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意見・主張
 
研究所通信237号より
掲載日:
提言

成人教育研究を期待する

     森 実 (大阪教育大学)
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 部落解放研究所は、成人教育という領域で大きく立ち後れていると思う。そう考える理由は、第1に部落の実態、第2に成人教育をめぐる世界的動き、第3に日本の政策的動き、にある。


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1.成人教育にかかわる部落の実態

 第3期の部落解放運動が広く語られるようになって久しい。第3期はいわば自立と共闘、建設と世界的連帯が課題になるといってよいだろう。ここでは教育の果たすべき役割がいっそう大きくならざるをえない。ところが、研究面でそれを担うべき部落解放研究所において、成人教育を担う部署はきわめて弱い。部落内の成人教育を対象としては識字部会がおかれているだけである。

 「識字は解放運動の原点である」と語られてきた。もし「原点」であるならば、識字の精神を受けた成人教育の場が支部の至る所にあってよいはずだということである。「原点だ」というならば、その精神で成人教育全般を貫くべきである。

 識字以外の領域について、思想的裏打ちを持って理論的に整理し、その発展を探る成人教育活動は、これまでほとんどなかった。だから隣保館や解放会館で開講される識字以外の講座においては、単なる趣味や教養がもてはやされた。思想性に溢れた識字と、趣味にとりつかれたお茶・お花への二極分解。さらに言えば、もっぱら部落外を対象に啓発が位置づけられている。この分離状況がこのままでいいのだろうか。


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2.成人教育をめぐる世界的動き

 世界の成人教育はどう動いているだろうか。これを端的に表しているのは、昨年7月にドイツのハンブルクで開催されたユネスコ主催第5回国際成人教育会議である。詳しくは他の報告に譲る。(雑誌『人権教育』第2号参照)ここではこの会議のおもな柱だけを紹介しよう。

 成人教育と民主主義/成人学習の条件及び質の改善/識字と基礎教育への普遍的権利の保障/成人学習を通じた女性のエンパワメントの促進/成人学習と変貌する仕事の世界/環境・健康・人口問題に関わる成人教育/成人学習・文化・マスメディア・ニューメディア/すべての人に政治学習を−多様な集団の潜在的可能性/成人学習の経済学/国際協力と国際連帯の強化

 いずれを見ても、解放運動とつながりうる問題意識があることをうかがえよう。ハンブルクでは、危険性と可能性の両方を含んだグローバル化というキーワードのもとに、こうした課題が論じられたのである。非政府組織(NGO)も大きな役割を果たした。

 このようなテーマ設定は、ハンブルクで突然現れたのではない。そのことを示すために、アジア太平洋地域の成人教育に関する非政府組織ASPBAEのおもな柱を紹介しよう。ASPBAEは1991年より次の柱で活動を進めてきていた。

  • 識字と識字後教育の普遍化
  • 女性のエンパワメントのための教育
  • 持続可能な発展をめざす環境教育
  • 平和・人権教育
  • 社会発展のための労働者教育
  • リーダー養成と能力形成

 1996年以後は、これがさらに広がり、先住民問題なども含まれるようになった。そして、こんな柱を設定しているのはASPBAEばかりではない。してみれば、ハンブルクの動きもしかるべきである。

 問題は、解放運動がこのような動きをどれほど察知し、活動や研究に反映してきたかということである。識字については世界に誇れる運動を持っている。それ以外の領域においてはどうだろうか。


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3.日本における動き

ハンブルクを受けて、世界各国で結成されている教育ウォッチの日本版として、数多くのNGOによって「未来のための教育推進協議会」が結成された。日本政府は、早くから生涯教育や生涯学習を政策の基本に据えてきた。これに対抗する政策を市民団体は出しえていない。協議会は、ハンブルクに象徴される世界の動きに連動して、日本政府に政策提言しようとするものである。

こうした状況は、それ自体ではぴんとこないのではないかと思う。そこで、比較のために台湾の動向を紹介したい。

台湾でも、政府が生涯学習を文教政策の根幹に据えることを決定した。それを推進するために、文部省が3月の末に「生涯学習国際会議」を開催した。私もこれに参加する機会を得たのだが、参加して、いろいろな意味で驚いた。たとえばキーワードの1つは「学習権」である。

日本でも生涯学習が唱えられているが、専らそれは社会の要請に応えるためで、文部省が学習権などを唱えたという話はあまり聞かない。また、台湾では先住民に対する教育政策が、多文化教育という考え方に基づいて推進されている。教員養成大学には先住民への入学枠がある。教員採用に当たっても、枠がある。確か国会議員にも先住民枠があるはずだ。急激に民主化を進めようとしている台湾の姿がそこにはあった。アイヌを先住民と認めようとさえしないどこかの国とは大違いだ。

私たちは、こうした動きをどれほど知っていただろうか。日本の生涯学習が、気の抜けた国際化・情報化・高齢化という発想で進められている限り、どんどんと立ち後れて行くであろう。解放運動自体も問題状況を捉え切れていないように思える。

すぐまわりに学ぶべき動きがある。私たちの目の前にある実態をふまえて、それを素直に発展させる発想が今こそ求められている。成人教育が研究部門の1つとなり、そこに識字や啓発、それ以外の幅広い成人学習が位置づけられていいのではないかとさえ思う。