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部会・研究会活動 <地域教育システムの構築に関する調査研究事業>
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報告書 教育コミュニティづくりの理論と実践
-学校発・人権のまちづくり- |
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保護者のエンパワメントとその支援 高田一宏 |
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はじめに 近年、家庭の教育力の「向上」や子育て支援が、教育行政や厚生労働行政の課題として重視されるようになってきた。その端緒となったのは、1998(平成10)年6月の中教審答申「幼児期からの心の教育の在り方について」である。答申は、「過保護や過干渉、育児不安の広がりやしつけの自信の喪失など、今日の家庭における教育の問題は座視できない状況になっている」との認識を示し、家庭教育に関する諸提言を行った。この答申の内容は、私事と考えられてきた家庭教育に踏み込んだという意味において、極めて異例であった。 その後、文部省(現文部科学省)は、家庭教育に関する保護者向けのハンドブックや資料の作成、子育て相談の充実、「子育てサポーター」や「家庭教育アドバイザー」の委嘱事業などをすすめた。また、2001(平成13)年7月には、社会教育法が改正され、教育委員会の事務として家庭教育に関する講座の開設などが明記され、「家庭教育の向上に資する活動を行う者」を社会教育委員や公民館運営審議会委員に委嘱できるとされた。この間、厚生労働省も、「地域子育て支援センター」の増設を図るとともに、仕事と家庭の両立支援として、「ファミリー・サポート・センター」事業をすすめている。さらに、今年度(2002年度)からは、地域における「つどいの広場」事業を開始し、児童虐待の予防・発見・早期対応策として「子ども家庭支援員制度」を創設した。 従来の子育て支援施策は、少子化対策(1)の一環として、保護者の仕事と育児の両立に関わる負担の軽減を図るべく、幼少の子どもの保育の拡充を重点としてきた。だが、近年は、児童虐待への対応、地域を基盤とする子育てネットワークの形成、社会教育における保護者の学習など、保護者への直接的支援や親教育に関わる施策が増え、施策内容は多様になってきている。この変化の背景には、子どもの規範意識のゆらぎや児童虐待の増加などを、家庭の教育力の「低下」に起因するものとし、「すべての教育の出発点である家庭教育の充実」(2)を図ろうという政策的意図があるものと思われる。 だが、新たに打ち出されている子育て支援施策は、いくつもの問題をはらんでいる。第一に、その精神主義的・教化主義的発想である。先の中教審答申は、親への提言について、「その提言内容は、どの家庭でもしつけに当たって考えるべき基本的な事項であり、当然のことばかりであるかもしれない」とし、家庭の教育力の「向上」を親の努力に期待する。第二には、施策の対象がミドルクラスに偏りがちなことである。家庭教育の講座に参加したり、子育て相談に出向いたり、各種行政サービスの情報にアクセスできるのは限られた人々であって、社会的不利益層に対する支援は充分とは言い難い(3)。第三の問題は、各家庭のニーズに対応する個別サービスや子育て相談などに比べて、家庭の教育力を支える地域社会の再生に関する施策が乏しいことである(4)。 この章では、以上のような政策動向を踏まえて、特に、社会的不利益層の家庭支援のあり方を検討する。また、その際には、長年同和地区で取り組まれてきた地域教育運動や家庭支援の経験を、今後の行政施策や地域を基盤とする家庭支援に活かす視点を示したい。 1 家庭支援・子育て支援の今日的課題 <1> 同和地区における家庭支援・子育て支援の歩み 同和地区では、後述するように、子育てに困難を抱える家庭とそこに育つ子どもへの支援が長年にわたって取り組まれてきた。だが、それらの支援は、現在、同和地区の実態の変貌と特別対策としての同和事業の終結を迎えて、曲がり角にさしかかっている。 