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2003.10.29
講座・講演録
部落解放研究126号より
1999年2月28日発行

差別調査事件の概要と今後の課題
―採用調査の是非を中心に―

北口末広(部落解放同盟大阪府連合会書記長)

はじめに

  1998年7月2日、大阪府は「部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」(以下「規制条例」という)違反で調査会社2社に対して立ち入り調査を行った。2社とも差別調査を行っていた事実を認め、「規制条例」に基づいて行政指導を受け、その内1社は、届け出違反で南警察署に告発された。その結果、2社それぞれ廃業と調査業からの撤退を行わざるを得なくなった。今回の事件はさまざまな経過を経て、最終的に調査会社自らが部落解放同盟に差別調査の事実を認めてきたものである。

  そもそも差別調査事件には差別調査を依頼した側と依頼された側という2つの側面の事件関係者がいる。今回の事件の特徴は調査会社が自主的に認めてきたこともあって、部落解放同盟の要請に基づいて調査業者から依頼企業側である顧客リストが提供されたことである。これまでの差別調査事件で依頼企業側の顧客リストが示されたことは皆無であり、その時点で今回の事件の広さと深さがこれまでの差別調査事件とは比較にならないものになった。その意味で今回の事件は差別採用システムの全貌を明らかにし、それらを改革する絶好のチャンスを与えたといえる。

  また、この事件は「部落地名総鑑」差別事件から23年、「規制条例」制定から13年を経ているにもかかわらず、発生・発覚したものであり、部落差別の根深さを改めて示したものといえる。さらに、「身元調査お断り運動」や大阪府の調査業者自らが部落差別や人権侵害につながる調査について自主規制を目的に結成した(社)大阪府調査業協会などの努力を水泡に帰す極めて悪質な事件である。

 まず最初に、今回の事件の事情聴取や事実確認会で明らかになった点を「糾弾要綱」で整理しているので明確にしておきたい。

1 これまでの経過と事件の概要

(1)1998年6月30日調査業者2社から約1、400社におよぶ顧客リストなどが部落解放同盟大阪府連合会の要請に基づいて提出された。一方、大阪府は7月2日に「規制条例」にもとづき立入り検査、2社とも差別身元調査を行っていたことを認め、大阪府の指示にもとづき、会社内でやりとりされた差別的な事実を報告し、約1、400社におよぶ会員名簿などが府にも提出された。

(2)この調査業者2社は、親子の関係にあり、もともと親会社のA社は、大阪市中央区で経営顧問業を営み、経営コンサルタントを主な業務として1979(昭54)年に設立。子会社のR社は、いわばA社のリサーチ部門である。A社は、業務に適性検査やコンサルタント、社員教育、人材紹介、企画PRといった部門とR社の採用調査などのリサーチ部門を持っていた。顧客企業は、A社の会員となり、上記のメニューにもとづき依頼するという仕組みとなっている。表向きにはA社の会員を装い、コンサルタントを含む総合的に企業を応援するというシステムをとりながら、実際は、身元調査などの採用調査を目的に加盟しているところが多かった。大阪府連による調査業者2社の確認会で「A社全体に占める業務の7割〜8割はR社の仕事」という実情を見てもきわめて巧妙なシステムであることがわかる。

