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2006.11.16
意見・主張
  
人権・同和教育の立場から教育基本法「改正」に反対します

中村清二(部落解放・人権研究所 研究部長)


1.人権・同和教育は、日本国憲法・「同対審」答申そして教育基本法のもとで、大きな成果をあげています


 人権・同和教育は、戦後60余年の営みの中で、差別越境通学の解消、旧日本育英会奨学金制度の国籍条項の撤廃、さらには、識字学級への支援、教科書の無償、同和教育基本方針の策定、同和加配教員制度、人権・同和教育の副教材、など多くの成果を上げてきました。このことで、多くの被差別部落の子どもたちや大人が学習権を取り戻すことができましたし、同時に教育の重要性をあらためて認識してきました。

 そしてこうした営みの法制度的な根拠に、憲法や「同対審」答申の存在だけでなく、教育基本法がありました。すなわち、教育行政は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を」負い、「必要な諸条件の整備確立を目標」とすると定めた第10条、社会教育は「国及び地方自治体によって奨励」されることを定めた第7条、「教育上差別されない」とした第3条(教育の機会均等)、そして「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期すると共に、普遍的のしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育」をうたった「前文」などがそうです。

 「特別措置法」期限後も、全国的にこれまでの成果を普遍化させることをめざし、高校奨学金の成績条項撤廃(全国18都道府県で実現)や交付金化された準要保護家庭への就学援助の確保をはじめ、人権教育と結んだ学力保障をめざす「効果のある学校づくり」、さらには「地域に開かれた学校づくり」を通じた新たな学校づくり・地域づくりなど、新たな課題に次々と取組んでてきています。


2.「教育の荒廃は、画一的平等主義と子ども中心主義が原因」とし、その根本にある教育基本法の改正を求める考え方は間違っています


 最近、「教育の荒廃」として、規範意識の低下や学力低下がよく指摘されます。確かにそうした現実は生まれつつあり、私たちも強い危惧を覚えます。しかし、その根本的背景が教育基本法にあるというのはまったく誤っています。部落の子どもたちの非行や荒れ、低学力の克服に一定の実績を作り上げてきた人権・同和教育の営みを振り返れば、そのことは明らかです。

 今日の低学力や規範意識の低下等の背景には、確かに学校や家庭、地域の課題があります。しかし同時に、そうした課題の根底には大きな社会的背景が必ずあります。たとえば、所得等の2極化(格差社会の進行)は間違いなく学力の2極化傾向を強めていますし、そのことが学校を社会的地位の向上の手段としてしか見ない功利的利己主義を一層強めています。また地域の教育力の衰退や「遊びの貧困化」等こそが、家庭や子どもの孤立化、自尊感情の低下、労働観の衰退等を深めているのです。

 人権・同和教育は、これらの課題を学校、家庭、地域、行政等が一緒に考え、克服のための協働を進めていくことがなにより重要だと考えます。とりわけ行政は、そのための「必要な諸条件の整備確立」を行うことこそが仕事です。人権・同和教育の新たな取組みは、まさにこの点を人権・同和教育の立場から追及していこうとしているのです。

 しかし教育基本法の改正を主張する人々は、なぜか、これらのことにまったく触れようとしません。意図的に触れないのです。

 その代わりに、現行法第10条2項(条件整備)を削除し、政府案第16条(教育行政)で国による標準目標の設定と到達度の評価を位置づけようとし、その延長線上に、全国学力調査結果の自治体別・学校別の公表、それを軸とした学校評価と学校選択制の導入、教育バウチャー制度等の市場(競争)原理を持ち込もうとしています。

 他方で、政府案第2条(教育目標)に「愛国心」等20にもおよぶ徳目を挿入し、道徳教育の筆頭科目化を図ろうとしています。さらには、政府案第6条(学校教育)で「体系的な教育が組織的に行われなければならない」という文言が入り、同じく第9条(教員)では現行法第6条2項にあった教員の「全体の奉仕者」性(教育の国民への直接責任性)を削除して、教員の管理強化を図ろうとしています。

 「教育の荒廃」の根底にある社会的背景をまったく振り返ろうとせず、こうした市場(競争)原理と管理強化のための教育基本法「改正」では、何も解決しないばかりか事態をさらにひどくするばかりです。


こうした立場から教育基本法の「改正」に断固反対すると共に、人権教育と結んだ学力保障をめざす「効果のある学校づくり」や「地域に開かれた学校づくり」を通じた学校づくり・地域づくり、そして高校・大学の奨学金制度や小中学校の就学援助の抜本的充実、さらにはフリーターをはじめ、誰でもが安心して学びなおしができ「ディーセント・ワーク」(ILOが1999年に提起した、権利が保護され、十分な収入を生み、適切な社会的保護が供与される生産的な仕事)に就くことが可能な社会づくりをめざす必要があります。