2000(H12)年度、大阪府は、「地対財特法」失効後の同和問題解決の指針を得るために実態調査を実施した(5)。2001(H13)年9月には、この調査をふまえて大阪府同和対策審議会(同対審)から答申が出された。答申は、同和地区の現状について、「住民の転出入が多く、特に学歴の高い層や若年層が同和地区から転出し、低所得層、母子世帯、障害者など、行政上の施策等による自立支援を必要とする人びとが同和地区に来住している傾向」があり、「これまでの同和地区のさまざまな課題は同和地区固有の課題としてとらえることが可能であったが、同和地区における人口流動化、とりわけ、さまざまな課題を有する人びとの来住の結果、同和地区に現れる課題は、現代社会が抱えるさまざまな課題と共通しており、それらが同和地区に集中的に現れているとみることができる」との認識を示した。 「同和地区に集中的に現れている現代社会が抱える課題」は多岐にわたるが、特に教育や子育てに関わるものとしては、「貧困の再生産」を挙げることができよう。かつて、同和地区では、保護者の低い教育達成が不安定な就労につながり、家庭の生活基盤が不安定になりがちだった。そうした家庭では、子どもの学業不振、「問題行動」・非行、高校非進学・高校中退が顕在化しやすく、それが次の世代の貧困へとつながっていた。70年代までに整備された家庭支援や子ども支援は、この悪循環を様々な側面から断ち切ろうとするものだった。すなわち、経済的な面では、就労保障、奨学金制度、義務教育特別就学奨励費(特就費)、保育所の保育料の減免措置などが、子どもの生活面では、地域の青少年会館での学童保育や子ども会、同和保育所への希望者全員の受け入れ(いわゆる「皆保育」)などが、教育達成の面では、学校での学力保障・進路保障の取り組みが、子育ての困難に直面した家庭や子どもの成長を支えようとしてきたのである。 以上のような手厚い支援は、同和地区住民の要求に基づいて行われてきたのだが、80年代の終わり頃になると、地域教育運動のリーダー層や研究者から、消費文化の浸透が子どもの育ちに悪影響を及ぼしていること、教育・保育機関に対する保護者の依存的態度が一部にみられることなど、手厚い支援の意図せざる弊害を指摘する声があがるようになった。この時期には、同和地区の生活状況も大きく変貌し、日々の糧にも事欠くといった家庭はまれになった。同和地区の教育課題は、物的・経済的な「絶対的貧困」から、教育達成に有利に作用する文化資本の乏しさや「相対的貧困」へと変化したのである。こうして、親の責任や主体性を強調し、家庭の教育力の「向上」をめざす地域教育運動改革が始まった(6)。 しかし、この改革は、必ずしもすべての親に影響を及ぼし得たわけではない。親の責任や主体性を強調することは、正論ではある。だが、子育ての困難にたじろいだり自信を喪失した保護者への支援は、充分だったとはいえない。この状況の下で、2001年度末をもって特別対策としての同和事業は終結を迎えた。大阪府同対審答申にあった「自立支援を要する人びと」は、地域における教育運動の転換と特別対策の終結の狭間に、落ち込んでしまったと言えるかもしれない。 <2> 同和地区内外共通の課題−政策の貧困、コミュニティの解体、貧困の再生産− 日本社会では、高度経済成長期を境に、地域における自生的な子育て・子育ちの仕組みは解体してしまった。そうしたなか、同和地区では人々の地縁的つながりが比較的強く残り、子どもの育ちを近隣の人びとが支える仕組みが保たれていた。しかし、70年代に家庭支援・子ども支援が充実するにつれて、子どもの育ちを支える仕組みは衰退していった。さらに、近年の同和地区では、生活安定層の流出と不安定層の流入が同時進行し、地域のコミュニティはますますその活力を失いつつある。子どもの育ちを支える人びとのつながりという点からみれば、今日の同和地区は、かつてよりも貧しくなってしまったといえるだろう。 これまで同和地区では、先に述べたような手厚い家庭支援・子ども支援が、困難を抱える家庭とそこに育つ子どもの育ちを支えてきた。だが、こうした支援がなくなりつつある今、社会的格差や不平等の是正という観点からの家庭支援策が確立されないまま、子育てに困難を抱える家庭とそこに育つ子どもは苦境におかれるようになった。 