(3)その後98年7月から10月にかけて6回にわたる確認会で以下のような点が明らかになった。

  1. 顧客はA社の会員となり、採用の際の身元調査などをR社が担当する。したがってR社への直接依頼はない。
  2. R社による調査は、顧客からA社へわたった「履歴書」をもとに現地確認が基本となる。
  3. 調査は、聞き込みによる人物評、思想、前の勤務先状況、家族の思想と生活などがメインとなっており、これらを総合的に評価するため4段階(A・B・C・D)によるランク付けが行われていた。Aは、きわめて優秀、Bは、普通で「履歴書」などに間違いがない場合、ほとんどこの評価。Cは、留意点ありとなっており、とくに親の政治思想などが問題となっており、Dは、「R社なら採用しない」といった4段階評価を採用している。
  4. 1990年から94年頃の調査件数は1年間で約2万件。
  5. 「トラブルをさける」「無理をしない」がR社の調査方針。調査員が調べてきたのを「集約」という上役がチェック。Fレポート(ファックスレポート)を調査員が記入し、A社を通じて企業へ報告される。
  6. 「履歴書」は、すべて部落出身者とわかった時点で「※」がつけられ、調査がストップ。つまり、部落出身者であると断定された段階で、評価さえも記入されていない。
  7. 「※」は、とくに部落だけを指しているのではなく、「暴力団関係者」「今の世の中のイレギュラーな部分」「周囲のムードが悪い危険地帯」などにも「※」のマークをつけていた。
  8. 「調査不能」という回答に企業から抗議を受けたことはほとんどない。
  9. 採用調査の基本料金は2万円。ただし、実家が離れている場合は、3万円から3万2千円程度。その他、現地までの交通費などを請求していた。
  10. 企業とA社との「契約書」はほとんど交わされていない。A社の請求内容も合計金額だけであり、細かい明細書もない。
  11. 企業から「国籍」「部落」などを調べてくれといわれたことはない。
  12. 会員資格は、第1種会員200万円、第2種会員100万円、第3種会員70万円、第4種会員50万円、第5種会員30万円となっている。
  13. A社が指定する銀行口座に上記の会員額を振り込み、後はA社が調査した金額分だけ引き落とす仕組みになっている。

(4)「履歴書」に書き込まれたメモなどについて明らかになった点

  1. 「『※』……会館のとなり」の履歴書について
    • 現地まで出向き、近所に人がいなかったので、ぶらぶらしていたら解放会館が目に入った。それを見て調査しにくいと思った。
    • 「解放会館」を見てすぐに「部落に聞き込みに入るのが恐いと思った」
    • 前の職場で車の接触事故を起こし、エセ同和に脅かされた経験があり、「部落は恐い」と思うようになった。
  2. 「○○町の皮屋……FAXにもしないように」の履歴書について
    • 近辺に聞き込みに入り、「勝ち気で、プライド高い、自主性があり、回転が早い」との人物評を記入した後、父親が「○○町の皮屋」とわかった段階で「※」という評価をつけた。
    • たしかテレビで、○○町は部落だと知っていた。
    • ○○町と皮屋ですぐに「部落」と結びついた。
    • また、○○町に友人がいたので知っていた。○○、○○といった他の部落も知っており、恐いと思っていた。
  3. 「直接の※ではないが、※みたいなもの」の履歴書について
    • ゴチャゴチャしていて調査がしにくいとの報告があったので、集約担当が※をつけた。
    • 「ムードが悪い地域」と「部落」が重なり、そのまま記入した。

  これまでの事実確認会で明らかになったのは以上の点である。

  ところで、今回の差別調査事件においても何が差別調査なのかということを明確にすることが求められている。

  そもそも差別とは、属性の原理(性、人種、皮膚の色、言語、財産、出生、社会的出身、門地、国民的出身、種族的出身など)や思想・信条などに基づいて、政治的側面からみれば、特権と無権利または権利の制限であり、意識的側面からは優越感と蔑視である。また、経済的側面からは格差であり、社会的関係としてみるならば、地位や利益などの独占とそれらからの排除である。

 上記のような原則をふまえつつ、具体的な事象が差別であるかどうかを判断する場合、事象の具体的内容がどのようなものかというだけでなく、その事柄や表現などの行為者がどのような立場の人で、どのような人を対象としているのかによって、具体的内容の持っている意味も異なってくる。また、行為の目的や場所・空間、表現方法、時間・時代によっても大きく異なる。

 つまり、誰が誰に対して、何時、どこで、何を、どのような目的で、どのような方法によって具体的な事象を発生させたのかによって、同様の事柄であっても差別であると認識される場合とそうでない場合が存在するように調査業界にとって何が許されて、何が許されないのかということを今回の事件を通じて明確にしていく必要がある。

