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2007.12.19
意見・主張
  

内山一雄さん追悼

森  実

 元天理大学教授で、長年にわたり部落解放・人権研究所識字部会の部会長を務められた内山一雄さんが2007年10月25日、逝去された。部会長として、識字教材づくりのほか、狭山事件の第二次、第三次再審請求に関わっては識字能力の観点から意見書作成にも携わられたが、2005年から運営委員を務めていただいた安田識字基金の助成事業の成果や、有志による自主運営となった大阪市内識字学級の将来を憂慮して提唱され、現在分析中の府内識字学級の実態調査結果も、見届けていただけないままとなった。識字部会副部会長の森実さんに追悼文をお寄せいただいた。(研究所識字部会事務局)

 内山さんのことでいちばん印象に残っているのは、大阪府識字学級生の経験交流集会でのことだ。大阪府内の識字経験交流集会は、1970年代から行われてきた。それぞれの被差別部落で行われている識字の場に参加している人たちが集まり、お互いの識字作品を通して生い立ちや体験、思いを交流していた。仕事や子育てに忙しい毎日を送ってきた識字学級生にとって、一泊で行われるこの経験交流会は、じっくりと交流し、じっくりと話し合える貴重な機会だった。私はその集会に、1980年代半ばから参加させていただくようになった。

 この経験交流集会で、内山さんは、2日間にわたる分科会での議論をまとめる役をされていた。そのまとめのなかで、内山さんは参加した人たちのいくつもの識字作品のなかからいろいろな箇所を引用しつつ、それがいかに大切なメッセージを含んでいるかということを話した。それが内山さんのスタイルだった。

 すべての参加者の作品をたんねんに読み、その中からさまざまな人の言葉を引き出してくる。まねができないといつも感じてきた。内山さんにそれができるのは、人柄がまじめで仕事の仕方がていねいだからという理由だけではない。何より、識字で学んでいる人たちへの愛情があるからだと私は感じていた。

 お葬式に参列させていただいた。棺を送るときに、「森さん、あとはよろしくな」と言う声が聞こえたような気がした。あれから時がたち、識字経験交流集会も、識字学級と夜間中学校、日本語教室などの交流会へと姿を変えた。時代はどんどんと変わりつつあるが、求められていることは変わらない。他の人たちとともに、内山さんの思いや願いを引き継ぐ道筋を考えたい。