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2008.05.07
意見・主張
  

村越末男名誉理事長のご逝去を悼む

友永健三(部落解放・人権研究所所長)

 部落解放・人権研究所の名誉理事長で、大阪市立大学名誉教授であった村越末男先生が、去る4月11日午後6時48分、肝臓ガンのため逝去された。享年78歳であった。研究所創立以来「村越先生」と呼ばせて頂いていたので、以下「先生」と呼ばせて頂く。

 先生は、1930年7月2日、高知県の被差別部落に生まれ、1953年3月龍谷大学文学部哲学科(社会学専攻)を卒業後、高知県立中村高校教諭、高知大学教育学部非常勤講師等を歴任する一方で、解放団体高知県連合会の創立にも参加された。

 1968年4月には、大阪府立天王寺高校教諭に席をおいた大阪府同和教育指導員となり、同年8月に創立された大阪部落解放研究所の創立に参加、事務局長に就任された。その後、初代理事長であった原田伴彦先生亡き後、1984年7月には社団法人部落解放研究所の2代目の理事長に就任し、2005年6月に理事長を退任されるまで、研究所の発展に尽くされた。

 一方、1970年9月には大阪市立大学助教授、1980年4月、同教授、1984年4月には大阪市立大学同和問題研究室長等を歴任するとともに、1983年からは全国大学同和教育研究協議会事務局長、1992年には同副会長等の重責を担い、大学における同和教育の発展にも尽くされた。

 1973年から74年まで、アメリカのアリゾナ州立大学の客員研究員となり、1977年には、ロジャー・ヨシノ教授との共著"The Invisible Visible Minority―Japan's Burakumin―"を発刊し、部落問題の国際的な理解に貢献されるとともに、1988年1月に結成された反差別国際運動(IMADR)の結成にも参加、初代事務局長に就任するなど国際連帯活動にも先駆的な役割を果たされた。

 大学での教鞭、研究所や反差別国際運動等の民間団体での活動の合間を縫って、執筆や講演活動も精力的にこなされ、部落問題をはじめとする人権問題の解決に向けた世論形成にも貢献された。残された著書も多く、『部落問題と解放教育』部落解放研究所、1971年10月、『差別の論理と解放の思想』1972年11月、『部落解放と国際連帯』1976年4月、などがあるが、1996年11月には、『村越末男 著作集』全6巻が発刊(いずれも明治図書から)されている。

 先生は、『差別の論理と解放の思想』の「あとがき」の中で、「ものもいわず、文も書けず、差別の中に死んでいった、父や母、兄や姉、多くの友人や、解放運動の仲間たちの声を、ここに少しでも代弁しえたという安堵感である。」、「大学における研究者として、部落問題を真に科学的に把え、解放の思想を真に論理化することは、今後の私の生涯の課題であると考えている。私の学問の新しい出発点において、科学と思想の基盤に、差別にうちひしがれ、あるいは激烈な解放闘争のなかに生きる部落の人々のねがいと情熱を、私自身の過去の姿を確認しておきたかった。」、「多くの部落問題に関する書物が、悪しき客観主義に流れ、差別の論理によって歪曲されている現実からすれば、この書物はいささかなりとも社会に貢献でき得るのではなかろうか・・・」、「私の研究と活動は、部落解放運動のなかで支えられ、育てられた。」と記されているが、先生の生涯は、文字通りここに記されている基本的な立場によって貫かれたと言えよう。部落差別撤廃、人権確立に向けた、先生のご生前の多大な貢献に改めて敬意を表するともに、ご逝去に対し衷心より哀悼の誠を捧げたいと思う。

 現在、部落解放同盟を中心とした部落解放運動や部落解放・人権研究所は、創立以来最大の危機に直面しているが、先生の遺志を受け継ぎ、志を同じくする人びととともに、ピンチをチャンスに、新たな展望を切り開いていきたいと願っている。