 本稿においては、その問題を中心として後述する。

2 事件発生の背景と課題

  次にこのような差別調査事件を根本的に克服するためにも事件発生の背景について考察する。(なお「差別性と問題点」は1999年2月号の雑誌『解放教育』を参照されたい)

  第1に、差別を維持し助長する社会システムの存在である。調査業者2社の差別体質は許されるべき問題ではないが、依頼した1、400もの企業の存在があるからこそ、調査業者2社による差別調査が繰り返し行われていたといえる。「解放同盟さんが、がんばればがんばるほど地下に潜りますよ」というA社の確認会での発言は、表向きは「採用にあたっての差別はしない」という建前を棚上げし、「設立当初から守ってきた企業の差別倫理(次の人間を雇わない―部落・障害者・在日コリアン・中卒・前科者など)を貫くためには、多少の費用がかかってもかまわない」とする根強い差別意識の存在を明確にしている。

  日本社会にある家意識が企業にまで浸透しており、設立から守り抜いてきた血統を貫くためには、よそ者を排除する、異分子を会社に踏み入れさせないという強い排除論が根強く存在している。こうした差別採用システムに代表される今日の社会システムが事件を生み出した大きな背景を形成している。

  また、差別調査事件として表面化しない日常的な差別身元調査の実態が把握されていない現状もこれらの事件を続発させている背景になっている。

  第2に、調査業者2社と社員・調査員の差別体質である。14年前に成立した「規制条例」を知りながら部落差別調査を日常的に行っていた事実も責任重大であり、採用調査として「思想」「政治」「家族」まで踏み込むきわめて重大な人権侵害を長年にわたって続けてきた体質が今回の事件の重要な背景である。

  第3に、A社と顧客の不可解な関係も背景の1つである。情報公開の時代にあって、社会の公器としての企業にこれほど不透明な闇の部分が存在していてよいはずがない。今日の企業において経済活動の透明性を確保することは、最も重要な課題の1つである。今回の事件においても企業活動の不透明さが大きな背景を形成している。

  第4に、A社会員約1、400社に代表される経済界の差別体質である。「名刺交換しただけでもA社会員として登録されている」ということもあり、一概に1、400社すべてが差別体質を持っているとはいえない。しかし、A社の証言によれば、全体の7割から8割は採用調査を依頼した企業となる。

  「部落かどうかの調査依頼はしていない」。だから部落差別ではないと主張する企業が存在する。しかし、差別調査を行ったR社の調査員はきわめて「プロ」意識が高く、いかに遠隔地であろうと現地まで出向き、「きめ細やかな」調査を行っており、調査の結果として「解放会館のとなり」や「○○町の皮屋」「革・袋物業を営んでいるから※みたいなもの」といったことまで暴いてしまうのである。そして部落出身であることを暗に示す「調査不能」「※」と企業側に報告していたのが実態である。

  A社の関係者は「調査不能に対し、一切の苦情を企業から聞いていません」と証言する。いかに多くの企業が無批判に受け入れていたのかが推測される。つまりは、企業側にとってもA社を利用した「付加価値」として、それらの報告を積極的に活用していたといえる。「中途採用で前職の確認を」という依頼企業の要請に対し、Fレポートは思想・人柄・家族まで調査し、企業へ報告している。「前職を退職した理由」のみを企業側が知りたかったはずが、それ以外に思想までかなり踏み込んだ報告をA社側はしていることになる。

  こうした事態に対し、「A社が提出する報告書が気に入らないと契約を断ってきたところは何社かある」程度で、ほとんどの企業は、それを無批判に取り入れている。つまり、A社が「思想」までかなり踏み込んで調査してくれる「付加価値」は企業にとっては魅力のあるものとなっていたといえる。このような体質はA社会員だけでなく、経済界を構成する多くの企業によってなされていることであり、これらの体質が今回の事件の背景になっている。

