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掲載日:2008.03.12
反人種主義・差別撤廃の世界的な取り組み

「職業と世系にもとづく差別」の撤廃に向けて-女性の視点より-

日本

部落女性の現状と課題
教育・労働・生活を中心として

部落解放同盟 大阪府連合会 副委員長  塩谷幸子


現状

はじめに

 「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という言葉で締めくくられる、人権宣言ともいえる「水平社宣言」が1922年3月3日、京都の岡崎公会堂で高らかに読みあげられ、部落解放運動がスタートをきりました。その後1965年、部落の完全解放は国の責務であると「同和対策審議会」答申が出されました。被差別部落の女性も運動の中核となって、被差別部落の環境や生活改善、差別糾弾闘争、教育闘争、政治闘争、狭山闘争など多方面の活動にかかわってきました。

無から有をつくる

 長い差別の歴史のなかで、厳しい生活実態、不就学を余儀なくされた被差別部落女性たちの思いは、団地建設や保育所建設、あたりまえに人間らしい営みがしたいという行動に反映していました。環境改善の取り組みには、昼夜を問わず座り込みもいとわない闘いへとつながっていきました。

1 同和保育運動の取り組み

 このような状況の下で、被差別部落では、早くから保育所建設運動を立ち上げてきました。もともと保育所は、「保育に欠ける」乳幼児に限るという入所基準要綱があり、働いている家庭の子どもが中心の保育でした。被差別部落の場合は、親が家にいるといっても実態は生活のために内職などの家内労働に従事しています。

 シンナーの蔓延する仕事場でほったらかされている子ども、朝から晩まで背中に背負われているので歩けない子ども。このような環境では、健康上の観点からも満足に子どもを保育することはできません。被差別部落の子どもたちは、すべて保育に欠ける状況にありました。このような状況を改善するために「皆保育」つまり全員入所を部落解放運動のなかで取り組んできました。すべての子どもの就学前教育を受ける権利「保育の社会化」をめざして同和保育運動が始まり、各地域に保育所が建設されました。母親たちは、保育時間に合わせて働きに行きます。行政の設定保育は午前9時から午後4時でした。保育時間に合わせた時間帯に働きに行ける所といえばパートなどの不安定就労しかありません。安定就労をめざす条件整備として保育時間延長の闘いに取り組みました。そして子どもが病気のときはどうするのかという新たな課題にむけ、親が安心して働け、また子どもも安心して静養できる病児保育の保障を同和保育運動のなかで取り組みました。このようにして保育の社会化をめざしました。被差別部落の生活を変革し、子どもを変え、母親を変え、そして今日、夫婦のありようも含めて、家庭全体も変えようとしています。保育を託児ではなく就学前教育と位置づけ実践してきたことは被差別部落女性の誇りです。

2 労働者の権利学習

 これらの闘いのなかで、女性が就労しやすい条件整備は、少しずつ改善しましたが、働くのに必死で「最低賃金制度」という言葉は、被差別部落女性にとって無縁のものでした。被差別部落女性で社会保険などの雇用保険制度の整った所で働いている人は、公務員しかいませんでした。労働者がもっている権利については、まったく知らない状況にありました。 では、なぜそうなのかといえば履歴書を必要としない所で働くからです。履歴書には学歴を書かなければなりません。それより以前に自分の親たちの就労状況は、日雇いというような差別の連鎖的な生活のなか、労働条件や労働者の権利も知らずに必死で働かざるをえない状況だったために、縁故を頼って仕事を探します。縁故雇用だったら、わざわざ履歴書を出さなくても十分採用されるからです。また、内職長屋といわれるほど多くの被差別部落女性が内職をしていましたが、内職工賃が「家内労働法」に基づいていることや「最低工賃制」という制度があることも女性共闘のみなさんと出会って初めて知ったのです。そういう状況で就労していたので、「最低賃金制度」という言葉も部落解放共同闘争のなかで、労働運動に取り組んでいる女性共闘の仲間から教えてもらう状況でした。 このような運動が大阪の被差別部落女性の労働実態調査を実施(1981年)するあしががりとなりました。

