近現代の部落問題・部落差別を本質的に明らかにしようとする場合、「近世部落史」「近代部落史」といった時代区分を越えて、近世/近代移行期における部落問題・部落差別の連続/断絶的諸側面を厳密に分析・解明する必要があるのは言うまでもない。本報告では、このような問題意識のもと、近世/近代移行期における部落差別の構造的な変化のあり方が見取り図的に示された。
まず、移行期において変化した側面として、部落に対する社会意識の変容が指摘された。当該期、部落への社会意識は「外」主軸から「下」主軸、すなわち「身分外」から「社会の最底辺」という意識へと変化したと考えられる。このような意識は、明治13年の『民事慣例類集』を初出とする「士農工商穢多非人」という表現に端的に示されているが、その変化の基礎には賤民制度の廃止と国民的統合という劇的転換がある。これによって、別支配など、部落を「外」とする制度的根拠が喪失し、価値の低位性が前面に押し出されると同時に、部落=国民意識を醸成しつつも、一方では、中世まで遡ると考えられる部落への前近代的異類視が、対アジア政策によって生み出される民族的差別と結合することで、近代的異民族観として展開されたといえる。
このような部落に対する社会意識に対し、差別意識そのものについては大きな変化をみなかったことが指摘された。すなわち、部落解放反対騒擾にみられるように、近代の出発点においては差別の「水位」が高く、以降は「ゆるやか」な解体の歩みを辿っていると考えられる。従って、近世的差別意識の克服が課題となり続ける状況が継続しており、明治中期の部落学校解消にみられるように、その解体は世代交代を最大単位とするといえる。また、土地取得からの排除や町村合併における排除・独立等にみられるような、近世的差別意識の基礎となる都市・農村の共同体・身分意識も、残存から漸次的解体という過程にある。
ところで、資本主義の成立による経済的変動が、当該期の部落問題・部落差別に大きな影響を与えたことは疑い得ない。本報告では、このような経済的変動の基礎として、部落の「職業」自由化による「部落産業」の漸次的浸食ないし壊滅が挙げられた。近世身分制の解体は、職業と身分の分離を実現したが、部落への差別は、1871(明治4)年の斃牛馬勝手処理令や、それに伴う「賤業拒否」を経て、職業を捨象する形で抽象化された「人」への差別へと移行したと考えられる。一方、職業的な差別については、軍需皮革にみられるように、「賤民廃止令」を経て、明治初年より国家需要に支えられた大資本、一般資本が部落産業に参入、浸食を開始しており、職業差別が弱まる傾向にあったが、同時に、斃牛馬処理・皮革業・屠畜業・食肉業・埋火葬といった「職業」への忌避・差別については、意識も実態も中世から連続しており、このような方面における職業差別は継続したと考えられる。従って、職業差別については、断絶の強行と猶予的連続性がみられたといえよう。また、松方デフレなど、明治期の経済的な打撃は、身分内の階層分化へと結実し、新たな「下」意識を形成するにいたった。
このような旧「えた」身分の動向に対し、「非人」の場合は、土地所有主体からの除外や警察機構からの人的排除、「物乞い」他の行為の禁止などによって、その解体は顕著であった。このような「非人」の解体は、近代における部落問題の「えた」への特化をもたらしたと考えられる。
また、国家との関わりにおいては、身分集団を「家」へ、「穢れ」を「汚れ」へと漸次変化させて管理するという視点が提示された。すなわち、戸籍法によって確立した「家」制度に基礎を置く血縁意識のもと、身分意識が国家的に保存され、他方、「穢れ」意識については、混穢の制の廃止や肉食の解禁によって国家内部から「穢れ」基準を除外・断絶しつつも、被差別伝統産業の存続や釜ヶ崎成立における旧非人部落の関わり、伝染病の流行等にみられる「衛生」「不潔」等の観念など、可視化された「汚れ」を外縁へと排除するという構造が形成された。
近年、近代部落史研究においては、近世/近代移行期における断絶的側面が強調される傾向にあるが、以上にみたように、中・近世からの社会的・意識的な連続性は強固に存在している。当該期の部落問題・部落差別のあり様は、両時代の構造的差異を踏まえつつも、連続的諸側面の上に近代が加味されるという把握の仕方が必要であることが確認されたといえよう。