  第5に、大阪府をはじめとする全国の行政機関の取り組みの不充分さと労働行政の限界が大きな背景となっている。事件発生後の大阪府の事実解明の取り組みは、評価するものであり、1、400社の事情聴取の実施に踏み切ったことは大きな意義がある。また、「規制条例」の存在がこの事件を社会的に明らかにさせる上で重要な役割を果たしており、全国に先駆けて制定した成果が表れたといえる。しかし、いまだ部落差別を依頼した企業の存在を明らかにさせることはできていない。「規制条例」は、あくまで興信所・探偵社を対象としており、差別調査を依頼した側は対象外である。こうした限界が、今回の事件についての核心に今1歩攻め込むことができない行政課題である。

  「規制条例」制定から14年が経過するが、業者の自主規制と行政の啓発だけでは、企業防衛という名のもとに展開される差別的な身元調査に歯止めをかけることは容易ではない。「調査のガイドライン」の策定や調査業者とクライアントの情報公開など抜本的な改革論議を棚上げし、啓発にだけウエートをおいてきた大阪府行政の不十分さが事件の背景に存在するといっても過言ではない。さらに、不十分性を持つ「規制条例」であるが、その主旨が依頼する企業側に徹底されていなかった。また、全国的にはほとんどの府県において「規制条例」すら存在しない現実があり、これらが差別調査事件を許す重要な背景を形成している。

  以上のような背景を克服するためには、(1)調査業者2社の根本的な反省、(2)事件を教訓とした調査システムと調査業界の抜本的改革、(3)今回の事件を教訓にした取り組みの実施と総点検、さらには、総合的な施策の行政機関による抜本的強化、(4)全国的な法規制、法救済の必要性、(5)経済界の取り組みの抜本的強化と採用をはじめとする社会システムの改革などが確実に実施されなければならない。

3 採用時の調査システムについての考察

1 「採用調査」検討の必要性

  以下において採用時の身元調査の是非を中心として、(2)の調査システムについて考察していきたい。

  今回の差別調査事件に関わって、どのような調査が許されて、どのような調査が許されないのかを明確にすることが事件克服のためにも強く求められている。今回の事件の遠因にこの点が極めて曖昧にされてきたことをあげることができる。

  個人を調査対象にすることを全面的に反対するものと、その考え方は納得できないとする調査業者を中心としたサイドに分かれ、その狭間で良心的な調査業者ですら反対している差別採用調査が事実上広範囲に行われてきた。全面的に反対する側も決定的な手段と論拠を持たないまま年月が過ぎてきた。そうした中で発覚したのが今回の差別調査事件である。

  私達自身これまで「身元調査お断り運動」を展開し、差別につながる身元調査を許さないと強調してきたが、現実的には採用時に身元調査が行われていることをいくつかの事例を通して承知してきた。その1つとして部落差別調査の自主規制団体として(社)大阪府調査業協会の存在を理解し、その中に企業との取引を中心とする調査業者で組織された「2部会」が存在することも理解していた。そのような業者は「差別につながる身元調査」と表現した場合、身元調査の中で差別につながるものは許されないが、それ以外は許されると考えてきた。一方、身元調査を全面的に反対する側は「差別につながる身元調査」という表現は身元調査全てが差別につながるのだと理解してきた。だからこそ「許容できる調査」があるとすれば具体的にどのような調査かということを明確にしなければならないのである。

  この際、差別調査事件の克服のためにも、不透明な形でなされてきた採用調査の是非について詳細に検討する必要があるといえる。検討するにあたって「部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」のように「許されない調査」つまり規制しなければならない調査を設定する検討ではなく、「許容できる調査」があるとすれば、どのような範囲かという検討を行うことが求められている。この場合、いくつかの視点を設定することが有用であるといえる。

2 プライバシー保護の視点

  その1つがプライバシー保護の視点であり、そのために1980年9月23日に採択された「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関するOECD理事会勧告」(以下「OECDガイドライン」という)と、それを一層強化した1995年7月24日採択の「個人データ処理に係る個人の保護及び当該データの自由な移動に関する1995年7月24日の欧州議会及び理事会の95/46EU指令」(以下「EU指令」という)を参考にする。いずれも国家に対してなされた勧告、指令であり、前者は強制力がなく、後者はEU加盟国において1998年10月までに国内法で対応しなければならないものである。今後とも国際的なプライバシー保護論議の中心をなすガイドラインと指令である。これらの基準・考え方を明確に克服することが身元調査にも求められる。

