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2008.05.26
意見・主張
  
雑誌 部落解放 599号(2008年6月)より

学校人権教育の推進に大きな意味
「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」

平沢安政(大阪大学)

はじめに

 文部科学省から「人権教育の指導方法等の在り方について[第3次とりまとめ]」が出された。日本の学校における人権教育の推進にとって、今後きわめて大きな意味をもつ文書であると考える立場から、その背景やポイントなどについて考えてみたい。

[第3次とりまとめ]の全体構成

 この文書は、【理論編】ともいうべき「指導等の在り方編」と「実践編」から構成され、「実践編」には「個別的な人権課題に対する取組」が別冊としてついている。

 「指導等の在り方編」は全43頁で二幸構成になっており、第I章は「学校教育における人権教育の改善・充実の基本的考え方」として人権や人権教育の基本的なとらえ方を示すとともに、学校における人権教育の目標や取り組みの視点を示している。第II章は「学校における人権教育の指導方法等の改善・充実」 として3節に分かれており、それぞれ「学校としての組織的な取組と関係機関等との連携等」「人権教育の指導内容と指導方法」「教育委員会及び学校における研修等の取組」となっている。また、「実践編」は全91頁で3つの部分から構成され、それぞれが「指導等の在り方編」 の各節に対応する形になっている。さまざまな参考例と四三の具体的な事例が紹介され、実践に役立つ内容構成になっている。また、「個別的な人権課題に対する取組」においては、1.女性、2.子ども、3.高齢者、4.障害者、5.同和問題、6.アイヌの人々、7.外国人、8.HIV感染者・ハンセン病患者等、9.刑を終えて出所した人、10.犯罪被害者等、11.インターネットによる人権侵害、12.その他(拉致(らち)被害者等、性的指向を理由とする偏見・差別、ホームレスの人権、性同一性障害者の人権、人身取引)として21の個別人権課題があげられ、それぞれの取り組みにあたっての基本的な考え方や観点、および関係法令などが示されている。

[第3次とりまとめ]が出された背景

 日本では人権教育・啓発にかかわるはじめての法律として、「人権教育・啓発推進法」が2000年に策定され、続いて人権教育・啓発推進のための「基本計画」が2002年に出された。この「基本計画」において、「学校における指導方法の改善を図るため、効果的な教育実践や学習教材などについて情報収集や調査研究を行い、その成果を学校等に提供していく」こと、および「人権教育の充実に向けた指導方法の研究を推進する」ことが「人権教育・啓発の推進方策」として明示され、その研究推進組織として調査研究会議が設置された。

 同会議は、人権教育の指導方法等の在り方を検討し、2004年6月に「人権教育の指導方法等の在り方について[第1次とりまとめ]」を公表した。この中では、「[自分の大切さとともに他の人の大切さを認めること] ができるようになり、それが様々な場面や状況下での具体的な態度や行動に現れるようにすること」を人権教育の目的として明確に位置づけるとともに、学校教育における指導の改善・充実にむけた視点を示している。

 その後、同会議は都道府県・政令指定都市教育委員会の協力を得ながら、人権教育の具体的な実践事例や指導事例などを収集し、人権教育に関する理論的検討を深めたうえで、2006年1月に[第2次とりまとめ]を出し、全国の教育委員会や学校に配布した。

 同会議はさらに、実践的なノウハウなどの情報を求める要請が大きくなったことを受けて審議を重ねた結果、「指導等の在り方帝」と「実践編」および「個別人権課題に対する取組」を2008年2月8日に公示し、1カ月間にわたって広くパブリックコメントを求めたうえで、最終的な [第3次とりまとめ]を確定し、2008年4月4日に公表したのである。

[第3次とりまとめ]の内容とその評価

 すでに[第2次とりまとめ]の段階において、全国の同和教育・人権教育関係者からも、基本的に「これまでの同和教育の成果が反映されている」「具体的で実践的な提案がなされている」といった肯定的評価が与えられ、その積極的な活用を呼びかける声が広がっていたが、今回の[第3次とりまとめ]についてもほぼ同様の評価が得られると思われる。以下、その理由を何点かあげてみたい(注=5点目以外は、すべて「指導等の在り方編」にかかわるコメントである)。

●人権教育に関する文科省の初の公式文書

 1点目は、人権教育の理念やすすめ方に関して文科省がはじめて公式に出した文書であり、そのこと自体が大きな歴史的意義をもっていることである。とくに、これまでの同和教育や人権教育の理論と実践をふまえながら、これからの学校人権教育に必要な指導内容・方法とともに、その体系的推進に不可欠な観点を具体的に提示していることから、この文書に批判的な立場からの評価も含めて、今後の学校人権教育をめぐる議論や実践をさらに活性化させることにつながる内容を備えている点を指摘しておきたい。

