第2章 部落の低学力
─近年の調査からみえてくるもの
高田一宏
はじめに
戦後同和教育は、教育をめぐる社会的不平等の現実を明らかにし、その克服をめざす実践を積み重ねてきた。だが、特別対策としての同和事業が終結した後、部落の子どもの学力実態はほとんど把握されなくなった。その一方、この数年来、学力、学習意欲、進路における階層間格差の拡大が幾多の調査によって明らかになっている。
社会的不平等や経済的格差が拡大しつつある今、部落の子どもの学力はいかなる状況にあるのか。そして、低学力克服に向けた実践や研究の課題はどこにあるのか。近年の調査研究をふまえてこの問いに答えることが、この論文のねらいである。
1 学力保障と学力調査
敗戦直後から1950年代にかけての同和教育の重点課題は、長期欠席・不就学問題への対応であった。1960年代に入るとこの問題は解決に向かったが、それに代わって浮上したのが低学力問題である。1965年の同和対策審議会答申は、当時の部落の教育状況を次のように述べている。
学校教育における児童生徒の成績は、小学校、中学校のいずれの場合も、全般的にかなり悪く、全体的にみると上に属するものもいるが、大部分は中以下である。
中学生徒の進路状況は都市的地区、農村的地区ともに就職者が大部分であって、進学者は少なく、進学率は一般地区の半分で、30%前後である。進学率の劣るのは、家庭の貧困か本人の学力不振によるものが多い。しかし、親の教育関心はきわめて高く、80%前後の者は子女の進学を希望しているのは注目される。
答申は、学力の向上が「将来の進学、就業、ひいては地区の生活や文化の水準の向上に深い関係がある」とし、教育条件の整備と学習指導の徹底を提言した。学力の向上は、生活環境の改善や就労の安定とならんで「実態的差別」を解消する鍵と見なされたのである。これ以降、学力と進路における格差の解消は、同和教育の重要な課題として広く認められるようになっていく。
1969年の同和対策事業特別措置法の制定は、部落の子どもの教育環境整備に大きな役割を果たした。法律の制定を受けて、同和加配の配置、学校の施設・設備の充実、就学奨励・奨学金制度の創設などが行われた。これらの条件整備のもとで、部落の子どもの学力保障をめざす実践は大きな広がりをみせた。地域では保育所、教育集会所、青少年向け社会教育施設などが整備され、環境改善事業や産業振興・就労対策事業も伸展した。こうした教育環境の改善と高校増設とがあいまって、部落の高校進学率は急上昇し、1970年代半ばには部落内外の進学率格差は数ポイントにまで縮小した。
ところが1980年代に入ると、部落の子どもの低学力問題は解決してないのではないかという疑念の声が教育関係者や地域住民からあがるようになった。当時、高校進学率における格差は「数パーセントの壁」を越えられないでいたからである。教材の自主編成、学力促進指導、地域における学習会をはじめとする学力保障の実践は、どれほどの成果をあげたのか。家庭環境と学力はどのように関連しているのか。こうした疑問に答えるべく、1985年に、大阪府同和教育研究協議会と大学関係者を中心とするグループによって「学力総合実態調査」が実施された。以後、大阪では、行政や研究者による学力調査が継続的に行われるようになり、この動きは西日本各地に広がった。さらに、この数年来、大阪では参与観察やインタビューなどの質的手法を用いた学校調査も行われるようになっている。
2 部落の子どもの学力状況
部落の子どもの学力状況を継続的に把握できるデータは、意外に少ない。1980年代末から2000年頃にかけての一時期、西日本各地で部落の子どもの学力調査が実施されたが、特別措置の終結後、この種の調査はほとんど行われなくなったからである。例外といえる地域が大阪である。ここでは、近年実施された4つの学力調査を取り上げる。1989年、2001年、2003年、2006年の調査である。
①1989年調査と2001年調査
2001年の調査は学力や生活状況、生活意識の長期的変化を明らかにすることを目的とし、1989年の調査との比較ができるように設計・実施された(志水2002、東京大学大学院教育学研究科2003、苅谷・志水2004)。「学力低下」をめぐる論争に実証的な研究から一石を投じた調査である。
表1は、1989年と2001年の学力テストの結果である。部落内外の平均点の格差はすべての学年と教科で拡大している。特に格差拡大が目立つのは小学校の方である。また、部落では、部落外以上に学力のバラつき(標準偏差)が大きくなっている。
