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国連文書・訳文
掲載日:2003.5.28

2001年 ネパール オールタナティヴ・レポート


執行委員会要約

  ひとびとにダリットと呼ばれるアンタッチャブルは、ネパール全人口の約20%を占めており、何世紀にもわたって搾取されてきた。不思議なことに、ダリット・コミュニティはヒンドゥ・カーストのヒエラルキーにおいて差別されてきただけではなくて、また国家によっても抑圧されてきたのである。ネパールの歴史では、国家がダリット・コミュニティを搾取したという記述は、ジャヤシティ・マッラ国王がその制度を正式化した13世紀の中世にまでさかのぼる。差別的な慣行を国家が支持したために、ダリットは教育の権利を奪われ、また財産を取得する権利を否定された。かれらは、高い美しい家屋を建てたり、上層カーストの人たちに接触することを妨げられた。ダリットのある部分はたいてい村のはずれかあるいは不潔なスラムで生活することを余儀なくされるほどひどいものであった。

 ダリットに対する差別的慣行は何世紀もの封建的政治制度のもとで衰えながら続いた。不運にも、ジャン・バドゥール・ラナが、1853年にムルキ・アイン(国の法典)を導入することによって、カースト制度をさらにいっそう正式のものにした。そのためにダリット・カーストのひとびとに対する残虐行為は強められた。ムルキ・アインでは、ヒンドゥ・カーストのヒエラルキーで最高位にあるバラモンは極刑をまぬがれたが、他方ダリットを含む他のカーストのひとびとは処罰を受けなくてはならなかった。極刑の問題でバラモンと他のカーストとの間の差別が廃止されたのは実に1963年のムルキ・アインにおいてであった。それは、カーストや信条や性にかかわりなくすべての市民は法的に平等であると述べていた。だがアンタッチャビリティの行為を処罰すべきものとは宣言しなかった。しかしながら1990年のネパール王国憲法はカーストにもとづく差別を処罰すべきものと宣言した。

 1970年1月30日に、国はあらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(ICERD)に署名し、1971年3月1日にそれを実施した。1990年ネパールに多党制民主主義が復活したことは、それが社会の抑圧された部分の声を強めたという理由で祝福すべきものであった。ダリットの福利は、企画者や政策立案者や政府やNGOや国際NGOや寄付団体の注意を引く問題のひとつであった。民主的に選ばれた政府が第9次計画(1997−2002年)を受け入れたのは、ネパールの歴史上初めてのことであったが、その計画は社会の虐げられた部分が、国のGDPをあげるための職業的能力や知識や技能を持っているにもかかわらず、上層カーストの集団によって無視されがちであるとしていたのである。ダリットの社会-経済的状態を改善するために、「ダリット向上委員会 ”Upekushit Utpidit Dalitbarg Bikas Samiti”」(註1)が地域開発相を議長として設立された。

 しかしながら、ダリットの識字率は10%という低さなので、その向上のためには大きな難題がある。女性の間の識字率は残念ながらなお3.2%の水準にある。ダリットの子どもの半数が栄養失調の犠牲者なので、ダリットの平均余命は短い。ダリット女性の、特にバディ・コミュニティの間での人身売買は非常に懸念すべき事柄である。子宮脱のような病気はダリットの女性にとって生命にかかわることが判っている。実際、ノン・ダリットの男性は二重にこれらの女性を搾取するのである。

 

 資源の不平等な配分や搾取的な生産関係は、たいていのダリットが貧困者や土地なしや家なしとして生活することを余儀なくさせてきた。全耕作可能地におけるダリットの持分はたった1%である。アンタッチャビリティの問題が、かれらにその経済状態を改善することを許さない。かれらの多くはミルクを売ったり、あるいは喫茶店、ホテル、レストランなどで働くことを認められないからである。その結果、かれらのひとりあたりの所得は世界でほとんど最低である(39.6米ドル)。かれらの80%もが貧困線以下の生活をおくることを強いられている。