  まず、OECDガイドラインでは8つの原則を示している。(1)収集制限の原則、(2)データの質維持の原則、(3)目的明確化の原則、(4)利用制限の原則、(5)安全保護措置の原則、(6)公開の原則、(7)個人参加の原則、(8)責任の原則である。

  EU指令では、第1に収集、利用、提供に関し、ハイリーセンシティブデータの収集などの禁止、収集などが認められる場合や本人への通知などについて定めている。ハイリーセンシティブデータとは人種、民族、政治的見解、宗教、信条、労働組合への加盟、健康、性生活に関する個人データである。収集が認められている場合とは、特定された明確で合法的な目的であること、目的に照らして適切であり、また適切でないことであっても、データ主体の明確な同意がある場合、契約の履行に必要な場合、法的義務がある場合、データ主体の重大な利益の保護上、必要な場合、その他合法的な利益のある場合で、データ主体の利益などが優先しない場合である。

  第2に、本人への通知に関しては、データ主体から直接収集する場合と、データ主体から直接収集されない場合に分けてその基準を定めている。身元調査の問題を論じる場合、データ主体から直接収集する場合はあまり関係がなく、データ主体から直接収集されない場合が関連してくる。

  第3に、アクセス権についてデータ開示請求、データの訂正、消去などの実施、データ主体の異議申立権を明記している。

  第4に、安全保護に関してはデータの正確性および最新性の維持、目的のために必要となる期間に限定したデータの保存、データの破壊、損失、不当なアクセスなどに対する技術的および組織的措置を講じ、適切な安全レベルの確保を求めている。

  第5に、責任などに関して司法的救済の保証および事前の監督機関による行政的救済やデータ主体は本指令の違法行為によって損害を被った場合、データ取得者に対して損害賠償の権限を得、この指令の実施を確保するため、違反に対する制裁を規定することになっている。

  第6に、OECDガイドラインには定められていなかった監督機関の機能と権限について定め、機能では本指令に基づく規則の自国内での適用を監視し、本指令によって委任された職務の遂行を明記し、権限では必要な情報を収集する調査権、勧告を行う権限、禁止を命じるなどの権限、警告などを行う権限、訴訟または違反を司法当局に通知する権限などを定めている。

3 企業に求められる社会性

  今ひとつは、今日の企業に求められる人権性、倫理性、合法性、公式性、公開性の視点である。これらの視点や基準を克服することが強く求められている。人権性、倫理性、合法性は文字通りであるが、公式性とは経営に関わる事項の決定は公式の場で行わなければならないということであり、公開性とは決定された事項は社会に公開されなければならないということである。企業の情報公開や透明性はますます重要になってきている。企業が経営に関わる情報のディスクロージャーをさけながら投資家や預金者の自己責任を求めることなどできない。この面でのグローバルスタンダード(国際基準)は経済のグローバル化を考えた場合、一層必要になってくる。企業は「社会の公器」であることを忘れてはいけない。

  さらに、調査目的の正当性、手段の正当性、収集情報の公開性などを検討した上で「許容できる調査」の範囲と方法などについて明確にしていく必要がある。

  以上の視点から身元調査、特に採用時の身元調査について検討する。身元調査の問題と部落差別の問題をクロスして論じる場合、結婚時の身元調査の問題を外して論じることはできないが、本稿では差別調査事件との関わりで論じるので、あえて採用時の問題を中心にして検討を進めることにする。

4 採用調査に関わる問題点

  身元調査に関わる関係者および当事者は基本的には3者である。身元調査を営利目的に業として営んでいる調査業者とその調査業者に依頼する企業や団体であるクライアント、そして被調査人である。この3者の関係の中で身元調査が進められていく。まず(1)調査業者が企業などに営業を行い、(2)その中のいくつかの企業などから調査業者へ調査の依頼が行われ、(3)その依頼に基づいて調査業者が被調査人を調査する。そして(4)その調査結果をレポートあるいは口頭で調査業者が依頼企業などに報告するという流れである。