学力のバラつきとは、具体的にはどのような現象なのか。図1と図2は、1989年と2001年の算数と数学の学力テストの得点分布である。算数では、1989年の得点分布は右肩上がりのカーブを描いている。一方、2001年には、得点分布の形が大きく崩れ、「10点台」「40点台」「60点台」にも小さなピークが現れている。数学では、得点分布の「二極化」がはっきりと認められる。1989年と2001年を比べると、「80点台」と「90点以上」グループの比率に大きなちがいはないが、2001年には「30点台」に大きなピーク、「60点台」に小さなピークが現れている。
②2003年調査と2006年調査
表2は、2003年調査と2006年調査の学力テストの同一問題について、正答率の推移をまとめ直したものである(大阪府教育委員会2007)。参考までに府全体についても正答率の推移を示している。ただし、2003年と2006年の調査は、学力テストの内容やサンプリングの方法が異なっており、二つの調査の結果を単純に比較することはできない。
データに大きな制約があるとはいえ、部落の子どもの正答率がわずか三年の間に大きく下落したことは事実である。2001年調査で明らかになった部落内外の格差拡大の趨勢は、その後も続いていると推測できよう。
次の図3は、2006年調査の数学の正答数分布である。府全体は緩やかな右肩上がりの分布であるのに対し、部落(図では「対象生徒」。2000年に大阪府が実施した「同和問題の解決に向けた学力等調査」の調査対象地域に居住する生徒)では右肩下がりに近い分布になっている。極度の学力不振層が部落で増大しつつあることをうかがわせる結果である。
最後の表3は、中学卒業後の進学に備えた蓄えに関する中学生の保護者の回答である。部落では「意識的・計画的に蓄えている」という回答が減り、「蓄える余裕はない」という回答が増えている。府全体でも同じ傾向であるが、変化の度合いは部落の方がはるかに大きい。部落の家計状況は急速に悪化しつつあるようである。部落の子どもの学力低下には、こうした家庭生活基盤の不安定化が影響している可能性がある。
これまで紹介してきた調査から推測できることは次の通りである。第一に、部落の子どもの学力は低下傾向にあり、部落外との相対的格差は拡大しつつある。第二に、部落の中学生では極度の学力不振者が増えつつある。第三に、部落の家庭の生活基盤は不安定化しており、このことが学力低下の引き金になっているおそれがある。
学力の低下や家計の悪化が中学卒業後の進路に影響することは想像に難くない。図4は全日制高校進学率の推移である(大阪府人権教育研究協議会2009)。1990年代前半以降、高校進学率における部落内外格差は拡大基調にある。特別対策の裏付けとなってきた法律の失効後、進路追跡調査は行われなくなっているが、2003年と2006年の調査の結果から考えると、部落の高校進学率はさらに低下している可能性が高い。
以上のことから予想されるのは、低学力と貧困の世代的再生産が、今後、部落でいっそう深刻化していくだろうということである。では、なぜ部落の子どもの低学力は克服されないのか。なぜ、部落の子どもの学力は大きく低下しているのか。次の節では、こうした問いをめぐって行われてきた研究を振り返りたい。
3 低学力の要因
部落の子どもの学力はなぜ低いのか。これまで行われた調査では、家庭環境や子ども自身に関わる要因として次のようなことが指摘されてきた(森1987、田畑1991、鍋島1993、米川1996、池田1996、高田1998、原田2003)。①経済的なゆとりに乏しかったり、若年出産や離婚が多かったりするなど、家庭の生活基盤が不安定である。②基本的生活習慣が身についておらず、心身が不調に陥ったり、学習時間が確保しにくかったりする。③落ち着いて勉強できる場所がない、保護者からの学習援助が少ない、書籍や参考書をあまり持っていないことなどが影響して、家庭学習習慣が身につきにくい。④テレビ、ゲーム機、携帯電話など、娯楽的所有物の所有率が高く、享楽的な生活に惹かれがちである。⑤文字文化との接触機会が乏しく、就学時のレディネスが十分でない。⑥進路選択の視野が限定されており、高等教育への進学を希望する者が少ない。⑦保護者や友だちとの関係が安定しないために自尊感情が低く、学習に意欲的に取り組めない子がある一方で、特に中学生では学校から離反する価値を共有する仲間集団の中で自尊感情を保持する子もある。
①不平等な機会構造