ここ数年来、日本社会で社会経済的格差や不平等が拡大しつつあるとの指摘は増えてきた。教育界でも、学力や学習意欲、教育達成の階層的格差の拡大を示唆する調査結果がいくつも公表されている。子どもの「問題行動」や非行も、「どの家庭でも、どの子どもにも起こりうる」という社会通念とは裏腹に、階層的不平等と結びついて生起している(青木 1997)。コミュニティの衰退、社会政策の貧困、それらの結果としての不平等の拡大という問題は、日本社会に広く存在する問題でもある。 近年の児童・家庭福祉は、地域を基盤とした施策の展開、いわゆる「地域福祉化」を志向している。これは、地域における家庭支援への道を開くものである。だが、児童・家庭福祉の現場では、公的な財政支出を抑制する一方で、規制緩和、市場原理の導入、受益者負担増をすすめる動きも急である。かつて同和地区における地域教育運動がとった行政闘争の戦略は、その基盤を失いつつあるといってよい。また、そのような戦略が、教育・保育機関に対する保護者の依存的態度を助長した一因だったことも忘れてはならない。地域における家庭支援は、家庭の教育機能の「代替」や「補完」としてではなく、保護者の主体性の回復をめざしてすすめる必要がある。 2 地域教育運動におけるエンパワメント <1> エンパワメントとは 大阪の同和地区では、1970年代から1980年代中頃にかけて、子育てに多くの困難を抱えた保護者が急速に組織化されていった。それは、まさに、被抑圧者のエンパワメント(7)とよぶべき過程であった。このような運動の高揚を背景にして実現した特別施策は、保護者のエンパワメントの政治的な表現だったといえよう。だが、エンパワメントは政治的次元だけではなく、親としての成長・変容の次元からもとらえらることができる。次節では、このことを具体的に明らかにするが、その前に、エンパワメントという概念について、簡単に説明しておきたい。 エンパワメントという概念は、1950年代後半以降の黒人公民権運動やフェミニズム運動などの社会変革運動のなかで使われ始め、社会福祉、医療、臨床心理、教育、発展途上国の開発、都市の再開発、企業の人材開発などの領域でも使われるようになった。久木田は、エンパワメントを「社会的に差別や搾取を受けたり、〔状況を〕自らコントロールしていく力を奪われた人々が、そのコントロールを取り戻すプロセス」と定義し、さまざまな領域のエンパワメントが、「すべての人間の潜在能力を信じ、その潜在能力の発揮を可能にするような人間尊重の平等で公正な社会を実現しようとする価値」に根ざしているとしている(久木田 1999a)。さらに、久木田は、エンパワメントの身体的、心理的、社会的、経済的、政治的側面を挙げ、基本的ニーズの充足、リソースへのアクセス、自己のおかれた状況や変革の目標の意識化、社会参加、リソースのコントロールの五段階モデルを示している。ただし、久木田は、この5段階が機械的に進むとは考えていない。彼は、フリードマン(1992)の説をひきながら、心理的エンパワメントは、社会的・政治的エンパワメントの過程においてもおこりうるとし、エンパワメントの諸側面の相乗効果(synergy)を指摘している(久木田 1999b)。 エンパワメントという概念が解放教育の理論に取り入れられたのは、ここ数年のことである。平沢は、エンパワメントを「差別や抑圧、あるいは社会の否定的なまなざしにさらされることによって、本来持っている力をそのまま出すことができず、いわば力を奪われた状態にある人が、その抑圧された力をいきいきと発揮することで、能動的に自己実現や社会参加に向かっていくプロセス」(平沢 2000a, p.11)と定義している。そして、子どものエンパワメントのためには、おとなと子どもの関係性を、地域や学校において、「教え・教えられる」関係性から「ともに参加し、行動することで学ぶ」関係性へと造りかえることが重要だとしている(平沢 2000b, p.202)。 また、池田は、世界各地の「被抑圧者がみずからがおかれている状況を理解し、それを社会にアピールし、そして現状の変革を訴える」反差別の運動が共通して使っている概念としてエンパワメントを紹介し、「エンパワーメントの教育学」と従来の解放教育の相同性を、社会変革の志向性とカリキュラム総体の変革への志向性という二側面からとらえている。