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児童養護施設経験者に関する調査研究 2007年度報告書

B5判154頁
2008年3月31日発行
部落解放・人権研究所 編集

 はじめに

今回の調査研究は、児童養護施設を経験した当事者へのインタビューによって施設での生活、学校教育、進路選択と大人への移行の在り方を明らかにすることを目的としているが、それと並行して、施設の子どもたちが通う小中学校の教師から実践報告を寄せてもらうことで、学校教育が施設の子どもたちに対してどのように関わり、働きかけをしているのかを把握することをめざした。校区内に施設がある学校で教師たちがどのような教育実践を行っているのか、その成果と課題を明らかにするために、さまざまな取り組みを重ねている学校に実践報告を依頼し、5つの地域から取り組みを紹介してもらった。学校・教師の側から捉えた子どもたちの状況と、報告書前半で示された経験者たちの語りを合わせて見ることで、施設の子どもたちが置かれた困難な状況と支援の課題がより明確に浮かび上がるはずである。

研究会では、児童養護施設とそこに入所する子どもについての理解を深めるために、まず大阪府内にある最大規模の児童養護施設である遥学園と併設された児童心理療育施設「ひびき」から施設の概要を紹介していただき、さらに両施設の子どもたちが通学する学校と施設内に設けられた分校の教員から学校の実践を報告いただいた(5~9章)。他の4地域については、調査メンバーが関係をもっていた教員に個別に依頼したものである。特に西宮市のケース(2~4章)は市立山口中学の先駆的な実践が注目されるもので、雑誌『解放教育』にも実践が紹介されていることを付記しておく(2004年7月号)。

次章以降で紹介する実践報告は、研究会での口頭発表を文章化したものであり、内容は学校、施設の取り組みの全体をカバーしているわけではない。本章は、筆者自身の調査経験も織り込みながら、それぞれの報告で言及される学校・教師の取り組みの概要をあらかじめ整理することで、実践報告の理解を容易にすることを目的とするものである。

1 施設の子どもたち

 子どもたちはどのような背景、理由から施設で暮らすことになり、小中学校にやって来るのだろうか。それぞれの実践報告にある通り、家庭、親にさまざまな事情があり、親による養育が困難あるいは親が不在というケースが多い。そして、貧困、生活が不安定であることに加えて近年増加しているのが、親の虐待を受け、保護された後施設に措置された子どもたちである。

 実践報告では、「見捨てられ感」、「人間不信」、「大人不信」などの言葉が子どもの特徴を表すものとして用いられている。安心して過ごす場所としての家庭、温かく見守ってくれる存在としての親の元での生活を経験することができず、つらい経験を重ねてきたことで身につけることになった周囲への構えと自己認識なのだろう。また、被虐待経験は子どもの心にさらに深刻なダメージを残しているはずであり、施設でのケア、そして学校における働きかけを困難にする要因となっていることが、遥学園からの報告でも示されている(5章)。

 近年のそうした傾向に対処するために、情緒障害児短期治療施設(6章で報告される施設は「児童心理療育施設」と称している)などが拡充され、心理職員の配置などが進められているが、受け入れ先となる施設の体制は職員配置基準が従来のままであることに典型的に示されているように、事態の深刻化に対応できていないのが実情である。そのしわ寄せは、子どもたちばかりでなく、職員側にもバーンアウトなどの形で表れているという。「虐待児の保護、施設への措置」で子どもが救われるわけでは決してなく、措置された後の施設での生活が十分な形で保障される必要がある。しかしながら、現実に施設で提供される生活には、本報告書前半で示されたように、多くの課題、問題があると言わざるを得ない。

 それでは、小中学校で施設の子どもたちはどのような状況に置かれているのだろうか。学校は、子どもたちが一日のうちの長い時間を過ごし、教師や他の子どもたちと接する場所である。人間形成の場であり、学習し進路を選択する場所である学校は、施設の子どもたちにとって非常に大きな存在であることは言うまでもない。学校での子どもたちの様子、教師たちの関わり、取り組みを整理していこう。