では、個々の子どもや家庭に見られる現象の背景にはどのような構造的要因が潜んでいるのだろうか。池田は、1987年の論文のなかで、部落(同和地区)の子どもの低い教育達成(学力や進路)について「不平等な機会構造」と「同和地区の下位文化」という二つの視角から説明を試みた(池田1987)。彼は前者について次のように述べている。
同和地区では、失業率が高く、正規雇用や大企業への雇用が少ない。有業者の年収は低く、福利厚生面でも不利な立場におかれている者が多い。このような「労働状態の低位性」は、直接的には「生活の貧しさ」を招き、それがさらに「教育への親の関心や子どもの学習意欲の低下」を招く。また、間接的には「全体的な達成意欲の低下や非行などの反学校的態度」という結果を招く。
もっとも、客観的な機会構造よりも重要なのは「機会構造を個人や集団がどのように受けとめ解釈しているか」ということである。露骨であからさまな差別がなくなり、学校や職場でメリットクラティックな基準が適用されるようになってきているとしても、依然として、子どもたちの身近には教育達成を通じて上昇移動を果たしたモデルは乏しい。上昇移動の可能性を少ないと判断すれば、達成意欲は低くなり、それは勉学意欲や学力に影響することになる。機会構造の主観的なとらえ方の変化は、機会構造の客観的な変化よりも遅れるのである。地位達成(職業達成)の低さと教育達成の低さの循環構造は、そうやすやすとは崩れない。
②部落の下位文化
この論文で池田は、大阪府科学教育センターの調査研究プロジェクトを取り上げている。このプロジェクトは、バーンスティンの「精密コード(elaborated code)」と「限定コード(restricted code)」の関係を「書きことば」と「話しことば」の関係に置き換えたうえで、同和地区には豊かな「話しことば」が存在するにもかかわらず、学校で重視される「書きことば」が十分に発達してないことに低学力の要因を求めた。これに対して池田は、「文化的低位性」から低学力を説明する発想が低学力の克服という課題の解決をかえって困難にすることを指摘した。彼は次のように述べている。
「書きことば文化」が貧困であることによって、同和地区の人々の認識が、社会全体へと、あるいは抽象的な世界へと広がっていくことが妨げられていることは事実である。これはかれらの認識が劣っているためでなく、関心の対象、つまり文化のもつ価値志向が身近な対象や状況に向けられているためであるが、このことじたいが過去における外部社会からの排除の結果であり、そして、近代における学校教育からの疎外の結果であるという点を理解しなければならないだろう。かれらの文化―その行動様式や価値志向―を劣ったものとして評価し、集団として社会から排除しようとしたり、矯正を加える行為そのものが同和地区の人々に劣等意識を植えつけ、「書きことば文化」に対する距離感を生み出すことになるのである(池田1987、67頁)。
機会構造の閉鎖性や社会的な排除から生み出される下位文化の特徴については、言語文化以外の面でも指摘されてきた。たとえば、今津・浜野(1991)は、家庭へのコミットメントの強さ(およびそれと対をなす学校へのコミットメントの弱さ)、現状肯定的・現在志向的な態度、親和的な人間関係という三つの面において、同和地区の下位文化(サブカルチャー)と学校文化の不連続を見いだしている。
③「再創造」される文化
池田は、先の論文の締めくくりで、学校は「現代社会において同和地区の子どもたちの文化的従属性を強化する主要な機関となっている」(池田1987、68頁)と述べている。彼はここで、文化的支配の装置としての学校とマイノリティの下位文化の不連続・対立という図式によって、部落の子どもの反学校的態度と学力不振を説明したわけだが、こうした「再生産論(reproduction theory)」的な説明をするかぎり、理論的には部落の子どもの学力保障は不可能だということになってしまう。
この難問への解答として、後に池田は「再創造論(reinvention theory)」を提唱した。再創造論の考え方は、「親文化=下位文化と青少年の下位文化との直接的な関係を前提としない」。また、「支配のためのイデオロギー装置」ではなく「支配文化とマイノリティ文化を媒介する装置」として学校をみる。彼は言う。「マイノリティの子どもといえども最初から学校文化に対して対抗的、反抗的な態度で学校に入ってくるわけではなく、学校という制度、規範、ハビトゥスに触発され媒介されて、マイノリティの文化やハビトゥスは青少年世代の感覚や体験として再創造されるのである」。再創造論の立場からみれば、部落の子どもの低学力は運命づけられたものではない。「学校を場として繰り広げられるコンティンジェント(偶発的)なできごとや関係から生み出されてくる」ものなのである(池田1996)。