 

 ダリットはまた封建的政治構造の犠牲者でもある。そこではかれらは「声なきもの」であり「選ばれないもの」である。21世紀の始まりにあたってさえ、「バダ」や「チョッタ」というように(註2)、ダリットに対して用いられる軽蔑的な言葉は、1963年のムルキ・アインから除かれていない。その上さらに、ダリットは事実上軍隊や行政的、外交的、政治的な構造において排除されている。代議院と称されるネパール議会内でのかれらの代表もゼロである。

 ダリット・コミュニティの悲惨な状況を考えれば、このコミュニティの向上に対して意味ある貢献をするために、政府やNGOや国際NGOや寄付団体や多国的な団体を含むすべての関連団体が緊切な注意を払う必要がある。ダリットの社会-経済的ならびに政治的な悲惨さを減ずるために、以下の勧告が、おこなわれた。

勧告

  • ダリット・コミュニティの後進性は、国の搾取的な社会-経済的ならびに政治的構造の結果であるから、ダリットに対する経済的なまた雇用の機会を与えることは国家の基本的な義務である。
  • ククリ(註3)、家庭用品、装飾品、農具、木彫り、靴作り、かご細工品などのような分野におけるダリットの伝統的技能は、国民のより大きな利益のために―そのために「技術訓練研究所」が国のさまざまなところで設立されうるであろう―改善され利用される必要がある。
  • カースト制度を撤廃するために、そして、公開の場所でまた公的施設の利用においてカースト差別をほしいままにするひとびとを処罰するために、1963年のムルキ・アインと1990年の憲法との字句と精紳にしたがって、政府は法律や条例を制定すべく即時の措置をとるべきである。
  • ダリット間に自らの権利と義務についての自覚を作り出すため、国のさまざまな所で法にもとづいた識字プログラムが開始されるべきである。
  • ダリットに、行政的、政治的、外交的な職務面で相応の代表権を与えることによって、かれらを国民の本流に加えるようあらゆる可能な努力がなされるべきである。これらすべてのセクターでの政策決定過程においてかれらが正当な位置を得るように注意が払われるべきである。
  • 政党が、カーストにもとづく差別に反対するひとびとだけにそのメンバーの資格を与えることを前提条件にするならば、ダリットに対する差別もまた減少するであろう。
  • インド(たいていはムンバイ)および世界の他の国々へのダリットの少女や女性の人身売買は即座に停止さるべきである。さらに、数世代にわたる性取引を阻止するための効果的プログラムや、ダリット出身のKHATEチルドレン(註4)(ぼろ拾い)のためのそれも開始されるべきである。
  • ダリット出身の、受ける資格あるひとびとの向上のための特別プログラムもまた開始されるべきである。かれらは教育や健康や雇用の機会から利益を受けることができるだろう。
  • 政府はICERD第4条(註5)に対する保留を撤回し、ネパールにおける人種差別撤廃のためにはっきりと貢献すべきである。
  • 生産手段へのアクセスは、地位とエンパワーメントとの両方に非常に関連している。ネパール人に関しては、土地は最も重要な生産手段である。国家は、ダリットのなかで土地をもたないひとびとがどれぐらいかを判定する。国家はかれらの管理下にある土地の総計をも判定すべきである。余剰の土地は土地をもたないダリットに分配されるべきである。

訳者註

  1. ネパール語(英字表記)部分は、「被抑圧的・後進的・ダリット階級の向上委員会」。
  2. 「バダ“bada”」は上層カーストのひとびと、「チョッタ“chotta”」はダリットへ差別的語感をともなう下層カーストの人々を意味する語。
  3. ネパールの山刀、短剣。
  4. ストリート・チルドレン。
  5. 人種差別撤廃条約第4条。人種差別思想の流布、煽動、暴力行為や援助を犯罪とし、刑法上の処罰を求めている。


