調査研究

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2003.12.24
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維新の変革と部落(移行期研究)研究会報告
2003年10月25日
『解放令』をめぐる近世と近代
- 部落・部落差別の近代的変容とはどのようなものか

(報告) 上杉 聰 (関西大学)

  従来の時代的輪切り手法の陥穽を越えて、部落史における近世/近代移行期の研究を行う場合、
  1. 中近世を欠落させない近代部落史研究
  2. 近代に連結する近世部落史研究

という二つの課題が克服されなければならない。当該期において、部落・部落差別の何が断絶し、何が連続したのか、厳密な分析・解明が求められているといえよう。

  そのような意味で、賤民廃止令の研究は重要な課題であるといえる。賤民廃止令によって近世的な意味での国家的賤民身分が廃止されたことで、差別「する‐される」義務の解除や非人の解体がもたらされ、また、中世的身分制の延長にある、権力によるキヨメ支配が廃止されたことにより、「役」負担という形で継続してきた国家との関係も解除された。しかし、これらはあくまでも賤民制度の廃止であり、差別の撤廃については曖昧なまま放置されることとなった。

  当該期には、差別の根拠を失ったことで差別する側が困惑する事例を確認することができるが、賤民廃止令からは見えてこない中近世との連続面を、差別の存続という視点、「何を根拠に」「どのように」差別しようとしたのか、という点から厳密に検討することが必要である、と言えよう。

  ひろたまさき「日本近代社会の差別構造」(『差別の諸相 日本近代思想体系22』岩波書店、1990年)は、上述の諸点を踏まえて、近代の差別構造を俯瞰することに挑戦している。前提となる近世史に関わる叙述で、ひろたは、身分制を近世的華夷秩序に位置づけるなど、興味深い指摘を行っているが、近世後期については触穢観念の増幅と共に差別が強化される、との認識を示している。しかし、穢れ観は中世以来緩慢に衰徴しており、近世後期における差別法令の多発は、逆に差別のゆるみを前提としていると考えるべきだろう。

  近代的差別については、「人間平等」という概念が持つ両義性や、「普遍的な自由平等」概念が、逆に差異性を強化するといった指摘を行った上で、「一君万民」理念による身分制の再編、「文明」「野蛮」概念による差別軸の転換、差別の根拠を「視線」に置く、といった形で体系的な理解を試みている。

  天皇制を軸とした身分制の再編については、新たに、国民国家の創出という視点からの再構成が必要であろう。「知識」「富裕」「健康」を軸とした「文明」「野蛮」概念は、部落差別と結びつき、それを強化した事実はあるが、部落を特定化する軸は別にあると捉えるべきである。また、「視線」については、「近代的不安定さがアイデンティティを必然化」させるといった指摘は首肯できるものの、「視線」と重複するような血統意識を支える、「家」制度強化の視点が欠落している点などが気になるところである。

  これらを踏まえ、近世/近代移行期研究において今なお残る課題、あるいは今後の研究展望として、神道国教化がもたらす「穢れ」意識の解体と再編、近代的統一国家機構の創出と、そこからの排除と再編、都市・農村における共同意識と清浄化の近代的展開、戸籍における編成原理の変化等、血統意識の全般的強化の根拠、近世的身分と近代的身分の区別の明確化、差別意識における部落の位置づけの変化等々を挙げることができる。

  これらの課題を、今後丹念に分析・検討していく必要があるが、本報告における仮説的結論としては、近代に部落・部落差別を直接的に「強化」する要因・構造は存在せず、歴史的前提、あるいはその再編としての「穢れ」意識や近代的統一国家機構による排除も弱化する方向に作用していると考えられる。また、共同意識や血統意識など、近代に部落・部落差別を「残す」要因・構造は存在しつつも、全体として解体の方向に向かっている、と捉えることが可能なのではないだろうか。

(文責・事務局)