再創造論のポイントは「支配文化とマイノリティ文化を媒介する装置」という学校観である。この考え方は、学校の内部過程、学校という場でおきていることがらの解明が重要であることを示唆している。学校はマイノリティと敵対する「一枚岩的な」制度ではない。そして、教師たちは、支配文化とマイノリティ文化のはざまに立ち、両者の葛藤や対立を意識しながら、学校文化の組み換えの担い手になりうる人々である。後年、池田が打ち出した「学校と地域の協働」という概念は、両者の相互補完・相互変容を重視したものであり、学校の文化変容の道筋を示唆するものだった(池田2001、2002)。
④部落の構造的変動
部落の子どもの低学力要因として「不平等な機会構造」と「同和地区の下位文化」を池田が示してから20年以上がたった。教育達成(学力や進路)や職業達成において今なお部落内外に格差が存在していることを考えると、池田の説明は妥当性を失っていないといえる。ただし、近年、部落の実態が大きく変化していることも事実である。特に注目すべきことは、部落そのものの構造的変動と消費社会化の影響である。
表4は、2001年調査における部落内外の階層構造の比較である。学歴階層および文化階層(文化階層は、家庭における保護者と子どもの関係や生活体験に関する質問への回答をもとに尺度を構成し、操作的に定義してある。学力形成の観点からみた「家庭の教育力」を示すものである。学歴階層については、子どもに「お父さんは大学を出ているか」を尋ねている)の両方で、部落の階層は低位に偏っている。1989年調査には階層状況を把握する質問項目がなかったので、1989年から2001年にかけての格差の変動を知ることはできない。だが、2000年に大阪府が実施した実態調査では、1990年から2000年にかけて、部落では生活安定層(40代以下の高学歴・高所得層)が流出して生活不安定層が流入したこと、また、若年層の就労状況が不安定化したことが明らかになっている(奥田2002)。もともと低学歴者が多かった部落は、この間、社会全体ですすんだ雇用の非正規化の影響を強く受けたのであろう。
1990年代以降、部落の階層構造は、学力が落ち込む層を増やす方向で変化してきたとみてほぼ間違いない。この趨勢がとまらなければ、部落の子どもの低学力状況は、今後、さらに深刻化していくだろう。2006年調査の分析に関わった米川も、部落の子どもについて、難易度の高い問題の無答率が高いこと、2003年度から2006年度にかけて英語と数学の同一問題の正答率が低下したこと、部落が校区にある学校は生活保護受給家庭の率(要保護率)が高く、学校全体の要保護率と学力水準の間にかなりの相関があることを指摘している(米川2007)。
とはいえ、部落の子どもの低学力を経済的低位性によってのみ説明することには無理がある。図5は、2001年調査で、同水準の文化階層グループ(上位・中位・下位)ごとに部落内外の数学の平均得点を示したものである。階層水準が低いグループになるほど、地区内外の得点差が開いていく傾向がみられる。鍋島による再分析でもこれと同様の結果が確認されており、彼は「同和地区に固有の学力阻害要因は階層水準の低い者の方により強く働いていることを示唆している」(鍋島2004、204頁)と述べている。
⑤消費社会の波
部落の子どもは、テレビ、ビデオ、ゲームなどに囲まれ、物的には「豊かな」生活をおくっている。このことは、1980年代以降の調査でくり返し明らかにされてきた。だが、この「豊かな」生活は、子どもの生活リズムや家庭学習時間に影響を与え、学力形成に負の作用をおよぼしている(鍋島1993)。こうした問題について、原田(2003)は、同和地区は遅れて「豊かな社会」に参入したがゆえに「消費社会の負の影響」に無防備にさらされやすいのだとしている。そして、彼は「不平等な機会構造」および「同和地区の下位文化」とならぶ低学力の第3の要因として「消費社会・情報化社会の波」を挙げている。
ここで、2001年調査の「自分専用の持ち物」についての回答のうち、携帯電話(質問項目名は「携帯電話・PHS」)の所有状況を紹介しよう。これを取り上げるのは、1989年調査(質問項目名は「電話」)に比べて地区内外の所有率の差が大きく広がっており、消費社会・情報化社会の「波」を象徴すると考えたからである。表5に示したように、全体として小学生より中学生で、部落外よりも部落で所有率は高い傾向にあるが、部落の「文化階層下位」層では、小学生でも所有率が3割に達している。