3 識字運動のひろがり

 このような運動への主体的な参加は識字運動へも発展しました。配られたビラにいったい何が書かれているのかわかりません。「ビラが読めるように」を合い言葉に識字教室が拡がりました。文字だけではなく、就労に結びつく資格取得(調理師免許、ヘルパー資格、自動車運転免許など)の学習もしました。女性一人ひとりの行動範囲を拡げ、視野を拡げ、感性をみがき、解放への情熱を呼び起こしました。

4 生活保護費の男女差(支給額の格差)撤廃

 そうした活動のなかでさまざまな制度を学び、最初に気づき取り組んだ大きな闘いとして、生活保護費の男女差別をなくすことでした。 生活保護費は、現在、男女同額です。しかし1970年代には、14歳までは男女同額ですが、15歳より男性と女性の食糧の摂取量が違うとの理由で支給額に格差がありました。「生活保護費に男女の格差があるのは、おかしい! これは差別だ」と被差別部落女性がたちあがり、全国的な闘いを1977年から展開してきました。厚生省(当時)と交渉を積み重ね、男性だけの審議委員に女性をやっと加えさせ1985年4月から格差がなくなりました。生活保護費の基準が賃金の一定の目安になります。そこに男女差があることは、男女同一労働同一賃金に影響をもたらすという重要な意味があります。 恤じゅっ救きゅう規則(1887年)以来、実に98年ぶりに男女差が是正されました。この問題に気づき是正させることができたのは、失対・日雇いなど厳しい仕事に男性と同じように働いてきた被差別部落女性だったからできたと思います。

5 母性保護の取り組み

 被差別部落のなかでは、先ほどの保育のところでもふれましたが、就労や環境の状況から妊娠時になかなか母胎を保護することが困難な状況でした。高齢者向けホームヘルパー派遣に学び、いち早く妊産婦のためのヘルパー派遣を地域のなかで取り組みました。現在では、厚生労働省の「次世代育成事業」にうたわれています。また、地域の高齢者の独自の生活習慣や食文化は、やはり地域の人でないとなかなか理解しにくいということから、地域の人が地域の人を担当するヘルパー派遣を実現しました。その取り組みは、現在の地域内でのデイサービスへと引き継がれています。

 被差別部落女性は、生活が厳しいので妊娠しても中絶しなければなりませんでした。また産みたくても分娩費がないという悩みがありました。女性の「産む権利」と子どもは「社会の子」の理念で闘いを展開し、国民健康保険に分娩費が支給されるようになりました。

 これらは、被差別部落女性が、女性共闘と作成した『出産白書』や『保育白書』の調査結果から、一般地域の女性に比して被差別部落女性の厳しい生活実態が明らかになったことから取り組んだ成果です。さらにそれは、被差別部落女性の雇用創出になりました。

6 職域拡大の取り組み

 求職活動をしても「男性のみ」の求人が多く、女性の職域に限りがありました。「仕事内容は女性でも十分働くことができるのに、なぜ女性は採用されないのか」と労働部に交渉をし、男性のみの職域が女性にも拡大されました。やっと郵便外務員採用が男女に拡大され、被差別部落女性が雇用されました。いざ女性が雇用されると、制服が男性用しかない、更衣室がない、女性専用のトイレがないなどさまざまな環境整備がなされていませんでした。採用後、職場改善の取り組みを行っていかなければなりませんでした。

 今まで女性の職場といわれていた保育所に男性が必要と、保父(現在の保育士)を同和保育所で実現させました。子育ては女性だけがかかわるのではなく男性もかかわる必要があるという理念です。現在でも女性に比べると人数的には少ないのですが、当時は、先駆的な取り組みでした。

