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研究所通信259号(2000.3)より
2003.07.03
『実録衡平』の著者金永大さんを追悼する


朝鮮の被差別民衆であった白丁の末裔であることを韓国でただ一人名乗りあげ、差別撤廃をめざした衡平運動発祥の地である晋州における衡平運動記念事業会の活動などに参加していた金永大さんが、99年2月に亡くなられ、2000年2月14日には1周忌法要が営まれた。

研究所では、1988年に金さんの著作を『朝鮮の被差別民衆・「白丁」と衡平運動』として翻訳出版していたが、以下のような追悼文をお連れあいの韓徳順さんに送った。

差別なきよき日の到来をめざし努力することを、御霊前に誓う

故金永大様の1周忌に際し、衷心より追悼の言葉を贈ります。

金永大様と、私たち部落解放・人権研究所のメンバーとの出会いは、1988年4月のことでした。これは、金永大様がお書きになった『実録衡平』の日本語での翻訳出版のお願いをかねた交流のために、わたしたち研究所の一行が、清州を訪問したときのことでした。金永大さんは、そのとき、日本の地において部落差別の撤廃に取り組む私たちを心から歓迎していただき、日本語での翻訳出版を快く承諾していただくとともに、固い連帯の握手を交わしたことを昨日のように思い起こしています。

その年の7月、奈良市にて開催しました研究創立20周年記念第10回全国部落解放研究者集会に、金永大様をお招きし、記念講演をしていただきました。このときには、金永大様の著書が辛基秀(青丘文化ホール代表)様などのご協力によって、私たちの研究所より『朝鮮の被差別民衆』とのタイトルのもとに翻訳出版されていましたが、金永大さんは、そのことを心より喜んで下さいました。金永大様の差別を憎み、解放と人権確立を願う記念講演と、その後の研究会での報告は、まことに情熱のこもったものであり、参加者に深い感銘を与えました。

93年4月、衡平社創立70周年を記念した国際学術会議が、衡平社創立の地、晋州にて開催されました。その折りにも、金永大様は、足を骨折しておられたにもかかわらず、松葉杖をついて記念集会に参加されました。そして、朝鮮の歴史の中で白丁の人々が受けてきた差別と迫害の永い歴史、その差別を撤廃するために衡平運動が創立され、果敢な差別撤廃運動が展開されたこと、衡平運動が目指したものが全人類の解放に結びつく崇高なものであったことを、とうとうと話され、多くの聴衆に深い感動を与えていました。また、その記念講演の中で、先進国といわれている日本の地で、今日なお被差別部落の人々に対する差別があることの不当性を声を大にして告発され、日本の地におけるわたしたちの取り組みを激励していただいたことを忘れることはできません。

世界人権宣言48周年を記念する96年12月、多くの人々の努力によって、衡平運動発祥の地、晋州に衡平記念塔が建立されました。その折りにも、金永大様は出席され、衡平運動が目指した崇高な理想の普及と実現をともに誓い合いました。

その後も毎年、日本の地から国際連帯を求めて、韓国の地に代表が訪れていますが、その折り、金永大様のお話をうかがったものも少なくありません。また、韓国の地においても、衡平運動記念事業会の会長であった金章河様、作家の鄭棟柱様、慶尚大学の金仲燮様、新慶南日報社の崔正守様など少しずつではありますが、白丁に対する差別の歴史と衡平運動の歩みを明らかにしようとする人々が増えてきています。私たちは、これらの人々が、金永大様とともに、研究会を組織し、衡平運動記念館を創立され、韓国はもとより、世界の人権運動記念館の一つとなることを夢見ていました。

その夢が実現されないままに、昨年2月、金永大様が不慮の死を遂げられたことは、いくら悔やんでも悔やみきれない思いで一杯です。残されたわたしたちが、金永大様が願ってやまなかった一切の差別が撤廃され、すべての人間の尊厳が尊重され、輝いて生きていける「よき日」の到来を目指し、ともに努力していくことを御霊前でお誓い申し上げるものです。

2000年2月14日
部落解放・人権研究所
理事長村越末男
所長友永健三