2 学校生活

 施設の子どもたちの行動を指して、職員や教師が「ためし行動」と呼ぶものがある。どこまで自分に関心と愛情を向けてくれるかを「ためす」ために、ちょっかいをかけてきたりさまざまなトラブルを起こす一連の行動を指している。また、一時的に親元に帰った際の出来事、施設内の人間関係など、子どもたちの心を不安定にさせることも少なくない。教師たちは、そうした子どもたちの思いを受け止め、子どもたちにとって学校、教室が「安心して過ごせる場所」になるように努め、「教師との間に信頼関係を作る」ことに力点を置いている。

 子どもたちと「話し込む」こと、表情や言動を注意深く受け止めることが心がけられていることに加えて、そこで得られた情報を関係をもつ教師全体で共有しようとしていることも重要である。船坂小学校からの報告(2章)で、「すべての教員がすべての子どもの担任という姿勢」で取り組んでいると紹介されているが、筆者が訪問した、施設の子が通う別の学校でも、「施設の子一人一人を学校の教師全員で見ていくようにしている」と、同様の言葉を耳にしたことがある。

 「自尊感情を高めること」も実践報告の中で共通して強調された点である。周囲から認められ、守られてこなかった子どもたちは自分自身を大切にすることができない。また、「なかなか頑張れない、努力が長続きしない」傾向のある子どもたちに対して、努力を重ね、成果を上げ、認められて自分自身に誇りを持つ、とうい経験を意識的につませる働きかけが行われている。似島学園小(10章)でのソフトテニスの取り組み、他校の児童の前で話す機会をもうける船坂小の行事(2章)などが典型例であろう。

 施設の子どもの特徴として、生活習慣が定着していない傾向があり、社会生活の経験が不足していることもしばしば指摘される。報告の中には、「まったく社会生活を経験していない、学校に一日も登校したことがない」子どものケースが紹介されている。それぞれの学校で、社会経験、集団生活を意図的に子どもたちに経験させるさまざまな行事、取り組みが行われていることも紹介された。

 実践報告の中には、施設以外の子どもたちとの関係について取り上げているものが多い(12章を参照)。周囲の友人、仲間に認められ支えられることが子どもたちの成長にとって重要であることがうかがえるが、同時に、「町の子」と「施設の子」、「村の子」と「施設の子」という表現を子どもたちがすることがあるように、両者の間に心の壁が存在し、施設の子どもだけで学校内の人間関係ができてしまう傾向もあることが報告されている。学校、教師が意識的に働きかけるべきポイントである。

3 学習指導

 施設の子どもたちの低学力傾向は以前から指摘されていたことであるが、その状況は今日も引き継がれている。施設に来る以前の生活面、精神面での家庭の不安定さ、施設で十分なサポートが得られないこと、さらに将来展望を持ちにくいことも合わさって、学習面での不利な条件となっている。

 実践報告の中では、こうした低学力の実態に対して学校として何とか改善しようとするさまざまな取り組みが紹介されている。学力実態をテスト等で把握し、授業改善をはかる、校内での補修の時間を設定することに加え、教師が施設に出かけて学習会を行っているケースも報告されている(2、4、7、11章を参照)。当初は個別の教師による取り組みであったものを、学年、学校全体のものにしていこうという働きかけがなされてきたことも留意すべき点であろう。

 報告の中から学力に関してもう一点指摘しておきたい。施設の子どもたちの学力実態についての教師の「気づき」の重要性である。語彙数が少ないことは、生活経験、周囲の資源の不足から来るものだろう。筆者が興味を持ったのは、北九州の報告で指摘される「時系列での説明が苦手」であるという指摘である(12章)。学習指導に携わり、注意深く子どもたちと接している教師ならではの知見ではないだろうか。施設での暮らしは、固定した人間関係の中で一人になれる場所、時間もない。食事等は子どもに見えないところで用意される。こうした生活の中では、心の面だけでなく学習面でもさまざまなハンデが生まれていることが予想される。「時系列の説明が苦手」である以外にも、物事を理解し表現する力、人間関係をつくり深める力など多様な側面で補うべき点があると思われる。学力テストでの把握だけでなく、子どもたちの生活実態に即したきめ細かな理解がなされ、適切な働きかけを行うことが学校・教師に求められる。

4 進路保障

 施設で暮らす子どもたちにとって高校進学の門戸が広く開かれるのは最近になってのことである。進学率そのものは近年上昇しているものの、経済的、地理的な制約から近辺の公立高校だけが可能な進学先となり、学力面で断念せざるを得ないなどのケースもある。進路の内実を見るとき、いまだに大きな格差が残り続けているのである。