●「人権に関する知的理解」と「人権感覚」

 2点目は、人権教育を「人権に関する知的理解」と「人権感覚」の2つに分けてわかりやすく提示していることである。とくにこの文書が焦点をあてている人権感覚については「指導等の在り方編」において「自分の大切さとともに他の人の大切さを認める」という平易な表現で繰り返し言及するとともに、「人権感覚とは、人権の価値やその重要性にかんがみ、人権が擁護され、実現されている状態を感知して、これを望ましいものと感じ、反対に、これが侵害されている状態を感知して、それを許せないとするような、価値志向的な感覚である」(5頁)と明確に定義づけている。また人権意識についても、「人権感覚が健全に働くとき、自他の人権が尊重されていることの『妥当性』を肯定し、逆にそれが侵害されることの『問題性』を認識して、人権侵害を解決せずにはいられないとする、いわゆる人権意識が芽生えてくる」(5頁)と説明している。そして、人権感覚と人権意識の関係については、「価値志向的な人権感覚が知的認識とも結びついて、問題状況を変えようとする人権意識又は意欲や態度になり、自分の人権とともに他者の人権を守るような実践行動に連なると考えられる」(5頁)と述べ、この2つが人権を守るための実践行動にどのようにつながっていくのかを示している。

 さらに、人権教育を通じて育てるべき資質や能力として、知的理解については知識的側面、人権感覚については価値的・態度的側面と技能的側面をあげ、これら3側面の相互関係を具体的に説明している。7頁には、これら3側面に関する見取り図が示されているが、そこでは1.人権教育で育てようとする資質や能力が2つの要素(知的理解と人権感覚)から成り立っていること、そして2.この2つの要素が知識と態度と技能(スキル) にかかわる3つの側面で構成されること、が説明されている。子どもたちの中に育てるべき力や資質について、教育学では一般的に知識、態度、技能(スキル)という3本柱で考えるが、この区分に対応して3つの側面が示されているために、人権教育の理論的構造をわかりやすくとらえることができる。

 また、総合的な指導のためのプログラム例(24頁)において、「自己の価値に関する認識から出発して、様々な人権課題の認識、社会的背景の考察、人権諸課題共通の概念習得を経て、人権実現のための具体的行動力の獲得に到達するまで、自然な流れの中で、諸要素を総合的に身に付ける」という視点が示されているが、この考え方は、個のレベルにおける自尊感情が人権尊重の社会づくりとどのようにつながっていくのかを示している点で大きな意義がある。

●学校での組織的な取り組みのあり方

 3点目は、学校における人権教育の組織的な取り組みのあり方が示されている点である。とくに、人権尊重の精神に立つ学校づくりについて、教科指導、生徒指導、学級経営のすべてを視野に入れて取り組むための視点(10-11頁)とともに、学校としての目標設定、校内推進体制の確立、人権教育担当者の役割が明示され(16-17頁)、校内推進組織の参考例が示されている。また、人権教育の全体計画や年間指導計画についても具体的に説明されている (17-18頁)。

●各教科などで人権の知的理解・感覚を育む

 4点目は、教科や総合的な学習の時間、道徳、特別活動において人権に関する知的理解を促進し(22-23頁)、人権感覚を育(はぐく)む指導方法(24頁)を示していることである。人権感覚については、「隠れたカリキュラム」がどのような影響を及ぼすのかということにも言及している (9頁)。人権に関する知的理解や人権感覚を教科指導によっても育むことができるという指摘は、学校教育活動の全体を通して人権教育を推進するうえで、きわめて重要な示唆を与えるものである。

●実践に役立つアイデアを提示

 5点目は、「実践編」において、具体的な取り組みを展開するうえで参考になるアイデアがきわめて多彩に示されており、学校現場にとって実に魅力的な内容構成になっていることである。[第2次とりまとめ]以降、実践的なノウハウを求める強い要請を背景に資料収集や審議が集中的に行われた成果がここに集約されている。その中身を概観すると、人権教育の全体計画や年間指導計画の作り方、取り組みの点検・評価の仕方、家庭・地域との連携のあり方、校種間連携のすすめ方、人権に関する知的理解に関わる指導内容、人権感覚の育成に関わる指導内容、効果的な学習教材の選定・開発、効果的な指導のための方法と技術(ブレーンストーミング、ディスカッション、小グループ活動、ダイヤモンド・ランキング、ロールプレイング、シミュレーション、絵・写真・漫画・図面・コラージュ、映画・ビデオ・新聞・ラジオ、ディレンマ・ゲームなど)、「協力的」「参加的」な学習の取り組み、「体験」を取り入れた指導方法の工夫、発達段階を踏まえた指導方法の工夫、教育委貞会・学校における研修の取り組み、効果的な研修プログラムの例などとなっている。