 労働組合、民主団体などの女性たちとの交流や情報交換は、運動の幅を広げ新しい発想を生み、新しいつながりを生みました。

 積極的に交流することで、被差別部落女性の存在意義や役割を両者が自覚することができました。

女性解放の夜明け

女性差別撤廃条約批准の取り組み

 1975年、国際婦人年(目標:平等・開発・平和)・国際婦人年世界会議がメキシコシティで開催され、「世界行動計画」「メキシコ宣言」が採択されました。日本でも婦人問題企画推進本部が設置され、「国内行動計画」の策定が検討されました。

 部落解放同盟は日本政府に被差別部落女性の視点を入れる要請行動を展開し、「歴史的、社会的に阻害されている女性の地位改善に十分留意する必要」の一文を挿入させることができました。

 また、翌年の1976年に部落解放研究所主催の部落解放夏期講座の課題別講演に女性問題が入るようになりました。のちには部落解放研究所制作「女性差別撤廃条約と私たちのくらし」のスライドを大阪の各支部で上映運動を展開し、女性差別とは何かの学習を進めました。学ぶなかで被差別部落女性は部落差別だけでなく、女性差別という二重の差別を受けていることに気づきました。そして、これまで女性部が取り組んできた活動が条約にうたわれている内容と合致していることに勇気づけられました。

 現在も女性差別撤廃条約は、私たちの行動の指標となっています。

 そうするなか、被差別部落女性の声を届けようと『部落の女性と女性差別撤廃条約』や被差別部落女性の運動と女性差別撤廃条約のどの部分が関係しているかを聞き取って、『私が結婚したとき、子どもを産んだとき』を発行しました。

 1977年1月には、全国高等学校校長会が「家庭科共修反対」をとなえるという事件が起こりました。私たちは、いち早く抗議声明をあげ、女性団体と共闘し、家庭科男女共修で大阪府教育委員会との交渉を重ねました。

 「部落差別されたら言っていくところはあるけど、女性差別されても言っていくところあらへん」と被差別部落女性の訴えから女性差別110番を実施しました。まさに差別と闘ってきた被差別部落女性が、自らの立場を自覚するなかで問題を提起し、主体的な闘いとして共同闘争を追求する高い質となってあらわれていきます。

 市民団体や労働団体に呼びかけ、「女性差別撤廃条約の早期批准を促進する大阪府民会議」の結成(1981年)、紀伊国屋書店差別文書「チビ・ブス・カッペお断り」の抗議行動(1984年)、地方自治体に男女平等条例の制定や被差別部落女性の代表を男女共同参画審議会委員に送る取り組みなどを進めてきました。

 大阪国際女性会議(1984年)を当時の国連女性地位委員会議長ロザリオ・G・マロナーさんを招き開催しました。熱気あふれる大集会を成功させることができました。この集会は国内で条約批准促進に最も大きなインパクトを与え、政府の重い腰をあげさせるのに強力な力となったと自負しています。

 また、「マイノリティ・先住民女性のつどいインおおさか」の開催(1994年)や、「国際婦人年の10年」中間年世界会議(1980年)、ナイロビ世界会議(1985年)に大阪府連女性部から代表を送り、カウンター・レポートを作成するなど足元から女性差別撤廃条約批准にむけての活動を展開しました。

 第4回北京会議NGOフォーラム(1995年)で部落解放同盟中央女性対策部主催のワークショップが開催され、マイノリティ女性たちが少しずつつながっていきました。 大阪府連女性部も各地域より参加者を募り、結婚差別や就職差別の体験、識字運動・保育運動の取り組みをもって25名が参加しました。

 生まれて初めて飛行機に乗る人や初めての海外渡航でパスポートを取るのに苦労した人など懐かしい思い出があります。

 国連女性差別撤廃委員会(2002年)において、第4回・第5回日本政府報告書に日本におけるマイノリティ女性についての記述がまったくないことがわかりました。ニューヨークで開催された国連女性差別撤廃委員会の各委員に部落解放同盟女性部の代表が、後で述べますが大阪の被差別部落女性の実態を訴えました。

