野口道彦(部落解放・人権研究所理事)
三輪嘉男先生が2009年12月9日に亡くなられました。世界人権問題研究センターの近現代班の研究会では3月まではほとんど毎回出席され、研究に対する真摯な姿勢で発言されていました。姿をお見かけしないなと思っていたやさきのことです。夏ごろから体調を崩されていたことを知らず、迂闊でした。
先生の経歴や業績については、『同和問題』第15号の「三輪嘉男先生退任記念号」(1992年、大阪市立大学同和問題研究会紀要)に詳しく報告されていますが、簡単に紹介します。先生は1929年1月に兵庫県にお生まれになり、神戸大学は、文学部社会学専攻(1954年卒)と工学部建築学科(1960年卒)と二つの学部を卒業され、その後、大阪市立大学大学院工学研究科に進学。1968年に大阪市立大学工学部講師として着任されました。
このような経歴に見られるように、三輪先生は社会学の素養をもちながら、理系的センスで都市問題の研究をされてこられました。部落問題に関しては、大阪市立大学同和問題研究室の研究員として多大な貢献をされてきました。研究員になられたのは1971年です。同和問題研究室が設立される2年前で、同和問題研究会という形態をとっていた頃のことです。
1992年3月に大阪市立大学を定年退職されたあと、神戸学院大学教授として社会学を講義、若い研究者を育てられました。その一つに、神戸学院大学に、イフティカル・チョドリー教授(チッタゴン大学)を客員教授として迎えられ、それをきっかけにバングラデシュ社会の共同研究グループを組織されたことがあります。私が清掃人カーストの研究をするようになったのも、三輪先生のお陰です。この共同研究は、その後、私が代表となった科研費研究「バングラデシュにおける清掃労働者の研究」(2002年度?2005年度)、「バングラデシュにおける清掃労働者集団の社会移動の多様性」(2006年度?2008年度)へつながっていきました。
神戸学院を退職後も、先生の研究に対する情熱は衰えず、研究の成果を意欲的に発表されてきました。私の知っている範囲では、つぎのようなテーマがあります。「不良環境地区改善事業とスラム対策」(2002年2月)、「細民集団地区調査地域の変容と住環境整備」(2003年3月)、「隣保事業の推移と課題---神戸・尼崎を中心に---」(2005年2月)、「賀川豊彦と帝国経済会議・不良住宅地区改良法案特別委員会」(2006年3月)。三輪先生は、自己を顕示するところがなく、いつも温和で誠実な態度で、私のような若輩に対しても丁寧な姿勢で接しくださいました。
三輪先生が奈良市同和対策協議会会長、大和郡山住環境整備計画委員会委員長をされているときに私も委員の一人として同席させていただきましたが、先生は温和な笑顔の中にも、逆流には敢然と立ち向かう強靭な思想をお持ちであることを感じることがたびたびありました。本当に早すぎるご逝去で、先生の学識の深さと広さのほんの一端しか学んでいないことが、私としては残念でなりません。三輪嘉男先生のご冥福をお祈りいたします。
≪三輪先生のご冥福をお祈りいたします≫
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