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意見・主張
 
研究所通信224号より
掲載日:
主張

 真に人権の時代を拓いていくために

〜部落解放研究所・教育啓発プロジェクトに期待する

寺澤 亮一(全国同和教育研究協議会委員長)


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「86年・地対協」の基本問題検討部会の報告を受けて、翌年「啓発推進指針」がだされた。当時、私たちはこれについて批判検討を呼びかけ抗議を行った。その後「啓発推進指針」は頓挫したかにみえるが、どこでまた息を吹き返してくるやら、気を許すことはできないように思う。「人権教育のための国連10年」国内行動計画(中間まとめ)のなかに、私はなにか気になるものを感じた。

「中間まとめ」は「基本的な考え方」として、「翻って我が国社会を見ると、その等質性が高い反面、異質なものを排除しようとする不寛容性の傾向が根深く残存しており、近年著しく国際化、ボータ−レス化が進展している状況下において、広く国民の間に多元的文化、多様性を容認する『共生の心』を醸成することが何よりも要請される」という。一応もっともな言い方だが、なにか気になる。

「同和地区」はもともとから我が国に存在したものではない。それは、「歴史的発展の過程の中(『同対審』答申)」で、差別の所為としてつくりだされてきたものだ。部落差別は、本来「等質」なものを、あえて「異質」なものと仕立てて排除し、国民の一部を差別の対象としてきた許しがたい人権問題である。

だから、「同対審」答申は、「恥ずべき社会悪」といっている。「中間まとめ」によれば、「同和地区」は「異質」なものということになりかねない。また、「不寛容性の傾向が根深い」というだけの言及では、厳然として根深く存在している差別意識の問題が、すっかり隠滅されてしまっている。「96年・地対協」意見具申から日が新しいのに、「中間まとめ」の認識はなにか訝しい。

また、「社会の複雑化、個々人の権利意識の高揚、価値観の多様化等により、各人の人権相互間の対峙等が高まり、新たな視点に立った人権教育・啓発の必要性も生じてきている」ともいう。「新たな視点に立った人権教育・啓発」とはどんなものか。「中間まとめ」を読んでいくと、次のような言葉に出会う。


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「市民相互間の人権対立の調整を図るための方策について調査研究する」 「市民相互間の人権対立の調整を図るための制度を確立し、周知する」と。

私は、「新たな視点に立った人権教育・啓発の必要性も生じてきている」とする「中間まとめ」を、こんな箇所から読み取って気にしているのだ。人権の「調整」「調停」をはかり、「調和」していこうとでもいいたいのだろうか。なぜ、

「市民相互間の人権侵害事象の解決を図るための方策について調査研究する」

「市民相互間の人権侵害事象の解決を図るための制度を確立し、周知する」と、いわないのだろう。人権は「擁護」「救済」「確立」としてこそ語ってほしい。

「人権教育のための国連10年」は、「人権文化」の確立をめざして推進される。国際的な人権の潮流が、曲げられることがあってはならない。

国際的にも、国内的にも、「啓発推進指針」に先祖帰りするような状況ではないのだが、にもかかわらず「中間まとめ」は衣の下のよろいやらを思わせて気になった。

「人権教育のための国連10年」の、自治体の行動計画は「国待ち」のところが多い。したがって、政府の国内行動計画の内容の如何が、今後の人権教育・啓発に大きな影響をもってくる。行動計画の確定にあたっては、各所から寄せられた意見や要請を真摯に受けとめていってほしい。

条例・宣言制定運動のうえに、教育・啓発・人権諸施策を重ねて、「人権の街づくり」運動が展開されていく、私たちの手になる行動計画も必要なのだ。もちろん自治体の主体性も。

というようなことで、『人権教育のための国連10年』についての一考察〜部落解放研究所・教育啓発プロジェクトの設置と、そこから発信されるものにかける期待は大きい。真に部落解放を実現し、人権の時代を拓いていくために。