 こうした活動の成果として、国連女性差別撤廃委員会から日本政府に対して、マイノリティ女性の教育・雇用・健康・社会福祉・暴力などの実態をデータとして提出するよう勧告が出されました。部落解放同盟女性部は内閣府男女共同参画局長宛に実態調査の実施を要請するハガキ行動や要請行動を展開しましたが、政府は実態調査をする意志がまったくありません。

 実態調査の実施を政府に迫っていくとともに、部落解放同盟女性部とこれまでつながりをもってきた在日朝鮮人女性、アイヌ女性の3団体が共通の調査項目を検討し、マイノリティ女性の立場から実態調査を実施しました。

 部落解放同盟は全国女性集会の参加者を対象に実態調査を実施しました(2005年1月、1405人)。女性集会に参加した女性の活動家が主な対象ですから、そのまま大阪の被差別部落女性を反映したものになっていません。

 現在、大阪のすべての被差別地域の女性を対象に実態調査を実施する準備を進めています。部落解放同盟内の改革の取り組み 時代の変化にともない、被差別部落の女性の生き方も多様化してきました。名称も婦人部から女性部に変更(1993年)し、多くの女性の結集をはかってきました。結婚差別体験者は男性より女性のほうが多く体験しています。部落解放運動のなかで「おんながかわれば部落がかわる」と言われてきました。部落解放運動の縁の下の力持ちとしていつも運動をもりあげ支えてきました。女性は多くの闘いに参加してきましたがたえず動員要員で主要な役職から排除され、行事があれば炊き出し担当があたりまえのようにあてがわれてきました。さらに残念ながら、組織内でセクシュアル・ハラスメント問題やドメスティック・バイオレンス(DV)問題がさけて通れない状況にあります。同盟組織内に女性問題が正しく理解されず、腹の立つことや悲しいこともあります。女性部はあらゆる大会でこれらの課題克服に向けた組織改革を求めてきました。

 このような流れのなかで男女平等社会実現基本方針(2001年)が全国大会や府連大会で採択され、セクシュアル・ハラスメント等の防止等に関する指針の策定や各地域に相談員の設置などが実現しました。大会代議員の女性枠や役員に女性登用の機会が進みつつあります。しかし一方で、男女平等社会実現基本方針やセクシュアル・ハラスメント等の相談員が誰であるかさえ周知されていない状況があります。

 部落解放と女性解放の二つの責務を部落解放同盟全体のものに高めていくことが緊急な課題です。現在、男女平等社会推進本部会議の中で確かな実効措置がこうじられるよう基本方針の第2次案が検討され、2008年3月に開催される第65回全国大会で提案される予定です。

ジェンダー統計で見えてきた複合差別

 被差別部落の女性は家事・子育て・高齢者介護・仕事などをしながら部落解放や女性解放に取り組んできました。

 「同和問題の解決に向けた実態調査」報告書データを活用して、大阪の被差別部落女性の現状と課題について報告します。

 1999年11月から2000年11月にかけて、大阪府は「同和問題の解決に向けた実態調査」(以下「2000年部落問題調査」)を実施しました。調査対象は、大阪府内「対象地域」に居住している満15歳以上(1985年4月1日以前に生まれた者)の男女個人1万人を対象に実施されました。

教育

1 学歴構成

 学歴構成をみると、「不就学」は、大阪府に比べ女性で6.2ポイント(同和地区6.4%、大阪府0.2%)、「初等教育修了」は、大阪府に比べ28.7ポイント(同和地区49.7%、大阪府21.0%)、「高等教育修了」は、大阪府に比べ15.0ポイント(同和地区11.5%、大阪府26.5%)低く、被差別部落における高校卒業後の進学率の低さがうかがえます。また、「短大・高専修了」が「大学修了」の約5倍となっています。

