寄りと交流することで、福祉というより普遍的な課題に目を向ける、という取り組みがなされているが、タウンワークスは地域についての学習ではないし、地域を題材にして何か普遍的なことを学ぶ学習、というわけでもないのである。これらはタウンワークスのねらいの一部でしかない。 にもかかわらず、本稿において地域との協働という視点からタウンワークスについて取り上げるのは、タウンワークスに地域住民や保護者が、単なる付き添いや参観ではなくて、授業に必要不可欠な役割の一部を担うという形で学習に参加しているという意味で、タウンワークスが地域住民や保護者の参加なしには成立しない取り組みとなっているからである。以下では、保護者や地域住民の参加という視点を取り入れつつ、タウンワークスの大まかな流れを示す。 <2> タウンワークスの構成要素 タウンワークスは、学年によってそれぞれ異なるテーマが設定されており、また、年度によって多様な展開が見られる。従って、限られた紙幅の中では、その全容を書き記すことは到底不可能であるため、ここでは3年生以降の「総合的な学習の時間」の一部として取り組まれるタウンワークスの全ての取り組みに共通する、いくつかの主要な要素を順を追って紹介したい(7)。 まず、タウンワークスの全ての取り組みに共通している事柄として、導入の部分が十分に時間をかけて丁寧に行われることが挙げられる。この場面では、具体的な体験を通じて子どもたちに当該のテーマに興味や関心を持たせることが目指される。タウンワークスで保護者が直接の関わりを持つのはまずこの場面である。ここでは、子どもたちに多様な選択肢を提示するために、グループ別の行動となるが、それぞれのグループを校外へ引率するには、教師だけでは到底、人数不足なので、保護者がいくつかのグループの引率を担当する(なお、後述するように、近年ではより踏み込んだ形での参加が行われている)。体験活動の受け入れ先は、近隣の商店や保育所・幼稚園、福祉施設、といった地域の施設である。 導入を受けて、「聞き取り」が行われる。「聞き取り」とは、学校外から招いた語り手による語りに耳を傾ける形式の学習である。「聞き取り」の場面で、語り手となるのは、その学習のテーマによって様々であるが、ここではしばしば保護者や地域住民自身が語り手となるなど、その参加が必要不可欠なものと位置づけられている。加えて、地域の外から招いた人の語りを、保護者が子どもと一緒に聴く、ということも最近では珍しくなくなってきている。より具体的には、例えば、3年生の福祉の学習では、障害を持つ当事者やその家族、あるいは福祉施設の職員、4年生の仕事の学習では、語り手の多くは保護者や地域住民である。5年生1学期の国際理解の学習では、海外から日本に来て生活している人、あるいは日本で海外との関わる仕事に従事する人であり、2学期は、子どもたち自身の生い立ちについて、その子どもたちの保護者が語る。6年生のヒロシマ修学旅行は、子どもたちの側が広島に出かけていって被爆者の方の語りに耳を傾ける、という意味でやや様子が異なるが、ねらいとされていることは同じである。 「聞き取り」では、単に語りを聴くだけではなくて、その語りに対して何かを「返していく」ことが重視されている。ここで、「返していく」とは、語り手に対して、感想を述べたり、質問をしたりすることを指している。「聞き取り」によって達成されることは、単に子どもたちが当事者の語りを通じて、当該のテーマに関する事実関係を知るということに留まらない。「聞き取り」でねらいとされていることは、語りを聴き、その語りを通じて、語り手の生き方に触れ、そこから自分の身近なことと照らし合わせる作業を行うことで、子どもたちが自分自身の生き方について考えることである。 「聞き取り」を踏まえて、「語る会」が行われる。「語る会」では、地域住民や保護者の参加は前提とされていないが、この場面は布忍小学校で一貫して大切にされてきた「集団づくり」との関連が特に深い場面であり、『私たちがめざす集団づくり』にもその関連が詳しく述べられている。「語る会」は、学習を通じて感じたこと、つかんだこと、さらには、自分自身のことなどを、自分の言葉で語る場面である。単に学習の中で分かったことだけを語るのではなくて、自分自身について語ることを通じて、「聞き取り」での語りやその場での仲間の語りと、自分自身の体験を重ね合わせていくことが目指される。そして、この場面では、語ることはもちろん、聴きあえる関係を構築していくことも大切にされている。タウンワークスの中でも、子ども同士の関係が大きく変化するのは、特に、子ども同士が自分の気持ちや自分の置かれた立場を語り合うことで信頼を深めていく、この「語る会」の場である。このように、「語る会」は「個々の子どもを信頼の糸でつなぐということ」(松原市立布忍小学校教師集団, 2002, p.50)と説明される、「集団づくり」の重要なプロセスのひとつである。 各学期のタウンワークスを締めくくる場面として設定されているのが、「親子集会」であり、子どもたちが保護者に学習の成果を発表する場として位置づけられている。