●法教育と人権擁護の実践的知識の必要性

 6点目は、法教育の必要性が三度にわたって(23頁、31頁、38頁)、また人権擁護のための知識・意欲・態度・技能・実践などの必要性がくりかえし指摘されていることである。筆者は、法教育や人権を行使する知識・技能(スキル)を育てていくことは、能動的な市民を育てるうえできわめて重要だと考えているが、法教育や人権擁護のための知識・技能などの重要性については、この文書の今後の活用において大いに注目すべきであろう。

●発達段階に即した学習目標の設定

 7点目は、発達段階のことが繰り返し(25回)言及されており、発達段階に即した学習目標の設定の必要性が一貫して強調されている点である。とくに30-31頁には、幼児期、小学校1年-3年、小学校4年-6年、中学校段階、高等学校段階で、それぞれどういう重点目標を設定すると望ましいかということが示されている。人権教育においてこれまで発達段階についてはあまり議論されてこなかったことから、この点に着目することはきわめて重要である。「実践編」においても、事例26(幼児期における取組)から事例30(高等学校における取組)まで、発達段階をふまえた具体的アイデアが示されている。

●国際的文脈に位置づけて

 8点目は、「はじめに」(1頁)で「人権教育のための国連10年」や「人権教育のための世界計画(世界プログラム)」などの国際的動向が言及されている点である。あまり多くは述べられていないが、従来文科省が国際的な人権教育にあまり注目してこなかったことを考えると、人権教育をめぐる国際的な文脈に[第3次とりまとめ]を位置づけていることは評価できる。

[第3次とりまとめ]の課題について

 ただ、もちろん課題もある。大きく3点だけ指摘しておきたい。

●「狭く」とらえられた人権

 1点目は、「自分の大切さとともに他の人の大切さを認める」という言い方における「他の人」の定義が、総じて学校・学級における人間関係に焦点をあてて「狭く」語られていることである。いじめや不登校への対応が優先事項として認識されているためであろうが、人権教育を限定的にとらえている点には課題がある。たとえば、国連が推進する「人権教育のための世界計画(世界プログラム)」などは、人権にかかわる地球規模の問題意識に立脚しており、「持続可能な開発の10年」とも連動しながら、戦争、紛争、構造的暴力、差別、環境破壊などの犠牲者となっている世界中の「他の人々」のことを視野におさめている。近年の各国における人権教育の流れを見ても、多文化教育、ジェンダー教育、開発教育、環境教育、平和教育、市民性教育などとの接続を強めながら、権力関係を問い直したり、グローバルな視点を強調したりする方向性が広がっており、日本の人権教育においても同様の傾向が見られる。しかし [第3次とりまとめ] では、そういう「他の人々」 のことはほとんど視野には入っていない。そのことは、「指導等の在り方編」全43頁を通じて、「戦争」「紛争」「地球環境」「環境問題」「多文化」「人種」「民族」「マイノリティ」「ジェンダー」「貧困」などのことばが一度も登場しないことに表れている。

●「中立性の確保」「プライバシーへの配慮」

 2点目は、「中立性の確保」や「個人情報やプライバシーに関することへの配慮」が一面的に強調されていることである(32頁)。国内外における人権教育の歴史をふりかえると、人権を不当に侵害されてきた集団・個人の異議申し立てや反差別・人権伸長の社会運動が原動力となって発展してきた経緯があり、その意味で人権侵害の当事者の声に耳を傾け、その現実から学ぼうとする姿勢はきわめて重要な意味をもつ。同和教育が、被差別部落児童・生徒の「心の襲(ひだ)に寄り添う」ことや「差別の現実から深く学ぶ」ことを大切にしてきたのはそのためである。「中立性の確保」や「プライバシーへの配慮」は一般論としては間違っていないが、そのことを理由にして人権教育に必要な取り組みが損なわれることがないようにする必要がある。

●学力保障の位置づけの弱さ

 3点目は、学力保障の問題を人権教育の課題として位置づける視点が弱いことである。大阪をはじめ、関西におけるこれまでの同和教育・人権教育の実践や研究の成果が[とりまとめ]にはかなり反映されており、「効果のある学校」(16頁)が参考としてあげられているのはその具体例のひとつだが、人権感覚の育成が学力形成にもつながるとの指摘はあるものの、学力の育成そのものを人権教育の課題としてとらえる視点は示されていない。国際的な人権教育においては、「人権についての教育」とともに、「人権としての教育」が重要な柱として位置づけられてきた経緯があり、格差社会の進行が大きな関心事となっている今日、教育機会の保障とともに、「主体的市民として生きる力」としての確かな学力を保障することも含めて「人権としての教育」をとらえる必要があることを指摘しておきたい。

おわりに

 本稿で述べたようなポイントと課題をふまえながら、[第3次とりまとめ]が今後学校人権教育の発展に有効に活用されることを願っている。とくにその際、「人権教育のための世界計画(世界プログラム)」など、国際的な人権教育の潮流と連動しながらさらに進化することを強く期待したい。