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2008.04.21
意見・主張
  

第8回 原田伴彦・部落史研究奨励金選考委員会報告

 第8回原田伴彦・部落史研究奨励金に3名の応募があり、去る2月27日(水)に選考委員会(選考委員:秋定嘉和・大阪人権博物館館長、寺木伸明・桃山学院大学教授、渡辺俊雄・大阪の部落史委員会企画委員、井上満郎・京都産業大学教授〈欠席〉、以上4名)を開催した。選考の結果、以下の2名の方に奨励金を支給することを決めた。

 選考方法は、(1)研究目的、(2)研究計画、(3)研究計画と研究費の関係を各5点満点で選考委員が評価を行い、選考委員の平均点が10.5点(15点満点の7割)以上の方を対象に奨励金を支給するという方法である。

また、奨励金の額については、奨励金支給対象者の研究計画と研究費の関係を審査した上で奨励額を決定した。

(注)井上委員は都合により選考委員会を欠席された。なお、委員の評価は、応募者毎の選考で出席委員が評価を行った後、事前にお送り頂いた応募者毎の総評と評価(研究目的、研究計画、研究計画と研究費の関係についてのコメントと点数)を配布する形で選考に反映させた。

家塚智子さん(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター非常勤講師)
研究テーマ:「中世京都における門前の茶屋に関する基礎的研究」

研究目的

 申請者は、これまで、主として中世の京都や奈良の茶屋について、特に茶屋を商う人の身分について注目して、分析を試みた。(「中世茶屋考」『立命館大学』に投稿中)『七十一番職人歌合』では、弦売、いたかといった被差別民と同様に、煎じ物売が覆面をつけ笠を被っていること、東寺の「大宮茶屋祐阿弥」が散所の職掌である菊作りを担っていたこと、河原者の宿所があった四条道場の前に茶屋があったことなどから、茶屋が被差別民の生業のひとつであった可能性を指摘した。しかし、デッサン的に大枠をつかんだだけで終わっており、実証的に詰められていない点が多々ある。

 そこで、本研究もこうした問題関心のもとで進めるものである。東寺の門前の茶屋が散所との関連づけられると推測したが、これと同様の例は見いだせないのか。たとえば、長いスパンで史料が残存しており、なおかつ門前に茶屋があったことが知られる北野社の門前の茶屋などを取り上げてみることにする。寺社の信仰経済(阿諏訪青美氏)、参詣文化(野地秀俊氏)といった、近年の寺社の参詣をめぐる論議ともリンク出来るものであり、こうした議論を踏まえつつ、より豊かな参詣文化の諸相を描きたい。そのうえで、これまで見落とされてきた被差別民の存在形態を明らかにできるものと期待できる。

推薦者:源城政好さん(立命館大学衣笠総合研究機構研究員)

黒川伊織さん(神戸大学大学院総合人間科学研究科博士後期課程2年次在学中)
研究テーマ:「第1次共産党と水平社-佐野学起草の「1924年2月の日本共産党綱領素案」を手がかりとして-」

研究目的

 申請者は「1924年2月の日本共産党綱領草案」(英文)を、コミンテルン日本共産党ファイルより発見した。これは、コミンテルン起草の「22年綱領草案」にかわるものとして在ウラジオストクの佐野学らが起草したもので、コミンテルン第五回大会への提出が企画されていた。その注目すべき点は、労働運動、農民運動の問題に加えて、部落差別の完全撤廃、家父長制の廃止、植民地の放棄などの民主主義的要求が掲げられたことにある。日本共産党の綱領的文書で部落差別についてふれたものは、これがはじめてであり、なぜここで部落差別の完全撤廃が要求されたのかを知るためにも、第1次共産党の水平社への認識を改めて検討する必要がある。

 本研究では、第1に「1924年2月の日本共産党綱領草案」の起草者であり、「特殊部落民解放論」を著して全国水平社創立に影響を与えた佐野に即して、その部落問題への社会科学的な認識の成立と展開を明らかにする。第2に、「1924年2月の日本共産党綱領草案」によって日本側よりはじめて提起された部落問題についてのコミンテルン側の対応を、コミンテルン第4回大会にはじまる日本共産党綱領草案討論の過程や、第1次共産党がコミンテルンに提出した報告書から明らかにする。

 これらの作業により、のちの歴史的枠組みにとらわれることなく、被差別部落と解放運動についての認識が左派のあいだでどのように生成したのかを、改めて跡づけることが可能となるだろう。

推薦者:高木伸夫(ひょうご部落解放・人権研究所会員)