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2010.07.13
意見・主張
  

全日制普通科単位制高校における外国人児童生徒支援の取り組み


第6章 全日制普通科単位制高校における外国人児童生徒支援の取り組み

濱名猛志

 

1 長吉高校はこんな学校です

①1975年「地元の学校」として設立

長吉高校は、関西では外国にルーツをもつ子どもが一番多い学校である。まず学校として重視しているのは、長吉高校に来ている外国の子どもは留学生ではないという点である。日本に来たくて来ている子ではないということである。その子たちに高校としてどうするのか。自分たちが日本の社会のなかでどう生きていくのか、「自分らが将来こういうふうになるねん」というのが見せられたらということを一番思っている。そのためには、セルフエスティーム、自尊感情が絶対必要である。学校の教員の感覚から言うと、自分の母文化に自信がもてる子は、絶対にセルフエスティームが高くなる。それこそ、その子たちは、出身地域の地元の小中学校に行って教育サポータをやって、より元気になって高校に帰ってきて、それがしんどい思いをしている子を元気にして、というサイクルになっている。結局、長吉高校も含めて、なぜ大阪で母語を大事にするのかというと、「自分のアイデンティティである母文化を大事にして自信をもってほしい」からである。だから母語というのも単に、中国語が話せたらいいとか、ポルトガル語が分かったらいいとかではなくて、自分の文化と表裏一体の母語なんだ、というのが私たちの感覚である。
まず、長吉高校の概要について述べると、一番の特徴は、全日制の単位制高校ということである。学年もクラスもまったくない。だから何年何組という概念もなくて、生徒は授業のたびにばらばらになるという、大学と同じパターンである。1年目を入学年次と呼び、2年目は中間年次という。中間年次には自動的に上がれるが、その次に行くのにハードルがある。卒業には74単位を必要とするので、「あと1年で74単位に届くよ」という学年を卒業年次と読んでいる。
クラスがないので、グループという形で管理はしている。いわゆるクラス集団がないので、入学年次、240人を10グループとしている。だから1グループは24人くらい。卒業年次になるにはハードルがあるので中間年次では、14グループくらいとなる。卒業年次は6グループ。卒業年次までいった子どもたちはほぼ卒業するが、この学校を3年で卒業できないと思った子が中退していく。昨年の卒業状況は121人であった。240人入学して、それくらいしか卒業できていないというのが、非常に辛いところである。完全2期制をとっているので、秋にも10~20人くらいは卒業する。
長吉高校はもともといわゆる「地元の学校」という地域の思いからできた学校である。しかし当時は荒れの状況があって、学力保障と中退問題が課題であった。1975年に創立されて2年目から、高校だが促進学級を設けていた。だから、学力の低い子は抽出して別に授業をするということで、国数英の3科目については「抽出授業」をしてきたという歴史がある。
それからオールドカマーも多く在籍しており、1977年から朝鮮語の授業をし、今日まで続いている。地域的なこともあって、1986年くらいから中国の帰国生徒が入学してきて、日本語学級(抽出して日本語を教えるという学級)ができたのが、翌年の1987年である。同時に、複数の子どもたちが入ってきたので、その子どもたちの集う場所が要るだろうということで部活動として中国文化研究会ができた。また、中国語もきちんと学習しないといけないので、1993年くらいから中国語講座を、中国語の講師を招いて放課後に行った。さらに1994年にベトナムの子どもも入学してきたので、中国文化研究会からアジア文化研究会という名前に変更していった。
他方で、1979年には車椅子を使う生徒が入ってきた。今でこそ、かなりの数の高校にエレベーターがあって車椅子の子が入学しても不便に思わないが、当時はいろいろと議論があった中で、割と早い時期に入学している。それから、1989年に「交流生」という形で、正式な入学ではないが、障がいのある生徒が原学級で一緒に一部の授業を受けることが可能となった。このような歴史のなかで、やはり高校は「子どもの実態からスタートしないといけない」というバックグラウンドがある学校である。