 被差別部落女性の場合、決定的に重要な課題として出てくるのが学歴の問題です。

 不就学が、一般地域と比較して6.2ポイントも高いことです。学歴と就労の関係でみれば、これからも非常に重要な課題です。

 しかも、これからはIT化の時代をむかえインターネットが使え、パソコンができなくてはなりません。パソコンを使おうと思えば、最低ひらがなやローマ字を知らなければなりません。ひらがなで打てても漢字変換のとき、その漢字が合っているのかどうか、同音異義語の場合は選ばなければなりません。このような状況では、またIT化に乗り遅れていくのではないかと危惧されます。

 今日、機能的非識字の課題が目の前に大きな壁として立ちはだかっています。より一層、学校教育の重要性について学校教育関係者に問題提起していきたいと考えています。

 また、被差別部落では残念ながら、男尊女卑の意識が根強くあります。

 「同和対策の奨学金がなかった場合の影響」についての質問項目に対して以下のような調査結果が出ています。

(1)子どもが高校生・高等専門学校生の場合

 子どもが高校生・高等専門学校生で、同和対策の奨学金がなかった場合の影響をみますと、「変化があったと思う」は親が女性で子どもが女性の場合が59.4%、子どもが男性の場合が57.7%です。また、親が男性で子どもが女性の場合が47.8%、子どもが男性の場合が42.0%です。

(2)子どもが短大生・大学生の場合

 子どもが短大生・大学生の場合、同和対策の奨学金がなかった場合の影響についてみますと、「変化があったと思う」は、親が女性で子どもが女性の場合が62.9%、子どもが男性の場合が58.3%です。また、親が男性で子どもが女性の場合が81.0%、子どもが男性の場合が50.0%です。

 家計が経済的に苦しい場合、男性を優先して高等教育を受けさせるという結果が明らかに出ています。男は大学まで行ってもいいが、女はどうせ結婚するのだからがまんしろというように、女性に対する差別意識がないとは言い切れない状況です。

 現在、法の期限切れにともない、同和対策の奨学金はなくなり一般対策の奨学金へと移行しています。この奨学金についても高校生の奨学金制度が国から地方自治体に移管されるにともない、大阪府育英会奨学金制度については、高校生に対する成績条項撤廃の取り組みを部落解放運動が率先して闘い勝ち取ってきました。現在では、成績に関係なくすべての高校生に幅広く使えるようになっています。

 2000年実態調査時より現在の被差別部落の経済状況が、格段に改善されたとはいえない状況の下で女性の高等教育への進学率は、この調査時よりも低下していることが予測されます。

2 情報

 被差別部落における女性の非識字率は、男性に比べ「読むことが困難」が5.6ポイント、「書くことが困難」が5.3ポイントそれぞれ高くなっています。非識字の影響として、行政サービスを受ける際に困った経験があるなど、社会生活を送るうえでの支障が生じていることが明らかになっています。

 パソコンの世帯普及率は19.5%となっていて、「消費動向調査」(経済企画庁・2000年3月実施調査結果)による全国の世帯普及率38.6%、近畿地方の38.4%に比べて低く、大きな格差が生じています。とりわけ被差別部落の母子世帯のパソコン普及率は15.0%であり、被差別部落全体の世帯普及率に比べてさらに低くなっています。

 また、被差別部落のインターネット利用率は、全国の利用率28.9%に比べて14.4%で、さらに、高齢者、低学歴層、障害者の女性の利用率はいずれの区分においても男性に比べて低く、それらの区分を含む女性の利用率は男性より4.9ポイント低くなっています。

 被差別部落の男性と比較した場合でも、女性は男性に比べて学歴構成において不就学が多く、また大学への進学率が低くなっています。教育の問題は、雇用の問題と密接に結びついています。女性の教育力の向上は、女性の経済的自立にとって不可欠の課題です。

