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意見・主張
 
研究所通信290号より
掲載日:2002.10.10
「人権擁護法案」、人権教育の取り組みをテーマに

関西学長、人権・同和問題担当者懇談会


 「関西学長、人権・同和問題担当者懇談会」が9月27日(金)午後1時半、大阪市の大阪人権センター(旧部落解放研究教育センター)で開催された。部落解放・人権研究所の村越末男理事長からの開会挨拶のあと、同研究所長の友永健三さん、大阪教育大学教授で同大学人権教育審議会長の那賀貞彦さんから、それぞれ問題提起がなされた。

友永健三さんは「人権擁護法案の抜本的修正を求めて」と題して提起された。第154回通常国会に上程され、実質的な審議がなされないまま、次期国会に継続審議となった同法案は、一般にはマスメディア規制法案であり、廃案にすべきだとの意見が出されている。しかし、友永さんは、この9月に緊急出版した『人権擁護法案・抜本的修正への提案』(解放出版社)をもとに、この法案が上程されてきた背景には、国内的要因と国際的要因があることを明らかにされた。

前者では、1975年「部落地名総鑑事件」をはじめとして、あからさまな差別実態に対し、現行法下では、実は何らの法的規制もできない状況が明示された。しかし、1965年8月の内閣同和対策審議会答申では、「差別事象」に対する法的規制の不十分さが指摘され、人権擁護制度の確立が求められていたのであった。答申以降、30余年の部落解放運動のなかで「差別事象」との闘いがなされてきたが、「人権侵害」を法的に救済・規制しようとするのは、実にこの法案が初めてであった。

そうした意義を有するものの、人権救済の要となる人権委員会は、法務省の外局に位置するなど独立した機関とはいえず、その意義を担うには弱体な組織体制であり、その実効性が疑われている。少なくとも、公正取引委員会、労働委員会など、社会的にも実績を重ねてきた委員会と同等の組織づくりが必要であろうとされる。

後者では、国際人権規約、人種差別撤廃条約の締結により、それぞれの委員会から、独立した人権機関を設けるべきとの勧告を受けていたことである。これは、1993年国連総会で「国内人権機関の地位に関する原則」(パリ原則)が採択されたことに関連してなされたもので、すでに韓国、タイ等ではその設置をみている。こうした勧告には、法務省も敏感になっており、独立した人権機関の設置については、国際的な潮流ができている。

このような法案上程の要因を考えると、部落解放基本法案を策定してきたこれまでの運動の成果を生かし、抜本的な修正を求めていくことが真に必要なことである。

つぎに、那賀貞彦さんは「大阪教育大学における人権教育の現状と課題」と題し、今年5月に制定した同大学人権教育審議会規程をもとに、問題提起された。

同大学では、1971年以来同和教育の理論と実践を推進してきた同和教育審議会を発展的に解消し、何よりも被差別者の立場に立ち、人権教育の理論を深め実践する人権教育審議会を立ち上げた。

この審議会はその規程のなかで、学長の諮問に応えるだけではなく、意見を具申できるとし、さらに人権教育の実施機関である人権委員会にもその報告を受け、意見を述べることができ、全学にも意見公表できるとしている。また同大学では、人権委員会に人権相談員を委員より選出し、人権侵害の事案についても調査委員会を組織できるとした。

こうした重層的ともいえる構造を持つ組織づくりから、人権を重視する立場を全学的に構築し、人権啓発活動の裾野を広げ、ときに独立した立場で人権を敢然と擁護していくことで、今後の大学における取り組みを、示唆するものとなっている。

那賀さんは、さらに自らの専門(芸術学)の立場から、人権教育の体系化の一端を提示された。そこでは、水平社宣言の「人の世に熱あれ 人間に光あれ」をモチーフに、近代以降の西洋哲学史を援用しつつ、つぎのような構図を示された。

モダンにおける認識論の立場から、社会構造を認識し「差別をしてはいけない」(社会理想の光)という主体的な実践論への展望を示し、ポストモダンにおける身体論から、内的に蓄積された感覚(センス)での美的判断、あるいは自己決定としての選択的判断として「差別をしない」(自己決定の光)という主体的な選択感覚について提起された。

差別への視点をどのように築き、差別をしない主体者へとどう導いていくべきか、教育現場にあるわれわれの常に抱く課題を、芸術学の立場から明らかにされたことで、教育実践の根拠付けに有益な教示を得た思いであった。

(宮城 洋一郎・皇學館大学)