ダリットに対するカースト差別

ネパールにおけるカースト差別

  バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラを含むヒンドゥ教徒間のすべてのヴァルナ(ジャーティの順位的分類)は、最初のうちは人間の徳にもとづいたものであった。それに応じて、それぞれのヴァルナは社会において遂行すべきある特定の仕事を割り当てられた。バラモンは精神的修練、礼拝そして教授に従事した。クシャトリアは国家を守護するために権力をもっている戦士階級のひとびとであった。ヴァイシャは、農業上の活動や牧畜やビジネスをおこなった。他方、シュードラは他の3つのカテゴリーのひとびとに仕えさせられた。しかしながら、時が経つにつれて、人間の徳にもとづくヴァルナ制度は生誕に関連づけられるようになった。

 今日、たいていのダリットはシュードラの子孫であると言われている。しかしそれは、なんら信頼できる証拠をもってはいない。ヴェーダ時代の初期には、あるヴァルナと他のヴァルナとの間には「アンタッチャビリティ」の概念はほとんどなかった。どのようにしてこのウイルスがヒンドゥの社会制度ののなかにそっと入り込み、人口の相当部分を「アンタッチャブル」として扱うことで、国民の本流からかれらを脱落させたのかはまだ知られていない。

  ヒンドゥ社会が進展する間に、4つのヴァルナは主として分業にもとづくカースト(大規模な族内婚的血統集団)へとさらに分割された。いくつかのカーストが、アヌロームやビロームやプラティロームと呼ばれて婚姻・性関係を理由に形成された。上層カーストの男性が下層カーストの女性と結婚した場合、これはアヌロームのケースであった。ビロームでは、上層カーストの女性が【下層カーストの男性と】結婚する場合、上層カーストのカーストを低められる。そしてプラティロームでは、これら2つの集団のあるものがお互いに結婚した(註1)。社会内でのこうした展開のいくつかを理由にして、多くのカーストが形成された。

  伝統によれば、不浄として扱われ、その食べ物や水を受け入れられないひとびとは、「パニ ナ チャルネ ジャート」すなわち「ダリット」と呼ばれる。さまざまなカーストのなかで、丘陵部のカミやダマイやサルキ、カトマンドゥ渓谷のチャメやカパリやポデ、そしてテライのチャマールやムサール、ドゥサド、ドービ、カトウェイ、タトマ、ドムそれにハルコルは、主なダリット・カーストである。ダリットはネパール人口全体の約20%を構成する。「パニ ナ チャルネ ジャート」が提供した食べ物や水は、「パニ チャルネ ジャート」によって不浄とみなされる。「パニ チャルネ ジャート」がいわゆる「パニ ナ チャルネ ジャート」(註2)と身体的接触をしないようにというあらゆる可能な努力がなされる。もし「パニ チャルネ ジャート」に属するものが、「パニ ナ チャルネ ジャート」出身の誰かの身体と接触するなら、沐浴するか水を撒くかしなければならないのである。

  「浄−不浄」の問題は単に食べ物や水に限られない。性も等しくこの考えによって支配される。男性あるいは女性が他のカーストのひとびとと性的行為にふけることは予期されていない。このような行為にふけることは社会的規範に違反するとみられる。準司法的団体として機能するパンチャヤ−トすなわち評議会はこのような社会的掟の違反者を罰する。この点で、パンチャヤートのひとたちはあるカーストの内的関係も外的関係も両方とも管理し、社会的掟の違反者に対する処罰の性質と大きさを決定するのである。通常パンチャヤ−トひとたちが取り扱う罪は社会によって禁止された低カースト集団との飲食や性的行為、妻を低カーストから受け入れることの拒否、結婚期間中の約束に応じることの拒否などのような問題を含む。

