第67回総会終了後、記念講演として、部落解放運動に対する提言委員会の座長を勤められた上田正昭先生から、提言の内容についてご講演いただきました。ここでは、その要旨をご紹介します。
一昨年、飛鳥会問題を初めとして、一連の不祥事が大きく取り上げられた。その際、戦後の部落解放運動の最大の危機であると案じていたところ、解放同盟中央本部より、提言委員会のメンバーとなるよう要請があった。
2007年3月5日に第1回の会合が開催され、その際満場一致で座長をせよということになった。11月26日まで、計7回、熱心に討議をして、沖浦和光先生に提言起草のための小委員会を構成していただき、最終的に12月12日、組坂委員長に提言を提出した。
私自身がはじめて部落問題に接したのは1949年に京都の高校で歴史の教員をしていたが、その際生徒会役員選挙に関わって部落差別事件が発生し、京都の部落解放委員会による糾弾会が組織された。新憲法の下にあっても部落差別が存在することを学び、そこから部落問題・部落史研究を進めてきた。
その後の部落解放運動は、生活実態に差別があり、市民的権利が保障されなければ、部落は解放されないということを、提起してきた。その結果教科書無償運動、奨学金運動など、大きな成果を上げてきた。しかし、他方で大きな欠陥があった。このことを率直に認めなければならない。今回の提言に際して、私は6点の提言を行った。
まず第1に、部落解放同盟は、部落第一主義を克服して、地域に根ざした人権のまちづくりの中核になるべきだ、という点である。第2に、国際連帯に関わっては、アジアの視点が欠落している。アジアの最も近い国の被差別民衆との連帯を重視すべきだとした。第3に、これまで33年間にわたり特別措置法に基づく同和対策事業が展開されてきたが、その結果、事業が目的になっている嫌いがある。本来の人間解放という原点に立ち返る必要がある。第4に、1993年に同和対策事業総点検運動が展開されたけれども、これは停滞ではなく挫折したと認識すべきである。第5に、1981年にも北九州の土地転がしという不祥事が発覚したが、その際にも、己の襟を正すべきだと述べた。この時に徹底的に自己批判しておれば、今日の不祥事は防げたのではないか、この自己批判のために、運動理論とあわせて、規約の改正を行う必要があるということである。第6に、いわゆる「差別の痛み論」が、他者の共感を呼ぶことができず、他者を疎外する理論になっているのではないかとした。
これらは私の個人的な意見であり、これをたたき台として、他の委員のみなさんにも意見を出していただき、提言をまとめた。じっくりお読みいただきたい。
今回の一連の不祥事は偶発的なものではない。一部の支部は、支部活動を私物化して、大会も開かない、会計監査もおいていない。これは、同盟規約に支部大会の開催や会計監査の設置が明記されていないという点に起因するといえる。
また、同盟だけではなく、行政にも責任がある。自ら部落問題解決の展望を持って、同和行政を展開してきた自治体がどれほどあるだろうか。自らの主体性でもって行政を推進していないから、同盟の幹部と癒着するという状況が生まれたのではないだろうか。その結果、心有る市民の共感を、運動も、行政も呼び起こすことができなかったのである。
これらの課題を克服するためには、中央本部の指導性の確立や人材の育成、規約の改正などを行う必要があるが、何より、魅力ある解放運動を展開していただきたい。反差別の運動、人権問題に関する運動との連帯だけではなく、人権のまちづくりの中核として、活躍していただきたい。人権文化の創造の担い手になっていただきたい。かつて庭造りという素晴らしい文化を河原者が担ったが、その第一人者が「と家に生まれたのを悲しむが、だからこそ命を大切にする」といった名言を残した。そのような素晴らしい、新たな文化運動を展開していただきたい。規律ある、信頼される、誰が見ても透明性のある運動を展開する必要がある。自力自闘で、周りを巻き込んでいくという行動方針を立てていただきたい。水平社の「人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進する」という素晴らしい綱領を思い起こしていただきたい。
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