  こうした流れの中で依頼企業などと調査業者の間で契約が交わされ、経済行為としての金銭の授受が行われる。差別調査事件の第1側面としての依頼企業などと調査業者の間でのいくつかの問題は、まず第1に依頼企業などの依頼内容に関わる問題であり、第2に調査業者から依頼企業などになされる調査報告の内容であり、第3に調査業者の営業・広告行為の内容や両者で交わされる契約内容に関わる問題である。

  これらの点に一定の基準を設定しなければ「許容できる調査」の範囲を確定することもできない。なぜならこの両者が差別調査事件の加害側である場合がほとんどだからである。その意味でこの両者間でのやり取りを明確にすることが事件の真相解明と克服に最も重要な点である。しかし、この両者間の内容を全面的に明らかにすることは「企業防衛」という壁が存在し容易ではない。今回の件では顧客企業リストが提出されたことによって、その壁に大きな穴をあけることができたといえる。

  差別調査事件の第2側面は調査業者と被調査人に関わる問題である。これは、依頼企業などと調査業者との間の問題の反映でもあるが、第4に調査のあり方・方法に関わる問題である。違法な調査手段が許されないことはいうまでもないが、被調査人のプライバシー保護の視点も貫かれなければならない。これまでの調査業者が「相手が知らない内に調べるのがプロである」といっているように被調査人は自身が調べられていることは全く自覚できていないのである。

  差別調査事件の第3側面は依頼企業などと被調査人とに関わる問題である。第5に依頼企業などは被調査人の履歴書を被調査人本人の承諾もなく、調査業者にコピーなどを安易に渡していた問題である。第6に被調査人の承諾もなく極秘に被調査人の能力・適性以外のことまで調べていた問題である。第7にそれらの調査結果をもとに採用の可否を決めるという就職差別が行われていた問題である。

  私達は今回の事件を「差別調査事件」と呼んでいるが、本質的には「就職差別事件」であることを忘れてはならない。就職差別を行うためにその手段として差別調査が行われていたのであり、就職差別を撤廃することが採用時の差別調査を撤廃することにつながるのである。さらにいえば数々の差別が存在するからこそ就職差別が横行するのであり、それらの差別撤廃が就職差別の撤廃につながることはいうまでもない。

  このような3つの側面から身元調査の問題を検討するとともに、依頼企業など、調査業者、被調査人のそれぞれの性格によっても身元調査の持つ意味が異なってくる。よってこれらの性格についても考慮していく必要がある。少なくとも被調査人が高校・大学の新卒である場合は全面的に採用調査をすべきでないと考える。

  以上の諸点を先に示したプライバシー保護の原則や企業が持たなければならない今日の人権性、倫理性、合法性、公式性、公開性などを踏まえて検討する必要がある。

5 依頼企業などの依頼内容に関わる問題

  まず第1の依頼企業などの依頼内容に関わる問題であるが、企業が一般的に他の企業に対して自社の業務の内容を委託することは広く行われており、最近ではアウトソーシングなどといってより広範に行われている。そういった意味で企業が調査業者一般に業務の1部を委託することは問題がない。しかし、採用時の調査を依頼することが許されるかどうかというと企業の他の業務とはかなりの違いがある。差別的な内容および差別につながる恐れのある調査を依頼することは許されないのはいうまでもないが、本人の能力・適性を調査の依頼内容に付け加えることができるかどうかである。

  今日、本人の能力・適性以外を基準に採用の可否を決めることは労働省をはじめとして多くの機関が問題ありと認識しており、おおむね問題を含む調査と断定できる。しかし、能力・適性に係わることであっても、その内容によっては問題が存在する場合もあるし、プライバシー保護の原則からいっても、EU指令で明確にされているように「データ主体の明確な同意」、つまり被調査人の明確な同意がある内容と目的が明確なものに限定されるべきである。