原田はまた、消費社会の生み出す文化と同和地区の下位文化(サブカルチャー)が「現状肯定性」という共通の特徴をもつことにも注目している。彼の言うところから敷衍するならば、「子どもの現在志向欲求の即時的状況を考慮せずには企業の商品生産が成り立たない社会(=消費主体としての子どもに焦点を当てた「消費社会」の定義)」(原田2003、17頁)の中で、「現状肯定性」という下位文化の特徴が特定の層で強化されつつあるのだといえよう。消費社会化の影響は、部落の低階層群にとりわけ大きく現れている。
これまで述べてきたように、部落の子どもの低学力には多くの要因が影響していると考えられる。すなわち、①経済的要因(不平等な機会構造)、②社会文化的要因(部落の下位文化と学校文化の不連続性)、③学校の内部過程(学校における青少年文化の「再創造」)、④部落の構造的変動(生活安定層の流出と生活不安定層の流入、若年層における就労の不安定化)、⑤消費社会化の影響(特に低階層群での「現状肯定性」の強化)である。以上の要因の関係を簡略に示したのが図6であるが、諸要因がどのように複合的に学力に影響しているかについては、いまだ十分に解明されていない。
4 今後の研究課題
1970年代までの部落では、経済的な貧困と劣悪な生活環境が子どもの学力形成や教育達成の大きな障壁になっていた。1980年代に入ると、そうした「低位性」によって学力不振をうまく説明できない事態が生まれた。部落の各家庭の生活水準は底上げされ、そこに消費文化が急速に浸透していったのである。しかし、物質的な「豊かさ」は学力形成にストレートに結びつかなかった。そして今、部落の子どもたちの学力不振は深刻化しつつある。ただし、現在の部落の学力不振問題は、1970年代までとは大いに異なる社会状況のもとで生じていることは強調しておきたい。かつての低学力問題は、社会全体の繁栄から部落が「取り残された」結果として生じていたのに対し、今日の低学力問題は、不平等の拡大と貧困層の増大という社会全体の動きを「先取り」する形で生じているのである。
部落の子どもの低学力は深刻化し、その要因は複雑化している。学力不振の要因は「差別の結果としての低位性」の一言で片付けられるほど単純ではない。学力不振を階層的要因だけで説明するのにも無理がある。社会全体の格差構造の中に部落がどのように組み込まれ、部落の生活実態や文化がどのように変容しているのか。階層的要因と部落固有の要因はどのように絡まり合っているのか。地域教育運動や学校と地域の協働が子どもたちの学力や進路意識にどのように影響してきたのか。実証的な研究をふまえてこれらのことがらを丁寧に再検討する必要がある。
ところで、従来の同和教育に関わる学力調査に対しては、部落内外の学力格差に注目する一方で、階層的不平等という「もうひとつの不平等問題」に目を向けず、結果として「不平等のダブルスタンダード」を補強してしまったとの指摘がある(苅谷1997)。従来の調査が階層的不平等の実態解明を重視してこなかったことは事実である。それは、部落の子どもの学力不振が特に深刻だったため、その解決には特別措置が必要だとされたからである。ただし、このような歴史的経緯は、部落の低学力要因の分析を不十分なものにしてしまった。部落のない校区や自治体の関係者が部落の低学力問題を「対岸の火事」視する風潮を招いたことも否めない。
しかしながら、これまで積み重ねられてきた生活状況や生活意識と学力の関連についての分析は、今なおその意義を失っていない。格差・不平等が拡大しつつある一方で、学力不振の原因を教師の能力や努力の不足に求める風潮が強まるなか、学力不振の社会的背景を明らかにすることは極めて重要である。一連の調査が示す事実は、家庭の教育力や地域の教育環境が子どもの学力に大きな影響を与えていること、学校での取り組みが家庭や地域と結びついたときに家庭や地域の不利な条件を克服しうるということである。今、部落の学力不振問題の解決にあたって問われるべきことは、学校の力だけでなく、学校と家庭や地域の関係づくりのあり方であり、学校を含む地域総体の力なのである。加えて、教育政策と労働、社会保障、児童家庭福祉政策を不平等の是正という視点からどのように結びつけていくかを検討する必要もある。教育政策によって動員できる資源(人、物、予算)には限りがあるからである。
5 おわりに―学校の有効性と限界