学習への保護者の参加が多くの場面で見られるようになったとはいえ、学習は全て平日の昼間に行われるので、普段は必ずしも全ての保護者が参加できるとは限らない。そこで、保護者や学習に関わった地域住民に対して、子どもたちが学習の一通りの流れをまとめて示し、また、学習を通じて学んだことを発表する機会として、この「親子集会」が設けられている。言い換えれば、タウンワークスで、教師が何をねらいとして学習を進め、子どもたちが何をどのように学んだのか、ということを、主に子どもの発表を通じて保護者や地域住民に伝える場面がこの「親子集会」である。伝えることが目的であるから、この「親子集会」も当然、保護者の参加なしには成り立たない取り組みである。ここ数年の取り組みの中では、子どもだけでなく、学習に参加した保護者が、感想を述べたり、その場の司会を担当したりするなど、従来は単に参観するだけだった保護者が、より深い関わりを持つようになってきている。また、保護者だけでなく、導入の部分や「聞き取り」で学習に関わった地域住民が招かれるなど、保護者以外の大人の参加が見られるようになりつつある。 このように、タウンワークスでは、保護者や地域住民の参加がしばしば必要不可欠なものとしてその学習の流れの中に位置づけられている。 <3> タウンワークスへの保護者・地域住民の参加 布忍小学校における、授業への保護者や地域住民の参加は、タウンワークスの原型となった学習が成立した1980年代、まず、「聞き取り」の場面で語り手として関わることから始まった。次に、1992年の生活科の開始と共に、「親子集会」が開かれるようになった。1996年からは、それまで行われていた人権をキーワードとした様々な学習が、タウンワークスという新たな名称とともに人権総合学習として再構成され、導入部分を中心とした様々な体験活動の場面でも保護者が取り組みに参加するようになった。 体験活動の場への保護者の参加は、当初は、体験活動の種類を増やそうとすると教師だけでは引率する大人の人数が足りないという問題を解消する目的で始まったが、現在では当初の目的に加えて、保護者に取り組みの様子や学習中の子どもの様子を知ってもらう、という意味合いがより強くなってきている。加えて、最近の取り組みでは、子どもたちが保護者と共に地域に出かけていって体験活動を行った場合、単にその活動の場へ行って活動して帰ってくるだけではなく、教室に帰ってきてから、子どもたちが同行した保護者に感想を述べる一方、保護者も子どもたちにその日の活動を通じて感じたことを話すことを通じて、保護者が子どもたちのその日の体験活動を意味づける、といった、より踏み込んだ形での学習への参加も行われている。もちろん、何の説明も受けないままに保護者がこれらの活動を行うことは難しいので、その際には、当然、事前に教師の側から取り組みのねらいが説明される。加えて、保護者がその日の付き添いで感じたことを教師に伝えるなど、教師と保護者が取り組みの内容にまで踏み込んで話し合う機会が随時設けられている。 このように保護者のタウンワークスへの参加が深まる中で、ここ数年の動きとして、各学年ごとに「親の会」(8)が行われるようになってきている。「親の会」とは、タウンワークスを進める際に教師が保護者に呼びかけて開く会合のことである。「親の会」は、多くの場合、平日の放課後、普通の教室を使って行われる。内容は、保護者と教師がお茶を飲みながら取り組みの内容について話をしたり、親子集会の準備(例えば歌の練習など)を行ったり、といったことである。 しかし、これらの活動は平日の昼間に行われるので、必ずしも全ての保護者が参加できるというわけではない。そこで、その日の取り組みの様子やその後の取り組みの予定といったものを学年通信で伝える取り組みもより積極的に行われるようになった。学年通信には、取り組みの内容やねらいについての教師からの説明や、日程などの連絡事項、「親の会」、引率、「聞き取り」等の活動への参加の呼びかけなどが掲載される。近年では、単なる事務的連絡だけではなくて、なるべく取り組みの様子が具体的にイメージできるように、画像を掲載したり、体験活動や「聞き取り」を行った際の子どもの感想を保護者の感想を載せるなどの試みも始まっている。2002年度からは、一部の学年で学年通信の中で行っていたタウンワークス関連の情報発信を「タウンワークスニュース」として独立させるという新たな試みが行われている。 さて、これらの活動は、ひとつひとつを取り上げれば、必ずしも大規模に行われているわけではないし、おそらくは布忍小学校にしか見られない特殊な取り組みというわけでもないだろう。布忍小学校の各学年の児童数は80人程度であるが、「親の会」への各回ごとの参加者は、多くても20人程度で、少ないときでは数人のときもある。体験活動の引率者としての参加も、各回ごとでは数人から多くても10人程度である。学年通信や「タウンワークスニュース」、「親の会会報」も、ワープロで作った原稿をざら紙に印刷したもので、分量もB4版一枚程度である。 ただし、ここで注目すべきことは、これらの個々の取り組みが、頻繁に行われていることである。