本報告では、近世期において重層的にかかわりあう様々な情念的賤視の下に把握されていた多様な被差別民、具体的には髪結床、三昧聖、夙、虚無僧について、その存在形態と、維新前後の変化の実態について考察を試みた。
大阪における髪結床は、町抱えの町髪結、橋のたもとでの営業を許された床髪結、店を構える店髪結等に分かれており、このうち、床髪結は牢内の監視や罪人の縄取といった牢番役を務めていた。また、床髪結は町髪結をはじめとして、大阪三郷・近隣の髪結を支配下においており、安永二年からは町髪結より一ヶ月銀弐匁を徴収することが許されていた。このような髪結床の権利はやがて物権化され、財産として委譲が可能となったが、それによって仕事・役目と人との分離が進行することとなった。
維新後は営業の自由が確保され、断髪令に伴う断髪の社会的雰囲気が形成される中で、髪結の職業化が進んだが、それは同時に、近世来の既得権が喪失し、税務負担者として把握されることをも意味した。
このほか、三昧聖は自らの由緒を強調することで権益の護持を図り、経済的な解放を模索した形跡が窺える。
また夙は「かわた」との混同を嫌って夙村の村名改称を願い出ており、それによって情念的賤視からの脱却を図ったものと考えられる。
虚無僧の場合は、留場制が解体されたことで平民化を遂げるが、これは虚無僧が元来は武家であったことから、比較的容易に平民化が成し遂げられたとみることができよう。
このような過程を経て、近世における被差別民をめぐる諸関係は解体されたのであるが、それによって形成された近代社会の差別は、前代までの情念的賤視に加えて、地域的貧困や地域関連の低賃金労働、身体障害者、臭気等も含む文化的なものへも差別のまなざしを向けることとなったのである。