 中学の後半、進路決定の時期になると「進路が閉ざされた施設の子が荒れる」ことが通例だったと山口中学の報告は伝えている(4章)。経済的な事情で高校進学を選べず、不本意な形で就職せざるを得ない子たちがそうした行動をとらざるを得なかったのであり、他の多くの中学でも同様の事態が起きていることが予想される。

 そうした子どもたちを前にして、山口中の教師たちはどのように取り組んでいったのだろうか。報告にポイントが整理されているが、親や施設を動かしていくためにまず本人の意志を確認する、私学にも進学が可能なことを奨学金の説明を通して伝える、学習指導を徹底する、さらに、就職予定の子については住み込みが可能な働き口を早期から探すよう努めるなどの活動が展開されており、文字通り「進路を保障する」教育実践と呼ぶことができる。

 「進路が閉ざされ荒れざるを得ない」子どもたちを前にして「それは違うだろう」と受け止めさまざまな取り組みがなされたのだが、そこでは「施設に高校生を置く。頑張ったら、勉強したらこんな生き方ができるというモデルを下の子に見せること」が目標とされたという。奨学金の情報が集められ、施設側を説得するなどの働きかけが繰り返された。私学への進学がそうした努力によって可能となったのである。また、それ以前の時期には、経済的に余力のない者は公立高校しか行けない状況であったが、「この子を何としても公立高校に」と学年教師が位置づけた生徒については施設を説得して学習塾に通う費用を出させるところまでもっていったということである。その生徒は高卒後専門学校を経て専門職の路を進んでおり、施設の後進の子たちにとって当初の狙い通りの存在となっている。施設の子たちにとってのモデルとなる生徒を生み出すために、学校・教師サイドが積極的に動いたケースとして特筆すべきものと言えるだろう。

 また、進路保障に取り組んだ最初の世代の半数が高校を中退してしまった事態を前に、改めて学力保障が課題としてクローズアップされたことにも留意しておきたい。

 ここでは山口中学の実践を紹介してきたが、このように施設の子に焦点化した進路指導を行っている学校は例外的な存在ではないだろうか。学校教育サイドで施設の子の学力と進路実態が把握され、課題として受け止められることが求められている。

5 施設についての学習

 せっかく進学した高校を途中で辞めてしまう子たちが少なくない。その背景には、学力面の課題に加えて、施設で生活し通学していることへの偏見があるという。実践報告で、「中学高校と上がるにつれ施設で暮らすことを隠したがる傾向がある」と指摘されているが、高校で新しい世界、人間の中に入って友人を作れない、「どこに住んでるの?電話番号を教えて」との問いかけに答えられないことを思い悩む子が少なくないのである(11,12章)。

 小中学校の段階で、周囲の子どもたちや地域の親たちに対して施設の存在、意義、子どもたちの背景などを知らせるための取り組みは、次章以降でいくつか報告されている。施設のことを教材として取り上げたり卒業生の作文を学習するなどの取り組みがなされている他、施設を子どもたちが訪れ、施設の成り立ちや子どもたち、職員たちの思いを学ぶ機会を設けるところまで進めた河西小の実践が報告されている(11章)。

高校での、そして社会に出てからのこうした経験をなくしていくためには、多くの人々に児童養護施設についての理解を深めてもらうことが重要な課題であり、「福祉教育」の一環として、校区に施設のない小中学校、高校さらには地域住民への啓発がなされていくべきである。

 これらの取り組みを「施設についての学習」と呼ぶことができるが、それは周囲の子どもたち、親や地域住民向けのものだけではない。施設に暮らす子どもたち自身にとっても大きな意味を持っていることが実践報告から読み取ることができる。

