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研究所通信287号より
掲載日:2002.7.10
2002年5月26日〜6月2日、研究所は、第3次訪中を行った。

訪中団は、友永健三所長・加藤敏明副所長・大野町子理事・中田理恵子・坂東知博の5名である。

 今回の訪中は、昨年11月に国家民族事務委員会からの日本訪問の受け入れに対する返礼に応えることと交流の継続という目的で、中華人民共和国国家民族事務委員会国際司の招聘に応じたものである。1990年、1994年に続く3度目の訪中で、成都・凉山・北京などを訪問し、国家民族事務委員会の方々をはじめイ族の方々との交流を深めることができた。

 以下、紙数の制限もあるので、行程と個人的な印象を中心に述べる。

5月26日(日)、関空から上海、成都へ移動

5月27日(月)、四川省成都にある西南民族学院を訪問

この大学への訪問は、1990年、1994年に続き、今回で3度目。1992年ûケ小平が西南地域を視察後、大学の構造改革がなされ、1994年当時の学生数は4000人であったが、現在は1万4000人の学生を擁し、少数民族の人材育成、国際交流にも力を入れている。学生は、中国全土に公募し、70%以上は少数民族(45民族)で、他は、少数民族地域で生活している漢民族である。

5月28日(火)、夜行列車で成都から西昌市へ移動

ここは、研究所が第1次訪中より交流を続けている少数民族のイ族の人々が集住する凉山イ族自治州がある。午後、凉山大学を訪問。この大学は、1984年に創設され、凉山州と四川省民族委員会のバックアップで運営されており、イ族自治州に大学教育をうけた人材を育成するために設けられた。また、この大学には、イ族の文化・芸術を研究し、いかに継承していくかを研究するためにイ族文化研究所が併設されている。学生数は、1045人でうち少数民族は108人、このうちイ族の学生は、67人で10数人の女性がいる。学生の男女比は、7対3。凉山州は、「少数民族のための教育発展10ヶ年」(2001〜2010年)を設け、1年1億元(14億6千万円)を投入し小学校は90%の進学率を達成し、基礎教育の向上がはかられている。

イ族の女子学生には、ドイツのNGOから1人に対して、月100マルクの援助がなされているということであった。

5月29日(水)、午前中はイ文学校を訪問

日本の高校にあたり、四川省のイ族居住地域に学生の募集を行っている。学生の80%がイ族で、20%は、チベット族・回族などである。この学校は、四川省民族事務委員会が管理する直属の学校であり、凉山市政府の指導を受けている。この学校では、イ語と漢語の両方の言語、文字の習得とさまざまな職業技術の習得を行っている。都市部においては、少数民族でも一般的に漢語が使用されており、伝統文化の継承という意味からも両言語の習得が必要とされている。イ語の教科書が作成されており、教師も両言語使用できる。また、コンピュータでのイ文字の入力も開発されており、今回持参した水平社宣言・綱領のイ語への翻訳についてお願いした。

午後からは、今回の訪中で最も期待していた開元郷を訪問した。地道を走り砂埃と石ころのためにマイクロバスは、左右に大揺れし、1時間近く走ると見事な棚田の広がる景色の中に、どこに民家があるのかと思うような山間に開元郷が表れた。資源が豊富で水力発電所が5ヶ所、岩石加工工場が7ヶ所あり、村は、143平方‡qで5つの地区に分かれており、人口は5612人、農家は、1374戸ある。村には、小学校が3校あり1700人が就学しており100%の就学率である。わたしたちの民家を見せてほしいとの要望に応えて、郷長さんのお宅を拝見させていただいた。イ族の方々の生活をほんの少し伺うことができた。

電化製品は、テレビのみで、あとはすべて手作業で家事を行うのだろうと考えると近代的消費文化にどっぷりと浸かった日本での日常と比べると時間の流れ方のちがいに、思いを馳せてしまった。この家で一番早く起きて一番遅く寝るのはだれだろう。それは、日本の自分の生活に置き換えてみても同じだけれど、近代化された日本と発展途上の開元郷で共通しているのは、やはり女性問題だろう。できれば開元郷でホームスティをし、女性たちといろいろ話をしてみたかったが、今回はできなかった残念である。

5月30日(木)、再び夜行列車で成都までもどり、午後の便で北京へ移動。

5月31日(金)、国家民族事務委員会を訪問し、交流

塔瓦庫勒(国際司司長)さんより国家民族事務委員会についての紹介が行われ、懇談。

「国際社会のおける民族対立をなくすために、中国の少数民族政策の経験から教訓化できることは?」の質問に対し、「中国は、民族自治という政策をとり、統一国家の中で、少数民族が自らの問題を自ら解決するという政策をとっている。1952年に民族自治地域を組織し、1984年民族自治法を制定。民族自治地域では、省、州などの指導は、それぞれの民族の幹部が行い、そのための人材を育成している。公務、学校教育は漢語と各民族の言語を使用し、民族の風俗や文化を保持、宗教・信仰の自由を保障している。そして、民族地域の経済発展の援助を行った。政府は、21世紀に西部大開発政策を実施し、少数民族や辺境の地で生活する民族の経済発展を計画しているとの回答であった。

午後、中央民族大学を訪問。1951年に中央民族学院として設立。設立目的は、少数民族のための人材育成と少数民族の文化と各方面の研究を行うため。農学部以外のすべての学部があり、中国の総合大学の重点大学になっている。学生数は、8700人、少数民族が70%になることが規定されている。少数民族地域の漢民族が30%、56の民族がかよっている唯一の大学である。交流会に参加していたイ族出身の潘さん(助教授)がイ族には、今も身分差別が存在すると明言され、研究論文もあるとのことで、帰国後メールで送信してもらうこととなった。訪中の成果である。交流後、学内にある少数民族博物館を案内していただき大学を辞した。

夕食は、昨年来日された国家民族事務委員会の11名の方々と楽しく懇親会をもち、日本での思い出や中国での印象を語り合った。

6月1日(土)、国家民族事務委員会副主任の江家福さんや第1回訪日団団長の方鶴春さんなど国家民族事務委員会の方々と友好を深めた。

6月2日(日)、帰国

今回通常の観光では、絶対に行くことができない開元郷を訪問できたことは、本当に良かった。そして、国家民族事務委員会、四川省民族委員会、凉山民族委員会の方々には、本当にお世話になった。特に、四川省民族委員会の揚秀珍さん(女性)とは、夜行列車の中で筆談で交流することができたし、国家民族事務委員会の金錦子さん(女性)とも交流することができたのは、良かった。

今後の交流プログラムの中に是非、少数民族の女性との交流を継続して入れていく必要があると思った訪中である。

(中田 理恵子)