1,部落問題とは
部落問題とは、日本の封建社会において形成された身分階層構造の中で形成された被差別身分に起因した差別問題で、国際的には、インド等南アジアで存在しているカースト制度に起因する差別と類似している。
今日、日本には政府の発表では、4,300カ所の部落と90万人の部落民が存在していると言われているが、運動団体や研究者は、これよりも多く、6,000カ所の部落が存在し、300万人の部落民がいると主張している。
2,部落解放運動の歴史と部落差別解消にむけた取り組み
1867年、日本は明治維新を行い、近代国家の仲間入りをしたが、封建社会に形成された被差別身分に対する差別は撤廃されず、近代化の過程の中で周縁化され、新たな差別を受けることとなった。
この結果、1922年3月、部落差別の撤廃と人権確立社会の到来を求めて全国水平社が創立された。この創立大会で採択された水平社宣言は、今日多くの人々によって日本における人権宣言であると言われてれている。
全国水平社は、日常公然と存在していた差別を糾弾し、部落差別の不当性を社会に訴えた。糾弾は、軍隊内における差別にまで及ぶものであった。
1930年代に入り、日本は中国をはじめとする周辺諸国に対する侵略を本格化させ、ついにはアジア・太平洋戦争を引き起こすこととなった。この中で、全国水平社に対する弾圧が行われ、ついには戦争協力を強いられることとなった。痛恨の歴史である。
1945年8月、日本は周辺諸国人民に筆舌に尽くしがたい被害を与え、日本自身も、広島、長崎に原爆を投下されるなど甚大な被害を受ける中で敗戦した。
敗戦後間もない1946年2月、部落解放運動は再建された。1950年代中頃から、部落解放運動は、部落と部落民がおかれている劣悪な実態を差別の結果だとして自治体に対して、その改善を求めた闘いを果敢に展開した。戦後再建され大衆化してきた部落解放運動は、1955年8月の大会で、部落解放同盟と名称を変更し、今日に至っている。
1965年8月には、国の同和対策審議会から答申が出され、「部落問題解決の責務は国にあり、同時に国民的課題である」ことが明らかにされた。1969年7月には、同和対策事業特別措置法が制定され、それ以降2002年3月末まで、名称変更を伴いながら33年間「特別措置法」時代が続いた。この間、部落の住環境面の改善はかなり進んだ。また、高校進学率などもかなり高まってきている。さらに、学校や社会において、部落問題に関する正しい認識を確立するための取り組みも広がった。
しかしながら、高校進学率で数パーセントの格差があり、大学進学ではおよそ6割にとどまっている。結婚や就職面などでの差別は根絶されておらず、部落民を皆殺しにせよなどとした悪質な落書きや投書、さらにはインターネットを悪用した差別宣伝、差別扇動が増えてきている。
なお、1975年11月には、部落地名総鑑差別事件が発覚し、日本の企業の深刻な差別体質が明らかとなり、これに対する糾弾闘争の展開によって、民間企業の中での部落問題や人権問題に関する研修が行われるようになってきている。
また、1979年8月には、第3回世界宗教者平和会議における日本の宗教者の差別発言が生じたが、これに対する糾弾の結果、今日、日本の宗教教団の中で、部落問題や人権問題に対する研修が行われるところとなっている。
3,部落差別解消にむけて求められている課題
部落差別を解消するためには、今後、
- 今日なお存在している教育や労働面での格差を撤廃するための取り組み
- 部落差別の意識を撤廃するための教育・啓発活動の強化
- 悪質な差別を規制し、被害者を救済するための法制度の整備
- 部落がよくなるとともに部落の周辺地域もよくなるような人権尊重のまちづくりの推進
が求められている。