 「親がいつか引き取りに来てくれると思って生活している子どもは、施設にいる自分を仮の姿としか思えず、逃げてしまう、がんばれない」と似島学園小の報告は指摘している(10章)。北九州の報告では、「もうすぐ迎えに行く」という親の言葉に裏切られ続けた子の事例が紹介されている。これに関連して想起されるのは、「家に帰るという希望を断ち切り、施設で生活し進路を選ぶことを決意できなかった子は、結局不安定な路をたどることが多い」と仲間の経験をインタビュー調査で紹介してくれた施設経験者の言葉である。施設の暮らしは「我慢」することが多くつらいものである。しかし、親の生活が安定したものになっていない限り、親元で生活することが施設に来る以前の生活に戻ることでしかないケースも少なくないのだろう。自分にとって施設での生活とは何か、ここで頑張ることで可能になる生活はいかなるものかについて自ら問い、答えを見つけていくよううながす働きかけが大きな意味をもつのではないだろうか。まずは施設の職員が、その役割を担うことが望まれる。しかしながら、先述した施設の実情のもとでは、一部の施設、職員が意識的にそうした働きかけを行っているとしても、大多数の施設、職員にとっては大きな困難を伴うものだろう。当事者の子どもに対しての「施設についての学習」が、学校・教師の取り組みとして、学年段階、そして個々の子どもの経験に即した形で行われることが求められる。

6 施設との連携

 すべての報告で強調されているのが、施設職員と教師の間の連携の重要性である。毎日の子どもたちの様子、気になる点や褒めたことなどを互いに伝え指導に役立てるほか、問題が起きた場合にも迅速な連携が図られていることがわかる。こうした連絡は担任と担当職員の間でなされる他、学校、施設双方に窓口となる担当教師、職員が置かれ、中心になって連絡を密にしている。

 ただし、情報交換がなされていればよしというわけではない。報告の中でも触れられているが、子どもの問題行動を伝え指導を求めるだけ、子どもにとっては「告げ口」と受け止められ、両者の関係を損ない子どもにとっても不利益なものとなる危険性があるという(12章)。責任の押し付け合い、非難の応酬でなく、子どものために双方が補い合う協働的な関係が求められることは言うまでもない。

 こうした連携、情報交換は日常的に行われているだけではなく、機会を設けて定期的に実施されるものもある。学年はじめの全教師、全職員の顔合わせ、学期ごとの交流会などを通して、措置理由、家庭背景、親の状況、子どもの様子などが伝えられ、指導方針が交流されている。施設の行事に教師が参加することも、施設での子どもの姿を見ることができ、子どもの親とも出会うチャンスとなっているという。

 ところで、筆者が何度か訪問している小学校で、施設の子どもをめぐる情報のやりとりについて尋ねたところ、「個人情報保護」がネックとなって子どもについての細かな情報が担任教師にもなかなか伝えられないのが実態だと返答があった。冒頭に触れた通り、施設に措置される子どもたちの家庭背景、入所前の経験は、以前と比べても複雑で深刻なものが増加しており、教師側の適切な働きかけのためにはそうした情報は不可欠なものであろう。学校・教師は子どもの成長に責任をもつ当事者の一員である。守秘義務が厳密に守られなければならないことを前提として、細かな情報が学校側に伝えられる体制が必要ではないだろうか。

 施設の子どもをめぐって学校・教師が連携をとっているのは、施設の職員だけではない。児童相談所、子ども家庭センターなどと連絡をとり、カウンセラーの派遣や専門的なアドバイスを得ている事例が紹介されている。特に西宮市の事例では、幼小中学校と市教育委員会が4者懇談会をもち、さらに施設と子どもセンターが加わる6者懇談会で施設の子どもたちへの取り組みについて話し合いがもたれているという。学校と施設、教育行政と福祉行政の連携が図られているケースとして特筆すべきものだろう(4章)。

 また、北九州市の報告(12章)では、諸機関との連携が学校の取り組みにとって有効であったことに加えて、多様な機関に属する人々と顔の見える関係、個人間のつながりができたことのメリットに言及している。子どもにとってその時々に必要な情報、サポートを機動的に入手するためには、さまざまな人々のつながりこそが力を発揮するのだろう。

7 学校を離れた後のフォロー

 施設を離れた後の子どもたち、いや、若者たちと呼ぶべきであろう、彼/彼女たちはどのような経験を重ね、どのような大人の生活に入っていくのだろうか。さまざまな困難に直面することが認識されており、「アフターケア」「自立支援」の必要性が叫ばれているが、十分な実態把握すらなされていないのが実情である。北九州市の報告で触れられているが、「知っている子たちの何人かは今服役していたり行方知れずになっている」ほどに、きびしい現実が若者たちを待ち受けているのだろう(12章)。若者が安定した大人の生活に移行することが困難になっている状況を「若者の移行の危機」と呼び、フリーター、「ネットカフェ難民」、若年ホームレスなどの問題として注目を集めている。きびしい状況に置かれるのは、親の生活が不安定、経済的な困難など生育家族に不利な条件を抱える若者が多い。こうした社会状況のもとでは、早い段階で学校を離れ有利な資格を持たない、そしてまた支えてくれる親、親族のつながりを欠く施設を出た若者たちがより厳しい現実に直面していることが予想される。