池田は、さらに、今後の解放教育の課題として、自己効力感の形成、社会の抑圧構造の認識、公正な社会の実現とその先導者としての自覚を示している(池田 1998)。 以上のように、エンパワメントには、個人意識の変容、社会参加、社会運動、社会変革という一連のプロセスが含まれている。このエンパワメントは、外部から教え諭されたり、力を「与えられて」おきるのではない。エンパワメントの促進者あるいは支援者が介入するなかで、当事者が、自らの潜在的な力に気づいたり、社会的に剥奪された力を取り戻すことによって、自らエンパワメントを遂げるのである。 平沢と池田が主に論じたのは、子どもの教育に関わるエンパワメントであるが、エンパワメントは、「そのプロセスが社会的、政治的、経済的パワーによって妨げられた結果としての非力化された人間、特におとなのエンパワメントについて論議されることが多い」(久木田 1999a, p.24)。では、非力化された状態(disempowerment)にあるおとなは、どのように自らをエンパワーしていくのだろうか。その過程で、エンパワメントの主体を取り巻く人々はどのような役割を果たすのだろうか。 <2> エンパワメントの過程 (1) 否定的自己意識の払拭 ここで紹介するAさんは、1980年代に、ある地域の保護者組織の中心メンバーとして活躍した人物である。Aさんは、かつて、自分の父親を「博打をするし、仕事やれへんし、お母ちゃん叩くし、酒飲んだらひどいし」と嫌悪していた。また、父親の仕事のことで、学校でいじめられることも多かったという。そのようなAさんが、自分の父親や自分自身を「恥ずかしいことやない」と考えるようになったのは、地域の子ども会や学校で行われた人権学習で自分の生い立ちを子どもたちに語ったことがきっかけだった。当時、Aさんの住む地域では、子ども会や学校での聞き取り学習に先立って、教員が保護者から聞き取りをしていた。その席上、ある教師から発せられた一言を、Aさんは次のようにふりかえる。
Aさんが、自分の父親のことを子どもたちの前で話すようになったのは、なぜだろうか。教師の熱意に促されたという理由もあるが、それ以上に重要だったのは、父親の荒れた生活の中に潜んでいた「頑張り」にAさんが気づき、父親を受け容れることができたことのように思われる。そのような気づきを促したのは、人間の肯定的な面を信ずる価値観との出会いだったといえよう。 (2) 子どもに対する姿勢の変容
Aさんもいうように「子どもが寂しがっているので、早く帰宅してほしい」ということは、「教師から私に言えばすむこと」ではある。だが、教師は、非常に迂遠なやり方で−子どもが親に本音を語ることを励まし、子どもの本音を聞けるおとなであることの大切さを親に気づかせるというやり方で−Aさんに働きかけた。
教師がとった行動は、Aさんの表現を借りて言えば、「子を変える」ことを通じて「親を変える」というものであった。我が子が教師に手をとられ、励まされる姿を見て、Aさんは「ほんまは私が握ったらなあかん手やったのに」と、自ら気づく。このとき、Aさんにとって、教師は、「本音を聞けるおとな」の役割モデルだったのだといえよう。 (3) 子どもとの関係の変容 Aさんは自らを「私ら、子育て、むっちゃ、しんどい親やった」と述懐する。生活におわれていたことにくわえて、子どもとどう関わればよいのか、具体的によく分からなかったのである。Aさんは、「とにかく子どもは怒らなあかんねんって考えが抜けなくって。子どもと会話するとか、子どもの言うことを待ったげるとか、そんなん苦手やって」という親であった。しかし、Aさんは、教師の助けを借りながら、子どもとの関わり方を考えるようになった。