例えば、学年通信は多くの場合取り組みを通じて10回以上発行されている。一方、「親の会」は各学年とも取り組みを通じて4回〜5回程度、すなわち平均すると週1回程度行われている計算になる。加えて、「親の会」だけでなくて、体験活動の引率や「聞き取り」の語り手としての参加も可能なので、各学年とも週に2〜3日は親が関わる何らかの活動を行っていることになり、さらに、2人以上の子どもが布忍小学校に通う保護者にとっては、平均すればほぼ毎日のように学校に来る機会が用意されていることになる。加えて、土曜日には「土曜地域学校」が行われているので、平日には来られない人もその気になれば学校を訪れることができる。もちろん、これらの活動への参加は任意であり、教師も多くは「来れる人が来れるときに来てもらえればいい」(9)と捉えている。しかし、参加の機会を事実上毎日のように用意することで、学習への保護者の参加が特別なことではなく、日常のこととして行われるようになった点が意義深いと思われる。 ところで、これらの活動に参加した保護者からは、必ずしも肯定的な意見ばかりが聞かれるわけではない。例えば、体験活動に参加した際に同行した保護者から、活動が遊び半分のように見えた、といった批判の声が挙がったり、子どもたちが本来その活動を通じて学ぶべきことをきちんとつかんでいないのではないか、といった取り組みに対する疑問の声が挙がることもあった。しかし、取り組みに継続的に参加することを通じて、徐々にではあるが理解が深まってくる様子が見られる。親子集会の場面では、かつては体験活動について否定的な意見を持っていた、と言う保護者から、子どもたちの発表を見聞きすることを通じて子どもたちの成長を感じた、という声が聞かれるようになった。さらに、2002年度2学期の6年生(進路学習)の親子集会では、保護者からの次のような感想が聞かれ、タウンワークスがねらいとしていることが保護者に伝わっている様子がうかがえる。
このように、布忍小学校がタウンワークスにおいて、保護者や地域住民の参加を必要不可欠なものとして位置づけ、さらに実質上ほぼ毎日のように参加の機会を用意し、加えて、学級通信等を活用して家庭へ情報を発信し続けることなどを通じて、最初は必ずしも肯定的な態度ばかりでなかった保護者が、学校で行われている学習に対して理解を深めていく様子が見られる。 4.おわりに:タウンワークスと教育コミュニティづくり 本稿を通じて見てきたように、布忍小学校における「総合的な学習の時間」の展開は、個々の子どもに変化をもたらすだけではない。タウンワークスは、「親子集会」の発言に見られるように、学習への継続的な参加を通じて、保護者や地域住民の学習に対する見方、さらには、保護者や地域住民と学校との間の関係をも変容させていく可能性を持っている。また、子ども同士の関係を変容させていくこと、すなわち「個々の子どもを信頼の糸でつなぐということ」とされる「集団づくり」の場面でもある。 タウンワークスによって築き上げられた、学校に対する地域の理解という財産は、より具体的には、教師と保護者・地域住民が取り組みのねらいを共有した上で子どもをみることができるようになったことである、と捉えることができる。これまでは、学校で行われていた学習は、学校の中に閉じたものであった。学校は、教科書に書かれていることだけでなく、例えば、人権や環境、福祉などといった事柄についても子どもに様々なメッセージを伝えようとしてきた。しかし、その多くは学校の中だけのものに留まり、子どもが学校の外へ一歩出れば、あるいは家へ帰れば、学校の中とは全く違ったメッセージが降りかかってくる、そういったねじれの中に子どもは置かれてきたように思われる。しかし、教師と保護者が同じ視点で子どもを見ることができるようになったことで、このねじれが解消されつつあるばかりか、学校での取り組みそのものもより豊かになりつつある、ということが言えるのではないか。 さらに、「総合的な学習の時間」が展開されることによって生じた様々な変化と同様の変化、すなわち学校を場とする取り組みを通じて学校と地域の関係が変容していく様子が、本稿の第2節で紹介した、布忍小学校における中学校区内の各学校(園)や地域の各団体との協働で行われている多様な活動の場面で見られる。 これらの変化は、教育コミュニティ−−それは本書の第1章で「学校と地域が協働して子どもの発達や教育のことを考え、具体的な活動を展開していく仕組みや運動」と説明されている−−が形作られていく際の重要な過程のひとつであると捉えることができる。そして、布忍小学校のタウンワークスが示すように、その中で「総合的な学習の時間」が果たす役割は決して小さくないはずである。 |
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注
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<参考文献>
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