講座・講演録

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2005.07.26
講座・講演録
第264回国際人権規約連続学習会
世界人権宣言大阪連絡会議ニュース276号 より
中国からみた日本
「反日」とは何か〜中国の若い人たちは何を訴えているか

王 智新(宮崎公立大学教授)

 世界人権宣言大阪連絡会議は、2005年7月25日(月)、王智新さんを報告者に迎え、第264回国際人権規約連続学習会を開催しました。東アジアの国々と日本との関係を今後、どのように発展的に築いていくのかについて考えるために連続で、韓国、中国からみた日本をテーマ設定しました。いずれも100名を超す方々が参加、アンケートでも多くのご意見や感想をいただいたことから、みなさんの関心の高さを伺い知ることができました。報告要旨は以下の通りです。(文責 事務局)

日本における危惧される状況

 私は10年前から現在の宮崎公立大学で働いていますが、その10年前と現在を比べると公務員であるために、公の場での発言を控えるようにとの圧力がかかることが多くなり、現在の方が息苦しい状況になってきていると思います。

  また先日、日本記者クラブで私たちとは意見の異なる人と教科書問題について議論したのですが、その際にもある大学の教授が中国と韓国が「だらしない」から日本がカバーしてやったのだと歴史についての見解を堂々と発言していました。これは1930年代の状況に非常によく似ていて、今日の日本社会は平和や人権の観点からとても心配な状況にあると私は認識しています。

  そこで今回は私の歴史問題や日中関係についての考えを報告し、そこから生まれる共通認識のもとで私たちはどう行動していくべきかを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 現在の日中関係はご承知の通りいわゆる「反日デモ」でギクシャクしていますが、私に今回の講演の依頼があったのはそれより前のサッカーアジア大会で中国のファンが日本選手にブーイングを浴びせた騒動の頃でした。日本では中国で江沢民の時代から行われている反日教育や愛国心教育の結果、中国の若者がそういった行動をとったと考えられているようです。そして今年の春以降は日本の靖国問題や歴史問題などに抗議するデモが中国の都市部で行われ、日本政府やマスコミが一斉にそれを「反日デモ」として取り上げました。日本のマスコミは最近あまり中国の「反日デモ」を取り上げなくなりましたが、決して中国でそういった行動がなくなったわけではありません。では中国では一体今、何が起こっているのでしょうか。

起こるべきして起こったデモ

 私が言わせてもらえれば、一連の中国での動きは起こるべきして起こったことであって、全く驚いてはいません。なぜならこれまでも同様の問題は起こっているからです。皆さんがご存知の1989年の天安門事件も発端は対日関係にありました。ただ中国では天安門事件以来、大規模のデモや集会は厳しく禁じられています。だからそれ以降の10数年間、中国の大衆は日本に対する不満や意見を持っていく場がなく、それが今年になって爆発しただけだといえます。

  戦後の中国では1960年代に日本の安保闘争や成田闘争等、平和憲法の下での日本民衆の闘争を支援する集会やデモが中国各地で繰り広げられていました。この背景には侵略戦争は一握りの軍国主義者が起こしたものであって、日本の人民も中国の人民と同様に戦争の被害者であるのだから、軍国主義に反対する気持ちは同じだとする中国政府のスタンスと、それによる中国の大衆への説得がありました。

  その後、日中平和条約が締結され国交も正常化されて、日中関係は順調に進んでいくかのように思われましたが、中国への侵略はなかった等の戦争責任に関する発言が日本の政治家から相次ぎ、それは今日まで続いています。そういった発言が右翼の人から出るのは仕方ないとは思いますが、同様の見解や歴史解釈が日本で一般化されつつあることを私たちは心配しています。

  また中国の大衆にとっては同じ軍国主義の被害者である日本人がそれを受け入れていることが不思議であり、憤りを感じてしまっています。それが今日の若い人たちが感情的になっている要因の一つといえるでしょう。