当時の教師たちは、必要と思われる時にはいつでも家庭訪問をしていたという。家庭訪問は、「教師の目を通してしかみえへん子どものこと」を親に伝える機会であった。また、Aさんは、「子どもにも、お母ちゃんな、忙しいんやから、頑張って自分で用意できやなとか、なんか、そんなのは、どの先生もあったで」とも述べている。これは、Aさんの表現を借りれば、「教師の目を通してしか見えへん親のこと」を子どもに伝える行為だった。この時、教師は、親子関係の仲介者としての役割を果たしていたと言えるだろう。 (4) エンパワメントの広がりと深まり ここまで、Aさんの自己意識の変容を追ってきたわけだが、次第にAさんは、保護者組織の活動に積極的に参加するようになっていく。Aさんによると、当時の保護者組織は、個人給付事業を受けるために義務的に参加する人が多く、活動が停滞しがちだったという。保護者組織の活動に物足りなさを感じたAさんたちは、保護者への家庭訪問を始めた。
Aさんは、家庭訪問をするうちに、結婚を契機に同和地区に住むようになったBさんに出会う。この出会いは、Aさんが、エンパワメントの促進者としての役割を担うきっかけであった。
Aさんにとって、Bさんの姿は「親を否定しながら生きていく寂しさ」「自分を隠す悔しさ、情けなさ」にさいなまれていたかつての自分と二重写しになったようである。Aさんが否定的な自己意識を払拭したのは、ある教師との出会いがきっかけだった。保護者組織の中では、Aさんは立場をかえて、「私が教師に言われた言葉」をBさんに語り、Bさんを否定的な自己意識から解き放ったのである。 こうして、Bさんは、ついに父親との再会を果たした。その晩、AさんとBさんたちは、「親を否定しながら生きていく寂しさって、そんなん、誰にも言われへん人、いっぱいおるんちゃうか。そんな本音出せんと生きてる人っていっぱいおるんちゃうか」と語り合ったという。 (5) まとめ ・支援者としての教師・パートナーとしての教師 Aさんは、教師との関係のもとで心理的エンパワメントを遂げ、さらに、保護者組織を基盤としてエンパワメントの輪を周囲の保護者に広げていった。Aさんの体験談からは次のようなことが読みとれるだろう。 まず、エンパワメントには、それを支援する者の存在がきわめて重要だということである。Aさんの場合、それは教師たちであった。Aさんにとって、教師は、新たな価値観を示す存在であり、子どもの気持ちをくみ取るおとなとしての役割モデルであり、親と子の関係の仲介者でもあった。しかし、教師とAさんの関係には、エンパワメントを「支援する・支援される」関係をこえる側面が含まれていた。それは、子どもを育てるパートナーとしての関係である。
教師とAさんの間に、「お互いの存在を抜きにしては子どもは育てられない」という認識が共有されたのは、偶然ではない。当時、Aさんが接した教師たちは、家庭訪問や懇談などを通じて、子どもの生活や学習の状況について、保護者と共通理解をはかる努力をしていた。そればかりでなく、教師の間でも、ひとりひとりの子ども、子どもたちの仲間関係、子どもと保護者の関係について情報交換をし、組織的な教育活動を展開する努力がなされていた。Aさんは、学校に対して、ひとりひとりの子どもを何人もの教師が見守ってくれているという信頼感を抱くようになった。Aさんは次のように語る。
・セルフヘルプグループとエンパワメント Aさんの体験談からは、保護者組織がセルフヘルプグループ(8)として機能したことも明らかになった。保護者組織は、個人的・心理的なエンパワメントの基盤であり、参加者の精神的紐帯を強め、参加者の輪を広げるという集団的・社会的なエンパワメントの基盤でもあったのだ。そこでは、久木田が指摘する「エンパワメントの相乗作用」がおきていたのである。また、セルフヘルプの活動の中で、かつてエンパワメントを「促される者」であったAさんは、「促す者」としての役割を担うようになった。その経験は、Aさんには「自分が育てられる」経験として自覚されている。