 被差別部落のパソコン普及率、インターネットの利用率においては全国のおよそ半分にしか満たず、高度情報化社会においては情報手段を使いこなせる人と使いこなせない人との間に情報格差が生じ、それが社会的・経済的格差につながるおそれがあります。このため誰もが情報通信の利便を享受できる「情報バリアフリー」が課題となっています。

労働・生活

1 就労

 大阪府に比べて、女性では45-49歳、65-69歳、70歳以上を除く各年齢層での就業割合が高く、特に35-39歳、40-44歳では、大阪府の構成比を10ポイント以上上回っています。しかし、総数をみると男女とも失業率は被差別部落のほうが高く、女性では2.1ポイント、男性では2.2ポイント、大阪府を上回っています。

 女性は零細な規模の自営業が多く、就業者の従業上の地位をみると、女性では被雇用者の構成比が79.5%と大阪府を2.0ポイント下回っています。これは主に、自営業主の構成比が「雇人あり・なし」とも大阪府を上回っていることによるものです。

 自家営業の手伝いの構成比は0.5ポイント低くなっています。このように、被差別部落では自営業主が多くみられるものの、自営業の手伝いはそれほど多いとはいえないのです。これは被差別部落に自営業主ひとりだけで従事するという零細な規模の自営業が多いことを示唆するものです。

 また、被雇用者の勤続期間をみると勤続期間1年未満や1-3年の構成比は男女とも全国をそれぞれ4ポイント以上、上回っています。一方、被差別部落における男女の格差は勤続期間「15年」で最も大きく、女性は男性を13.0ポイント下回っています。

 上記の調査結果が示すように被差別部落女性の労働実態は、働きたいからずっと働くのではなく、生活をするために働かざるをえないことからスタートしています。高度経済成長の中で、女性の就労が一般化したものの出産期に中断して家事・育児に専念し、35-36歳ぐらいで主としてパートで再就職するという、いわゆるM字型雇用のM字の落ち込みのところが、被差別部落女性にはほとんどないのが実態です。M字型ではなく台形になっているのが特徴的です。

 被差別部落女性が仕事を辞めていく理由は、出産の場合もありますが、不安定就労の短期間雇用で辞めざるをえないことと、もう1つには、就職差別や職場で差別があって居づらくなり辞めていく現実があります。

 泣き寝入りをしている人が多く、表にはなかなか出てきません。自分さえ我慢したらよいと辞めていく人がいます。離転職の原因は、これもかなり大きな要素となっています。

2 年金

 先にもふれましたように社会保障制度のある仕事に就いていないために、若い頃から年金に加入しておらず、無年金状態の人が被差別部落には多く存在します。社会保険・年金・労災などの制度がまったくないなかで働き続けています。一方、国民年金にも加入しておらず(加入できず)65歳になっても年金の支給を受け安心して老後の生活を送ることができないなど、年金の問題が大きな課題としてあります。

 大阪府が被差別部落で1980年、1990年、2000年と10年サイクルで実態調査をしていますが、1980年調査で、羽曳野市の私の居住する地域は、残念ながら大阪で一番、無年金者の多い地域と指摘を受けました。地域で個人カルテを作成し字の読めない人に相談日を設置し、年金加入の促進に取り組みました。しかし、当時40歳代の加入できなかった無年金者・未加入者が27年後の今日、年金の受給時期を迎えています。

 無年金者が増加することは、生活保護者が増える要因にもなります。無年金者をなくすためにどうあるべきか大きな課題としてあります。

 年金制度も男性配偶者が正規雇用であれば、女性は第3号被保険者になりますがどちらも不安定就労なので、両者とも無年金者というような状況があります。非常に深刻な課題が突きつけられています。

複合差別を世に問う取り組み

 先に述べたマイノリティ女性が実態調査をしたことは、いろいろなところで波紋をよびました。朝日新聞(2007年2月28日)に「差別の中の差別、声あげるマイノリティの女性たち」の見出しで掲載されました。