 今回の実践報告では、中卒後施設を出た若者たち、施設に残り高校に進学した若者たちを支えようとする教師の取り組みが紹介されている。山口中学では、進学先の高校と連絡をとり、事前に事情を伝え、生徒とも連絡をとる追跡指導の体制を整えている。また北九州の事例では、小学校の教師が、社会に出た後の教え子たちとのつながりを保持し、彼/彼女たちの支えとなっていることが紹介された(4、12章)。

 ところで、ケアとサポートが必要なのは、学校を卒業し、施設を出た後だけではないだろう。さまざまな事情から措置変更がなされ別の施設に移るケースもあれば、家庭復帰して施設を離れるケースもある。北九州の報告で注目されるのは、そうした形で施設、学校を離れた子どもに対してもつながりを持ち続け、新しい施設や学校と連絡をとろうとする教師の姿である(12章)。思えば、施設に措置されそれぞれの学校にやって来た子どもたちは、それまで在籍した学校や地域を離れ、転校生としてやって来る子どもたちである。転校そのものが、子どもにとっては大きなストレスとなる出来事であるにちがいない。「見捨てられ感」を抱きがちな子どもたちにとって、転校前の学校の教師が施設に移った子どもを心に留め、連絡をしてくることは心強いことだろう。そして、そうしたケースが少数でしかないことが言及されていた(10章)。

 施設を離れた後のサポートについて述べてきたが、施設にいる時期、学校に在籍しているうちになすべき働きかけもあるだろう。山口中の教師たちは、施設から高校に通う生徒たちにアルバイトを紹介しているという。社会経験、経済観念を身に着けさせ、さらには学卒後、施設を出た後の生活を支えるための貯えとすることを目指したものである。

また、北九州の報告では、施設を出た若者たちが家族を理想化して捉えがちで、それゆえに裏切られたり家族を自ら作れなかったりする、というエピソードが印象に残る。「大人を理想化していた」が故に職場で傷ついたという経験も紹介されていた(12章)。自らにとっての「施設についての学習」の必要性について指摘したが、社会に出て働き、誰かと暮らしていくこと、自ら家族をつくることについてどのようなイメージを抱くのかは、彼/彼女たちにとってとても大きな意味を持つことになるのだろう。

 「卒業までに施設外に友達を作ること」を目標として施設の子どもたちに課したと山口中の教師から聞いたことがある。施設を出た後に、自分を支えてくれるつながりを自分で作り出すことが大事だから、という狙いからだという。施設を出た後の生活を見越した働きかけがこのような形で取り組まれているのである。

8 学校・教師と施設の子どもたち

 これまで、施設の子どもたちに学校・教師がどのような働きかけ、取り組みをしてきたのかについて、次章以降の報告からいくつか事例をあげながら概説してきた。最後に、学校・教師にとっての施設の子どもたちの存在についてあらためて整理しておきたい。

 「学校側が学園に行かないと何も始まらない」ことを強調した河西小の教師の言葉の持つ意味を考えておく必要がある(11章)。施設に通い、子どもたちだけでなく職員との交流を重ね、共同して実践報告を行った経験のある彼は、職員が置かれた状況、勤務条件の厳しさを誰よりもよく理解している。職員側はまさに「一杯一杯」の現状であり、バーンアウトにもつながり、長く働くことが困難な職場では年齢の若い職員が多くなるという実態もある。こうしたなかでは、学校・教師が担うべき役割が大きくならざるを得ないという指摘である。

 また、山口中の教師が次のように語っていたことも印象に残っている。「施設の子どものことを代弁してやる、動いてやる大人は教師しかいないんです。あの子たちの親は子どものために何も動いてくれません。施設の側も現状で一杯一杯だし。」