②単位制高校へ

学習指導要領が変わり、大阪府立高校もどうしていこうかと議論があったなかで、校内では1997年から将来構想プロジェクトを議論していた。その背景には、創立当初の、勉強できる子は大学に進学させ、そうでない子は成績に応じて就職させる、というやり方ではやっていけないという認識があった。子どものニーズも色々変わってきたし、就職環境も変化し、「欠席しなかったら銀行に就職できるで」という話は通じなくなってきていた。色々なことを教えないと、もう子どもがこっちを向かないという状況の中で、生徒が興味・関心を持つような新しい教科・科目を実施できるような色々なカリキュラムをつくるにはどうしたらいいのかという議論が出てきた。
この前提として、商業科や新しい科目を作るということにはトライしていたし、加えて中国帰国生や外国から来た子などが多数いるということもあった。また、この頃はちょうど「国際交流」という言葉が流行った時期でもあり、アジア中心の高校にしたらどうかという話もあった。さらに、その少し前に、全日制の学校でも単位制学校を作ってよいという流れに文科省もなっていた。このように色々な議論があるなかで、2001(平成13)年に全日制の普通科単位制高校となった。
今の長吉高校の特色は、クラスも学年もないので、生徒を把握しにくい面にある。入学年次(1年生)のときは、基本的に必履修の科目をとらせるので、だいたい同じ科目を生徒はとっている。しかし、クラスがなく生徒がばらばらなのと、習熟度別の授業も多い2年目以降は、1時間目の授業がない子もあり、いつ来て、いつ帰っているのかがチューター(担任に相当する)はリアルタイムに分からない。それは、プラス面、マイナス面ともにある。
長吉高校は完全2期制で100分授業。高校生で100分授業に耐えられるのかという話もあった。しかし、実際は教員も生徒も100分というリズムに慣れたら、それなりにできるようで、前半はコレコレして、後半はコレコレするという組み立てにしたり、途中でトイレ休憩をとったり、先生のやり方・考え方と教科の特質はあるが、それなりにできている。
もう一つは、こういう学校なので、授業については一応、「ゼロ・トレランス」。チャイムが鳴り終わって教室にいなかったら、欠課にしている。ただ、出席して提出物を出したら平常点を出しているが、「出席していなければ履修を認めません」という意味では長吉高校は「ゼロ・トレランス」である。そのため、チャイムが鳴ったら生徒は走って教室に行く。諦めたら、「もうええわ」といって食堂で遊んでいる子もいるが。
さらにもう一つは、クラスがないので、クラス単位の行事ができない。行事は全部エントリー制になるので、参加率が非常に低く、体育祭や文化祭も4~5割しか参加していない。クラス単位ではないので、年齢を超えたグループができたりはしているが、参加率自体が低いという課題がある。加えて、中学校で自己管理・自己責任をうまくできていなかった子どもたちが多いので、それをどうしていくのかという課題もある。

2 長吉高校における外国人生徒支援の取り組み

①府立高校における外国人生徒在籍数の状況

大阪府立学校における外国人生徒の推移について押さえておきたい。大阪府では、オールドカマーの子どもたちの減少傾向で外国籍の子どもは減っていたが、1999(平成11)年から2007(平成19)年にかけて、ニューカマーの子どもはどんどん増えて倍近くになっている。それから、2007年度の府立高校における外国籍生徒数を国籍別に見ると、韓国・朝鮮籍が約1200名、中国・台湾が約350名で、両者で全体の90%近くを占めている。
大阪府教育委員会の外国の子どもたちに対する入試の考え方として、別枠の入試制度で選抜するという、「中国帰国生徒及び外国人生徒入学者選抜」がある。原則は小学校4年生から後に日本にきた子どもを対象としているが、弾力的に運用している。
学力検査は、数学50分、英語40分、ヒヤリング13分。このときは、基本的に小学校で習うと決められた漢字以外にはルビをふった問題文になっている。さらに、作文は母語で書くこともできる(これを訳すのが難しいのだが)。この入試選抜をしているのは、府立高校では5校ある。基本的に定員は若干名と書いているが、実際は定員の5%程度である。長吉高校では定員が240名なので12名くらいとなる。こういう制度があるので、2001年に全日制単位制に変わったことや、もともと中国の生徒も継続的に入学していたこともあり、長吉高校には外国にルーツを持つ子どもが多く入学している。