この数年来、関西の研究者が行ってきた「効果のある学校」や「力のある学校」の研究は、学力保障に成果を上げている学校の特徴を明らかにし、それをもとに実践的な学校づくりのビジョンを提示する試みだったといえる(志水2009)。この間の研究を通して、明らかになった事実は二つある。その一つは、校区の社会経済的状況が低位であればあるほど、言い換えれば、学校に在籍する子どもたちの生活が厳しければ厳しいほど、学力保障の成果をあげるのが難しくなるということである。学校は社会の一部であり、不平等や貧困を学校の力だけで解消することはできないのである。
しかし同時に、学校がやるべきこと、できることも沢山ある。自尊感情や自己効力感の形成、仲間や身近なおとなたちへの信頼感の回復、将来の生き方や進路に対する展望、社会に出て困らないだけの基礎学力の保障などである。これらに関わる取り組みが成果をあげている学校では、教職員の組織的な取り組み、子どもの集団づくりとエンパワメント、学校と地域や家庭のつながり等々、同和教育が大切にしてきたことがらに通底する学校づくりのポイントを見出すことができた。学校は微力だが無力ではない。このことが、研究によって明らかになった二つめの事実である。
「同和教育を人権教育として再構築する」とは、同和教育の取り組んできた課題を普遍的な教育改革の課題へとつなげることを意味する。教育をめぐる不平等や格差が社会的な関心を集める今だからこそ、すべての子どもの学習権を実質化する課題として学力保障をとらえ直したい。調査研究においても、従来の学力保障実践の成果と問題点、学校の力の有効性と限界を明らかにすることが求められている。
追記
本稿は、「同和地区における低学力問題―教育をめぐる社会的不平等の現実」(『教育学研究』第75巻第2号、2008年)を改稿したものである。
参考文献
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・池田寛『学校再生の可能性―学校と地域の協働による教育コミュニティづくり』大阪大学出版会、2001年。
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・大阪府人権教育研究協議会編・発行『大阪の子どもたち―子どもの生活白書』2008年度版、2009年。
・奥田均『人権の宝島冒険―2000年部落問題調査・10の発見』解放出版社、2002年
・苅谷剛彦「教育における不平等と〈差別〉―不平等問題のダブルスタンダードと「能力主義的差別」」中村拡三監修・(財)解放教育研究所編『シリーズ解放教育の争点①解放
教育のアイデンティティ』明治図書、128~145頁、1997年。
・苅谷剛彦・志水宏吉編『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』岩波書店、2004年。
・志水宏吉「学力低下の実態と克服の道すじ―2001年東大グループ調査からの報告」『解放教育』2002年12月号、9~30頁。
・志水宏吉編著『「力のある学校」の探求』大阪大学出版会、2009年。
・高田一宏「学力調査」部落解放研究所編『部落解放年鑑』1997年度版、解放出版社、82~97頁、1998年。
・田畑元信「大阪の学力実態調査について―「学力・生活総合研究委員会調査報告」の紹介」『部落解放研究』第82号、118~143頁、1991年。
・東京大学大学院教育学研究科附属学校臨床総合教育センター『学力低下の実態解明(その1)―関西調査から』(『学校臨床研究』第2巻第2号)、2003年。
・鍋島祥郎「部落の子どもの教育達成水準の動向が物語るもの」部落解放研究所編『これからの解放教育―学力保障とカリキュラム創造』解放出版社、3~56頁、1993年。
・鍋島祥郎「誰が落ちこぼされるのか―学力格差がもたらす排除と差別」苅谷剛彦・志水宏吉編『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』岩波書店、197~215頁、2004年。
・原田彰編著『学力問題へのアプローチ―マイノリティと階層の視点から』多賀出版、2003年。
・森実「生活実態の分析から」部落解放研究所編『学力保障と解放教育』解放出版社、54~81頁、1987年。
・米川英樹「部落生徒の学力の現在」部落解放研究所編『地域の教育改革と学力保障』解放出版社、30~48頁、1996年。
・米川英樹「同和地区の学力実態を考えるー2006年度大阪府学力実態調査から」『部落解放研究』第178号。
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