 これらは、施設の子どもたちに対して、学校がなすべきこと、教師が担うべき役割が非常に大きいものであることを伝える言葉である。学校・教師は社会の新しい成員である子どもたちの成長、発達を専門的に担う職務を付託された存在であることを忘れてはならない。施設の子どもの十分な成長、発達に、学校・教師は大きな責任を負っているのである。そして、学習の場であり、集団生活の場でもある学校だからこそ可能な働きかけがあることを、次章以降の実践報告は伝えている。

 しかしながら、実践報告から浮かび上がるもう一つの現実は、こうした取り組みが決定的に不足している実態である。河西小学校の報告によれば、教師たちが「施設の子と本当に出会う」、重要な課題として取り組むことになったのは数年前のことだという。それまで、施設の子は会議の場などで「しんどい」「課題の多い」子どもとして名前があがっていた。しかし、教師が施設に出向き、子どもの姿に接する、職員と話をすることはあっても個別の動きでしかなく、重要な課題として位置付け、学校として取り組むということはなかったようである。山口中学についても同様で、進路決定の時期を迎えた施設の子どもたちが進路を閉ざされ、荒れざるを得ない状況が毎年繰り返されていたのである。

 それでは、教師たちが単に「しんどい」子どもとしてではなく、取り組むべき課題として施設の子どもに向き合うことになった契機は何だったのだろうか。河西小の教師の場合は、きつく叱った子のことが気になり施設に出かけたことがきっかけだったという。また、山口中については、施設内で起きた子ども同士のトラブルがきっかけとなり、子どもたちの生活と進路について改めて向き合うことになった。

そしてもう一点、施設の子どもたちに教師を向き合わせた背景について記しておかねばならない。今回実践を報告してくれたのは、それぞれの学校で施設の子どもたちに対する取り組みを主導してきた教師だが、その多くは以前の学校で同和教育の中心的な担い手であったという。そうした経歴をもつ教師たちが赴任した先の学校で施設の子どもたちと出会い、「ムラの子、被差別部落の子と同じ、きびしい状況に置かれている子どもたちの姿」に向き合うことになったのである。

 同和教育の経験、同和地区の子どもたちの現実を知っていたことが、施設の子どもたちの課題に気づかせた背景として重要であった。そしてまた、具体的な働きかけ、取り組みの内容の面でも、同和教育で重視されたポイントを踏襲するものが多かったことが注目される。表面的に「しんどい」「課題のある子」と捉えるのではなく、対話を重ねることでその子の経験と生活に即して理解すること、仲間、集団の中での成長を図ること、学力を定着させ進路を保障すること、学校を離れた後も支え続ける姿勢などである。施設担当の教師を置く、校務分掌に位置付けるなど、学校内の体制を整えたことに加えて、行政に働きかけ、教育行政や福祉行政をも動かしていった山口中学の事例は、まさに同和教育の歴史を継承し成果を生かしていった事例ということができる(4章および畑中氏の文章を参照)。

おわりに

次章以降の学校、施設からの実践報告に先立ち、取り組みの概要、ポイントを整理してきた。そして前節では、それぞれの学校で教師たちが施設の子どもたちと向き合い、学校全体の課題として受け止め取り組みを進めるに至った経緯についても触れた。今回報告されたのは施設の子どもたちが通う学校のほんの一握りに過ぎない。全国各地で、個々の教師が施設から通う子どもに向き合い、地道な取り組みを進めているだろうし、学校全体の課題として位置付けているケースもあるだろう。もちろん、同和教育の継承という性格をもたない場合もあるだろう。

しかしながら、そうした教師や学校はごくわずかではないだろうか。多くの教師にとって、児童養護施設とそこから通う子どもの存在は知られていない。校区に施設のある学校においても、「しんどい」存在としか受け止められていないケースが相当数にのぼるのではないだろうか。たとえば、施設の子どもの低学力、進学状況の低さといった問題は、教育運動、教育研究のなかでは取り上げられることがほとんどないままに推移してきたと言わざるを得ない。施設の子どもたちの存在は、教育の世界では目が向けられることがほとんどなかったのである。

そうだとすれば、それはなぜだろうか。

まず、施設から通う子どもたちの数が非常に少ない、ということがあげられる。施設数、生活する子どもの数も、子ども全体からすれば圧倒的な少数派であり、施設の子どもが通う学校においても、多くの場合はクラスでごくわずかな数にとどまる。数として見えにくい、目が向けられにくい存在なのである。