②外国にルーツを持つ生徒の状況

しかし、実際の外国にルーツをもつ生徒の在籍数はもっと多い。すなわち、2009(平成21)年度では入学年次20人、中間年次25人、卒業年次18人の外国の生徒が在籍している。つまり、小学校1年から3年までに日本にきている子どもは、普通の入学試験でルビをふって時間を延長するという制度があり、その制度で、長吉高校の場合は結構入学してきているのである。また、小学校1年以前に日本に来て全く普通の入試で入ってくる子もいる。
国別で見ていくと、中国・台湾(28人)、フィリピン(13人)、韓国(8人)、ブラジル(8人)、タイ(3人)、ベトナム(2人)、ボリビア(1人)となっている。1期生が入ってきた2001(平成13)年を見ると、入学してきた子どもたちのルーツは圧倒的に中国が多い。しかし4期生のときからかなり変わってきて、新たにブラジルやフィリピンの子どもが多く入学してきたのである。そして5期生になると中国以外が半数近くになるくらいに多文化状態になり、それに伴う新たな課題も生まれてきた。その後も、中国にルーツのもつ生徒の割合は減ってきており、今は多文化状態で落ち着いている。

③学習支援について―日本語指導

次に、その子たちをどう支援するかという問題について報告したい。まさに、当該の生徒たちに自信をもたせて、どうセルフエスティームを高めていくかということである。そのポイントは、自己のアイデンティティをどう持てるのかということになる。きちんとした議論としては、学力というか思考(学習)言語をどう付けさせるのか、どう思考(学習)言語を伸ばすかということを一から考えないといけないと思う。実際、小学校4年以降に急に日本に来て日本語だけができない子どももいるし、日本に何年かいて今度は母国のおばあちゃんに育ててもらって、また日本へ呼び戻されるという子どもたちもいる。母国と日本を何度も行き来している子は、日常会話は完全にバイリンガルで流暢だが、思考言語としてはどちらも不十分な場合がある。
そういう悩みはあるが、教員の感覚で言えば、「アイデンティティもって自信さえつけば何とか勉強はしていける」と考えている。
そこで、学校としては単位制という特徴を使って、一人ひとりに本当に適した時間割を作って対応しようとしている。また、当面の課題としては、やはり日本語の力も付けなければバイトもできないという問題もある。それと、自分で母語、母文化を保持してアイデンティティを持とうとしないと、意欲を持って自分から勉強しないようになる。
その時に我々としては、母語・母文化を大切にすることを通して、将来の夢が見られるようにというか、先が見えるように自分の母語を生かすとか、あるいは色々な入試を受けながら大学を目指すとか、そんなことをしながら進路支援をどうしていくかというのが大きな課題だと思っている。
具体的な日本語指導について述べていこう。長吉高校では、現在41人の生徒が日本語指導を必要としている。その中には、いわゆる特別枠選抜を使わずに入ってきた生徒も5人いる。高校の学力問題があって、うちは比較的入りやすいので、一般入試を通っても日本語指導が必要な場合がある。
日本語指導の基本は、「入学年次(1年)の時には日本語をしっかりとやってください、その時は外国の子どもたち、日本語指導がいる子どもたちを集めてやります」という形式でやっている。単位制なので時間割は自由に組めるので、抽出しなくてもその子たちを全部集めたらよく、日本語の能力に応じてクラスを編成できる。本人たちにもまったく抵抗がないので、その辺は非常に自由にできている。そして、日本語指導の免許を持っている先生が主となって、日本語指導が必要な子どもたちを教えている。
次に中間年次になると、カリキュラム上も日本語Ⅰという教科科目を作ってそこで2時間と、それ以外の授業時間を使って日本語指導を行うというやり方をとっている。それから、卒業年次(3年)以降としては、中間年次で日本語をとっている子もいるが、さらに2時間の日本語指導をやっている。基本的には、これらの授業は全部1クラスでなく、習熟度で行っている。その習熟度のやり方は、先ほどの子どもたちの分布による。だから、ものすごく初歩の日本語の指導がいる子が何人かいれば、その子たちは別にする。もう少し日本語が上手な子がいればその子たちを集める。そのあたりは年度によって講座数をかえて、教員の持ち出しによって必要に応じてやっている。
それと後にも述べるが、部活動として、外国にルーツを持つ子を全員「多文化研究会」に入れている。その部活動で、日本語の目標である「日本語能力検定1級」合格と、その子の現状に合わせた母語などの勉強などを放課後にしている。3年生は進路のための小論文の勉強などをやっている。日本語能力検定は、生徒の能力によってずいぶん違いがあるが、最終目標のような感じである。
それから日本語以外の授業であるが、学校の時間割で言えば、現代社会(日本語)、世界史(日本語)という講座がそれぞれあって、まだ日本語がそれほど十分ではないという子どもたちはここに集めている。これも学年に関係なく、社会・国語というふうにやっている。ここでも、日本語指導力が一番高い人が一番初歩的な状態の子どもを受け持つという、このあたりも自由な体制を組んでいる。また、中間・卒業年次は普通のクラスと同じようにやっている。
以上のように現在の基本的な考えとしては、入学年次は日本語指導を必要とする子どもだけを集め学習し、中間年次・卒業年次は普通のクラスで勉強するとしている。ただし、会話は何の支障もないが文字になったら「わからない」という子には、例外として別枠でやっている。