若い人たちによる新しいデモ

  今回のデモは最初に北京で起こりました。北京の人びとはもともと政治の話が好きな人が多いので、そこからデモが始まったのは十分に理解できますが、上海でもあんなに早く起こったのは意外でした。実際、共同通信社が上海で日本製品をボイコットするかという取材をしたところ否定的な意見が多く、上海市政府も公式に日本企業に安心するようコメントを発表していましたが、その翌日の土曜日にはインターネットを通じた呼びかけによって上海でも何万人もの大規模なデモが起こりました。

  上海市政府も反日的な動きを全く把握していなかったわけではなく、毎年起こっている数千人規模の行動は予想していたようです。しかし今年は、小泉首相の靖国参拝や強制連行への裁判や教科書問題、あるいは東海ガス田などのいろいろな問題が重なって大きなデモになってしまいました。また市政府は携帯電話利用者全員にショートメールを送るシステムを使っていて、それを通じて「無許可のデモは犯罪だ」や「無許可のデモに参加するな」等のメッセージを再三送っていました。

  しかしこういった政策が逆に若者の好奇心を刺激して、参加者を増やしてしまったこともあったようです。そして中国政府が若い人びとの心を掴みきれていないのではないでしょうか。また、若い人たちは政府の政策に対する反発心やプロパガンダに対する疑いを強く持っていることも今回のデモの背景にあったといえるでしょう。   

  いずれにしても今回、様々な場所で起こったデモは大体同じような傾向にあるようです。これに対して日本の一部のマスコミなどは今回のデモは政府にそそのかされた「官制デモ」と言っているようですが、それは全く中国のことを理解していないのか、わざとそのように報道しているかのどちらかだといわざるを得ません。要するに今回のデモは若い人達による自発的なものであって、インターネットや携帯電話が普及した時代に興った新しいタイプの抗議活動だったのです。

日本に対する抗議行動と「反日」「排日」

  昨今の中国での日本に対する抗議行動を日本のマスコミなどは「反日」と称していますが、かつての日本でも同じようなことがありました。1920〜30年代の日本のマスコミは、日本帝国主義者の侵略や略奪に反対し抵抗する中国民衆の行動を「排日」と称して、国民のナショナリズムや対立意識を煽り立てていました。そしてそれはいつしか「暴支鷹懲(暴走した中国に日本の軍部が懲罰を与える)」へとエスカレートしていき、侵略行為を正当化していったのです。この状況が現在のマスコミが「反日」という言葉を多用したり、一部の教科書で多く記述されているなどの状況と似ていると私は思います。

  特に今回の報道では中国の若い人達が日本大使館や商店に投石している映像が繰り返し流され、皆さんも大変心配されたのではないでしょうか。しかしそれが全てかというと、私は決してそうは思いません。暴力的な行動に出た者もいましたが、冷静に理性を持って日本の軍国主義化や歴史の歪曲などに抗議する人も実際には多くいました。日本で今回の抗議活動を「反日」や「暴徒」、あるいは「テロ」だと報道されていましたが実際はそうではありませんでした。

  近代中国のデモや大衆運動は常に大学生が先導者であり、それに対して権力は暴力による弾圧を行い、命を落とすことも珍しくはありませんでした。騎馬隊や鉄砲の前では丸腰の学生はすぐにやられてしますが、それを知りながらも彼らは街に出て運動を続けました。これが中国の学生運動であり、それが89年の天安門事件で一つのクライマックスを迎えたのです。

「愛国無罪」の意味

  しかしそれで運動が全て終わったわけではありません。その後も学生側は合法的な抗議活動を目指し、政府の側も憲法で謳われている言論や集会の自由をいかに保障していくのかが求められてきたのです。その表れが今回の警察の対応にも現れているといえるでしょう。今回のデモで投石する者に対して警察は何もしなかったとして、日本では批判が出ていたようです。

  しかし実際警察の関係者に聞いたところによると、あの時の任務はピケ線を突破され大衆が建物になだれ込むのを防ぐことだけで、投石等の行為は想定されていませんでした。大衆が行った行為で法に触れる部分は今後きちんと法律で処罰されるでしょうし、何よりもそれを阻止することで警察とデモ参加者の間での予期せぬ衝突を避けたいという思いがあったのです。こうした大衆や警察の思いが日本には伝わっていないだけだといえます。従って今回のような抗議活動は今後もより合法的に、静かな形で行われ続けると思います。