カースト主義に対する法的手段

  カースト制度は実際ネパールではとても強力なので、イスラム教やキリスト教のような宗教に改宗するひとびとさえもこの問題をまぬがれることができない。バラモン・カーストからイスラム教やキリスト教に改宗したひとは、自分自身をダリット出身のものより優れていると考える。この文脈においては、カースト制度の撤廃や犯罪者の処罰について、1963年のムルキ・アイン(国の法典)やネパール王国憲法(1990年)がなした約束は履行されるべきである。この目的のために必要な法律や条例が直ちに制定されるべきである。ムルキ・アインのなかでダリットに関して使われている軽蔑的用語は、これ以上の遅滞なく削除されるべきである。ダリットはカースト制度の故に社会の劣等者として扱われてきた。そしてこれがかれらの社会‐経済的、文化的な発展にとっての障害物でもあるのである。

政府のイニシアティヴ

  ネパールにおける多党制民主主義の復活の後、ネパール王国憲法(1990年)はその国民の基本的権利を保障しただけでなく、また伝統的なアンタッチャビリティの慣行を法によって処罰すべきものと宣言した。変化の風が幾分かダリット・コミュニティに触れたのは、主に1990年の民主主義の復活後のことである。「第9次計画」には、ダリットの向上をめざす政策を遂行するために、多くのプログラムが目論まれた。これは、なかんずく、ダリットに的を絞った政策の調整とプログラムの監督を目的とした「独立した被蹂躪・被抑圧コミュニティ評議会」を創設するという条項を含んでいた。さらに「第9次計画」は、教育、健康、衛生、訓練および能力向上、雇用などを含む、ダリットの人間資源プログラムに重点をおいていた。

 「ヴィカス・アイン 2013年」(註3)の下で、地域開発相を議長とする「Upekshit Utpidit,Dalitbarg Utthan Bikas Samiti ヴィクラム暦2054年(1996−97年)」(註4)が設立されたのは、ダリットの社会‐経済的状況の全般的改善のために、ネパール政府の側がとった最初の主要な措置であった。ネパール政府の若干の省と国家計画委員会と諸ダリットNGOがこの団体に代表を送っている。委員会は、所得の産出や雇用促進や技能開発に関連した活動に着手することによって、ダリット・コミュニティの向上のための計画とプログラムを展開してきた。

識字率

 ダリットは平等な人類として受け入れられさえしていない。子どもや女性はカースト差別によって大きな痛手をこうむってきた。いくつかのケースでは、ダリットの子供たちは、半ばは社会的差別によって、半ばは授業料や教科書代が支払えないために、学校での教育を受けることが困難なことがわかっている。それゆえに、これらのひとびとの間の識字率はたった10%であるが、一方国民の識字率は50%を超えている。国連の「セイヴ ザ チルドレン」が1992年にネパールの5つの郡を選んで実施した調査は、ダリット・カーストの中で男性の90%以上、女性の97%が非識字であることを示している。

近代教育と変化

  近代教育はダリットの一般大衆の態度に若干の変化をもたらしている。しかしこのような変化のインパクトは、主としてその人口の多数(90%)が生活する農村地域では目に見えることがほとんどない。多くのダリットは都市地域においても差別されている。ダリットの90%程がアンタッチャビリティの犠牲者であると推定される。ダリットの女性は2重に搾取されている。ダリット・コミュニティ出身の男性のたいていは、その所得のかなりの比率をアルコールや喫煙や賭け事に使ってしまうので、これは女性たちに重荷である。上層カーストのひとびと、特に支配階級がダリットの女性を性的に搾取するというケースが存在する。

経済的困窮

  「経済的、社会的変化のための基金」(FESC)がネパールのサプタリ郡でおこなった調査の示すところでは、ダリットの78%が住むための十分な土地、食物、教育、雇用、能力や治療にたいする支払能力が欠如しているために、非常に困難な状況に置かれている。調査結果は、ダリットが国全体の農地の1%さえも持っていないことを示している。家族収入を補うために、ダリットの女性は農村地域の農業セクターや他のさまざまなセクターで働かなければならない。ダリットの女性が得る食料穀物は年間一世帯当たり10キログラムから20キログラムまでであり、何とか暮らしていくにはあまりにも少ない。