  但し、この場合でも採用権限を持つ依頼企業などと被調査人の力関係には大きな違いがあり、あらかじめその範囲を限定しておく必要があるといえる。これは、依頼企業などと調査業者の関係からもいえる。依頼企業などはあくまで業務を発注する側であり、調査業者に対して強い立場にある。発注する側の意向を制限することは調査業者にとって死活問題であり、事実上制限できない場合が多い。これらの点から事前にその範囲を限定しておくことが極めて重要である。依頼内容を限定するという問題は、被調査人つまり調査対象を限定することを含んでいる点も付け加えておきたい。

6 依頼企業などになされる報告内容の問題

  第2の調査業者から依頼企業などになされる調査報告の内容の問題について、今回の差別調査事件では、依頼内容そのものが履歴書確認のみであったにもかかわらず、報告内容にはEU指令でハイリーセンシティブデータとしても明記されており、本人の能力・適性以外で明確な差別項目である民族、政治的見解、宗教、信条、労働組合への加盟などが含まれていた。依頼していない項目が報告内容に含まれていたにもかかわらず、依頼企業などはほとんどの場合、調査業者にクレイムを付けていない。これは後に述べる契約内容の問題にかかわる。

  企業などになされる調査報告は第1の問題点をクリヤーしたものであって、なおかつ依頼された事項に限定すべきであり、報告などの形式も余分なものが含まれないような統一した形式にすべきである。また調査報告の内容にかかわって、OECDガイドラインの「利用制限の原則」「収集制限の原則」「安全保護の原則」「責任の原則」などを遵守する必要がある。

  今回の差別調査事件の場合、調査業者の社員であったものが個人データを持ち出し、それをネタに調査業者に不当な要求をしていた事が調査業者の証言によって明らかになっている。これらは「利用制限の原則」「安全保護の原則」や「責任の原則」が遵守されていない証である。

  皮肉なことであるが、それらの原則が破られたことが今回の差別調査事件の全面的な解明の発端になったことはいうまでもない。また、依頼された事項以外に多くの調査がなされていることは「収集制限に原則」にも反する。これらのことが守られなかった場合、EU指令の解説のところで上げたような権限を持った監督機関の設置、司法的・行政的救済の保障や調査業者に対して損害賠償の権限を得ることを明確にすべきである。

7 調査業者の営業・広告行為などに関わる問題

  第3の調査業者の営業・広告行為の内容や両者で交わされる契約内容に関わる問題については、今回の差別調査事件でも重要な問題になっている。つまり今回の事件やJ社事件の調査業者の場合、調査業者側の企業に対する営業活動が、採用時の身元調査を依頼する引き金になったことが明らかになっている。

  企業側の採用行為に対して調査業者側が「問題のある人物」を採用した場合の不安を煽る形で営業活動を展開し、その営業によって自らの差別体質を増幅させた企業が、採用調査を依頼するという形が今回と前回の事件で明確になってきている。これらの事実を踏まえるならば、調査業者の営業・広告も合法性以上に厳しい枠が課せられて当然といえる。第1、第2の問題点を克服した営業・広告行為でなければならないといえる。また、両者で交わされる契約内容に関わる問題も重要である。

  依頼企業などの依頼内容と調査業者の報告内容にかなりのギャップが存在していた。依頼企業などから差別調査の依頼が明確な形でなくても、その意向を十分に感じ取り、依頼企業などに泥をかぶせることなく、差別調査を行い差別的な報告を行うことが暗黙の了解として存在していたとしか考えられない。ある意味では依頼企業などと調査業者の「あうんの呼吸」であるともいえるが、そのような「あうんの呼吸」を介在させることができるような契約内容であったといえる。

  今回の差別調査事件の場合も契約事項は極めて不透明であった。これらの事実を踏まえるならば、契約内容を明確にし、より高いディスクロージャーが求められる。それが不透明な形でなされてきた差別採用調査を水際で封じ込めることにつながり、OECDガイドラインの「公開の原則」にも合致する。依頼企業などと調査業者がどのような契約をしているのかということを公開することは、プライバシー保護の原則や企業に求められている「公開性」「公式性」からいっても重要である。

