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意見・主張
 
研究所通信247号より
掲載日:
提言

経営トップへのアプローチを

岡崎慎一郎((社)大阪国際理解教育研究センター理事)
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 「企業の社会的責任」。この言葉を耳にしてから随分久しい。12省庁事務次官による経済6団体に対する要請、業種別92団体に対する職業安定局長要請文が出されたのが、75年12月15日であるから、もう23年目になる。しかし、企業サイドで言えば、56年11月経済同友会が決議した「経営者の社会的責任の自覚と実践」がはしりである。

 この決議がなされた頃は、高度経済成長期であり、「人間の尊重、人権の擁護」の精神はまだ見えない。74年以降、主要な経済団体が相次いで、「企業の社会的責任」について明らかにし、これを提唱する。「利潤獲得、株主配当の確保」「労働者、従業員の生活保障」「消費者、地域住民の為に」と、その責任を不特定多数の人、即ち、一般社会、消費者あるいは、住民などに対する責任とし、必ずしも法律上の責任を問われない場合でも、地域の良き法人市民、法人住民として社会に対する義務、それに対する責任が企業にあるとした。

 しかし、どう考えても経団連のCBCC(海外事業活動関連協議会)や今回出されたCBEO(企業倫理担当役員)構想を見ても、その根底に、人間尊重、人権擁護の精神が脈々と貫かれているとは思えない。事件を起こさないように、問題を起こさないようにという対策的、政治的配慮が優先してみえるからである。一方、経団連の代表幹事や役員企業も、全国的にみれば、同企連に加盟している企業が多い筈である。セクシャル・ハラスメントの問題に企業が直面し、アメリカ三菱自動車の差別事件とその和解金が、経営者の頭の中を占領しているのなら、もう一度、同企連担当者を企業倫理担当役員に置き換えて、ことの重大さを認識してもらわねばなるまい。研究者の発信も経営トップを念頭に置いたものが求められる。

(『明日への挑戦―部落解放研究所から部落解放・人権研究所へ30年の歩み―』より)