④学習支援について―母語・母文化の学習

次に母語・母文化に関する取り組みであるが、去年までは考え方として、入学年次は日本語指導に重点をおき、母語は放課後の部活動でやるという形でやっていた。しかし、漢字圏以外の子どもたちの進学率が極めて低かったという状況が生まれた。そのような文化圏から来た生徒たちの一部の子どもたちがどうしても1年か1年半で退学してしまうということがあり、それをさせないためには入学年次から母文化の環境において自尊感情を高めていくということが大切であった。「長吉高校にいることが君らの豊かな将来につながる」ことを見せたいという思いに至ったのである。そこで、2009年から「ネイティブカルチャー」という授業として、母語を通じて母文化を学ぶということをやっている。授業として選択できるものに、「ネイティブカルチャー」中国語A・B・Cがあり、朝鮮語、ポルトガル語、フィリピノ語、ベトナム語、タイ語についてもそれぞれ「ネイティブカルチャー」のA・B・Cが設けられている。この中で、自分たちの文化を理解して、それへの誇りを考えていく試みである。
基本的には、Aが入学年次、Bが中間年次ということでやっている。しかし、これも生徒の状況で変わってくる。そこで、先ほど述べた部活動として「教育サポーター」という制度を使って、その母文化を持っている教育サポーターに来てもらって、放課後に必ず母文化を体験する時間を持っている。
そこでは、生徒にその母語で発表させるということを必ずさせている。残念ながら多くの子どもたちが小学校や中学校で孤立した状況に置かれ、自分の言葉・母語を言えなくなる、体が硬くなって自分が出せないという経験をしている。保護者と話をしたら、「そういう経験をして家に帰ってきたら、母語では母親にものを言わんようになった」と言う。そういう思いを何とか取り除きたいという思いで、母語でしゃべっている子どもらが集まっている状態がいいだろうということと、そこに大人で母語・母文化で話す人とできるだけ時間を共有することができればいいと考えたからである。
この部活動だが、今は「多文化研究会」というのが一番大きなくくりで、外国にルーツを持つ子どもは全員入るようにしている。一方で、「朝鮮文化研究会」というのがあって、在日韓国・朝鮮人問題への取り組みは長吉高校としては歴史的経緯があったので、それを「多文化研究会」に吸収するというのは無理があった。そこで「多文化研究会」に所属するニューカマーの子は「朝鮮文化研究会」にも入るということになっている。

