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2004.10.14
意見・主張
  
部落解放・人権研究所第4次訪中に参加して

内田龍史(部落解放・人権研究所)

  2004年9月6日(月)-15日(水)にかけて、中華人民共和国国家民族事務委員会の招聘によって、部落解放・人権研究所第4次訪中が行われた。訪問場所は成都・楽山峨辺イ族自治県・楽山・北京である。団員は、友永健三団長(部落解放・人権研究所所長)、深真樹(高野山真言宗同和局課長)、中村久子(佐賀部落解放研究所事務局長)、内田龍史(研究所研究部)、吉田愛(研究所総務部)(敬称略)の5名である。

  訪問の主な目的は、1 民族事務委員会・民族大学との交流及び中国の民族政策についての学習、2 研究所が継続的に交流を深めてきた少数民族・イ族およびイ族研究者とのさらなる連携、3 中国封建社会における被差別身分(楽戸)研究者との交流、であった。

  1 中国の民族政策については、学生の70%以上が少数民族出身であるという、少数民族の育成のために設立された大学である西南民族大学(成都)・中央民族大学(北京)を訪問し、大学および少数民族の現状について学ぶ機会を得た。また、国家民族事務委員会、四川省民族事務委員会との交流においては、国家の重点課題として行われている西部(西部のほとんどが少数民族地域である)大開発によって、少数民族地域の発展が図られていることなどを学んだ。

  2 イ族との交流については、楽山峨辺イ族自治県を訪問し、民族地域の小学校・中学校を訪問した。民族地域は経済的に困難な状況に置かれていることが多く、かつては義務教育を受けられなかった子どもたちもいたが、現在は経済的な補助制度があるために、全ての子どもたちが義務教育を受けられるようになったという。また、イ族研究については、中央民族大学にて、イ族に関する研究を行っておられるイ族出身の教授・助教授方に、中国におけるイ族の現状、イ族学の展開およびイ族内部の身分制について、限られた時間にもかかわらず活発な議論とともに濃密なレクチャーをいただいた。

  3 楽戸(がっこ)研究者との交流については、主に山西省の楽戸について、社会学的研究を行っておられる項陽先生と交流する機会が設けられた。楽戸とは、音楽を生業とする被差別身分で、4世紀、北魏の皇帝が窃盗犯の家族を楽戸にしたのが起源である。1723年、清の雍正帝によって良民とされ、解放されたが、その後も差別は続いており、項先生の調査によれば、楽戸の後裔と楽戸以外の人々との結婚は半分程度だという。ここでも限られた時間であったにもかかわらず、活発な質疑応答が行われ、今後、部落解放・人権研究所との研究交流を深めていくことを確認した。

  以上、10日間という短い期間ではあったが、中国の少数民族・マイノリティに関する現状と研究の一端をうかがうことができた。特に「日本社会」との比較という観点から、今後もマイノリティ問題に関する意義のある示唆を、交流を深めながら探求していきたいと思う。