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2004.07.28
意見・主張
  
『大阪の部落史史料編』近現代完結記念シンポジウム

文責:里上龍平<大阪の部落史委員会>

 6月23日、部落解放・人権研究所第60回総会がクレオ大阪西にて開催された。来賓の組坂繁之・部落解放同盟中央本部執行委員長、泉谷英雄・大阪府教育委員会事務局教育政策室室長から挨拶を受けた後、2003年度事業報告(案)・会計決算報告(案)・会計監査報告(案)等の提案・審議の後、全ての議案が承認された。

 次に『大阪の部落史』近代編、現代編の完結にあたっての記念シンポジウムが里上龍平(大阪の部落史委員会)の司会で開催された。

 以下、その概要を紹介する。


 『大阪の部落史』の編纂事業は1995年に始まり、今年で10年目になる。

 当初は史料収集につとめ、従来知られていなかった史料を少なからず発掘した。史料収集については、大阪府・大阪市、府内各市町村ならびに市町村史編纂室、公立図書館、大学図書館から個人所蔵のものまで、広くあたって閲覧・複写させていただいた。

 そして、『大阪の部落史』(全10巻)の編纂に着手した。その今日までの成果が、第4巻・史料編近代1、第5巻・史料編近代2、第6巻・史料編近代3、第7巻・史料編現代1、第8巻・史料編現代2、の5巻である。

 以上の5巻の史料集に掲載された史料によって、大阪の部落史の多様な側面、他府県とは異なる姿、新しい史実等、が浮かび上がり、新しい見方を迫られることも次第に明らかになってきた。

 そこで、大阪の部落史委員会として、この5巻の史料集を部落史研究のためのみでなく、広く教育・啓発のための資料としてぜひ活用していただきたいと考え、本日その成果を報告することにした。

 以下、『大阪の部落史』第4巻から第8巻までの編集を分担した3人の方々に、担当された巻について、そのあらましと新しい史料によってどのようなことが分かってきたのか、それに加えてこれからの研究の見通し等を講演していただいた。


第4巻(1868-1913年)

北崎豊二・大阪経済大学名誉教授

 まず、解放令をめぐる動きと共に、近世の被差別民の行方や、戸籍と近代的な諸規制、町村合併の問題に注目した。

 次に、近世において部落に固有の産業(生業)であった皮革産業や履物業、屠畜業の変化・変遷を辿ることも重要であった。それとともに都市部落とスラムとの関連も新たな問題として出てきた。

 また、部落民が差別にめざめはじめた明治10年代におこってきた自由民権運動や明治30年代からさかんになる社会運動が、部落問題に注目して人的なつながりや交流があったことが従来よりかなり分かってきた。

 大阪は全国的にみても、救貧救済施策・施設の進んだところであった。大阪市における救済施策と公私の施設をとりあげると共に、明治末期から始まる部落の救済事業(改善事業)をこれらとの関連で捉えてみた。

 以上の分野の他、教育、産業、思想、宗教の章も設け、明治の変革が部落をどのように変えたのか、また部落のどの側面が変化しなかったのかを史料によってあとづけた。


第5巻(1914-1927年)、第6巻(1928-1945年)

秋定嘉和・池坊短期大学名誉教授

 第5巻、第6巻の2巻にわたり説明することは時間の制約があって難しいので、ここでは主として第6巻について述べる。

 大阪は大産業都市であり人の出入りが激しいため、近代になって差別は「拡散」したといえる。伝統的な共同体の結びつきが弱まり、水平社運動の受容も進んでいった。

 1920年代からはげしくなる植民地朝鮮からの労働力の流入は、一部の部落で就業や居住を巡って競合と共生関係がもたらされた。しかし共生関係は一部に限られていて、そのことは本巻における史料によってあとづけることができる。

 昭和恐慌から戦時統制が施かれた時代には、部落産業も統制の網の目に組み入れられ、転業・廃業が相次いだ。このような状況下で水平社と行政・融和団体の融合が進んでいった(1941年の同和奉公会の成立)。それ以前からの水平社運動と融和運動の関係を見ていくと、従来のような融和運動を否定的に見る立場は修正される必要がある。また、例えば大阪市会議員から後に代議士にもなった沼田嘉一郎のような、方面事業に力を入れ、後に救護法の制定に奔走した人物に、これからもっと光が当てられてよいのではないかと考える。


第7巻(1945-1960年)、第8巻(1961-1975年)

渡辺俊雄・部落解放・人権研究所

 敗戦後の戦後改革と高度経済成長、中でも高度経済成長によって、部落は変わっていった。

 戦後改革によっても部落民の意識はそれほど変らなかったが、高度経済成長によって部落の共同体としてのつながりは弱まっていった。一方、部落の中での格差は強まった。

 仕事や産業についても、高度経済成長は部落の産業・就業構造を大きく変えた。一部の部落の産業は縮小、転換を余儀なくされ、部落民の部落外への就職が多く見られるようになる。

 ところで、部落に住む朝鮮人との共生・競合関係は、朝鮮が解放されたにもかかわらず、戦前とあまり変わることはなかった。

 戦後も差別事件がたびたびおこった。ここでは、差別意識のあり方を知るために、差別事件の内容がよく分かる史料を採用した。また、解放運動には多様なとりくみがあったことにもっと目を向ける必要があることがわかった。さらに同和行政が戦争直後、戦前の改善事業を引きついで行われはじめたことも注目される。