もう一つ、保護者のセルフヘルプグループ活動で興味深いのは、エンパワメントを「促す者」と「促される者」の間に共感が存在していることである。各々の生育歴は違っていても、「親を否定しながら生きていく寂しさ」「自分を隠す悔しさ、情けなさ」を抱えていたという点では、同和地区に生まれ育ったAさんと結婚してから同和地区に住むようになったBさんの体験には共通するものがあった。それだけでなく、Aさんたちは、グループの外にいる自分らと共通の体験を持つ人びとにまで思いを致している。 この時、Aさんたちは、過酷な生育歴を持つ人々が自己否定感にさいなまれるという問題が、個人的な問題ではなく社会に広く存在する問題であることを洞察したのである。個人の問題解決の場であったセルフヘルプグループは、自分たちを取り巻く社会環境の変革を志向しはじめたのだといえよう。 3 これからの家庭支援・子ども支援 本章で取り上げたのはAさんという一個人の体験であるが、それは、保護者の心理的・社会的・政治的なエンパワメントの典型を示していた。共感的な人間関係のもとで行われるセルフヘルプ活動は、自己肯定感の回復や参加者の社会的視野を広げる点で大きな役割を果たし、子育てや教育の諸課題に責任意識を持って取り組もうとする人びとの輪を、先のAさんの表現を借りれば「親集団」を、同和地区で組織していったのである。 90年代以降、Aさんらの住む地域では、保護者や地域住民が子どもの地域活動や学校教育活動の支援に積極的に関与するようになった。同和地区の保護者の「聞き取り」から始まった学校教育への参加は、「総合的な学習の時間」のなかで、幅広い地域住民の教育参加へと発展している。その他の学校教育活動、PTA活動、学校休業日の地域活動への保護者や住民の参加も活発になった。青少年会館では保護者向けの学習プログラムや個別相談、保護者と子どもの共同活動のプログラムが始まり、保護者はそれらに誘い合って参加するようになっているという。興味深いことに、これらの教育参加は、保護者にとって、地域に住まう他家の子どもやその保護者と出会い、新たな人間関係を取り結ぶ契機になっているようである。こうした同和地区内外の保護者のつながりからは、新たなセルフヘルプグループが生まれてくるかもしれない。 もっとも、上のような変化が起きている地域は、筆者の知る限り、まだ多くはない。本章で取り上げた地域でも、厳しい生活状況におかれている子どもとその家庭への支援に関わって、解決を迫られている課題がないわけではない。 各地域に共通する課題の中でもとりわけ大きなものは、深刻な危機に直面した家庭や特別なニーズを持つ家庭に対する支援が充分ではないことである。子どもの非行、児童虐待、家庭内暴力、金銭的トラブル、薬物依存など、抜き差しならぬ危機に直面した家庭への支援には、専門機関や専門家の力を借りる必要がある。外国人家庭、ひとり親家庭や両親不在の家庭、「障害」児がいる家庭、不登校の子どもがいる家庭など、特別なニーズを持つ家庭への支援も同様である。学校や幼稚園・保育所は、これらの家庭と専門家・専門機関の橋渡しをどのようにすべきなのか。専門的な立場からの支援、学校・幼稚園・保育所などからの支援、当事者の相互扶助は、どのようにすれば有機的に関連づけることができるのか。これについては、機会を改めて詳しく検討したい。 行政が陥りがちなセクショナリズムも、早急に解決すべき課題である。同和地区が校区にある地域では、保育所・幼稚園・小中学校・青少年会館の連携が行われ、縦割り行政の弊害を、部分的にではあるが、解消してきた。しかし、地域には、これらの他にも、公民館・生涯学習センター・図書館などの社会教育・生涯学習関連施設、保育所に併設された地域子育て支援センター、児童館、保健所、医院・病院など、子どもの育ちや保護者の学習活動に関わる施設がいくつもある。児童相談所(子ども家庭センター)や女性センターなど、複数の市町村をカバーする施設もある。現状では、これら多様な施設の間の連携は充分とは言い難く、支援の谷間におかれる子どもや家庭は少なくないと思われる。大阪府下の各中学校区で組織されている「地域教育協議会」(「すこやかネット」)には、家庭支援・子ども支援の連絡調整や情報交換の場としての役割を期待したい(9)。また、社会経済的に不利な立場に置かれている住民が多い地域では、家庭支援・子ども支援の拠点としての学校づくり(第2部第1章参照)が、検討されてしかるべきと思われる。 |
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注
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参考文献
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