資源の不平等な配分

 現在の農業構造においては、ダリット・カーストのひとびとが、そのサービスに対して地主から年間に現物で受け取るものでその胃を満たすには、ほとんど不十分である。カースト制度の不平等が、資源の不平等な配分や搾取的な生産関係をもたらしている。ダリットを汚れた仕事に従事するままにしているのは、カースト制度における不平等にもとづいている。このことは、ダリット集団のひとつである靴修繕職人すなわちサルキが、獣皮のなめしや、死んだ動物の取り除きや、清掃や靴の製造という役目を委託されるが故に、そのとおりなのである。同様に、ドービは衣類を洗濯することとされており、ドム、チャメ、ポデのカーストは通りを清掃し、汚物を取り除くことをさせられているのである。

周縁化

 ダリットは、ネパール軍も含めて、国の行政的、政治的構造において排除されてきた。かれらは司法部や政策決定過程においてどんな場所も占めていない。代議院と呼ばれる国会の下院においてダリットにはいかなる代表もほとんどいない。国民議会と呼ばれる上院において、さまざまな政党と国王がたった4名のダリットを指名しているだけである。諸政党と行政構造のなかでダリット女性の代表はほとんど存在していない。

垂直的差別対水平的差別

 カースト差別の性質は垂直的だけでなく水平的でもある。チャマールは自らをムサールやドゥサドより優れていると考えるし、逆もまた同様である。ヒンドゥ・カーストのヒエラルキーで底辺にいるドム、ハルコルでさえ、自身をタトマあるいはカトウェより優れているとみなす。あるカーストのひとびとは、他のカーストのひとびとと共にほとんど食事をとらない。同様に、あるカーストのひとびとは他のカーストのひとびとと結婚することはない。こうして、食物や性の問題において共に、ダリットのあるカーストは自分たちを他のカーストより優れていると考えるのである。

 ダリットのひとびとの間には「第4世界」がある。ドゥサド、タトマ、カトウェ、ムサール、ドービ、チャマール、ドム、ハルコルのようなテライ(平野)のダリット集団は、カミやダマイやサルキのような丘陵に基盤を持つダリットに比べて、非常に後進的である。

留保

 ネパール議会では、教育、雇用、政治的地位の面でダリットに「留保」席をあたえるための法案が導入されそうである。ダリットの間には、国家によって提供されるさまざまな機会において、「公平」の考えが「能率」に勝るべきであるという感情が存在している。

結論

  スワミ・ヴィヴェカナンダは、いわゆる「ドント・タッチイズム【触れるな主義】」は、―それが垂直的な形であろうと水平的な形であろうと―精神の病の一形態だ、と言うのが常だった。もしダリットがノン・ダリットのヒンドゥ教徒たちからの平等な取り扱いを望むならば、その人間的、社会-経済的、文化的権利を獲得し、そしてその国際的連帯を構築するために、かれらは覚醒しエンパワーメントをつけるべきである。もしこのエートスが形式と精紳においてともに実行されるならば、また、もしダリットとノン・ダリットとの連帯が維持されるならば、国は精神的、社会-経済的生活において世界をリードすることができる強力な力として出現するかもしれないのである。いくつかのダリットとノン・ダリットのNGO、国際NGO、寄付団体や他の団体はダリットを発展の本流に加えるために活動してきた。しかし、国内的なレベルでも国際的なレベルでも、ともにかれらの間には調整とネットワーキングの欠けていることは問題である。政府は、以下の諸問題を解決することによって、国連人種差別撤廃委員会(CERD)でなされた約束にしたがい、アンタッチャビリティを撤廃し、ダリットを本流に加えるのに非常に重要な役割を果たすことができるだろう。