⑤多文化研究会の活動

部活動の内容は、毎日の活動として、日本語能力検定にむけての日本語学習。それから、母語をどう保障するかということが大事なので、日本語だけでなく中国語検定があるなら受けるように言っている。これが一つの目標となってくるし、それからフィリピィンの子は英語もいけるので、英検やTOEICに挑戦していこうとやっている。
もう一つは、体を動かすことも大事で、自分の国のダンスをすることを計画的にやっている。
さらに、この多文化研究会の校内行事としては、新入生歓迎会、Wai Waiトーク、文化フェスティバル、クリスマス会・春節祭、ソルナル・テト、送別会などがある。Wai Waiトークというのは、自分の母語でしゃべる場のことである。これの準備過程で面白いのは、日本語がほとんどできない子は当然自分の母語で書くし、逆に日本語の方が得意な子は年下の子に自分の母語に直してもらうということがある。中国人だけど日本語の方が得意な子は、まず日本語で作文を書いて少しずつ中国語に訳すが、不十分な点は今年来た中国の子に訳してもらうということが年齢に関係なく自然に起こっている。
そして、校外でも活動をしようということで、府立外教(大阪府立学校在日外国人研究会)で行っている、「Wai Waiトーク!」に出かけている。先ほどのWai Waiトークは校内での発表であるが、これは府立高校に通う外国の子どもたちが自分の母語でしゃべる場である。だから、直前は結構ハードな練習をしている。暗誦したり、フリをつけたり。それから、中国、韓国、朝鮮以外の子どもたちが集まる「One World」というフェスティバルみたいなものもあるし、「はんまだん」、それから「Wai Waiトーク!PART2」にも参加している(パート1は、2年生以上が対象で、パート2が1年生を対象としている)。
それから、人権関係の行事や、府教委が主催の行事にも参加する。そして「文化フェスティバル」という長吉高校の文化祭もある。このときは、自分の保護者をつれてきたり、自分の国の料理を作ったり、やはり交流のできる場でもある。
また、小学校の総合的な学習の時間等に、うちの生徒が行ってブラジルクイズをしたりもしている。生徒たちが自分たちで考えて、「この国旗の色の意味はなんですか?」と問題を出したりする。これを通じて、生徒にとっては自分の国の勉強にもなるし、小学校に喜ばれるだけでなく、むしろ発表と子どもたちとのやりとりを通じて、生徒たちが「先生」として何かするという役立ち感が、この子たちの成長になるというのが大切なことと考えている。これを今後、どう広げていこうかと考えている。そして何も自分の母語がペラペラにしゃべれる子だけが出るのではなくて、自分で母語を今、習っている子も出て行くという状況にしていきたいと思っている。

⑥進路支援の取り組みと進路状況

子どもたちの進路支援だが、長吉高校では、ガイダンス部・人権文化部・チューターで支援を行っている。進路目標に対応した時間割を作って、入学年次から保護者とも話をしながら時間割をしっかりと作っていくことに留意している。本人および保護者へ正確な情報の伝達を心がけているが、できれば、母語・母文化を活かすやり方で入学時から考えるということが一番いいだろうと考えている。例えば、大学のAO入試、帰国生枠、外国人生徒選抜等の利用である。
それでは、実際の1期生から6期生までの進路状況を見てみよう。これまでの卒業生62人のうち、4年制大学には33人進学している。傾向で言うと、東アジアから来ている子どもたちが大学にもよく進学するし、宿題を頑張ってこなし、勤勉である。短大は5人、専修学校8人である。学校斡旋の就職も9人いる。
これをまとめると、大学と短大で7割近くになっている。残念だが長吉高校の日本の子どもたちはこれほど大学に進学していない。外国の子ども、特に東アジアの子はそうだと思うが、親と話し込みをすると、日本の社会で生きていくためには学歴が必要だという思いが強いことがわかる。日本の子どもよりも外国の子どもは、学歴を得て何とか日本で暮らしていけるようにと感じている子が多いという印象がある。

⑦保護者支援

もう一つは保護者支援ということで、先に述べた話とも関係しているが、「学校ではこんなことやっています」と通訳を行っている。孤立している親が多いことから、長吉高校としては、一番大事なことは保護者をつなぐことであると思っている。教育のことを親同士が話せる、親同士がそういうことに関心をもつことで教育に関係していく、あるいは学校に関係することを母語で子どもと親がしゃべる、そういう関係になるために連携をどれだけ積極的にするかが勝負になってくる。
子どもが母語で親と話せる方が、やはり読解力が上がる。しかし親がこれから日本語が上手になるということは難しい。だから、やはり親と抽象度のある会話や社会性をもつ会話は母語でしかできないと思う。したがって、1つは、子どもに母語を学ばせるような場をたくさん作ることが必要である。2つめは、教師的な感覚で言えば、母語で「しゃべりたい」とか「読みたい」という意欲を持つかどうかということである。とにかく意欲を持てばどうにかなっていくと思う。そのためにも、子どもたち同士をつなぐことと、親同士をつなぐことが重要だと考える。
たとえば、高校生なのでタバコを吸ったりして停学の申し渡しをするときに、「自分で親に言いなさい」と言えば、嘘をつくこともある。通訳の人が「こんな悪いことをしました」「学校では停学にします」というのは学校として伝えなければならない。しかしただそのことを伝える通訳ではなく、そのことをきっかけに色々と話し込み相談にのったりして保護者支援につなげていく「通訳」としていく必要がある。親同士をどうつなげられるか、そのことがないと子ども同士が豊かにつながっていかないだろうと思っている。

