2007年度第2回関西学長、人権・同和問題担当者懇談会が、2007年11月15日、大阪人権センターで、22大学が参加して開催された。
第一報告は、『企業と人権-2005年度版CSR報告書における人権情報』をテーマに、部落解放・人権研究所所員の李嘉永よりなされた。
今日、様々な企業が企業の社会的責任(CSR)を果たす取り組みを進めている。情報開示、あるいはコミュニケーション・ツールとして、CSR報告書を発行する企業もある。
CSRとは、「経営活動のプロセスに社会的公正性や環境への配慮などを組み、アカウンタビリティを果たしていくこと」(谷本寛治)だが、企業を取り巻く多様なステイクホルダーが存在し、それぞれのステイクホルダーとの対話を進めながら、CSRの取り組みを深めていく、その足がかりとしてCSR報告書がある。
調査は、環境報告書や金融機関のディスクロージャー誌を含むCSR報告書、513社421誌収集(複数の報告書を発行する企業が8社あり)、チェック項目(48項目)に基づいて、記載内容を抽出した。
調査結果の概要は、報告書の名称「CSR」77誌、「環境・社会」128誌、「環境」132誌、トップステイトメントでの人権への言及36誌、人権尊重を明示する企業方針・行動憲章の記載241誌、ネガティブ情報・課題の記載は、労災・障害者雇用率等、法令上義務づけられているものについては記載事例が相対的に多い。サプライチェーンマネジメントと人権34誌、取引先調査17誌、本業との関連での人権尊重の取り組み153誌(本業を活用した取り組み69誌)、人権の視点に立った第三者評価53社、ステイクホルダーミーティングと人権に関する対話15誌である。
今後の課題として、単なる活動報告だけではなく、「課題」と「改善への目標」を明示すること、実際に人権に取り組んでいても、報告書では触れていない場合があることを、ステイクホルダーが積極的に指摘し、報告書の内容、実際の取り組みの深まりを迫っていくことが重要である。
詳しくは、『部落解放・人権研究報告書 No.6 2005年度版CSR報告書における人権情報』、2007年3月。李嘉永「CSR報告書における人権情報」『部落解放研究』178号、2007年10月を参照されたい。
第二報告は、「巨大都市大坂の被差別民」をテーマに、のびしょうじさん(大阪の部落史近世担当)よりなされた。
『大阪の部落史』第2巻(史料編近世2)をもとに、このたび『被差別民たちの大阪 近世前期編』を解放出版社から発刊した。『大阪の部落史』の編纂で膨大な史料が収集され、通史的展望を試みることが可能となってきた。
大坂三郷は40万都市、周辺の「三郷町続き在領」を含めて50万都市だった。そこに多様な被差別民が都市に不可欠な役割をもって存在したが、定住型の被差別集落は大坂三郷内には置かないというのが、幕藩体制の都市経営の原則だった。
巨大都市大坂には、皮多町、垣外・非人、六ヶ所墓所聖、当道座頭、辻髪結、雑芸能者、勧進宗教者、長町、遊女といった被差別民がいたが、その居住、生業、御用等の実態について、今回新たに判明した事実をもとに説明された。
当道座は平曲・三楽の継承者、浄瑠璃・新内師匠で、医療(鍼灸・あんま)への貢献もしていた。座頭組織に被差別民は入れなかったが、寛文年間に芝居者に限って大坂町奉行所より許可された。
大坂では、皮多村は、渡辺村と梅田の二ヶ所にあった。渡辺村は年間100人の処刑に関わっていたが、相対死については、江戸時代中頃までは垣外、江戸時代中ごろからは渡辺村となった。その背景にはケガレが関わっている。
垣外(非人)は、大坂四ヶ所に居住、ほかに高原会所があった。
三昧聖は六箇所墓所聖と呼ばれ、道頓堀で年間6千-1万体近い火葬をこなしていた。
辻髪結は、160人いて、町の牢番を交代でやる代わりに奉行所から鑑札をもらっていた。
最後に、畿内被差別民複合支配論を提唱したい。近世の被差別民の特徴は、複合的な支配を受けていることにある。もともと河原者は犬神人、庭者と呼ばれることもあったが、細工、屠者、河原者が集まって皮多村を形成する。マジカルな世界に属し、直接の支配関係になかった。聖から俗へ社会の意識の転換によって差別が強化された。その背景にあったのは、権力の中心が「天下の台所」大坂へ移り、大坂問屋金融による金融資本社会への移行があった。
(文責:本多和明)
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