そしてもう一点、学校側、教師側からすれば、施設から通う子どもたちの問題は「福祉の問題」であり、「施設側で何とか対処すべき」事柄として受け止められる傾向があるのではないだろうか。「どうしてちゃんと指導してくれないのか」と施設職員への非難はあっても、「学校でどうしよう」という発想にはなかなかつながらないのではないか。

一方の施設の側では、手薄な資源、職員配置のもと、なんとか15歳まで、18歳までの生活を保障することで手一杯の現実があり、「学力、進学」や「自立に向けての支援」が課題として認識されていても十分に実践できてはいない。施設側から学校、教育行政に向けて教育面の支援を要求することがなされていないのは、その余裕がないことに加え、そもそもそういう発想が抱かれにくいことがあるのかもしれない。

「親が育てられない子どもを預かる」施設は、地域社会や学校に対して「迷惑をかけている」存在で、「学校に要求することは、施設への偏見を強めてしまう」という懸念が抱かれていた面もあるのかもしれない。

実践報告の中でも指摘されていることだが、福祉と教育の狭間、隙間に落ち込んでしまい、きびしい現実に放り出されてしまうのが施設の子どもたちの置かれた状況と言えるのだろう。

さらに、施設の子どもたちは日本の子どもの教育を考えるうえで少数派、例外的存在なのかについて考えてみたい。貧困家庭、ひとり親家庭、外国籍の親のもとで育つケースなど、生活が不安定で、教育面でも不利な条件に置かれた子どもたちは従来から少なからず存在し、今日その数が増加している。そうした子どもたちが学校教育において十分なサポートを受けてきたかと問われれば、答えは否と言わざるを得ない。

生活不安定層のうち、特にきびしい家庭の子どもたちが施設に措置される傾向があるのだが、学校教育経験においても同様に、不利な条件に置かれた子どもたちの状況をより典型的な形で経験しているのが施設の子どもたちであると言うべきではないのか。筆者が近年用いている表現を使えば、「社会からの排除と学校からの排除」を典型的に被っているのが児童養護施設の子どもたちだと言える。施設の子どもたちが経験する学校教育の在り方は、さまざまな点で困難層、不安定な状況に置かれた子どもたちの学校教育経験を典型的に顕わにしたものであり、そこで確認される知見、課題は広く検討され実践に生かされるべきものだと言うべきだろう。

「親がしんどいから、家庭が不安定だから子どももしんどい」、教育関係者が抱く正直な感覚ではないだろうか。そして、「親が頼れない子どもたちについては、もっとしんどい」ということになるのだろう。しかしながら、親が頼れない場合には社会が替って一人前に育てる仕組みが児童養護施設なのであり、教育面の不足を補うのは学校教育の責務となる。施設の子どもたち以外の生活不安定層についても、福祉サービスで生活を支えると同時に、やはり学校教育がより手厚いサポートを提供することが求められる。

繰り返しになるが、児童養護施設の子どもたちが学校教育で十分なサポートを受けていない現実は、多くの不利な条件に置かれた子どもたちの状況と重なるものなのである。

実践報告の内容から離れ、飛躍した議論になってしまった。こうした議論を進めるためにも、今後求められるのは、校区内に児童養護施設がある学校で、そしてまた、施設から生徒が通う高校で、子どもたちはどのような経験をし、学校、教師はどのような働きかけをしているのか、その実態をていねいに把握していくことである。学力、進路の実態、さらに施設を出た後大人への移行過程の把握も重要な課題である。

その際、今回の報告事例でも明らかだが、施設の置かれた条件により子どもたちの経験は実に多様なものとなっている。多様性にも留意した、詳細な把握が必要である。

最後に、緊急と思われる課題を記しておきたい。実態把握が必要であると同時に、その現実が広く教育関係者に発信されることが求められる。多くの教師たちにとって、「施設についての学習」が必要なのである。

そしてまた、今回の報告事例で丁寧な働きかけが可能となった条件として、学校に児童生徒支援加配などの人的配置がなされていたことが非常に重要である。福祉行政の面で施設の職員配置が飛躍的に改善されることが求められるのと同時に、施設のある小中学校に多数の加配教職員が配置されることが何よりも求められる。