  ただ今回の抗議活動は組織化されておらず、目標もないままに行われたために大衆心理が働いて不幸な結果を招いてしまいました。この点については大衆も運動というものをもっと勉強しなければならないといえるでしょう。

  その中で一つ皆さんに誤解して欲しくないのは、「愛国無罪」と言うスローガンのことです。この言葉は今回の抗議活動で皆さんもよく目にされたと思いますが、これは日本で酷評されているような「愛国運動であれば何をやってもかまわない」という意味ではありません。先述の通りこれまでの政府を批判する運動は弾圧されてきたわけですが、その弾圧から自分たちを守るためにこのスローガンは作られてきました。つまり自分達の行動は国のための正義の行動であって、弾圧されたり罪に問われることはないという権力への抵抗のスローガンなのです。だから参加者は公安を前にしても恐れる顔を全く見せませんでした。その点をぜひ理解してほしいのです。

抗議活動へ参加した人が求めているもの

  今回の抗議活動にはどういう人が、どんな気持ちで参加していたのでしょうか。朝日新聞などは、「今の中国の若い人達は日本が平和憲法の下でどれだけ世界に貢献しているかなどを知らずに日本が軍国主義だと抗議している」と言う論調を示しています。しかし朝日新聞は中国の若い人のことを全く捉えていないと思います。現実に彼らは日本のことを良く知っており、むしろ知りすぎているからこそ怒っているのではないでしょうか。平和を愛し、平和を謳歌している日本人の現実と、例えば自分たちが正義のために闘っている慰安婦問題や強制連行に対する裁判が日本で負け続けている現実があります。

  またこれはあるデモ参加者から聞いたのですが、以前東京で身体に矢が刺さった鴨が発見されたときに日本のテレビは一日に何度もそれを報じ、定かではないですが、総理大臣までもが直接その鴨を見に行って助けるように訴えたそうです。日本人は動物にまでこれだけの愛を注ぐにもかかわらず、中国や韓国の戦争被害者には非常に冷たいという現実があります。

  また中国の1960〜70年代に生まれた人達は日本のことを電化製品や漫画等を通じて知っていて、日本に対して理想的なイメージを持っている人が私達の世代よりも多いです。しかし一方には例えば戦争中に日本軍が残した毒ガスが中国の多くの場所で大衆の日常生活を今も脅かしていたり、日本軍がばら撒いた細菌によって今も苦しんでいる人がいて、日本政府もその事実は認めているにもかかわらず、それに対する責任は既にないと主張している現実もあります。中国の若い人達はこういった現実の間に矛盾を感じており、日本に正義はあるのかという憤りを感じています。だから理想と現実のギャップに戸惑っているために今回のようなことが起こったとも言えるのでしょうが、それ以上に彼らは戦後60周年と言う意味もあって、これからの平和、これからの日中友好をどうするのかということを日本の大衆に訴えようとしているのだと思います。

ギャップをどう埋めるかが課題

  これまでの日中、あるいは日韓関係は貧しくて遅れている中国や韓国を日本が助けるというイメージがお互いに強かったといえます。しかし戦後60周年を迎える今日、日中韓は経済的に対等になりつつあります。つまり今後は日中韓が行うであろう平和的な競走を日本がどう受けて立つのか、それが今後の日本の課題なのではないでしょうか。だからそれを解らずに靖国神社に参拝したり、歴史を改ざんするような人の言うことは、私には雑音でしかないのです。そういった雑音には邪魔はされたくはありません。

  なぜなら今日の東アジアの平和は過去の戦争での、もちろん日本人も含めた3500万人の犠牲の上に成り立っているのだからです。雑音に踊らされて同じような犠牲を繰り返すことは絶対にあってはならないのです。ですから中国の若い人達が抱えている先のようなギャップをどうやって埋めるのかをしっかり考え、今後の中国を担っていく彼らとの間に健全な日中関係を築いていくことが重要だと私は思います。

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