  • 国民の識字率は50%を越えているのに、ダリットの間の識字率は10.7%を占める。しかしながら、ムサールのようないくつかのダリット・コミュニティでは、識字率はたった4%にすぎない。ダリットの女性の識字率は3.2%の低さである。
  • ダリットの平均余命は、国民レベルの58歳に対して42歳である。
  • ダリットの子どもの50%は栄養失調の犠牲者である。
  • ダリット女性の人身売買は憂慮すべき事柄である。バディ・コミュニティの状態は、バディが売春婦とみなされているので、非常に嘆かわしい。
  • 子宮脱のような婦人病はダリットの女性の間で非常に一般的である。産児制限や産む間隔をあけることはまだ彼女たちに知られていない。彼女らの多くは毎年妊娠する。
  • ダリットのほとんど80%が貧困線以下で生きなければならない。
  • ひとり当たりの所得が210米ドルなのに対して、ダリットのひとり当たりの所得は39.6米ドルである。
  • 耕作可能なすべての土地におけるダリットの保有分はたった1%にすぎず、それゆえにかれらの多くは土地をもっていないし、家ももっていない。
  • ダリットは、アンタッチャビリティの問題によって、国のいくつかの場所で食べ物やミルクを売ることができない。
  • 政党、政府、外交使節団や公務員のなかでの政策決定過程において相応のダリットの代表が欠けている。
  • ダリットは全人口の20%を占めるという事実にもかかわらず、下院においてダリットが存在していない。


 訳者註

  1. これに関連して、『マヌ法典』を日本訳された渡瀬信之氏は、いわばその解説版ともいうべき『マヌ法典−ヒンドゥ教世界の原型』(中公新書、1990年)で、4ヴァルナ以外に多数の集団が存在していたという現実と純化された理念とのギャップを合理化する「混血の理論」(イデオロギー)について以下のように述べられている(30−31ページ)。
      ネパール、インド間の相違を越えて、参考とすべき論述である。「4ヴァルナ以外の集団は、アヌローマおよびプラティローマという2つの枠組みのいずれかに分類される。アヌローマは上位ヴァルナ男子と下位ヴァルナ女子との混血によって生じたとみなされる集団を包含し、プラティローマは上位ヴァルナ女子と下位ヴァルナ男子との混血によって生じたとみなされる集団を包含する。そして前者に属する集団は全体として後者に属するそれよりも高くランクづけられる。さらに、両枠組みのそれぞれにおいて所属集団のランクづけがなされる。前者においては、男子、女子ともにより上位のヴァルナであるほど高いランクに配置され、後者においては女子のヴァルナが高く、男子ヴァルナが低いほどに劣悪な地位に置かれる。…混血の組合せは無限である。…しかもいかなる組合せも結局は4ヴァルナを祖先とする。ブラフマニズム世界の拡大に伴って数多くの集団がその圏内に併合されたであろう」。
  2. 原文は「パニ-チャルネ-ジャート」“pani-chalne-jaat”であるが、「パニ ナ チャ ルネ ジャート」“pani na chalne jaat”のミスであろう。なお、paniはpaaniで水を意味し、「パニ チャルネ ジャート」は、水(飲料水)を分かち合えるカースト、すなわち上層カースト、それに対して、「パニ ナ チャルネ ジャート」は、水を分かち合えないカースト、すなわちアンタッチャブルである。
  3. 「ヴィカス・アイン」(Vikas Ain)は、「開発法」で、2013年はネパールの公式暦・ヴィクラム暦(西暦・グレゴリオ暦に57年先立つ)。
  4. 「ダリット向上委員会」、正式には「被抑圧的・後進的・ダリット階級の向上発展委員会」(2001年 ネパール オールタナティヴ・レポートの註(1)参照)。

  • 本文中の【 】内の語は訳者が補ったものである。
  • 訳出に際し、ネパール語の意味について、神戸大学大学院博士課程在学中のTara N. Niraula氏の助けを得た。訳出の責任については全面的に訳者にある。

翻訳:桐村 彰郎(奈良産業大学法学部教授)