3 これからの長吉高校

今、長吉高校は、外国の子どもたちに対する支援という点では、それなりに色々なことができている学校であると思っている。しかし生徒全体の卒業率は半分を超えるくらいの状況で、これが大きな課題だと考えている。もともと1988(昭和63)年ぐらいにできた単位制の趣旨そのものは、自分のペースで、自分の興味関心で勉強できる高校ということであったはずである。そして、1993(平成5)年くらいに単位制を全日制でも実施していいという制度になった。今の長吉高校と同じ公立の全日制単位制の高校は、全国に400校以上あるが、そのうちのほとんどが、今は進学校としての単位制となっている。大阪的に見れば、それは本来の目的とは違うと考えている。
長吉高校において、単位制のメリットが活きているような生徒はどんな子どもたちか。まず第1は、子どもの属性的に言うと、外国の子どもたちである。外国の子どもたちは85%以上卒業している。親の都合で帰国というのがあるので、それを除けば90%以上が卒業している。それから第2は、再チャレンジということで、どこかの高校を中退してきた、あるいは学校が合わなくて単位制に変わるという、そういう子たちも7割近くは卒業している。さらに第3には、いわゆるピアプレッシャーに弱いタイプの子(例えば中学の時、不登校気味な子どもなど)や集団の中に入ったらうまくいかないというタイプの子どもは比較的うまくいっている。だから、今年の入学生でいうと、30人くらいがピアプレッシャーに弱い、集団に溶け込めないで不登校気味であったが、そのうち10人くらいが出席率80%以上になっている。だから、そういう子どもたちにとって、長吉高校はすごくメリットになっていると僕は思っている。
そういう子どもたちはどう括ったらいいのだろうかと考えてきたが、彼・彼女らは「学校歴におけるマイノリティ」と言えるのではないだろうか。普通に集団に溶け込めて普通に成績とって普通に卒業して高校にくるというのはマジョリティであるが、どこかで引っかかって、集団に溶け込めないから駄目になったとか、とりあえず高校行ったけど駄目で、もうここしかなかったとかいう子どもたちである。
こういう「学校歴におけるマイノリティ」の子が長吉高校やったら自由にできる、そこを活かせるような学校になれて、卒業生が学校に帰ってきてまたメンターとしての自分を在校生に与えてくれたらこんなにいいことはないなと思っている。つまり、「俺は不登校やってんけど、こないして頑張ったら、世の中捨てたもんちゃうで」ということを語ってくれたら、きっとうちに来ている不登校の子も学校に来る元気になるであろうし、「再チャレンジで色々あって、もうこんな腹たつ教員がおって、俺はやめたったんじゃ」という卒業生がうちに来て、「ちゃんとしてまた元気になったら、まあそういう道もあるわ」と語ってくれたらいい。変な話であるが、「学校歴におけるマイノリティ」の子どもを元気にできる学校にできたらいいなと考えている。それを単位制という非常にフレキシブルなシステムでできたらいいと思っているのである。
課題としては、今の世の中、学ばないとやっぱり生きていけないのに、その学ぶ意欲がなかなか上がらないということである。化学の疎水結合のように、周りが水のときに油だけ固まるかのように、外国籍の子ども達は周りが日本人のなかで自分のエスニシティが違うものだから、勝手にやはり固まるってくる。だから、そういう部分も含めてうちの学校では割と集まってきて、その子たちを部活動として束ねて、多文化研究会としてやるのは比較的楽でもあるし、モチベーションも上げられるのである。ピアプレッシャーに弱い子どもたちも、基本的には「学校行きたいけれどもよういかん」と思っている子であるから、学校に行けない原因であるピアプレッシャーが長吉高校にはないということがわかったら来るようになる。その子たちは、ちょっと声をかければ学校に来る。
一方で、「やんちゃ」で学校には居るが教室には入らないというタイプは、うちではなかなかコントロールがつかない。こうした「やんちゃタイプの子」をどうするかがなかなか難しい。つまり、この子たちの学ぶ意欲をどうやって引き出すかという問題である。そこを何とかしないと、長吉高校の卒業率は上がらないし、学校としては大きな課題である。