 昨年10月に開催された北京JAC第11回全国シンポジウムの「格差社会とジェンダー」のパネルディスカッションで初めてマイノリティ女性の問題がとりあげられ、被差別部落女性の実態を部落解放同盟中央女性対策部が報告しました。そして今年3月には、反差別国際運動日本委員会、アプロ女性実態調査プロジェクト、財団法人北海道ウタリ協会札幌支部、部落解放同盟中央女性対策部の4団体が共催し、マイノリティ女性のアンケート調査報告会を東京・ウイメンズプラザホールで開催しました。開催前にマイノリティ女性の代表団が内閣府男女共同参画局と交渉をもちました。引き続き9月にマイノリティ女性が初めて各省交渉を行い、23項目に及ぶ質問をしました。政府側は終始明言を避け、国連女性差別撤廃委員会から勧告されているマイノリティ女性の情報提供については、既存のデータで該当するものを内閣府で年内をめどに集約する予定であるとしか回答しませんでした。交渉終了後、記者会見も行いました。今後もこのような交渉を積み上げ、一つひとつの課題を解決していく取り組みが重要です。

 今年10月に「第1回マイノリティ女性フォーラム」が札幌市アイヌ文化交流センターで開催され、アイヌ民族・在日朝鮮・沖縄・被差別部落の女性が参加しました。全国各地から集まった仲間と交流し連帯できました。第2回の開催地は大阪でと、参加者から声があがっています。 フォーラムの様子が当日札幌市内のテレビニュースで放映され、北海道新聞にも掲載されました。

おわりに

 厳しい差別のなかで、それでも力をあわせて生きてきた被差別部落の女性の思いはしっかり受け継がれています。

 今日の被差別部落や女性をとりまく社会状況は、ジェンダー・フリーバッシング、インターネット上の差別落書きや電子版「部落地名総鑑」の発覚、憲法改悪などが叫ばれ厳しい状況にあります。

 被差別部落と女性という複合的な差別からの解放にはほど遠いことが容易に想像できます。今だからこそしっかりとした被差別部落女性の生活・教育・就労などの実態を把握し、これからの運動の大きな武器となる闘いを押し進めていきます。そして今後、より一層他のマイノリティ女性と連携し、日本政府が制定した「国内行動計画」の歴史的、社会的に阻害されている女性の地位改善の具体化や、マイノリティ女性の実態調査の実施を内閣府に求める取り組みを展開していきます。

 また、地方自治体に男女平等条例の制定を求めるとともに、審議会委員にマイノリティの代表を必ず入れることを求めていきます。

 憲法改悪の動きは男女平等に逆行するものです。憲法第24条の最大の意義は戦前の「家」制度を否定したことでした。第24条の改悪は男女格差をさらに広げ、女性には家族の扶養する義務を、男性には戦士として外へ、戦争へ行く義務を課そうとしています。

 「女性差別撤廃条約」の前文には、平和なくして差別撤廃はないと書かれています。

 軍事力という暴力や、差別や偏見による暴力事件を決して許すことなく、非暴力・対話によって平和を維持することは男女平等社会を進めるうえで重要です。さまざまな人権問題をとりくむ女性団体から学び、交流を深めるとともに、アジアの女性たちをはじめ、世界の女性たちと連帯・協働をすすめていきます。

 これらの課題は女性だけの問題ではありません。男性とともに女性差別とは何かを自覚し、男女のよいパートナー関係をつくり差別撤廃にむけ頑張っていきたいと願っています。

参考文献:大阪府「同和問題の解決に向けた実態調査」(2000年部落問題調査)2001年12月『現代世界と人権21 立ち上がりつながるマイノリティ女性―アイヌ女性・部落女性・在日朝鮮人女性によるアンケート調査報告と提言』反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)編・発行、2007年10月