8 調査のあり方・方法に関わる問題

  第4の調査のあり方・方法に関わる問題については、先に述べたように違法な調査手段やプライバシー保護原則の逸脱が許されないことはもちろんであるが、そのためにも「個人参加の原則」「データの質維持の原則」が貫かれなければならない。採用時の身元調査の場合、これまで述べた諸点に則って行うならば、本人の能力・適性に関し、その申告に基づいて行うことになり、それらの申告に虚偽がないかどうかを調べることが中心となる。その場合、難しい問題はあるが、被調査人がどのような調査業者によって調べられるのかを知り、調査内容について知ることができなければならない。

  確かに、そんなことをすれば虚偽申告の事実を明らかにすることなどできないという反論もあるが、デタラメな調査報告をされて多くの被害を被ってきたことを考えれば、自身のデータの「正確性」「最新性」「完全性」を求めることは必要だといえる。自身のデータへのアクセス権は採用時の身元調査においても認められるべきである。このことが不透明な依頼企業などと調査業者の関係に歯止めをかけることにもつながる。

   また、調査のあり方に関して重要な問題の1つに調査対象情報の公開度の問題がある。例えば、警備業のように前科に対して一定の欠格条項を法律で置いている場合がある。この場合においても、警備業に就職しようとしている希望者に対して、前科を調べることはプライバシー保護原則からいっても問題があるし、前科情報そのものが総合的に蓄積されているのは警察庁のコンピューターである。それ以外は新聞報道などであるが、それは身元調査の場合ほとんど役立たない。

  これまでの調査業者の証言からも警察庁のコンピューターが情報源であることが明らかになっている。しかし、このような情報源から民間調査業者が情報を合法的に取ることはできないし、許されることでもない。このように調査のあり方・方法などからの制約も存在することを忘れてはならない。

9 被調査人に関わる問題

  第5の依頼企業などが被調査人の履歴書を本人の承諾もなく、調査業者にコピーなどを安易に渡していた問題は、疑う余地もないプライバシー侵害である。被調査人は就職希望という目的のために履歴書を企業などに渡していたのであり、自身の履歴書が第3者である調査業者に渡っていたことなど知る由もない。

  その上に差別調査をされて不採用になり、被調査人の履歴書だけが調査業者に残っていることなど許されることではない。OECDガイドラインの「目的明確化の原則」「利用制限の原則」「安全保護措置の原則」「個人参加の原則」「責任の原則」を明確に逸脱している。少なくとも就職希望者の履歴書を目的外に使用することは許されず、調査を依頼する場合においてもこれまで述べたように限定された内容と形式にすべきである。

  第6の被調査人の承諾もなく極秘に被調査人の能力・適性以外のことまで調べていた問題は依頼企業などの差別体質を顕著に物語っている。能力・適性以外のことを調べるのは差別あるいは差別につながる恐れのある調査であることはいうまでもないが、限定された範囲の能力・適性に関することであっても、被調査人の承諾を求めることがプライバシー保護原則に合致する。OECDガイドラインの「個人参加の原則」「公開の原則」からいっても、被調査人自身が依頼企業などから調査業者と調査する内容・目的および調査期間などについて情報提供され、承諾を求められるべきである。

10 就職差別事件という本質

 第7のそれらの調査結果をもとに採用の可否を決めるという就職差別が行われていた問題は今回の差別調査事件の本質にかかわることである。依頼企業などは企業防衛という目的のために調査を依頼したと述べているが、企業防衛という美名に隠れて就職差別が行われていたのである。これらのことからも個々の調査内容全てに関して、その目的を明確にすることが求められる。

 以上の諸問題を克服した詳細で明確な基準設定とその遵守を確保できる調査業者と依頼企業などの存在があって、はじめて採用時の一定の調査が許されるのではないかと考える。それは採用調査を奨励することではなく、不透明な形でなされている採用時の差別調査をなくするためであり、健全な企業経営と人権尊重の採用システムを確保するためである。

 最後になるが、採用時の身元調査は、日本型雇用システムの変化、情報公開やプライバシー保護などの流れの中でいずれ撤廃されていくものであることを付け加えておきたい。